南房総市
南房総市(みなみぼうそうし)は、千葉県南部に位置する市。安房地方の西部に位置する。
2006年(平成18年)3月20日に安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併し、南房総市が発足した[1]。
館山市への通勤率は21.0%(平成22年国勢調査)。
Contents
地理
本市は房総半島の最南端に位置し、房総丘陵を抱え三方を海に囲まれた温暖な地域である。東京から100km圏内である。直下には鴨川低地断層帯が所在する。
行政区域は館山市を取り囲む形となっており、同市を挟んで内房側を富山・富浦地区、外房側を白浜・千倉・丸山・和田地区、館山市の北に隣接する内陸の地区を三芳地区と呼称する。三芳地区は内房側、外房側の各地区と道路で結ばれており、また内房側の各地区と外房側の各地区も、山中を通過する道路でつながってはいるが、鉄道や幹線道路を利用して最短距離で移動するためには館山市を通過しなければならない。後述するように館山市を含めた合併が破談となり、周辺町村のみで合併したため、このような変則的な行政区域となったが、館山市とは同一生活圏にある。
市役所は当面、旧富浦町役場を使用するが、富浦地区が南房総市の地理的・経済的な中心地というわけではない。人口が最も多いのは千倉地区だが、合併前まで警察署が置かれるなど(千倉署が旧千倉町、旧白浜町、旧丸山町、旧和田町を管轄→合併後は南房総市全域が館山警察署の管轄)、外房側地区の中心地ではあるものの、内房側の各地区や三芳地区から見た場合、千倉地区は中心地とはいえない。よって南房総市は、特に商業、医療などの面では館山市への依存状態にあるといえる。ただし和田地区は鴨川市との結びつきも強い。
千葉県の最南端である旧白浜町は太平洋に面しており、伊豆諸島や、冬の冷え込んだ時などには伊豆半島も遠望できる。
市は森林セラピー基地に認定されている。
隣接している自治体
人口
南房総市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.29%減の39,033人であり、増減率は県下54市町村中45位、60行政区域中51位。全域が過疎地域に指定されている。
沿革
歴史
本地域が位置する安房地域は718年(養老2年)に上総国から分かれ、明治初期まで安房国と呼ばれていた。国府は旧三芳村に置かれ、条里制の遺構も見られる。かつては多数の荘園があり、これらは中世末まで統治者の交代を繰り返した。
戦国時代に入り、15世紀中頃に里見氏が安房統一を果たし、戦国末期に館山城を築城し、安房国統治の拠点とした。江戸時代初期、里見氏は江戸幕府により1614年(慶長19年)に改易され、以降この地は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治された。
近代に入り、1878年(明治11年)の郡区町編制法施行により郡制を施行、1897年(明治30年)には「交通の便が相互にあり且つ民族風俗に大差がない」という理由から、安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を合併して、昭和期の安房郡の前身となる「安房郡」が形成された。
2006年(平成18年)3月20日に安房郡富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町、和田町が合併し、南房総市が発足[1]。
合併の経緯
2000年(平成12年)12月に千葉県が発表した「合併推進要綱」では、安房地域の合併の枠組みは「(1)館山市・鴨川市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町・天津小湊町」「(2)館山市・富浦町・富山町・鋸南町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町」「(3)鴨川市・和田町・天津小湊町」の3通りが示された。
これを受け、鴨川市、鋸南町、天津小湊町を含む安房郡市2市8町1村でまず合併の検討が始まり、2002年(平成14年)9月4日に任意合併協議会を設置した[2]。しかし、合併の枠組みで議論が分かれ[3]、安房地域全体での市町村統合を断念し[4]、2003年(平成15年)1月に任意合併協議会は解散することとなった[5]。
その後、上記(2)の枠組みである1市8町村で合併を検討することとなり[6]、2003年(平成15年)1月に法定合併協議会準備会を設置し[7]、法定合併協議会を設置して同年4月23日に第1回の会議を開いた[8]。
新市名は全国を対象とした一般公募を行い[9]、「館山」が1位となったが[10]、8町村が「南房総市」を主張して館山市側と対立し[11]、2004年(平成16年)1月30日に賛成多数で「南房総」とした[12]。
また、合併前に役場や小学校などの新築をするいわゆる「駆け込み公共事業」についても、同年9月30日に館山市議会がそうした事業の抑制促す決議をするなど[13]、同市以外の8町村が対立した[14][15]。
2004年(平成16年)2月25日に館山市議会は合併協議会からの離脱を決議して[16]、これを受け館山市の2委員が翌日の26日の協議会から退席して協議を事実上離脱し[17]、同年4月23日までに館山市以外の8町村が廃止決議を行って[18]、同月に合併協議会の廃止同意書交わし解散することになった[19]。
館山市を除く8町村は間もなく8町村のみの合併を検討し始め[20]、同年5月31日に8町村による「検討会」を設置した[21]。
和田町では鴨川市との合併の是非を問う住民投票が行われることとなったために検討会参加が一旦保留となり[22]、2004年(平成16年)7月に行われた住民投票で反対多数となったことを受けて検討会に再び参加し[23]、8月9日には8町村による法定合併協議会に移行し[24]、同月16日に初会議を開催した[25]。
同年9月に鋸南町では町長が8町村での合併に異議を唱えて合併協議からの離脱を表明し[26]、8町村での合併に前向きな町議会と対立したため辞任した[27]。11月に行われた町長選では、富山町・富浦町・三芳村との合併推進を唱えた現職と[28]、8町村合併を唱えた前町議会議長[29]、館山市・富山町・富浦町・三芳村との合併を唱えた市民オンブズマン出身者による争いとなったが[30]、現職が当選したことにより[31]、鋸南町を含む8町村合併はなくなった。
同町長が公約で合併相手に挙げた富山町・富浦町・三芳村はいずれも、鋸南町を除いた7町村合併に賛同したため、鋸南町は単独町制の継続を余儀なくされることとなった。
同年12月15日に鋸南町を除く7町村は改めて法定合併協議会を設置し[32]、2005年(平成16年)2月8日に合併協定に調印[33]、7町村議会、千葉県議会での議決を経て、同年5月12日に総務大臣が7町村による南房総市発足を官報に告示した[34]。
この間、白浜町では館山市との合併を求める住民が、2004年(平成16年)11月11日に同市との合併を求める住民投票請求を署名3,131人を集めて提出し[35]、12月9日に同町当局に受理された[36]。同市が議会に付議しなかった。
- 合併に伴う住所表記、電話番号の変更
※郵便番号、電話番号は新市移行後も引き継ぐ。
- 富山町・三芳村・丸山町の場合、旧町村名から南房総市への表記変更のみ。昭和の大合併以後にできた歴史の浅い自治体名のため残さない。
- 例「安房郡富山町○○ ××番地 → 南房総市○○ ××番地」
- 富浦町・白浜町・千倉町・和田町の場合、南房総市+旧町名併記。昭和の大合併以前にできた歴史ある自治体名のため残した。
- 例「安房郡富浦町○○ ××番地 → 南房総市富浦町○○ ××番地」
- また、番地表示については「××番地の×」の「の」は表示が必要無くなる。
- 例「安房郡富浦町○○ ××番地の× → 南房総市富浦町○○ ××番地×」
行政
市長
産業
漁業
白浜の海女
旧・白浜町で海女の素もぐりによる[38]アワビ・天草などの漁が著名である[39][40]。海女の大半が農業との兼業で活躍している。5月1日から9月10日の解禁日には海に潜り[39][41][42][40][43][44][注釈 1]、アワビ・天草などを採っている[39][40]。
7月には海の安全と豊漁を祈願する「白浜海女まつり」が行われ[47]、松明を持つ海女の夜泳[48][49][50][51][52][53][54][注釈 2]、花火大会[56]、子供たちのまつりばやし、白浜音頭の総踊りなどが行われている。その中で海女の恰好に扮して海女らしさで競う海女コンテストがあり、現役の海女だけでなく地元の女性や一般観光客も飛び入り参加できるイベントでもある[57]。
アワビ養殖
旧・千倉町にある千葉県水産試験場は、1990年(平成2年)に千倉沖にコンクリートブロックを沈めて漁礁を作り[58]、鮑の稚貝を大量集中放流することで海中牧場化する養殖に着手し[59]、1992年(平成4年)に収穫して育てる漁業への転換を図り[60]、2001年(平成13年)には房州ちくら漁業協同組合がアワビ養殖に正式に着手することになった[61]。
また、旧・白浜町でもアワビの漁獲量の減少が進んだことから[62]、千葉県水産部が当地でアワビの一環養殖の研究に全国で初めて着手し[63]、岩磯の増殖溝で波の力を利用したアワビ増殖や[64]、千葉県がアワビやヒラメなどの稚魚・稚貝の養殖を手掛ける施設を1995年(平成7年)6月に完成させるなど養殖漁業への転換を図っている[65][66]。
海藻類
旧・白浜町でハバノリ[67]・ヒジキなどの漁も行われている[68]。
旧・富浦町の館山湾・富浦湾でワカメ漁が毎年3月に解禁される[69][70]。
沿岸捕鯨
旧・和田町に国内4カ所の一つで[71]関東では唯一の捕鯨基地があり[72]、沿岸捕鯨でツチクジラとゴンドウクジラの漁を行っている[73]。
漁港
農業
果樹栽培
- ビワ - 房州ビワの産地であり[74]、旧・富浦町が生産日本一であり[75][76][77]、当市も生産日本一となっている[78]。収穫期には富山・富浦地区の国道127号沿いに直売所が開設され[79]、風物詩となっている[80]。また、ビワ狩りも人気となっている[81]。
- 温州みかん - 旧・富山町と[82]旧・三芳村で盛んである[83][84]。観光みかん園もある[85]。
花卉栽培
花卉栽培の先駆者で千葉県特産功労者の間宮七郎平がいたことも関係し[86]、温暖な気候を生かした斜面のビニールハウス内での温室栽培などをが盛んに行われている[87]。
- アイリス - 旧・富浦町が生産日本一[88]。
- キンセンカ - 旧・白浜町が2002年(平成14年)に全国シェア40%で日本一の産地となっており[89]、露地栽培され[90]、正月用などに出荷される[91]。キンセンカは食用花として給食や[92]ケーキ作りにも使われる[93]。
- カーネーション - 旧・富浦町のカーネーション団地などで生産[94][95]。* 水仙 - 旧・富山町で盛んである[96][97][98]。
牧畜
- 和牛 - 旧・富山町が千葉県内一の生産を誇った[99]。
- 酪農 - 旧・丸山町の一角に千葉県史跡に指定されている「日本酪農発祥の地」の「千葉県嶺岡乳牛試験場」があり[100]、旧・富山町で盛んである[101]。
教育
高等学校
中学校
市立
小学校
市立
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その他
- 国立 筑波大学附属中学校(東京都文京区)富浦寮
- 練馬区立少年自然の家 - 教育施設として開設されたが、一般の利用者にも開放したため、地元民宿業者等から批判された[103]。
- 文京区立岩井学園
- 北区立岩井学園
- 渋谷区立臨海学園
- 渋谷区立富山健康学園
- 千葉県立富浦学園
公共施設
医療施設
- 南房総市国保富山病院
- 三芳病院
運動施設
- 南房総市千倉運動施設
- 富山スポーツセンター
文化施設
- 南房総市立千倉図書館 - 1999年(平成11年)7月22日に千倉町立図書館として開館[104]。(法務局出張所を改修[105])
- 南房総市立富山民俗資料館 - 1994年(平成6年)1月26日に富山町民俗資料館として開館[106]。
- 白浜フローラルホール - 1995年(平成7年)11月に完成[107][108]。
交通
鉄道
バス路線
高速バス
- 新宿ルート【新宿なのはな号】(日東交通・JRバス関東)
- 羽田空港・横浜ルート(日東交通・京浜急行バス)
一般路線バス
- 館山日東バス
- 鴨川日東バス
- JRバス関東
市営バス
- 富浦ルート【さざなみ号】
- 《平日》富浦駅 - 丹生・福沢・仲尾沢・青木山 - 富浦駅
- 《土曜・休日》富浦駅 - 青木山 (- 大房岬) - 富浦駅
- 富山ルート【トミー】
- 混乗バス丸山ルート
- 混乗バス北三原ルート(館山日東バスに運行委託)
- 南三原駅 - 福祉センター前 - 唐ヶ作 - 小向ダム - 上三原
乗合タクシー(運行終了)
- 三芳線
- 国保病院 - 平久里 - 滝田 - 大学口 - 山名 - 御庄 - 府中 - 谷向 - 道の駅鄙の里 - 安房地域医療センター - 九重地区
- 丸山線
- 大井(酪農のさと) - 川谷 - 石堂 - 前田 - 岩糸 - JR南三原駅 - 安馬谷 - 加茂 - スーパーおどや丸山店 - 沓見 - 三芳地区 - 道の駅鄙の里
- 富山国保病院 - 南三原駅線
- 国保病院 - 不寝見川 - 道の駅鄙の里 - 御庄 - 丸山地域センター - 古川 - 南三原駅
道路
有料道路
一般国道
主要地方道
- 千葉県道86号館山白浜線
- 千葉県道88号富津館山線
- 千葉県道89号鴨川富山線
- 房総フラワーライン(複数の県道・国道が混じっている道路の通称)
道の駅
- 道の駅とみうら - 1993年(平成5年)4月22日に登録[116]。1993年(平成5年)11月27日に開業[117][118]。
- 道の駅三芳村 - 2000年(平成12年)2月2日に開業[119]。
- 道の駅ローズマリー公園 - 1991年(平成3年)9月22日開園[120]。イギリスの劇作家シェイクスピアの生家が再現され[121][122]、1997年(平成9年)4月23日に「シェイクスピア・カントリー・パーク」が開園した[123]。1998年(平成10年)4月17日に建設省に登録して「道の駅」の1つとなった[124]。1996年(平成8年)度には「手づくり郷土賞」を受賞した[125]。
- 道の駅ちくら・潮風王国 - 1997年(平成9年)7月16日開業[126]。
- 道の駅富楽里とみやま - 2003年(平成15年)4月25日に完成[127]。
- 道の駅おおつの里 - 2003年(平成15年)8月に建設省に登録して「道の駅」の1つとなった[128]。
- 道の駅白浜野島崎 - 2005年(平成17年)8月10日に登録[129]。
- 道の駅和田浦WA・O! - 2012年(平成24年)11月7日に開業[130]。
市内に8か所あり、一つの自治体の道の駅数は岐阜県高山市と同じく1位[130]。密度は1位。
名所・旧跡・観光・祭事・催事
名所・旧跡
- めがね橋(千葉県指定有形文化財、1989年3月10日指定) - 県文化財指定きっかけに[131]、修復を行って1994年(平成6年)4月に修復を完了し[132][133][134]合わせて周辺を整備して公園化することになった[134]。
- 白浜フラワーパーク
- 白浜音頭発祥の地公園 - 2001年(平成13年)9月29日に除幕[135]。
- 野島崎
- 野島埼灯台 - 南端に[136]1869年(明治2年)に設置[137]。1998年(平成10年)2月15日に灯台資料展示室「きらりん館」が開館[138]。2000年(平成12年)11月から休館して耐震補強工事を行い[139]、2001年(平成13年)4月1日に新装開館した[140]。
- 大房岬 - 房総の魅力500選[141]。岬付近では崖地で地層やがけ地固有の植物が観察可能である[142]。1995年(平成7年)4月24日に展望塔が完成し[143]、同年8月に自然公園大会が開催された[144]。
- 高塚山 - 房総半島としては最も南側となる自然林がある[146]。
- 伊予ヶ岳
- 富山 - 南総里見八犬伝の舞台で2つの山頂を持つ[147]。
- 菅田の滝
- 坊滝 - 増間ダムの上流にある滝[148]。
- 花嫁街道(烏場山、黒滝) - マテバシイの純林も広がる烏場山を通り[149]、南房総地区の山地や海が一望出来る風光明媚な道で[150]、「エコウオーク100選」の一つに選ばれている[151]。新日本百名山
- 千葉県嶺岡乳牛試験場・酪農のさと - 千葉県史跡に指定されている「日本酪農発祥の地」が当町の一角にあり[100]、それを記念して1995年(平成7年)11月8日にその中に歴史資料館として「酪農のさと」が開館した[100][152]。
- 谷口横穴群[153]。
- 観光温室 夢の花かん - 1994年(平成6年)5月7日開館[154]
- みるく工房 - 1994年(平成6年)4月7日完成[155]
- 和田浦海岸 - 1998年(平成10年)に「日本の水浴場55選」[156]、2001年(平成13年)に「日本の水浴場88選」に選出された[157]。
- 浜千鳥の歌碑 - 和田浦付近の防風林の一角にある[158]。
- 小野次郎右衛門忠明生誕の地公園 - 小野派一刀流の流祖・「小野次郎右衛門」の生誕地に[159]、1989年(平成元年)4月14日に開園した[160][161]。
遺跡
- 安房国国府跡 - 古くは安房国の国府が置かれた[162]。
- 桜花発射台跡 - 発射台のレール跡と発射台跡(滑走路)が残る[163]。
- 恩田原遺跡 - 1997年(平成9年)1月19日に水田から古代印「王泉私印」が出土した[164]。恩田原古墳群がある[165]。
- 長尾藩陣屋跡 - 2000年(平成12年)10月に発掘調査で遺構を確認[166]。
- 仮家塚遣跡 - 弥生時代の円形周溝墓や[167]7基の方形周溝墓が発見された[168]
南総里見八犬伝ゆかりの地
寺社
- 石堂寺(天台宗) - 1992年(平成4年)に重要文化財に指定された多宝塔がある[170]。木造十一面観音立像(重要文化財)[171]、足利頼氏坐像、[172]聖徳太子像[173]、戦に敗れた足利氏の末裔が隠れ住んだことを記した「足利文書」などを所蔵している[174]。
- 大聖院(高塚不動尊) - 海上安全や大漁の守護神とされる海の生活と結びついて信仰されている[175]。
- 真野寺(真野大黒)
- 釈迦寺 - 千葉県内初のポックリ観音があり[176]、ボケ封じの観音様とも呼ばれて高齢者の参拝者を集めた[177]。
- 金気神社 - 風の神様が祭られており、例大祭などでは健康祈願が行われている[178]。
- 高家神社 - 磐鹿六雁命を祭神としており[179]、国内唯一の「日本料理の神様」として知られると共に[180]、「魚の神様」とも云われて海とのつながりを持ち[181]、古式に則った「包丁式」が奉納される[182][183][184][185][186][187]。
- 莫越山神社 - 酒造免許を所持して「神饌酒(お神酒)」造りを行っている[188][189]。
祭事・催事
- 白間津のオオマチ行事(国の重要無形民俗文化財) - 「黒潮文化」の1つで[190]、勇壮で華麗な「大網渡し」など[191]踊りを中心としたもので[192]、白間津の日枝神社に約1000年伝えられており[190][193]、1992年(平成4年)3月11日に国の重要無形民俗文化財に指定された[194]。
- 増間の御神的神事(千葉県指定無形民俗文化財、1963年5月4日指定) - 増間の日枝神社に伝わっている弓矢で的射て農作物の吉凶占う神事[195][196][197][198]。
- 加茂の花踊り(千葉県指定無形民俗文化財、1963年5月4日指定) - 加茂神社に豊作を祈願して奉納する[199]。
- 加茂の三番叟(千葉県指定無形民俗文化財、1962年5月1日指定) - 加茂神社に豊作を祈願して奉納する[199]。
- 千倉の三番叟(千葉県指定無形民俗文化財、1970年1月30日指定) - [200]
- 安房やわたんまち(千葉県指定無形民俗文化財、2004年3月30日指定)
- 筒粥神事 - 丸郷神社に伝わっている農作物の吉凶占う珍しい神事[201][202]。
- 海女祭り - 海の安全と豊漁を祈願[47](7月20日、21日)
- 里見まつり - 里見八犬伝を元に観光振興のために始められることになった祭で[203]、10月に開催[204]。
- 伏姫まつり - 里見八犬伝主人公の伏姫を供養[205]。
- 白浜音頭 全国大会 - 1992年(平成4年)9月26・27日に第1回が開催され[206][207][208][209]、2009年(平成21年)9月まで開催された[210]。
- 人形劇フェスティバル - 影絵から文楽まで人形劇を幅広く上演する演劇祭で[211]、1988年(昭和63年)から開催され[212][213]、1991年(平成3年)9月に「地域イベント賞」優良賞を受賞し[214]、「人形劇の郷づくり事業」全体として自治大臣表彰を受賞した[215]。
出身有名人
- 小野次郎右衛門忠明 - 小野派一刀流の流祖[159]。
- 成瀬政男 - 歯車の研究で知られる機械工学者[216]。1998年(平成10年)9月に胸像が設置された[216]。
- 綿貫専太郎 - 京葉銀行京葉銀相談役[217]。1990年(平成2年)に私財約20億円を投じて留学生を支援する「綿貫国際奨学財団」を設立した[218][219][220]。
- 早川雪洲 - 映画俳優[221]。
- 間宮七郎平 - 花卉栽培の先駆者で千葉県特産功労者[86]。
- 青木愛(衆議院議員)
- 鈴木おさむ(構成作家)
- 高木長之助(柔道家)
- 林克治(お笑い芸人)
- 沙耶(女子プロレスラー)
- 徳井青空(声優) - 当市第2号観光大使[222]。
- 高山一実(乃木坂46) - 当市第4号観光大使(2015年3月 - )[広報 1]。
- 加藤貴之 - 北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手。
ゆかりの人物
- 若山牧水 - 根本海岸周辺で[223]大原海岸などを訪れて[224]「初恋」と「失恋」をして[225]熱烈な恋歌を詠んでおり[226]、1991年(平成3年)4月に石碑が設置された[227]。
- 菊地幽芳 - 根本海岸周辺を舞台に代表作の「己が罪」などを書いた小説家で新聞人[228]。1991年(平成3年)4月に石碑が設置された[227]。
南房総市を舞台にした作品
小説
脚注
注釈
出典
- ↑ 1.0 1.1 “南房総市が誕生 「一体感ある組織に」 県内最多の7自治体合併 市長、市議選は来月23日投開票 暫定予算を専決処分”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年3月21日)
- ↑ “合併任意協議会が設立 安房郡の11市町村 今後は枠組みが焦点”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年9月5日)
- ↑ “安房一本化は五分五分 館山で会議 合併任意協議会で議会サイド 今後の枠組みは流動”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年10月26日)
- ↑ “市町村合併任意協議会 安房一本化を断念 新たな枠組み模索へ 三芳村”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年12月13日)
- ↑ “館山など9市町村 新たな枠組み模索 安房地域市町村合併任意協議会が解散へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年12月26日)
- ↑ “9市町村で新たな枠組み 安房地域合併で会合 「法定協議会」設置へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年1月11日)
- ↑ “9市町村で新たな枠組み 安房地域合併 法定協準備会が発足”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年1月24日)
- ↑ “来年5月の調印目指す 第1回、館山・安房9市町村合併協議会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年4月11日)
- ↑ “新市名を全国公募へ 館山・安房合併協 庁舎位置、秋にも”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年7月3日)
- ↑ “新市の名称「館山」1位 応募結果を公表、今年中に決定へ 館山・安房9市町村合併協”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年10月8日)
- ↑ “新市名、決着つかず 8町村と館山市平行線 合併協小委”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2003年12月6日)
- ↑ “賛成多数で「南房総」 館山・安房市町村合併協の新市名称選定小委員会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2004年1月31日)
- ↑ “合併に暗雲 館山・安房9市町村 館山市議会 駆け込み事業抑制促す決議”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 19. (2003年10月1日)
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- ↑ “黄金色の季節 びわの郷富浦から <4> 人気のビワ狩り”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月16日)
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- ↑ “キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2002年1月21日)
- ↑ “キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1988年11月21日)
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- ↑ “母の日を前に出荷追い込み 富浦のカーネーション団地”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 25. (1992年4月30日)
- ↑ “母の日前に出荷最盛期 富浦のカーネーション団地”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月9日)
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- ↑ 100.0 100.1 100.2 “「酪農のさと」オープン 日本酪農発祥の地・丸山で 自然や動物がいっぱい”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月11日)
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- ↑ “教養の宝庫、開放的に 千倉町立図書館が完成 きょう開館”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年7月22日)
- ↑ “千倉町立図書館が完成 蔵書数は3万5000冊 法務局出張所を改修”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年5月25日)
- ↑ “貴重な品々ずらり250点 生活用具から絵馬まで内容充実 富山町に民俗資料館開館”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年1月26日)
- ↑ “フローラルホール花の町・白浜に完成 図書室やギャラリーも完備”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月8日)
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- ↑ “行ってきました 「花嫁街道」烏場山 マテバシイの純林も”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2007年1月29日)
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- ↑ “剣豪の公園が完成 丸山”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (1989年4月16日)
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- ↑ “富山町の恩田原遺跡 水田から銅製「古代印」 国府解明へ貴重な物証”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1997年1月20日)
- ↑ “恩田原古墳群出土の古代印 急きょ一般に公開”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 12. (1997年1月27日)
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広報資料・プレスリリースなど一次資料
- ↑ 観光大使に高山一実さん(乃木坂46)を任命! 南房総市公式ウェブサイト・2015年3月19日閲覧
外部リンク
- 行政
- 観光