南幸
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南幸 | |
---|---|
— 町丁 — | |
座標: 東経139度37分8.86秒北緯35.4652139度 東経139.6191278度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横浜市 |
区 | 西区 |
面積[1] | |
- 計 | 0.186km2 (0.1mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月31日現在)[2] | |
- 計 | 466人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 220-0005[3] |
市外局番 | 045 (横浜MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
南幸(みなみさいわい)は、横浜市西区の地名。幸川を挟み、現行行政地名は南幸一丁目及び南幸二丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号は220-0005[3]。一大ターミナル駅である横浜駅西口に面し、市内はもとより日本国内でも有数の商業集積地となっている。終戦直後までは資材置き場などとして使われていたが、1950年代に相模鉄道主導による開発が始まってから急速に発展した。
歴史
- 1895年(明治28年) - 内海(通称・平沼)の埋立開始。
- 1907年(明治40年) - スタンダード石油が油槽所を開設。
- 1914年(大正3年) - 埋立完成、南幸町・北幸町と命名される。
- 1923年(大正12年) - 関東大震災によりスタンダード石油油槽所が倒壊。大火災により、周辺住民により再建反対運動が起きる。
- 1928年(昭和3年) - 現在の横浜駅開設。
- 戦中 - スタンダード石油所有地が敵性財産として接収される。
- 1945年(昭和20年) - 終戦。米軍の資材置き場として接収される。
- 1952年(昭和27年) - 相模鉄道、スタンダード石油より西口広場の土地を買収。
- 1956年(昭和31年)4月2日 - 横浜駅名店街営業開始。
- 1958年(昭和33年)4月16日 - 横浜高島屋、仮店舗で営業開始。
- 1959年(昭和34年) - 横浜高島屋、本設店舗で営業開始。
- 1962年(昭和37年)2月28日 - 東急ホテル開業。
- 1962年(昭和37年)11月23日 - 横浜西口駅ビル(現、CIAL)開店。
- 1964年(昭和39年)12月1日 - ダイヤモンド地下街(現、相鉄ジョイナス)開業。
- 1968年(昭和43年)11月3日 - 横浜岡田屋開店。
- 1972年(昭和47年)4月5日 - ダイエー横浜西口店開店。
- 1973年(昭和48年)12月20日 - 相鉄ジョイナス開店。
- 1978年(昭和53年)10月6日 - ニチイ(現、横浜ビブレ)開店。
- 1979年(昭和54年)12月1日 - 西口第二バスターミナル使用開始。
- 1988年(昭和63年)11月 - 相鉄ムービル、北幸一丁目から南幸二丁目に移転。
- 1990年(平成2年) - 東急ハンズ開店。
- 2006年(平成18年)6月1日 - 東急レクリエーション、相鉄ローゼンより相鉄ムービルを譲受。ムービルに名称変更。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。なお、一丁目は非公表。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
南幸二丁目 | 298世帯 | 466人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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南幸一丁目 | 全域 | 横浜市立宮谷小学校 | 横浜市立軽井沢中学校 |
南幸二丁目 | 全域 |
現況
一丁目
大型店が林立する県内随一の繁華街であり、横浜駅も南幸一丁目に所在する(但し、JRと京急の横浜駅は西区高島)。また、横浜駅西口五番街もこの地域に含まれる。路線価の公示ではここ数年、南幸一丁目の西口バスターミナル前が県内最高値を示している。
- 主な商業施設等
二丁目
新田間川・幸川・帷子川と新横浜通りに囲まれた一角。家電量販店や映画館、ファッションビル、アニメ・同人ショップ、専門学校など多様な業種の店舗が集まる。
- 主な商業施設等
関連項目
脚注
浅間町 | 北幸 | 鶴屋町 | ||
岡野 | 北 | 高島 | ||
西 南幸 東 | ||||
南 | ||||
平沼 |