南伊豆町
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南伊豆町(みなみいずちょう)は、静岡県東部の伊豆半島の最南端にある町である。
Contents
地理
青野川の流域の下賀茂温泉地区と弓ヶ浜温泉地区に市街を形成する。どちらも小規模ではあるが、温泉街を形成している。 この青野川の下流には小規模ではあるがマングローブ植物であるメヒルギが移植されており、定着の北限とされている(メヒルギ#日本における生育地を参照)。海岸地形は複雑で小規模なリアス式海岸になっている。伊豆半島最南端の岬でもある石廊崎などの景勝地を有する。
- 山:三倉山 (214m) 、平氏ヶ岳 (270m) 、三坂富士 (280m) 、松野山 (445m) 、鈴野山 (486m) 、暗沢山 (520m) 、馬夫石 (545m)
- 河川:青野川(全長17.2km)
歴史
- 江戸時代末期 - 現在の町域内に25村が存在。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、25村が南中村、南上村、三坂村、三浜村、竹麻村、南崎村の6村となる。
- 1913年(大正2年)3月25日、奥山鉱山で鉱毒問題深刻化し、村民有志大会、5月4日、同鉱山鉱夫100余人が事務所襲撃、下田署員出動。
- 1916年(大正5年)4月、奥山鉱山、三浜村への精錬所建設発表、5月以降、村民反対運動、8月、計画中止。
- 1917年(大正6年)3月、青野鉱山鉱毒被害が青野川流域に拡大。流域諸村に反対運動起こる。
- 1918年(大正7年)7月2日、青野鉱山鉱毒問題で、鉱毒調査委員と所長の交渉決裂。
- 1920年(大正9年)7月29日、南上村長ら、鉱毒問題につき県に陳情。
- 1923年(大正12年)6月16日、海軍湊病院発足、11月20日、庁舎及外来診療棟竣工、開院。
- 1925年(大正14年)3月25日、海軍湊病院、第1病棟竣工。
- 1929年(昭和4年)3月29日、南崎村5家族26人のブラジル移民出発。
- 1945年(昭和20年)12月1日、海軍湊病院、厚生省に移管され、国立湊病院と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日、国立湊病院、結核対策の一環として国立療養所湊病院となる。
- 1955年(昭和30年)7月31日 - 上記の6村を廃し、その区域をもって南伊豆町を設置[1]。
- 1974年(昭和49年)5月9日、伊豆半島沖地震。中木地区の山崩れにより27人が死亡。
行政
- 町長 - 岡部克仁(2017年5月15日就任、1期目)
人口
南伊豆町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
産業
- 第一次産業 : 計15.10%
- 農業 : 11.54%
- 林業 : 0.29%
- 漁業 : 3.27%
- 第二次産業 : 計14.10%
- 鉱業 : 0.02%
- 建設業 : 10.91%
- 製造業 : 3.17%
- 第三次産業 : 計70.78%
- 電気・ガス・水道業 : 0.33%
- 運輸・通信業 : 2.94%
- 卸・小売業、飲食業 : 15.84%
- 金融・保険業 : 1.00%
- 不動産業 : 0.56%
- サービス業 : 47.40%
- 公務 : 2.71%
※データは平成23年版『南伊豆町町勢要覧 資料編』より
地域
- 竹麻地区
- 南崎地区
- 南中地区
- 南上地区
- 三坂地区
- 三浜地区
学校
高等学校
中学校
- 南伊豆町立南伊豆中学校
- 南伊豆町立南伊豆東中学校
小学校
- 南伊豆町立南伊豆東小学校
- 南伊豆町立南上小学校
- 南伊豆町立南中小学校
- 南伊豆町立三浜小学校 (2013年度いっぱいで閉校、南中小学校に吸収)
- 杉並区立南伊豆健康学園 (2011年度いっぱいで閉校)
- 南伊豆町立竹麻小学校 (2008年度いっぱいで南崎小学校と合併、南伊豆東小学校に)
- 南伊豆町立南崎小学校 (2008年度いっぱいで竹麻小学校と合併、南伊豆東小学校に)
交通
道路
路線バス
港湾
- 大瀬港
- 手石港
- 妻良港
- 石廊崎漁港
- 三坂漁港
姉妹都市
名所・旧跡・観光スポット
- 下賀茂温泉:田園地帯にあるのどかな温泉地。温泉熱を利用した植物園があり、ハウスメロン栽培なども行われている。
- 弓ヶ浜温泉
- 弓ヶ浜:日本の渚100選、日本の快水浴場100選にも選ばれた。スプラッシュウォーターパーク採用[2]
- ヒリゾ浜
- 妻良海水浴場:海上アスレチックが設置される岩場の海水浴場。
- 子浦海水浴場:漁村地帯で入り江にある、波の穏やかな海水浴場。
- 石廊崎:伊豆半島最南端の岬で、先端に石廊埼灯台、その先に石室神社がある。
- 波勝崎:南伊豆町の西にある、野性の猿が生息する岬。
- タライ岬遊歩道:弓ヶ浜からタライ岬を経て下田市に至る遊歩道。
- 大瀬:蓑掛岩(みのかけいわ)と呼ばれる巨大な岩が海岸に聳えており、独特の景観を与えている。
- 伊浜:マーガレットの生産量が全国の70%を占める。
- 落居:沖合い600メートルに宇留井(うるい)島という無人島を擁する。
祭事・催事
- みなみの桜と菜の花まつり:下賀茂温泉付近の青野川流域に河津桜と菜の花の祭りが2月上旬~3月上旬にかけて開かれる。
- 中木サザエ狩り:中木地区に宿泊した人を対象としたサザエ狩りが毎年GW期間中の1日のみ行われる。
- 長者ケ原つつじまつり:天神原地区に4月下旬~5月上旬にかけてきれいなつつじが咲く。
- 海開き:7月中旬、弓ヶ浜海水浴場と子浦海水浴場の海開きが行われる。
- 南伊豆町太鼓まつり:小稲地区を除いた地区で、毎年11月1・2日に太鼓祭りが行われる。
- 小稲の虎舞:小稲地区において毎年9月中秋の名月の日に行われる祭典。
出身有名人
伝説
蛇くだり
大昔、子浦港が池だった頃、池の主の大蛇が毎日妻良と子浦の山々の峰と池の淵を回ってこの池を治めていた。ある日いつものように巡回をし子浦の日和山まで来た時、突然、ゴオッーと地響きが轟いたかと思うと、見る見るうちに池の一辺が崩れおち、大蛇は妻良山へ行くことが出来なくなった。仕方なく崩れ落ちたばかりの断崖絶壁を駆け下り妻良山へ登っていった。今も黄褐色の岩肌に大蛇の姿が黒く刻まれており人々はここを蛇下りと呼んでいる。また、ここが崩れたので駿河湾とつながり子浦港ができたという。[3]
妻良・子浦の地名由来
昔々、大国主命が御子事代主命(みこことしろぬしのみこと)ほかの神々を引き具して伊豆七島へ渡る途次、子浦港へ寄航した。碇を下ろし、后と御子が泊まる地を決めようと周囲を眺め、やがて后の大津往命を今の妻良の地に、事代主命の御子伊波久良別命を子浦の地に上陸させた。これから妻良、子浦の地名が生まれた。[4]
南伊豆町を舞台にした作品
文学・記録・漫画
脚注
- ↑ 1955年(昭和30年)7月29日総理府告示第1384号「市町村の廃置分合」
- ↑ 弓ヶ浜スプラッシュウォーターパーク
- ↑ 南伊豆町誌編さん委員会 (1995). 南伊豆町誌 昭和三十年南伊豆誕生から平成六年度までの四十年史.
- ↑ 南伊豆町誌編さん委員会 (1995). 南伊豆町誌 昭和三十年南伊豆誕生から平成六年度までの四十年史.
外部リンク
典拠レコード: