南三陸町
南三陸町(みなみさんりくちょう)は、宮城県北東部に位置し、本吉郡に属する唯一の町。
Contents
地理
宮城県の北東部、本吉郡の南部に位置し、志津川湾、伊里前湾に面する町。湾内には椿島、竹島、船形島、野島などの島があり、リアス式海岸特有の優れた景観を持つ。沿岸部一帯は三陸復興国立公園の指定を受けている。
西・北・南西は北上山地の支脈に連なっており、町土の70%以上は森林である。
リアス式海岸の地形的な特性から津波の影響を受けやすく、近世以前においては平安前期の貞観地震(869年)にともなう大津波など、近代以降では、1896年(明治29年)の明治三陸大津波、1933年(昭和8年)の昭和三陸大津波、1960年(昭和35年)のチリ地震津波によって大きな被害を受けている。そのため、沿岸部には、防波堤や防潮堤、水門などが設置されている。しかし2011年(平成23年)、東北地方太平洋沖地震によって被災し(東日本大震災)、特に大津波による被害は甚大となった。この地殻変動は先の貞観地震以来1141年余りを経て繰り返された現象と見なされている[1]。 また、この地殻変動によって当地域内の志津川地区の地盤は、水平方向に442cm、垂直方向にマイナス75.27cm移動したことが、GPS(全地球測位システム)を用いた国土地理院測地観測センターによる分析の結果、明らかとなった[2](cf. 隆起と沈降)。
主要な地形
山地
南三陸町を代表する山である田束山は、霊峰として古くから仏教徒の修行の場として知られ、頂上から見下ろす360度のパノラマ的景観は絶景である。
- 保呂羽山(ほろわさん。標高329.4m)
- 釣瓶山(つるべやま。標高472m)
- 大盤平(おおばんだいら。標高368m)
- 神行堂山(しんぎょうどうさん。標高461m)
- 童子山(どうじさん。標高320.5m)
河川系
町内のすべての川は水源を町内に持ち、また、その河口もすべて町内にある。数字は、川の最長距離(長さ)を示す。
- 伊里前川(いさとまえがわ。約7,800m)
- 港川(みなとがわ。約6,300m)
- 八幡川(はちまんがわ。約5,500m)
- 水尻川(みずしりがわ。約3,400m)
- 水戸辺川(みとべがわ。約3,124m)
- 折立川(おりたてがわ。約2,800m)
- 新井田川(にいだがわ。約2,100m)
- 桜川(さくらがわ。約1,500m)
近海・沿岸地形
- 伊里前湾(いさとまえわん)
広域地域区分
- cf. 宮城県の地方区分図 :≪外部リンク≫ “エリア別観光情報 - みやぎ観光NAVI”. (公式ウェブサイト). 宮城県. . 2011閲覧.
- 宮城県内の地勢的地方区分の一つである、北部・中部・南部のうち、中部地方に属し、その北東部に位置する。
- cf. 宮城県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ “地震情報で発表する東北地方の震度の地域名称”. (公式ウェブサイト). 仙台管区気象台. . 2011閲覧.
- cf. 宮城県の地域区分図 :≪外部リンク≫ “宮城県地域区分図”. (公式ウェブサイト). 宮城県. . 2011閲覧.
隣接する自治体
- cf. 宮城県の市町村全図 :≪外部リンク≫ “宮城県地域マップ”. (公式ウェブサイト). 宮城県. . 2011閲覧.
町内の地域
- cf. 南三陸町の地名 :≪外部リンク≫ “南三陸町(本吉郡)(宮城県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. . 2011閲覧.
- cf. ≪外部リンク≫ “本吉郡南三陸町”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. . 2011閲覧.
- 中心地の地名:南三陸町志津川字塩入(町役場所在地域)。
- 歌津地区:旧・歌津町域にある地域名は、大字名「歌津」の後に小字名が続く形の地名となっている。例として、歌津字伊里前。
- 志津川地区:旧・志津川町域(昭和の合併前の志津川町域)にある地域名は、大字名「志津川」の後に小字名が続く形の地名となっている。例として、志津川字塩入、志津川字本浜町。
- 入谷地区:旧・入谷村域にある地域名は、大字名「入谷」の後に小字名が続く形の地名となっている。例として、入谷字鏡石、入谷字入大船沢。
- 戸倉地区:旧・戸倉村域にある地域名は、大字名「戸倉」の後に小字名が続く形の地名となっている。例として、戸倉字寺浜、戸倉字水戸辺、戸倉字波伝谷[4]。
- なお、日本郵便の郵便番号一覧等では大字と小字の間の「字」が省略される場合があるが、「字」が入るのが正式な表記である(“合併協定書22”. (公式ウェブサイト). . 2014閲覧.)。
歴史
年表
近世以前
- 天武天皇朝(672- 685年):入谷村に入谷八幡神社が創建されたと伝える。
- 貞観年間(859- 877年):大和国にある龍田神社の分霊を祀り、龍田明神社(現・荒澤神社)が創建されたと伝える。
- 平安時代中期〜後期:陸奥全土で安部氏(俘囚の流れを汲む先住民系の豪族)が繁栄。霊峰・田束山に信仰を寄せる。
- 康平5年9月17日(1062年10月22日):前九年の役の最終局面(安倍貞任の敗死)。これをもって安倍氏が滅亡し、陸奥国は出羽清原氏(俘囚の流れを汲む先住民系の豪族)の勢力圏に入る。出羽清原氏も田束山を信奉。
- 寛治元年11月14日(1087年12月11日):後三年の役の最終局面(清原家衡の敗死)。これをもって東北地方全土に覇を唱えていた出羽清原氏惣領家は消滅し、代わって奥州藤原氏が台頭。奥州藤原氏も田束山を篤く信奉し、数多く伽藍・僧房を造営する。
- 平安時代末期:平泉の藤原秀衡が、田束山の山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束山寂光寺、北嶺に幌羽山金峰寺など、7堂伽藍・70余房を造営。
- 文治5年9月3日(1189年10月14日):奥州合戦の最終局面(藤原泰衡の敗死)。これをもって奥州藤原氏は滅亡し、陸奥全土は鎌倉幕府の直轄地となる。源頼朝に始まる幕府の歴代為政者も田束山に信仰を寄せ、多くの伽藍・僧房を再建・造営する。
- 平安時代の後:田束山麓の樋の口地区に、円仁(慈覚大師)の作と伝えられる不動明王像を祀る樋の口不動尊が建立される。
- 慶長14年(1609年):伊達藩が仙台城大手門前の広瀬川に大橋を架け直すこととなり、荒澤神社境内にある大杉の神木25本が建材として求められ、伐採・搬出される[5][6]。このとき、後世に知られる2本の巨木「太郎坊杉」と「次郎坊杉」(後者は1958年に台風で倒壊)は残された[5][6]。
近代以降
- 1949年(昭和24年):志津川町漁業協同組合(宮城県漁業協同組合志津川支所の前身)が発足[7]。
- 1958年(昭和33年)9月27日午前6時頃:狩野川台風が三陸沖を通過[8]。荒澤神社境内の巨木「次郎坊杉」が暴風で倒壊し、失われる[8]。
- 1960年(昭和35年)5月24日:チリ沖で5月22日(現地時間)に発生したマグニチュード9.5のチリ地震が引き起こした最大波高6mの津波(チリ地震津波)が三陸海岸に到達し、志津川町(現・南三陸町志津川地区)で41人が死亡するなど、大きな被害が出る[8]。
- 1963年(昭和38年)12月:チリ地震津波災害復旧事業により、志津川湾に防潮堤と水陸門が完成[8]。
- 1966年(昭和41年)11月7日:椿島の暖地性植物群落が、「椿島暖地性植物群落」の名で国の天然記念物に指定される[8]。
- 1975年(昭和50年):志津川湾でギンザケ養殖漁業が始まる(その後、全盛期には水揚げ高35億円を誇った)[7]。
- 1977年(昭和52年)12月11日:国鉄(JRの前身)気仙沼線が延伸し、陸前戸倉駅・志津川駅・清水浜駅・歌津駅・陸前港駅が開業。これにより、気仙沼線は全線開通する。
- 1979年(昭和54年)3月30日:当町域を含む三陸海岸が宮城県内3番目の国定公園「南三陸金華山国定公園」に指定される。
- 1985年(昭和60年)7月:志津川湾のギンザケが水揚げ量3,000t、水揚げ高25億円に達する[8]。
- 1991年(平成3年)
- 1995年(平成7年)5月28日:志津川町の入谷地区(現・南三陸町志津川入谷)に観光施設「ひころの里」が開所される[9][10]。
- 1999年(平成11年):歌津町が町制40周年を記念し「国際魚竜サミット」を開催。
- 2005年(平成17年)10月1日:南三陸町が誕生。
- 2006年(平成18年)5月17日:南三陸町開町記念式典。山形県庄内町との友好町盟約(旧歌津町・旧立川町の盟約を継承)および災害時における相互応援協定を締結 (cf.)。
- 2007年(平成19年)
- 2008年度(平成20年度):三陸縦貫自動車道の延伸道路として南三陸道路が新規事業化される(仮称・志津川インターチェンジを含む)。
- 2010年(平成22年)9月7日:伊里前川水系伊里前川流域の歌津払川地区で、多目的ダムである「払川ダム」が着工される(当時、2013年3月完成予定)[13][14]。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2月4日:平成23年度地域づくり総務大臣表彰で、最高賞の「大賞」を受賞[15]。
- 2月25日:南三陸さんさん商店街(仮設)開設。
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
行政
歴代町長
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
佐藤仁 | 2005年(平成17年)11月6日 | 2期目在任中に東日本大震災が発生 (cf. 1)。 |
名誉町民
旧志津川町名誉町民
- 第一号 - 田中完義 昭和44.11.3推戴(宮城県町村会会長)
- 第二号 - 阿部権治郎 昭和44.11.3推戴(宮城県議会副議長)
- 第三号 - 勝倉三九郎 平成3.2.3推戴(宮城県町村会会長)
旧歌津町名誉町民
- 第一号 - 阿部権之亟 〈昭和46年11月推載〉
- 第二号 - 梶原良雄 〈昭和54年11月推載〉
- 第三号 - 畠山郁朗 〈平成11年4月推載〉
- 第四号 - 佐藤榮太郎 〈平成11年4月推載〉
姉妹都市・提携都市
- 日本国内
- 1993年(平成5年)、歌津町の小学生が立川町(現・庄内町の狩川、清川、立谷沢)を訪問して砂金採り体験を行ったことから交流がはじまった。歌津町の町制40周年を記念して友好町盟約を締結。その後、市町村合併により2005年(平成17年)に立川町が庄内町に、歌津町が南三陸町になっており、2006年(平成18年)に南三陸町と庄内町の間で改めて友好町盟約を締結。同時に災害時における相互援助協定が結ばれている。
- 日本国外
- 歌津町では魚竜の一種であるウタツサウルスの化石が発見されており、同じく魚竜ベサノサウルスの化石が発見されているベザーノ町とは、そのことをもって縁があった。1995年以降中学生の相互ホームステイなど国際交流などが行われており、歌津町で開催された「国際魚竜化石サミット」に際して国際友好都市提携盟約書が結ばれた[19](歌津町町長・牧野駿とベザーノ町長・コロンボが締結)。歌津中学校の生徒がベザーノに赴いてホームステイする交流は、現在は行われていない。ベザーノは市内に「ウタツ公園」を造り、歌津町側は町内の総合施設「平成の森」内にレストラン「ベザーノ」を設置した。
警察・郵便・金融機関
医療
- 公立志津川病院 :南三陸町で唯一の病院。東日本大震災で被災し、登米市の登米市立よねやま診療所内に入院機能を移転中。現在、仮設診療所の隣接地に新病院を建設している。cf. 2011-05-19, 2011-06-01.
- 公立南三陸診療所 :震災後の公立志津川病院が一時期、診療拠点とした仮設施設。診療はその後も継続中。cf. 2011-04-15, 2011-06-01.
経済
産業
江戸時代以降、入谷地区を中心に養蚕業が盛んに行われるようになり、仙台藩における養蚕・生糸生産の中心地となったが、生糸生産は現在ではほとんど行われていない。
志津川湾では、ギンザケ、カキ(牡蠣)、ホタテガイ、ホヤ、ワカメなどの海面養殖業が盛んに行われてきている[20]。近年では、農漁業体験を含む滞在・体験型の観光にも力を入れていた。
- 第一次産業 :2,303人
- 第二次産業 :2,611人
- 第三次産業 :3,937人
水産業
- 宮城県漁業協同組合志津川支所(南三陸町志津川本浜。cf. 1949、1975、2007)[21]
- 志津川漁港:第2種漁港。気仙沼漁港(気仙沼湾)と女川漁港(女川湾)の中間に位置し、宮城県北部地域の中核漁港として沿岸漁業や海面養殖業が行われてきた[20]。
- 伊里前漁港(いさとまえ ぎょこう):第2種漁港。主要漁種は浅海養殖業によるもの[22]。
- 志津川魚市場:志津川本浜町に所在。
- 遠藤養魚場:戸倉地区に所在。
地域
人口
南三陸町(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
教育
旧・歌津町(現・歌津地区)では伊里前小学校、名足小学校の児童による創作ミュージカルが年に一回行われていた。これはプロの脚本・指導によるもので、ストーリーは昔から伝わる民話を基にしたものが多く、ミュージカル作品を通じて郷土に対する理解を深めることと、レッスンを通して情操教育を行う狙いもあった。このユニークな取り組みが評価され、第2回ふるさとイベント大賞(自治大臣表彰)を受賞した。合併後は行われていないが、今度は旧・志津川町(現・志津川地区)の歴史も併せた作品が創れないかとの声も根強い。
高等学校
中学校
- 南三陸町立志津川中学校
- 南三陸町立歌津中学校
小学校
- 南三陸町立志津川小学校
- 南三陸町立伊里前小学校
- 南三陸町立戸倉小学校
- 南三陸町立入谷小学校
- 南三陸町立名足小学校
交通
バス高速輸送システム
- 隣接市町村への連絡 :気仙沼線
路線バス
道路
高速道路
一般国道
都道府県道
- 宮城県道172号志津川登米線
- 宮城県道206号馬籠志津川線
- 宮城県道221号清水浜志津川港線
- 宮城県道225号泊崎半島線
- 宮城県道236号払川町向線
道の駅
- 町内に道の駅は存在しない。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 田束山:cf. a, 田束山信仰
- 神割崎
- 神割崎キャンプ場(神割崎オートキャンプ場)
- 椿島:国の天然記念物「椿島暖地性植物群落」(1966年)[25]がある。
- 入谷八幡神社(いりや はちまんじんじゃ):天武天皇元年- 14年(672- 685年)の創建。入谷水口沢に所在。[26]
- 樋の口不動尊(ひのくち ふどうそん):田束山麓の樋の口地区にある荒澤不動尊で、円仁(慈覚大師)の作と伝えられる不動明王像を祀る。創建年代は平安時代以後。つつじまつり(5月下旬開催)。[27]
- 入谷打囃子(いりやうちばやし):宮城県指定無形民俗文化財。
- 荒澤神社:別名「滝不動」[5]。貞観年間(859- 877年)に大和国(現・奈良県)にある龍田神社の分霊を祀り創建という[28]。志津川袖浜に所在[5]。
- 須賀神社
- 春日神社
- 戸倉神社
- 全慶寺
- 金秀寺
- 大雄寺
- 行者の道遊歩道
- 坊ァ墓
- 南三陸町の成人式は毎年夏、それも基本的に終戦の日に行う。これは旧・歌津町、志津川町時代からの名残である。過去に一度、他の多くの地方自治体と同じように1月に行う案も浮上したが、その年の新成人達から反対の声が挙がり、現在も夏のままである。戦没者への黙祷などをするためか、近年問題となっている新成人のモラルの低下による七五三現象などは見られない。
- 志津川のモアイ
- 共にチリ地震津波(1960年)の被災地であるということでチリと縁を持つ宮城県志津川町(現・南三陸町)では、友好のシンボルとして、チリで作られたモアイのレプリカを輸入し、1991年(平成3年)7月、志津川湾に面する公園(チリプラザ)に設置した。詳しくは別項「モアイ#日本にあるモアイ」を参照のこと。※ただし、東日本大震災被災前。
- 歌津魚竜館 :魚竜の一種・ウタツサウルスなどの化石を所蔵。※ただし、東日本大震災被災前。
- ひころの里:志津川町の入谷地区(現・南三陸町志津川入谷)に造られた観光施設。cf. 1995.
- 長須賀(ながすか)海水浴場
- 袖浜海水浴場(サンオーレそではま)
- 長清水海水浴場
- 志津川海洋青年の家
- 水郷生活センター
- 平成の森
その他の施設
ゆかりのある著名人
出身著名人
- まきのめぐみ :歌謡歌手。1978年、歌津町(現・南三陸町歌津地区)生まれ。現在、南三陸町の夢大使(観光大使)の一人。
- 佐藤芳之:ケニアの実業家。
- 佐藤英敏:作曲家。
- 阿部龍:ホッカイドウ競馬所属の騎手。
その他のゆかりある著名人
- 藤原秀衡 :武士(奥州藤原氏第3代当主)。1120年代の生まれ(史料逆算)。霊峰・田束山を信奉し、同地に七堂伽藍・七十余房を造営した。
- 菅野武 :医師。東日本大震災時に公立志津川病院の医師として患者の避難や治療に尽力し、アメリカのニュース雑誌『タイム』から2011年版「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた (cf. Time100)。
その他の関連事象
- クチバシカジカ(学名:Rhamphocottus richardsonii、英語名:Grunt sculpin、別名:グラント・スカルピン)は、条鰭綱- カサゴ目- クチバシカジカ科 (Rhamphocottidae) に分類される魚[30]。数年前に、この魚をモチーフにした「クチ坊」という名のマスコットキャラクター(のちに町名産のウニをモチーフにした「ウニ坊」、同じく、タコをモチーフにした「タコ坊」が追加された)を考案・使用している。三陸沿岸の群生地の一つとして、北海道の道東・釧路周辺と共に福島県の水族館で紹介されたことがある。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南三陸町は震度6弱(観測地点:歌津地区、志津川地区)を記録した[31]。 さらにこの地震が引き起こした大津波は町内の3つの川を逆流し、1960年(昭和35年)のチリ地震による津波の到達地点を越えて内陸深く進入した[32][33]。 庁舎もこれに巻き込まれた[34][35]。cf. 東日本大震災。[注釈 1][注釈 2]
- この地殻変動により、志津川地区の地盤は大きくずれた(「地理」節で詳述)。
- 町内にある5つの鉄道駅(全てJR気仙沼線)は、周辺地域の駅同様、その全てが甚大な被害を受けた[36][37]。陸前戸倉駅は駅と周辺施設の全てが跡形も無く流失し、志津川駅・陸前港駅は駅舎などが流失し、線路も大きな被害を受けた[36][37]。高台よりにあった歌津駅と清水浜駅は辛うじてプラットホームが残り、駅舎は半壊にとどまったものの(歌津駅の駅舎は全壊)、周辺の線路は大きくねじ曲がった[37]。至る所で線路が寸断し、鉄橋も崩落、トンネル内にも瓦礫や漁船等の津波漂流物が入り込むなどした気仙沼線の復旧は、長い時間を要するものとなった[37]。
- 町庁舎と仙台法務局(気仙沼支局)は共に被災し、保管していた電子化済みの戸籍データが完全消滅したとの懸念が大いにあったが[38]、同法務支局の上層階で約1年前の戸籍データ副本が発見され、最悪の事態は免れた(3月22日発表)[39]。
- 町の中核病院である公立志津川病院も、5階建てビルの4階(高さ15- 16m[40])までが津波に呑み込まれて医療機器、ベッド、カルテなどが損壊あるいは流失し、看護婦ら病院スタッフ4人・入院患者67人が死亡あるいは行方不明となった[41][40]。※詳細は当該項目を参照のこと。
- 3月23日:この時点で判明した人的被害は、安否不明者1,000人以上、避難住民約1万人[42]。物的被害は詳細不明。
- 3月末日:イスラエル軍所属医療団約60人が、最大規模の避難所となっている町立総合体育館の横にプレハブの診療所を仮設し、避難住民の診察を開始[41]。
- 4月10日:イスラエル軍所属医療団が支援活動を終え、仮設診療所と支援用に持ち込んだ最新のエックス線検査機器等を町に寄贈[41]。
- 4月15日:先述の仮設診療所と医療機器を公立志津川病院が引き継ぎ、当病院の医療従事者と町内外の医師ら(町の開業医、他地域の医師、国境なき医師団、等)が合同で全9診療科を再開する[41][43]。
- 4月21日:アメリカのニュース雑誌『タイム』(ニューヨーク・タイムズ)が、2011年版「タイム100(世界で最も影響力のある100人)」の一人に、患者の避難や治療に滅私の姿勢で尽力した人物として、公立志津川病院の内科医である菅野武を挙げる(日本人としては他に、原子力事故における日本政府の対応を動画投稿サイト上で批判し、世界に広く支援を訴えた南相馬市長・桜井勝延を挙げている)[44][45]。
- 4月29日:この時点で判明した人的被害は、死者500人、避難住民7,090人(町人口の半数近く)[35]。行方不明者は当初1万人とされていたが、のちに修正された[46]。
- 5月19日:先の仮設診療所では手狭すぎて手厚い医療を提供できないとして近隣自治体への機能移転を検討していた公立志津川病院が、隣接する登米市にある登米市立よねやま診療所[47](所在地:登米市米山町字桜岡大又3-1)の空き病棟を確保し、この日、町長が正式に協力を要請する[48]。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者514人・行方不明者664人・重軽傷者不明、建物被害は全壊3,877棟(半壊等は依然調査中)[49]。
- 6月1日:公立志津川病院が登米市立よねやま診療所の空き病棟に機能を移転する[50]。被災地で公立病院が運営自治体の外に移転した例は過去に無く、これをもって町で唯一の病院が無くなった[50]。新しい「公立志津川病院」は、一般病床27床・療養病床12床を5年間無償で借り受け、医師3人・看護師30人らが診察にあたる[50]。一方、先の仮設診療所は「公立南三陸診療所」と改称し、規模を縮小しつつ診療を続ける[50]。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者535人・行方不明者664人[51]。
- 6月22日:この時点で判明した人的被害は死者542人・行方不明者664人・町内の避難者2,697人・町外および県外への避難者1,832人、建物被害は全壊3,166棟・大規模半壊91棟・半壊54棟で、被災率61.1%[52]。仮設住宅は申し込み数2,045戸に対して1,233戸が完成し、併せて、民有地35箇所が活用されている[52]。
- Shizugawa Public Hospital after tsunami.jpg
震災から約1か月後の公立志津川病院(2011年4月20日)
- Around Shizuhama Station after tsunami.jpg
清水浜駅の駅舎。プラットホームは流失を免れたが、周囲の線路は一部が流失(2011年5月23日)
- Around Shizugawa Public Hospital in Minamisanriku after tsunami 2.jpg
震災から約1か月後の公立志津川病院付近
- Around Shizugawa Public Hospital in Minamisanriku after tsunami.jpg
震災から約1か月後の公立志津川病院付近
- Distant view of Shizugawa after tsunami.jpg
志津川地区(2011年5月2日)
- Minamisanriku Disaster-measures government building 20120907.jpg
津波で骨組みを残して破壊された南三陸町防災対策庁舎(2012年9月7日)
脚注
注釈
出典
- ↑ “【東日本大震災】「研究成果を生かせなかった…」貞観地震の研究者”. MSN産経ニュース(ウェブサイト) (産業経済新聞社). (2011年3月28日) . 2011閲覧.
- ↑ “【東日本大震災】宮城・南三陸町で75センチ地盤沈下 国土地理院「過去最大の沈下」”. MSN産経ニュース(ウェブサイト) (産業経済新聞社). (2011年3月14日) . 2011閲覧.
- ↑ “日本の閉鎖性海域”. (公式ウェブサイト). 国際エメックスセンター (2009年3月25日). 2011年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011閲覧.
- ↑ 志津川町誌編さん室編 『生活の歓 志津川町誌II』 志津川町、1989年11月
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 “太郎坊杉”. (公式ウェブサイト). 南三陸町観光協会 (2006年). . 2011閲覧.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 “荒沢神社 太郎坊杉”. (公式ウェブサイト). 日本観光協会 (2006年). . 2011閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 “浜の情報”. (公式ウェブサイト). 宮城県漁業協同組合志津川支所 (2009年1月16日). . 2011閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 “旧志津川町の年表【昭和】(昭和31年〜)”. (公式ウェブサイト?). 南三陸町 (2008年2月19日). . 2011閲覧.
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参考文献
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関連項目
外部リンク
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- “本吉郡南三陸町”. 全国旅そうだん(公式ウェブサイト). 日本観光協会. . 2011閲覧.
- “みやぎ伊達な観光マップ - 宮城県観光データブック”. (公式ウェブサイト). 宮城県 (2011年). . 2011閲覧.
- 国土地理院、地形図閲覧システム
- “ウォッちず 地図閲覧サービス”. (ウェブサイト). 国土地理院. . 2011閲覧.
- “地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:志津川(一関)”. (公式ウェブサイト). 国土地理院. . 2011閲覧.
- “宮城県地域マップ”. (公式ウェブサイト). 宮城県. . 2011閲覧.宮城県の市町村全図。
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