北葛飾郡

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ファイル:Saitama KitaKatsushika-gun.png
埼玉県北葛飾郡の範囲(1.杉戸町 2.松伏町 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)

北葛飾郡(きたかつしかぐん)は、埼玉県

人口74,172人、面積46.23km²、人口密度1,604人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の2町を含む。

郡名はそれまでの武蔵国葛飾郡を埼玉県に属する地域と東京府に属する地域に分けた際、北にあたる埼玉県側を北葛飾郡、南にあたる東京府側を南葛飾郡としたことによる。

郡域

発足時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

中葛飾郡統合後の郡域は、上記2町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。

  • 久喜市(八甫、西大輪、東大輪以北。旧栗橋町は全域)
  • 幸手市(西関宿を除く)
  • 春日部市(古隅田川以東)
  • 吉川市(全域)
  • 三郷市(全域)

以下の地域は隣接する郡から当郡に編入されている。

  • 南埼玉郡 → 北葛飾郡 : 久喜市鷲宮、上内、葛梅、中妻、久本寺および鷲宮一 - 六丁目、鷲宮中央一・二丁目、葛梅一 - 三丁目、栄一丁目
  • 千葉県東葛飾郡 → 北葛飾郡 : 幸手市西関宿

これらを全て含めると概ね埼玉県内の大落古利根川と江戸川に挟まれた区域になる。

歴史

古代の下総国葛飾郡中・北部が中世に入って下河邊庄となり、さらに江戸期利根川東遷事業によって利根川の西岸となったため武蔵国へ編入(武蔵国葛飾郡)された地域にあたる。

郡発足以前の沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での、後の当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が存在。幕府領小笠原甫三郎支配所、佐々井半十郎支配所が管轄。下記のほか大塚村(旗本領)が存在。記載はないが村数には数える[1]。(1宿165村)

郡発足後の沿革

  • 1879年(明治12年)
    • 3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、武蔵国葛飾郡のうち埼玉県に属する区域をもって北葛飾郡が発足[2]。郡役所が杉戸宿に設置され、中葛飾郡とともに管轄。
    • それにともない、2ヶ所ずつ存在した蓮沼村、広島村がそれぞれ南広島村(現吉川市)、北広島村(現久喜市)、南蓮沼村(現三郷市)、北蓮沼村(現杉戸町)に改称。新井村が北新井村に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。八輪野崎村は同年桜田村に改称。(3町21村)
ファイル:Saitama KitaKatsushika-gun 1889.png
1.栗橋町 2.静村 3.豊田村 4.八輪野崎村 5.行幸村 6.幸手町 7.上高野村 8.権現堂川村 9.吉田村 10.八代村 11.田宮村 12.杉戸町 13.堤郷村 14.幸松村 15.豊野村 16.松伏領村 17.旭村 18.吉川村 19.三輪野江村 20.彦成村 21.早稲田村 22.戸ケ崎村 23.八木郷村 24.高野村 31.豊岡村 32.桜井村 33.宝珠花村 34.富多村 35.南桜井村 36.川辺村 37.金杉村 (紫:三郷市 桃:吉川市 赤:春日部市 橙:幸手市 黄:久喜市 青:松伏町 水色:杉戸町)
  • 1896年(明治29年)
  • 1915年大正4年)11月1日 - 吉川村が町制施行して吉川町となる。(4町27村)
  • 1917年(大正6年) - 桜井村の一部(大字細野)が吉田村に編入。
  • 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 1943年昭和18年)7月1日 - 戸ケ崎村・八木郷村が合併して東和村が発足。(4町26村)
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 栗橋町・豊田村・静村が合併し、改めて栗橋町が発足。(4町24村)
  • 1949年(昭和24年)10月1日 - 栗橋町から豊田村静村が分立。(4町26村)
  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日(4町21村)
    • 11月3日 - 幸手町・行幸村・上高野村・権現堂川村・吉田村が合併し、改めて幸手町が発足。(4町17村)
  • 1955年(昭和30年)
    • 1月1日(5町16村)
      • 桜田村の一部(大字八甫、西大輪、東大輪、外野、上川崎)が南埼玉郡鷲宮町(わしのみやまち)と合併して北葛飾郡鷲宮町(わしみやまち)が発足。
      • 桜田村の残部(大字中川崎、下川崎)が幸手町に編入。
    • 2月11日 - 杉戸町・田宮村・堤郷村・高野村が合併し、改めて杉戸町が発足。(5町13村)
    • 3月1日 - 吉川町・旭村・三輪野江村が合併し、改めて吉川町が発足。(5町11村)
    • 4月1日(5町9村)
      • 桜井村および豊岡村の一部(大字目沼、木津内、宮前、鷲巣、木野川)が合併して泉村が発足。
      • 八代村および豊岡村の残部(大字槇野地、花島、中島)が幸手町に編入。
    • 4月20日 - 松伏領村・金杉村が合併し、改めて松伏領村が発足。(5町8村)
  • 1956年(昭和31年)
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月1日 - 栗橋町・豊田村・静村が合併し、改めて栗橋町が発足。(5町4村)
    • 7月17日 - 泉村が杉戸町に編入。(5町3村)
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月1日 - 庄和村が町制施行して庄和町となる。(6町2村)
    • 10月1日 - 三郷村が町制施行して三郷町となる。(7町1村)
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 松伏村が町制施行して松伏町となる。(8町)
  • 1972年(昭和47年)5月3日 - 三郷町が市制施行して三郷市となり、郡より離脱。(7町)
  • 1986年(昭和61年)10月1日 - 幸手町が市制施行して幸手市となり、郡より離脱。(6町)
  • 1996年平成8年)4月1日 - 吉川町が市制施行して吉川市となり、郡より離脱。(5町)
  • 2005年(平成17年)10月1日 - 庄和町が春日部市と合併し、改めて春日部市が発足、郡より離脱。(4町)
  • 2010年(平成22年)3月23日 - 栗橋町・鷲宮町が久喜市・南埼玉郡菖蒲町と合併し、改めて久喜市が発足、郡より離脱。(2町)

変遷表

行政

  • 北葛飾・中葛飾郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1879年)3月17日
明治29年(1896年)3月31日 廃官
  • 北葛飾郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治29年(1896年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. 「旧高旧領取調帳」では表のほかに●平方村、●船渡村、●大杉村、●川崎村、●向畑村、大吉村、●大松村が記載されているが、「角川日本地名大辞典」では南埼玉郡の所属となっているため、同郡の項で記載する。
  2. 郡役所半世紀の光芒 郡長たちのアーカイブズ埼玉県立文書館

参考文献

関連項目

先代:
葛飾郡
行政区の変遷
1879年 -
次代:
(現存)