北海道駒ヶ岳
北海道駒ヶ岳(ほっかいどうこまがたけ)は、北海道森町、鹿部町、七飯町にまたがる標高1,131 mの活火山(成層火山)である。渡島国・渡島半島のランドマークとなっている。蝦夷駒ヶ岳(えぞこまがたけ)、渡島駒ヶ岳(おしまこまがたけ)とも呼ばれる。江戸時代の旧称は内浦岳。富士山型の紡錘状の山容から谷元旦が描いた絵画が渡島富士(おしまふじ)と呼ばれ、郷土富士となっている。「北海道」を冠するのは全国に多数存在する同名の山と区別するためであり、地元・北海道では単に駒ヶ岳と呼ばれる[1]。
Contents
概要
山頂部には直径約2 kmの火口原があり[2]、西の剣ヶ峯、北の砂原岳、南の馬の背・隅田盛で囲まれるほか、山腹は、火山噴出物で覆われる地形輪廻の原地形(初期段階)を見せる。山頂直下からガリ侵食が始まり、一部で深いV字谷を形成し始める途上にある。山麓には、堰止湖である大沼、小沼などの湖沼や湿地など豊かな自然環境が形成され、一帯は1958年(昭和33年)7月1日に大沼国定公園に指定された[3]。山麓一帯は函館港の開港後の明治時代からリゾート地として親しまれていて、小松宮と有栖川宮の皇族やドイツやイタリアの皇族が訪問している。明治14年には、皇太子時代の大正天皇が大沼を訪問することにより、いっそうこの地が有名になった[4]。1915年(大正4年)には北海道駒ヶ岳を望む大沼の風景が新日本三景に選定された。
七飯町の大沼方面からみると、横に長く、なだらかで優美な女性的印象を与えるが、森町方面や鹿部方面からみると一変し、荒々しい山肌と傾斜が目に付く男性的な激しい姿を見せる。大沼方面から見た山容が馬がいなないている姿に似ていることが、山名の由来であると言われている[5][6]。
火山
地質
地質は安山岩質であるが、軽石などの火山砕屑物を大量に噴出する特徴があり、山体の周辺に厚く堆積している。噴火活動自体は、3-4万年前から断続的に行われてきたと考えられている。
火山史
正確な活動開始年代は明かになっておらず、約3万年前[7]とする説と、約10万年前[8]とする説がある。山体が形成された4万年前以降3回の噴火活動期があり人間の活動に影響を与える噴火は、約6,000年前に降下火砕物と火砕流を伴う活動をし、約5,500年前に降下火砕物の活動の痕跡があったが、以降は江戸時代まで、約5,000年間は活動を休止していた。
- 1640年(寛永17年) - 噴火にさきがけて0.92-1.2km3[9]の大規模な山体崩壊によるラハール[10]が発生。大量の土砂は直下の噴火湾に流れ込み、大津波を発生させた。津波は、対岸の有珠湾岸へ押し寄せる。住民約700名が溺死。降灰による凶作は、寛永の大飢饉にも影響。総噴出物量2.9km3、マグマ噴出量は1.1DREkm3、火山爆発指数:VEI5。火砕流は全方向に行き、ほぼ山全体を覆った。かつては富士山型の山容で標高も1,700m あったが、この大噴火により山頂部が磐梯山のように崩壊し、現在のような2つの峰になり、馬蹄形カルデラと呼ばれる凹地ができた[11]。なお、崩れ落ちた土砂が折戸川を塞き止め、大沼、小沼などの湖沼が形成された。
- 1694年(元禄7年) - 大噴火。総噴出物量0.36km3、マグマ噴出量0.14DREkm3。火山爆発指数:VEI4
- 1765年と1788年には小規模な活動があったとの伝承が残る。
- 1856年(安政3年)9月25日9時頃 - 大噴火により安政火口が形成される。死者約19-27名。総噴出物量0.21km3、マグマ噴出量0.08DREkm3。火山爆発指数:VEI4。
- 1888年(明治21年)水蒸気噴火。
- 1905年(明治38年)8月19日朝 - 水蒸気噴火、安政火口の南側に新爆裂火口(明治火口)が形成される。ラハール(泥流発生)。
- 1919年(大正8年)-1924年(大正13年) - 6月に地震、火砕流を伴う小規模な水蒸気噴火を繰り返す。
- 1929年(昭和4年)6月17日10時00分頃 - 大規模なマグマ噴火(プリニー式噴火)[12]。泥流を伴い山林耕地の被害多く、死者2名、負傷者4名、牛馬の死136頭。噴煙高度13,900 m。総噴出物量0.34km3、マグマ噴出量0.14DREkm3。火山爆発指数:VEI4。
- 1942年(昭和17年)11月16日8時00分頃 - 中規模な水蒸気噴火からマグマ水蒸気噴火の後に水蒸気噴火[13]。山頂の火口原に割れ目ができる。噴煙高度は海抜8,000 m。1943年以降もたびたび、噴煙高度1,800 m程度の噴火を繰り返す。総噴出物量0.002〜0.003km3。(マグマ噴出量は微量、火山爆発指数:VEI2。
- 1943年以降も噴煙、群発地震活動を継続。
- 1966年 気象庁による常時地震観測施設設置。
- 1996年(平成8年)3月5日 - 小規模な水蒸気噴火。「96年主火口」「96年南火口列」生成。噴出物総量 120,000トン[14]、火山爆発指数:VEI1
- 1998年(平成10年)
- 5月14日 - 明治火口北西壁中部に新たな噴気。
- 10月25日 - 小規模な爆発。噴煙高度1,200 m。噴出物 34,000トン[15]、火山爆発指数:VEI1。
- 2000年(平成12年)9月4日 - 小噴火が11月8日まで複数回起きる。噴煙高度 2,000 m以上を数回。
- 2010年(平成22年)3月 - 2000年の、小噴火以来小康状態が続いていて、昭和4年火口内で弱い噴気活動をしている[16]。
- 2011年(平成23年)10月1日 - 気象庁が噴火警戒レベル1、平常)の噴火レベルの継続を発表した[17]。現在火山活動に応じた入山規制があり[18]、山頂部の剣ヶ峯部分の登山は禁止されている[19]。
災害対策
1980年(昭和55年)10月に、周辺の森町、旧砂原町、鹿部町、旧南茅部町、七飯町の5町により、「駒ヶ岳火山防災会議協議会」が設置された[20]。大噴火を起こした際には、過去の活動から周辺市町村の埋没、対岸への津波の発生など破局的な被害が想定されている。従って、積極的な監視、防災施設の設置が進められ、気象庁などは地震計、空振計、GPS、傾斜計、遠望カメラを設置し、地元自治体とイントラネットで結び24時間の観測態勢を取っている。駒ヶ岳火山防災会議協議会により、ハザードマップが作成されている[21]。また、脆弱な火山噴出物が降雨毎に流出することから、山麓では砂防工事、治山工事(防衛施設庁の代替工事を含む)が進められている。
北海道駒ヶ岳は気象庁による常時観測火山に指定され、気象庁、北海道大学[22]などによる観測が行われている。
植生
裾野の大沼付近は、先駆性樹種であるカラマツ[23]やエゾマツなどが繁茂し、良好な景観を保持しているが、山体部分では、20世紀中の度重なる噴火により木本類などの生育は絶えて久しかった。しかし、1990年代以降、徐々に活動が沈静化するとカラマツ、エゾマツ、トドマツ、クロマツなどの先駆樹種が旺盛な成育を見せるようになった。高さ10 m以下の若い木が多い[24]。 山麓から高度を上げていくとナナカマドなどの灌木帯となり、標高300 mから上部が森林限界となり[3]、火山の裸地にイワギキョウやシラタマノキなどの高山植物の植生が回復してきている[3]。オンタデ属のウラジロタデやヤナギ属のミネヤナギなども見られる[25]。山麓ではミズバショウやフクジュソウが見られ[24]、山麓のナラなどの広葉樹林帯は北海道の鳥獣保護区に指定されている[26]。森にはキツツキやシジュウカラ科の野鳥やエゾリス、キタキツネ、サンショウウオ、タヌキなどが生息する[3][24]。
昭和初期には、周辺には炭焼き小屋が多数あった。2011年現在、8軒が炭を専業で作っている。ナラやイタヤカエデの木で作られた炭は硬く、道内などで消費されている[27]。
地理
渡島半島の内浦湾の南岸に位置する。剣ヶ峯と呼ばれる七飯方面から見て右側に尖った部分の標高1,131 mのこの山の最高点である[28]。八雲側から見て右側のやや盛り上がった峰部分の砂原岳(さわらだけ)には、1896年(明治29年)8月に陸地測量部の館潔彦らが設置した一等三角点(点名「砂原岳」、標高1,112.17 m)があるが[26]、降灰等により埋没している[29] 。アイヌ語の「サラキ」(鬼芽)が砂原岳の山名の由来である[26]。火口はその2つの峰を挟んだ山の中央部にある。山麓の西側を大沼回り、東側を砂原回りのJR北海道函館本線が通り、山頂は駒ヶ岳駅の東北東6.2 kmに位置する。東山麓には陸上自衛隊の駒ヶ岳演習場がある。日本には同名の『駒ヶ岳』と呼ばれる名山が多数ある。
周辺の山
源流の河川
- 折戸川 - 大沼から内浦湾へ流れる。
- 尻無川、トドメキ川、中ノ川、鍛冶屋川、明神川、尾白内川
周辺の湖沼
- 大沼 - 新日本三景
- 小沼
- 蓴菜沼
- 円沼
登山
1860年(文久元年)にロシアの植物学者のマキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz)[26]とイギリスのブラキストン(Thomas Wright Blakiston)が日本滞在の際に登頂した[2]。1967年(昭和42年)に『日本百名山』の著者である深田久弥が、日本山岳会の会員らと共に登頂し剣ヶ峯の手前の砂礫地でイワギキョウとイワブクロの花を確認した[30]。日本二百名山[5]、北海道百名山[31]に選定されている。噴火活動は小康状態を取り戻しているものの、噴火により登山道の大部分が被害を受け、今や登山道の呈をなしていないこと、また、山麓一帯での防災工事のための大型車両が頻繁に走行していること、ワイヤーセンサーなど観測機器の管理上の問題等から入山禁止状態が続いている。なお、2007年度から、地元の駒ヶ岳火山防災会議協議会事務局が試行的に日程や人数を限定した中で、「火山勉強会」の形式を採りながら集団登山を実施している。2010年6月3日に馬ノ背(標高900 m)付近までの入山規制の一部が解除され、山頂部の入山規制が継続している[19][32]。
登山コース
初級者または中級者向きの三つの登山コースがある[25]。山頂には、剣ヶ峯、砂原岳、隅田盛の3つのピークがある。ルート上に水場や山小屋はない。
- 銚子口コース 銚子口駅 - 大沼河畔銚子口登山口 - 8合目分岐 - 馬ノ背 - 剣ヶ峯(1,131 m)
- 駒ヶ岳コース 駒ヶ岳駅 - 林道 - 8合目分岐 - 馬ノ背 - 剣ヶ峯
- 砂原岳コース 砂原岳登山口 - 西円山 - 砂原岳(1,112 m) - 剣ヶ峯
文学・伝説
文学
文化年間に画家の谷文晁が噴火前の山を描き、『日本山岳絵図』で「内浦岳」として紹介した[33]。多くの歌人が駒ヶ岳を詠んでいる。
- 九条武子が1926年(大正15年)に、駒ヶ岳を訪れ「ここは自然の技巧の繊細さが、まるで友禅模様のような感じがする」と綴り[4]、「野葡萄の垂り房みのるひろき丘に人に飼われてあそべる狐」と詠んでいる[34]。
- 与謝野晶子が1931年(昭和6年)に、「光つつこまが嶽をばつつむなり若き五月のたくましき雲」と詠んでいる[4]。
- 与謝野鉄幹も1931年に、「駒ヶ岳みぎはの樺の間より裾のみ黒き雲のもとかな」と詠んでいる[4]。
伝説
駒ヶ岳には、蝦夷(アイヌ)と和人(シャモ)のかかわりを反映した伝説がある。
矢越岬の海神の怒りを鎮めるために、大館(松前)の相原季胤は蝦夷の娘20-30人を海に沈め人身御供とした。蝦夷は怒って蜂起、季胤は二人の娘を連れて大沼まで逃亡するも逃げ切れず、1513年(永正10年)7月3日ついに二人の娘は入水。季胤は馬と共に湖中の小島に上がり、そこで自害した。自害する際、季胤は愛馬に山上に逃げるよう言い聞かせ、これに従った馬は勢い良く山に上った。そのためこの山を駒ヶ岳と呼び、季胤が外した鞍を掛けた岩を鞍掛岩と呼ぶようになった。以来季胤の命日には駒ヶ岳から馬の鳴き声がするという。
北海道駒ヶ岳の風景
- Komagatake 駒ヶ岳 (2486925676).jpg
西南西から
- Red hokkaido komagadake from yakumo.jpg
北西の八雲町から
- 室蘭から見た駒ケ岳.JPG
北東の室蘭市から望む
- 北海道駒ヶ岳2013.jpg
厳冬の大沼から望む
関連文献
- 市根井孝悦 『大沼・駒ヶ岳 碧光る水辺』 北海道新聞社、2009-11。ISBN 978-4893632227。
- 梅沢俊、伊藤健次 『北海道百名山』 山と溪谷社、1993-08-15。ISBN 4635530124。
- 梅沢俊、伊藤健次 『新版 北海道百名山』 山と溪谷社、2003-06-01。ISBN 463553023X。
- 加藤祐三 『軽石 : 海底火山からのメッセージ』 八坂書房、2009年。ISBN 978-4-89694-930-8。
- 中村彰宏 『北海道・駒ヶ岳』 新風舎、2006-04。ISBN 4797484616。
- 『日本三百名山』 毎日新聞社、1997年3月、26。ISBN 4620605247。
- 深田クラブ 『日本二百名山』 昭文社、1987年。ISBN 4398220011。
- 『日本の山1000』 山と溪谷社編、山と溪谷社〈山溪カラー名鑑〉、1992-10-01。ISBN 4635090254。
- 深田久弥 『山頂の憩い-「日本百名山」その後』 新潮文庫、2000年4月。ISBN 4101220034。
- 日本山岳会 『新日本山岳誌』 ナカニシヤ出版、2005年11月。ISBN 4-779-50000-1。
脚注
- ↑ ちなみに、所在地の森町には、駒ヶ岳(字)という住所が存在している。
- ↑ 2.0 2.1 日本の山1000 (1992)、82頁
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 “大沼国定公園”. 北海道. . 2011閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 日本三百名山 (1997)、26頁
- ↑ 5.0 5.1 日本二百名山 (1987)、24頁
- ↑ 他の駒ヶ岳の木曽駒ヶ岳などは、その山肌の馬に似た雪形が山名の由来となっている。
- ↑ 北海道駒ヶ岳の最初期テフラの発見と初期噴火活動史の検討 地質学雑誌 Vol.111 (2005) No.10 P581-589
- ↑ 北海道駒ヶ岳火山の噴火履歴 日本地質学会第114年学術大会 2007年 地質学雑誌 Vol.113 (2007) No.Supplement P S81-S92
- ↑ 吉本充宏、古川竜太、七山太 [他]・海域に流入した北海道駒ヶ岳火山1640年岩屑なだれ堆積物の分布と体積推定 地質學雜誌 109(10), 595-606, 2003-10-15, NAID 110003009762
- ↑ 吉本充宏:北海道駒ヶ岳火山 1640 年山体崩壊に伴う火砕物重力流堆積物 日本火山学会講演予稿集 2001(2), 146, 2001-10-01, NAID 110002998446
- ↑ “北海道駒ヶ岳の概要”. 鹿部町. . 2011閲覧.
- ↑ 大島弘光・小野忍・西田泰典・海道駒ヶ岳の1929年噴火で生じた噴煙柱の定常プリュームモデルによる解析 北海道大学地球物理学研究報告 67, 157-166, 2004-03-15, hdl:2115/14341
- ↑ 高橋良・中川光弘・中西清・北海道駒ヶ岳 1942 年噴火はマグマ水蒸気噴火だった 日本火山学会講演予稿集 2003, 18, 2003-10-11, NAID 110003001383
- ↑ 宇井忠英・吉本充宏・佐藤十一 [他]・北海道駒ヶ岳1996年3月噴火の噴出量の再検討 日本火山学会 火山 42(6), 429-431, 1997-12-26, NAID 110003041085
- ↑ 清水収、新谷融:北海道駒ヶ岳1998年10月噴火による降灰 砂防学会誌 Vol.52 (1999-2000) No.2 P31-34
- ↑ “北海道駒ヶ岳の概要 (PDF)”. 函館市. . 2011閲覧.
- ↑ “北海道駒ヶ岳の火山活動解説資料(平成23年10月) (PDF)”. 気象庁 (2011年10月). . 2011閲覧.
- ↑ “北海道駒ケ岳の噴火警戒レベル”. 気象庁. . 2011閲覧.
- ↑ 19.0 19.1 “駒ヶ岳入山規制の一部解除について”. 森町 (2010年6月3日). . 2011閲覧.
- ↑ “北海道駒ヶ岳の対策”. 函館市. . 2011閲覧.
- ↑ “北海道駒ヶ岳ハザードマップ”. 駒ヶ岳火山防災会議協議会. . 2011閲覧.
- ↑ 青山裕・大島弘光・鈴木敦生[他]・北海道の活動的火山における最近の地震活動 : 北海道駒ヶ岳 北海道大学地球物理学研究報告 67, 89-109, 2004-03-15, hdl:2115/14336
- ↑ 足立佑. “北海道駒ヶ岳におけるカラマツ稚樹の外生菌根菌の着生状況 (PDF)”. 北海道大学. . 2011閲覧.
- ↑ 24.0 24.1 24.2 “北海道駒ヶ岳”. NHK・さわやか自然百景 (2003年4月27日). . 2011閲覧.
- ↑ 25.0 25.1 北海道百名山 (1993)、150-151頁
- ↑ 26.0 26.1 26.2 26.3 新日本山岳誌 (2005)、274-275頁
- ↑ “見上げれば いつも 北海道駒ヶ岳”. NHK・小さな旅 (2011年11月20日). . 2011閲覧.
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「kokudo
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ “基準点成果等閲覧サービス(一等三角点・点名「砂原岳」)”. 国土地理院. . 2011閲覧.
- ↑ 深田久弥 (2000)、153頁
- ↑ 新版 北海道百名山 (2003)
- ↑ “北海道駒ヶ岳の入山(登山)規制について”. 北海道森林管理局. . 2011閲覧.
- ↑ 深田久弥 (2000)、151頁
- ↑ “大沼の詩歌”. 七飯町. . 2011閲覧.
参考文献
関連項目
外部リンク
- 北海道駒ヶ岳 - 気象庁
- 日本活火山総覧(第4版)Web掲載版 北海道駒ヶ岳 (PDF) - 気象庁
- 日本の火山 北海道駒ヶ岳 - 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
- 防災関連
- 駒ヶ岳火山防災ハンドブック(駒ケ岳火山噴火災害危険区域予想図 住民啓発用ハザードマップ)〈2010年版〉 防災科学技術研究所
- くらし・防災 - 火山 北海道森町
- 駒ケ岳火山噴火災害危険区域予測図 鹿部町