北条氏政
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北条 氏政(ほうじょう うじまさ)
戦国大名。後北条氏4代目。氏康の嫡子。母は今川氏親の娘。室は武田信玄の娘。法号は慈雲院松巌宗傑。永禄7 (1564) 年1月父氏康に従って安房の里見義弘を下総国府台に破ったのをはじめとして,7月には太田資正を武蔵岩槻城に攻め,同 12年1月上杉輝虎 (謙信) と和を結んで武田信玄と駿河で対戦した。元亀2 (71) 年にもたびたび武田軍と戦ったが,やがて信玄が三河の徳川家康を攻めると,氏政は兵を常陸,上総などに出し,佐竹氏,簗田氏などと戦った。天正7 (79) 年9月家康と和を結んだ氏政は武田勝頼と駿河黄瀬川で対陣し,武田氏を滅亡に導いた。同8年氏政は氏直に家督を譲り,その後見役として権力をふるったが,東国の雄としての自負心から秀吉の上洛勧告に応じず,同 18年の小田原征伐にあい,3ヵ月余の奮戦ののち,ついに開城,子の氏直は助命されたが,氏政は責を負って自刃。