北条時宗
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北条時宗 | |
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 建長3年5月15日(1251年6月5日) |
死没 | 弘安7年4月4日(1284年4月20日) |
幕府 | 鎌倉幕府 連署、8代執権 |
主君 | 宗尊親王→惟康親王 |
氏族 | 北条氏、得宗 |
北条 時宗(ほうじょう ときむね)
鎌倉幕府の8代執権 (在職 1268~84) 。時頼の3男。母は北条重時の娘。幼名は正寿。元服して相模太郎と称した。左馬権頭,但馬権守を経て相模守,正五位下,文永1 (64) 年連署,同5年執権。この年以降しばしば訪れた元の使者を退け,ついに来襲した元,高麗の連合軍を再度にわたって撃退,進んで出征を企てるなど強硬な態度で終始した。また評定制度を無視して得宗専制政治への道を開き,朝廷内の皇位争いに介入して両統迭立の端緒を開くなど,積極的な政治を行なった。第3回の元軍来襲に備えて国防に専念したが,病にかかり出家し法名を道杲と称した。早くから禅を信じ,宋から無学祖元を招き,弘安5 (82) 年円覚寺を創建して無学祖元を開山とした。
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