勝浦市
勝浦市(かつうらし)は、千葉県南東部に位置する市である。太平洋に面し、上総地方の南部に位置する。
Contents
地理
本市は房総半島の南東部、太平洋側(外房)に面しており、県庁所在地である千葉市から南約60kmに位置する。東京都心から75km圏内である。なお、東京からは東京湾アクアラインを利用するルートが最短であり、約75kmである[1]。
広い市域の北東部を総野地区、北西部を上野地区、南東部を勝浦地区、南西部を興津地区と呼称する[1]。これは、昭和の大合併で「勝浦市」が成立する前の自治体の行政区域と一致する。太平洋沿岸部は国道128号、内陸部は大多喜方面へと接続する国道297号が縦貫している。
中心部の勝浦地区には勝浦漁港という銚子漁港に次ぐ県下2位の漁獲量のある[2]漁港を持ち、古くから漁師町として栄えた。市の北西部である上野地区は房総丘陵地帯であり、海抜150~250mの丘陵性山地が広く分布している。南西部である興津地区は勝浦海中公園を持ち、海岸線のほとんどはリアス式海岸になっており、南房総国定公園に指定されている。市域の3分の2が山地[3]となっており、人口が増加しにくく、夷隅郡市内ではいすみ市のほうが人口が約2倍ほど多くなっている。
市域[1]
- 面積 94.20km2
- 南北 12.5km
- 東西 14km
- 最高地 268m
- 最低地 0m(海抜)
隣接する自治体
北西: 大多喜町 | 北: 大多喜町 | 北東: いすみ市 |
西: 鴨川市 | 勝浦市 | 東: 御宿町 |
南西: 太平洋 | 南: 太平洋 | 南東: 太平洋 |
気候
太平洋に面し、黒潮の影響を受けやすいため、冬は暖かく、夏は涼しい海洋性気候であり、特に夏は県内では銚子と並び最も涼しい。8月の平均気温は25.3度で、最高気温は30度を超えることは少なく、ヒートアイランドの影響も無いため熱帯夜も少ないなど避暑地となっている。一方、1月の平均気温は6.4度、最低気温は2.4度と暖かく避寒地でもある。[3]
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 | |
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平均気温(°C) | 5.1 | 7.2 | 10.0 | 13.3 | 18.0 | 21.0 | 23.1 | 25.7 | 23.5 | 19.4 | 14.8 | 9.8 | 平均 15.9 |
降水量(mm) | 86.2 | 112.2 | 186.0 | 169.4 | 154.5 | 207.9 | 146.6 | 127.3 | 249.5 | 246.1 | 149.8 | 73.0 | 総雨量 1908.6 |
地域
勝浦市は、主に1955年の合併以前の旧町村ごとに以下の4地域に分類される。
- 勝浦地区
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- 興津地区
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- 上野地区
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- 総野地区
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沿革
地名の由来
天富命とともに阿波国から房総半島に移住した勝占の忌部氏の名が由来となったとする説がある[4]。また、紀伊半島の勝浦も同じく忌部氏に由来する。
歴史
- 縄文時代には夷隅川に沿って作られた小規模な集落に暮し、興津から奈良にアワビを運んだ記録が発見されている[3]。
- 戦国時代には安房国の里見氏の武将正木時忠が勝浦城に入り、地域一帯を領有した[5][3]。
- 勝浦の地は江戸時代初期までは落涙たる寒村といわれてきたが[6]、中世末から近世初頭にかけて地域経済の拠点と同時に遠隔地交易の中継基地としての開発が進み、米をはじめとする諸物資が海運や陸運を利用して集積・発送され、同時に太平洋海運の中継基地として発展していたことが明かになっている[7]。
- 1590年(天正18年)正木氏が小田原征伐後に安房国に戻り、徳川家康の幕臣である植村土佐守泰忠が勝浦城に入城して、町屋を営んだ。これが現在の勝浦市街地の基礎となる。
- 興津地区は、江戸時代に幕府の直轄領となり、妙覚寺に仙台藩取締り所がおかれていたことで、江戸と東北を結ぶ重要港として繁栄した[3]。
- 1913年(大正2年)6月20日 - 勝浦駅が開業。
- 1937年(昭和12年)4月1日 - 勝浦町と豊浜村が合併し、勝浦町が発足。
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 国道128号が制定。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 勝浦町、興津町、上野村、総野村が合併し、勝浦町が発足。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 勝浦町は市制施行し勝浦市となる。
行政区域変遷
- 変遷の年表
勝浦市市域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現勝浦市市域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[8][9]
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1890年(明治23年) | 3月12日 | 勝浦村が町制を施行し、勝浦町となる。 |
1921年(大正10年) | 1月1日 | 清海村が町制を施行、改称し興津町となる。 |
1937年(昭和12年) | 4月1日 | 勝浦町と豊浜村が合併し、勝浦町が発足。 |
1955年(昭和30年) | 2月11日 | 勝浦町、興津町、上野村、総野村が合併し、勝浦町が発足。 |
1958年(昭和33年) | 10月1日 | 勝浦町は市制施行し勝浦市となる。 |
- 変遷表
勝浦市市域の変遷表 | |||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
勝浦村 | 勝浦村 | 明治23年3月12日 町制 |
昭和12年4月1日 勝浦町 |
昭和30年2月11日 勝浦町 |
昭和33年10月1日 市制 |
勝浦市 | 勝浦市 | ||
浜勝浦村 | |||||||||
墨名村 | |||||||||
串浜村 | |||||||||
松部村 | |||||||||
部原村 | 豊浜村 | 豊浜村 | |||||||
新宿村 | |||||||||
沢倉村 | |||||||||
川津村 | |||||||||
大沢村 | 清海村 | 大正10年1月1日 興津町に町制改称 | |||||||
浜行川村 | |||||||||
興津村 | |||||||||
守谷村 | |||||||||
鵜原村 | |||||||||
松野村 | 総野村 | 総野村 | |||||||
小松野村 | |||||||||
中倉村 | |||||||||
杉戸村 | |||||||||
市野川村 | |||||||||
市野々村 | 明治10年 市野郷村 | ||||||||
郷渡村 | |||||||||
佐野村 | |||||||||
宿戸村 | |||||||||
新戸村 | |||||||||
中谷村 | |||||||||
平田村 | |||||||||
関谷村 | |||||||||
白木村 | |||||||||
白井久保村 | |||||||||
芳賀村 | |||||||||
大楠村 | |||||||||
蟹田村 | |||||||||
台宿村 | 上野村 | 上野村 | |||||||
大森村 | |||||||||
名木村 | |||||||||
上植野村 | |||||||||
赤羽根村 | |||||||||
中里村 | |||||||||
貝掛村 | |||||||||
下植野村 | 明治16年 植野村 | ||||||||
宮田村 | |||||||||
小羽戸村 | |||||||||
中島村 | |||||||||
法花村 | |||||||||
山田村 | 明治12年 南山田村 | ||||||||
荒川村 |
人口
勝浦市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.41%減の19,248人であり、増減率は県下54市町村中46位、60行政区域中52位。
首都圏の市で唯一人口が2万人を割り込んでおり、一番人口が少ない市である。2014年(平成26年)3月31日には総務省から過疎地域に指定[10]された。
20歳前後の人口が突出しているが、これは市内にある国際武道大学の学生である。国際武道大学の学生が市の全人口の約1割を占める。
行政
- 市長:猿田寿男(2011年7月31日就任、2期目)
歴代市長
歴代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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初代 | 富田好三 | |||
2代 | 吉野貴 | |||
3代 | 山口吉暉 | 1967年 | 1999年3月12日 | |
4代 | 藤平輝夫 | 1999年3月13日 | 2011年3月12日 | |
5代 | 山口和彦 | 2011年3月13日 | 2011年6月12日 | 在任中死去[11] |
6代 | 猿田寿男 | 2011年7月31日 | 現職 |
市役所
- 市役所庁舎
- 勝浦市新官1343-1
- 市役所庁舎分館(勝浦市水道課事務所)
- 勝浦市沢倉515-2
警察・消防
- 勝浦警察署(管轄は勝浦市および夷隅郡大多喜町)
- 夷隅郡市広域市町村圏事務組合 勝浦消防署
経済
産業
漁業
勝浦は古くから漁業がさかんで、なかでも勝浦漁港は国内有数のカツオの水揚げ港である。カツオの水揚げは1990年に日本一を記録している。また、海岸線のほとんどがリアス式海岸のため岩場が多く、マグロ、キンメダイ、カジキ、イカなども多く水揚げされる[2]。 リアス式海岸のため漁港数が多くなっている。
- 勝浦東部漁港
- 豊浜漁港
- 川津漁港
- 勝浦漁港
- 串浜漁港
- 松部漁港
- 鵜原漁港
- 守谷漁港
- 浜行川漁港
- 大沢漁港
- 水産加工品
- 魚介類
農業
ご当地グルメ
姉妹・友好都市
教育
大学
中学校
- 市内全域
生徒数の減少により2017年4月1日に、興津中学校と北中学校を統合し、市内の中学校は1校体制となった。
小学校
公共施設
文化施設
- 勝浦市立図書館
- 海の博物館(千葉県立中央博物館分館)
- 勝浦中継局(テレビ・FM中継局)
- 宇宙航空研究開発機構勝浦宇宙通信所
運動施設
医療施設
- 塩田病院
交通
鉄道
バス路線
高速バス
路線バス
- 小湊鐵道
- 鴨川日東バス
- 上総興津駅 - 鴨川市方面
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡・観光スポット
- 朝市(日本三大朝市)[2]
- 勝浦の朝市は安土桃山時代の天正19年(1591年)に徳川家康の江戸入府に伴って勝浦に入った植村土佐守泰忠によってはじめられ、日本三大朝市の一つにあげられている。主に出店されているのは地元農家が栽培した野菜や勝浦漁港など地元で水揚げされた海産物、干物等の加工品が中心となっている。毎週水曜日が定休日だが、お盆と年末は水曜日でも営業している。営業時間は決まっていないが、ほとんどの店が午前5:00頃から午前11:00頃まで。
- 官軍塚
- 戊辰戦争で新政府軍の援軍のため、横浜から寺尾九郎右衛門をはじめとする熊本藩士約350名が函館へと出港した。しかし、勝浦沖で暴風雨に遭い船は沈没。勝浦の住民が救助にあたったが、乗員のうち約130名が犠牲になった。この時の犠牲者を埋葬供養したのが官軍塚である。周囲には歌人の斎藤茂吉の歌碑や、藩士と同郷である中村汀女の句碑が建っている。
- 遠浅の湾内には渡島(わたしま)が浮かび、水質は本州でも屈指の透明度を誇る。「日本の渚百選」「快水浴場百選」「日本の水浴場88選」に選ばれており、2010年は約35万人に達し、県内2位となっている[14]。平成4年11月8日には「第12回全国豊かな海づくり大会」が開催された。天皇、皇后両陛下も参列され、記念像も建てられている。
- 浜行川・大沢両地区との境にあたる旧街道沿いの海に面した崖上に「孝女おせんの碑」が建っている。
祭事・催事
鵜原の大名行列、勝浦の秋祭り以外は開催日が変更になる場合がある。
- かつうらビッグひな祭り : 2月下旬~3月上旬
- 勝浦港カツオまつり : 5月最終土曜日または6月第1土曜日(未開催有り)
- 鵜原の大名行列(千葉県記録選択無形民俗文化財) : 7月第4土曜日
- かつうら若潮まつり : 8月12日
- 勝浦の秋祭り : 9月第3月曜日(敬老の日)を最終日とする4日間
- いんべやぁフェスタ勝浦 : 11月上旬
ゆかりの人物
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “勝浦市紹介”. 勝浦市. . 2012閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 “21.勝浦藩と勝浦の朝市・カツオまつり”. 千葉県. . 2012閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 “勝浦市の概要 (PDF)”. . 2012閲覧.
- ↑ 参考:「日本各地における阿波忌部の足跡~安房国編~」(林博章著)
- ↑ 千野原靖方「正木時茂と一族 : 小田喜・勝浦・内房正木氏の成立過程」(『千葉史学』20号、1992年)
- ↑ 引田作蔵『私説勝浦市史』私家版、1969年
- ↑ 滝川恒昭「中・近世移行期における上総勝浦湊の実像-市の考察を中心として-」(『勝浦市史研究』3号、1997年)
- ↑ 勝浦市史編さん委員会、2006年、『勝浦市史 通史編』、勝浦市
- ↑ 角川日本地名大辞典編纂委員会、1984年、『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店 ISBN 4040011201
- ↑ ●平成26年3月31日付けで以下の市町村が公示されました(4月1日施行)。
- ↑ 勝浦市の山口和彦市長が死去 - MSN産経ニュース(2011年6月12日付)
- ↑ 消防団の組織概要 (PDF, 60 KiB) - 総務省消防庁
- ↑ 各分団の管轄区域は「勝浦市消防団条例施行規則」第六条による
- ↑ “平成22年海水浴客等の入込状況について”. 千葉県商工労働部観光課. . 2012閲覧.
外部リンク