兵庫県立明石公園
兵庫県立明石公園(ひょうごけんりつあかしこうえん)は、兵庫県明石市にある兵庫県立の都市公園(広域公園)である[1]。
概要
国の史跡明石城跡を整備した歴史公園である。園内には櫓や堀、石垣といった城跡とともに各種スポーツ施設や公立図書館などの文化施設が点在する。本丸と北側の桜堀周辺は都市緑化植物園区域とされ樹木が生い茂る。本丸の南は西芝生広場が、桜堀の北西には広大な剛ノ池が広がる。二ノ丸の南には宮本武蔵作とされる日本庭園が整備され2003年に公開された。
平山城である明石城本丸からは、明石駅前に立ち並ぶビルの向こう側に淡路島が見え、東は明石海峡大橋等を眺めることができる。
自然
クスノキやオダマキ、ケヤキ、ヤマモモ等様々な木が園内全体に生えており、特に公園中央にある桜掘周辺は森のようになっている。ソメイヨシノは約2000本が植樹されていて剛ノ池周辺に多く、日本さくら名所100選に選ばれており、春には花見客が大勢詰めかける。
現存する中堀にはコブハクチョウやカモ、アオサギやゴイサギなどが居り、カワセミが見られることもある。冬にはユリカモメの群れが押し寄せる。
歴史
城の歴史については明石城の項目を参照のこと。
- 1881年(明治14年)夏 - 神戸の相生小学校(後の湊川小学校)建築用に艮櫓解体。
- 1881年(明治14年)8月16日 - 旧士族ら14人、県に対し城跡現状保存を出願。
- 1888年(明治21年)12月 - 明石公園保存会設立、公園の経営を行う。
- 1896年(明治29年)11月24日 - 管理が明石郡に移管。
- 1898年(明治31年)11月21日 - 皇太子(後の大正天皇)の離宮候補となり廃園。
- 1911年(明治44年)2月 - 明石離宮造園内定。
- 1912年(大正元年) - 大正天皇即位で離宮の件は取り消しに。
- 1918年(大正7年)4月14日 - 明石公園開園式。
- 1926年(大正15年)10月25日 - 12月5日まで本丸で第1回菊花展開催(以後戦争時を除いて毎年開催)。
- 1929年(昭和4年) - 御料地全域払下。
- 1945年(昭和20年)6月9日 - 川崎航空機(現・川崎重工業)明石工場が標的となった2回目の空襲で明石公園に避難した多くの住民が被災した。
- 1948年(昭和23年)2月4日 - 兵庫県明石公園事務所発足、戦災からの復興事業開始。
- 1956年(昭和31年) 無名の池などに応募で名称が付けられる(乙女池、ひぐらし池等)。
- 1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災により櫓や石垣に被害。
- 2000年(平成12年)3月 - 城跡修復完了。坤櫓と巽櫓間の土塀も復元。
- 2003年(平成15年)11月2日 - 武蔵の庭園が公開。
明石城跡
2004年(平成16年)9月30日、城跡が国の史跡に指定された。毎週土日は坤櫓の1階内部を公開している。小雨を含む雨天は公開中止となる。本丸の四隅には櫓が建っていたが、北東の艮櫓は1881年(明治14年)に、北西の乾櫓は1901年(明治34年)に解体されており、現存しない。
- 本丸
- 坤櫓(西側) 1957年(昭和32年)6月18日、国の重要文化財に指定
- 巽櫓(東側) 1957年(昭和32年)6月18日、国の重要文化財に指定
- 天守台
- 稲荷曲輪
- 二ノ丸
- 東ノ丸
- 中堀 公園の境になっている堀。内堀と外堀は埋めたてられている
- 桜堀
- 箱堀
- 薬研堀
- 石垣 20,000m2
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巽櫓
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坤櫓
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東ノ丸
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薬研堀
スポーツ施設
野球場
陸上競技場
- 日本陸上競技連盟第2種公認
- トラック 1周400m 8レーン
- 20,000人収容(メインスタンド6,000人、他は芝生席)
- 2018年4月1日より株式会社きしろが命名権を取得し、「きしろスタジアム」と呼称される。
- 2015年7月1日から2018年3月31日までは有限会社アサダコーポレーションが命名権を取得しており、「アサダスタジアム」と呼称されていた。
補助陸上競技場
- 1周250m。 土のトラックである。
球技場兼自転車競技場
テニスコート
- 12面
1950年完成。完成時には全日本軟式テニス選手権大会が行われた。
兵庫県立弓道場
- 近的12人立ち
- 遠的6人立ち
- 観覧席120席
1988年5月に完成。
ローンボウルスコート
- 7リンク
1972年に完成。当初は相撲場の予定だったが工事途中で中止され、現在の形になった。日本選手権をはじめとしたローンボウルズの競技会会場にもなっている。
他
第一野球場の南にバレーコートがあったが、現在は駐車場になっている。
文化施設
兵庫県高等学校野外活動センター「あさぎり寮」
1966年4月開設。学生や一般の宿泊研修、会議などに利用されている。
兵庫県立図書館
2016年から耐震補強工事のため大明石町の仮本館へ移転しており、仮本館での運営中は神戸市西区の倉庫を仮設書庫としている。また、同年までは明石市立図書館本館が隣接していたが2017年に「あかし市民図書館」へ改称し、南方へ約700メートルの明石駅前にある複合商業施設「パピオスあかし」4階へ移転している。明石市立図書館の旧本館は、2019年を目処に郷土資料の展示施設へ転用される予定。
明石城武蔵の庭園
池泉回遊式庭園。2003年11月2日から一般公開。茶室は2004年3月27日に完成。 かつて宮本武蔵作と伝えられる庭園や建物が現在の陸上競技場付近にあった。今回の庭園はそれより東に離れたところにある乙女池周辺を整備して造られている。場所の選定理由は、大正時代の工事の際に庭園材料や樹木の移設先となったこと、地割りが類似している等があげられている。
池、広場など
- 三ノ丸芝生広場
- 剛ノ池 29,000m2
ボート乗り場がある。周辺は桜の名所になっている。
駐車場
西入り口及び図書館北側の2か所に有料駐車場あり。
交通アクセス
鉄道
道路
明石公園に関する逸話
公園内の古墳
兵庫県高等学校野外活動センターあさぎり寮に入る手前の林の中に、直径10m、高さ1.5mのあさぎり寮古墳(円墳)が現存する。頂上から土器片が採取されており、古墳時代後期のものとみられている。
本丸跡、坤櫓の近くには人丸塚と呼ばれる丸い丘があり、円墳とされてきた。しかし都市緑化植物園工事に先立って1978年1月から行われた埋蔵文化財発掘調査により、埋葬施設が出ない、土の盛り方が乱雑等の理由で、古墳ではないとの結論が出ている。
図書館南側には半壊した石室を露出させている北曲輪古墳があるとされてきたが、現在では土塁の一部と見なされている。
動物園構想
1955年5月、公園内に子供向けの施設として動物園を作るため市長は県への協力をあおいだ。 とりあえず1956年6月から14匹のサルを公園内で飼育したが、徐々に見物人によるいたずらが相次ぐようになり、1958年10月には見物人が金網にあけた穴からサルが脱走。以後も脱走をくり返し人が噛まれる被害が出たため、サルは姫路市立動物園に引き取られ、動物園構想は立ち消えになった。
1957年2月には山陽電気鉄道による公園内の動物園構想が明石市に出され、協力の要請があったが、実現しなかった。
植物園構想
1977年1月、兵庫県は本丸跡に入園料を取る植物園を作る構想を出した。しかし市民や県文化財保護審議会による反対もあり、構想は大幅に縮小された。
結果、本丸跡周辺82,000m2が都市緑化植物園区域とされ、花木園や班入植物園として樹木が植えられたり、従来からある植物の保護育成が行われている。西側の稲荷郭には薬草等がある有用植物園が作られ、開放されている。剛の池南端には緑の相談所が作られている。
ジャイアント馬場
馬場正平 (ジャイアント馬場)が、野球選手として読売ジャイアンツと大洋ホエールズに在籍していた時、キャンプ場が明石の第一野球場だった。この地で後に妻となる馬場元子と出会った。また阪神・淡路大震災に対しては義援金を募っており、これを記念して公園内に馬場の身長と同じ209cmの石碑が建てられている。
阪神・淡路大震災
1995年の阪神・淡路大震災で明石公園は被害を受け、坤櫓、巽櫓は土台部分の沈下により傾斜、一部の壁が崩落するなどの被害が生じた。石垣は現存する20,000m2のうち3,740m2が崩壊、破損した。
この時点では石垣は史跡指定を受けておらず、修理は建設省事業による一般工事になるところだったが、協議の結果文化財として伝統方式で修復されることになった。また櫓自体は柱や梁の状態が良好だったため、全解体せずに修復することになった。
櫓は曳屋工法を用い建物全体を持ち上げ、1か月をかけて後ろに移動。土台を修復したあと再び元に戻し、壁や瓦等の修復工事を行った。土台の補修はコンクリートを使わず、版築工法を用い土を突き固めている。
修復工事の際には調査も行われ、両櫓の土台の違いや、他の城に見られない石垣内部の特徴などが判明している。
脚注
関連項目
外部リンク
- 明石公園 - 公益財団法人兵庫県園芸・公園協会
- 県立明石公園・明石城 - 一般社団法人明石観光協会
- 県立明石公園/明石市 - 明石市