公正取引委員会

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公正取引委員会(こうせいとりひきいいんかい、略称:公取委(こうとりい)・公取(こうとり)、英語: Japan Fair Trade Commission、略称:JFTC)は、日本の行政機関の一つである。

内閣府外局として、内閣総理大臣の所轄の下に設置される合議制行政委員会である。

「公正且つ自由競争を促進し、事業者の創意を発揮させ、事業活動を盛んにし、雇傭及び国民実所得の水準を高め、以て、一般消費者の利益を確保するとともに、国民経済民主的で健全な発達を促進すること」を任務とする(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律独占禁止法)27条の2柱書、1条)。

そして、自由主義経済において重要とされる「競争政策」を担っている(中央省庁等改革基本法21条10号)。

概要

「経済の憲法」ともいわれる「独占禁止法」は、私的独占不当な取引制限カルテル入札談合等)及び不公正な取引方法不当廉売抱き合わせ販売優越的地位の濫用等)を禁止している。公正取引委員会は、違反被疑事件を審査し、排除措置命令・課徴金納付命令・警告を行う(独占禁止法の執行)。独占禁止法の特別法である下請代金支払遅延等防止法(下請法)の執行も、中小企業庁と共に行う(中小企業政策)。また、競争政策の企画及び立案を行い、競争制限的な法令・政策・政府規制との調整や競争環境整備に向けた調査・提言等も行っている。さらに、企業結合(M&A等)に関する事前審査や所掌事務に係る国際協力も行う。

かつては取引に関連して、不当景品類及び不当表示防止法(景品表示法)も所管しており、誇大広告や表示などがあった場合、本法に基づく行政処分や命令も発出していたが、景品表示法の所管は2009年(平成21年)9月に新たに発足した消費者庁に移管された。

行政機関としては1869年(明治2年)設置の外務省1880年(明治13年)設置の会計検査院に次いで発足以来、名称変更されずに続いている。

一部業務については第二次世界大戦後、GHQ指揮の下、財閥解体を主導した持株会社整理委員会から引き継いでいる。

最近では橋梁談合事件における日本を代表する大企業刑事告発マイクロソフトインテルといった世界的なガリバー企業の摘発など、その活躍振りにはめざましいものがある。平成17年度の同法抜本的改正により、「犯則調査権限」や「課徴金減免制度」が導入された。これによってその権限は大幅に強化された。「市場の番人」や「企業再編の番人」と称されることもある。

企業結合に対する審査

公正取引委員会(経済取引局企業結合課)は、合併M&A)や株式取得などの企業結合が独占禁止法上問題がないかどうかを審査している。そして、一般消費者にとって不利益になるような、競争を実質的に制限することとなる企業結合を禁止することができる。

市場への影響を判断するに当たっては、当事会社の市場シェアやその順位のみならず、当事会社間の従来の競争の状況、競争者の市場シェアとの格差、競争者の競争余力・差別化の程度、輸入品との代替性の程度、参入の可能性の程度、隣接市場からの競争圧力、需要者からの競争圧力、総合的な事業能力、効率性及び経営状況といった多様な事情が考慮されている。例えば、たとえある企業の市場シェアが高まったとしても、他の企業や国外から十分な商品の供給が行われるならば、競争は制限されておらず一般消費者にとっても問題はないため、企業結合は認められる[1]。さらに、企業結合が競争を制限することとなり独禁法に違反すると判断される場合であっても、当事会社が一部の事業を他の会社に譲渡するなどといった適切な措置を講ずることにより、独禁法上の問題を解消することができる場合も、企業結合は認められる。

また、審査に当たっては、任期付職員を含めたエコノミストにより、必要に応じて経済分析が実施されている。

新日本製鐵は、2009年(平成21年)に傘下のステンレス事業を日新製鋼と統合する方針を打ち出したが、公正取引委員会の反対によって断念している。競争のグローバル化に伴い、縮小傾向にある日本国内シェアに留まる議論によって合併の是非を判断することに対して議論されている[2]。2011年(平成23年)7月、経済界から合併審査の迅速化や透明性向上を要求したのを受け、合併審査の指針を改正。同年12月、新日本製鐵と住友金属工業の合併について、両社間で競合する約30分野において独占禁止法に基づいて合併後に競争が無くならないかを審査したうえで、一部条件つきで認めると発表した[3]。本件は公正取引委員会がグローバル競争の実態を意識したものとして評価された[4]。以来、JXホールディングスによる東燃ゼネラル石油の統合計画や、トヨタ自動車によるダイハツ工業の全額出資子会社などを認める姿勢を見せている。

沿革

  • 1947年(昭和22年)
    • 7月1日、公正取引委員会発足。委員の定数は7人で衆議院の同意を得て内閣総理大臣が任命。委員長は委員の中から内閣総理大臣が選任する(衆院同意不要)。
    • 7月14日、公正取引委員会委員を任命。
    • 7月18日、公正取引委員会事務局官制が制定され、事務局は総務部、商事部、調査部、審査部の4部体制。
    • 7月31日、委員定数7人を、委員長1人、委員6人に分割し、委員長を認証官とする。任命に際し衆議院の同意を要する点はそのまま。
  • 1948年(昭和23年)7月29日、商事部から証券部を分離して5部体制。
  • 1949年(昭和24年)6月1日、証券部を商事部に統合し再度4部体制。
  • 1952年(昭和27年)8月1日、公正取引委員会委員の定数を6人から4人に削減。任命に際し必要となる立法府の同意が「衆議院の同意」から「両議院の同意(衆院優越なし)」に改められる。
事務局に事務局長を置く。
審判手続の一部を行う職員を審判官という専任職として5人を置き、事務局長に直属させる。
組織構成は官房、経済部、審査部の1官房2部の体制。
  • 1964年(昭和39年)4月1日、経済部から取引部を分離して、1官房3部の体制。
  • 1996年(平成8年)6月14日、事務局を事務総局に改め、事務局長を事務総長に改める。
経済部と取引部を統合して経済取引局とし、経済取引局に取引部を置き、審査部を審査局に拡充し、審査局に特別審査部を設置する。これにより、1官房2局2部の体制となる。
  • 2001年(平成13年)1月6日、中央省庁再編により、総理府外局から総務省外局に移行。
  • 2003年(平成15年)4月9日、電気通信事業・放送事業・郵政事業の監督行政を所管する総務省の外局となっていることの問題に対応すべく、総務省外局から内閣府外局に移行。
  • 2006年(平成18年)1月4日、独占禁止法の改正と呼応し、特別審査部を廃止し、犯則審査部を新設。審判官の定数を5人から7人に増員。
  • 2012年(平成24年)9月27日、国会同意人事の遅れのため、史上初の「委員長欠員・3人委員」体制となる[5][6]。2013年(平成25年)3月5日、杉本和之の委員長就任により解消。
  • 2014年(平成26年)4月1日、独禁法の改正により、審判制度が廃止。公取委の命令等に係る訴訟の管轄は東京地方裁判所(合議体)に属する[7]

所掌事務

組織

公正取引委員会は、独禁法等の違反事件の調査や審決を行う準司法的な機能、および規則制定権の準立法的な機能を有している。内閣総理大臣の所轄に属するとされているものの、委員長及び4名の委員が「独立」(独占禁止法28条)して職権を行使する独立行政委員会である。委員長及び委員の任命には衆参両議院の同意を必要とする。委員長は認証官とされ、その任免は天皇により認証される。

公正取引委員会

  • 委員長(認証官。正式表記は「公正取引委員会委員長」、給与は副大臣と同等。)
  • 委員(4人。正式表記は委員長の例に同じ、給与は事務総長(次官級)と同等。)

公正取引委員会事務総局

  • 事務総長(正式表記は「公正取引委員会事務総長」。「事務総局」は挿入しない。)
  • 審判官(6人。うち1人は上席審判官。正式表記は「公正取引委員会事務総局(上席)審判官」。「事務総局」は省略しない。)

内部部局

  • 官房(正式表記は「公正取引委員会事務総局官房」)
    • 総括審議官
    • 審議官
    • サイバーセキュリティ・情報化参事官
    • 参事官(2人)
      • 総務課
        • 会計室
        • 企画官
      • 人事課
        • 企画官
      • 国際課
        • 企画官(2人)
  • 経済取引局
    • 経済取引局長
      • 総務課
        • 企画室
        • 経済調査室
      • 調整課
      • 企業結合課
        • 上席企業結合調査官
    • 取引部
      • 取引企画課
        • 取引調査室
        • 相談指導室
        • 上席転嫁対策調査官
      • 企業取引課
        • 下請取引調査室
        • 上席下請取引検査官(3人)
  • 審査局
    • 審査管理官(2人)
      • 管理企画課
        • 企画室
        • 情報管理室
        • 公正競争監視室
        • 審査企画官
        • 課徴金減免管理官
      • 第一審査長
      • 第二審査長
      • 第三審査長
      • 第四審査長
      • 第五審査長
        • 上席審査専門官(5人)
      • 訟務官
    • 犯則審査部
      • 第一特別審査長
      • 第二特別審査長

地方機関

  • 北海道事務所(正式表記は「公正取引委員会事務総局北海道事務所」。「事務総局」は省略しない。他の事務所も同様)
    • 総務課
    • 取引課
    • 下請課
    • 第一審査課
    • 第二審査課
  • 東北事務所
    • 総務課
    • 取引課
    • 第一審査課
    • 第二審査課
  • 中部事務所
    • 総務管理官
    • 審査統括官
    • 総務課
    • 取引課
    • 下請課
    • 第一審査課
    • 第二審査課
    • 第三審査課
    • 経済取引指導官
  • 近畿中国四国事務所
    • 総務管理官
    • 審査統括官
    • 総務課
    • 取引課
    • 下請課
    • 第一審査課
    • 第二審査課
    • 第三審査課
    • 第四審査課
    • 経済取引指導官
    • 中国支所
      • 総務課
      • 取引課
      • 第一審査課
      • 第二審査課
    • 四国支所
      • 総務課
      • 取引課
      • 審査課
  • 九州事務所
    • 総務管理官
    • 総務課
    • 取引課
    • 下請課
    • 第一審査課
    • 第二審査課
    • 経済取引指導官

※九州事務所の管轄区域に沖縄県は含まれない。沖縄総合事務局総務部公正取引室が公取委地方機関の役割を担っている。

研究機関

  • 競争政策研究センター(CPRC)

歴代委員長

  • 再任・再々任は個別の代として記載。
  • 退任日に付した(願)は依願退官、(亡)は死亡、(定)は定年退官。付していないものは任期満了。
  • 委員長欠員の場合は、委員の1人が「公正取引委員会委員長代理」として職務を遂行する。
  • 独占禁止法の条文のうち公正取引委員会の設置に関する部分の施行期日(組織としての発足日)は1947年(昭和22年)7月1日であるが、委員7名(初代委員長の中山喜久松を含む)が任命されたのは同月14日。
  • 発足直後の同年7月31日に法改正が施行され、改正前は委員長は委員7人のうちの1人とされ認証官ではなかったのが、改正後は委員長と委員6人は別枠扱いとなり、さらに委員長が認証官となったという経緯があるため、下表の代数も旧制度・新制度を別扱いとする。
氏名 在任期間 出身母体 退任後の主な役職
旧1 中山喜久松
(一級・2年)
1947年7月14日-1947年7月30日(願)
非・認証官
日本興業銀行  
1 1947年7月31日-1952年2月4日(願)
2 横田正俊 1952年2月4日-1952年7月30日 裁判官 最高裁判所長官
3 1952年7月31日-1957年7月30日
4 1957年7月31日-1958年3月25日(願)
5 長沼弘毅 1958年3月31日-1959年4月17日(願) 大蔵省事務次官 日本コロムビア会長
6 佐藤基 1959年7月7日-1962年7月30日 法制局(第一・第四部長、特許標準局長官、会計検査院院長)  
7 1962年7月31日-1963年3月22日(定)
8 渡邊喜久造 1963年3月25日-1965年8月28日(亡) 大蔵省(国税庁長官)  
9 北島武雄 1965年9月14日-1967年7月30日 大蔵省(国税庁長官) 日本専売公社総裁
10 山田精一 1967年8月21日-1969年11月11日(願) 日本銀行 貯蓄増強中央委員会会長
11 谷村裕 1969年11月15日-1972年8月20日 大蔵省(事務次官) 東京証券取引所理事長
12 高橋俊英 1972年8月24日-1976年2月6日(願) 大蔵省(銀行局長)  
13 澤田悌 1976年4月1日-1977年8月23日 日本銀行 日本住宅公団総裁
14 橋口收 1977年9月13日-1982年9月12日 大蔵省(主計局長、初代国土事務次官) 広島銀行頭取、会長
15 高橋元 1982年9月24日-1987年9月23日 大蔵省(主税局長、事務次官) 日本開発銀行総裁
16 梅澤節男 1987年9月24日-1992年9月23日 大蔵省(主税局長、国税庁長官) 日本興業銀行監査役
17 小粥正巳 1992年9月24日-1996年8月27日(定) 大蔵省(事務次官) 日本政策投資銀行総裁
18 根來泰周 1996年8月28日-1997年9月23日 検察庁東京高等検察庁検事長 日本野球機構コミッショナー
19 1997年9月24日-2002年7月30日(定)
20 竹島一彦 2002年7月31日-2002年9月23日 大蔵省(内閣官房副長官補  
21 2002年9月24日-2007年9月23日
22 2007年9月27日-2012年9月26日
23 杉本和行 2013年3月5日- 大蔵省(財務事務次官  

歴代委員

  • 委員の任期は5年。ただし、初回の任期のみ、私的独占の禁止並びに公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)第114条の規定に基づき、1947年7月30日までは「そのうちの一人については一年、二人については二年、一人については三年、二人については四年、一人については五年」とされ、同年7月31日からは「そのうちの四人については各ゝ一年、二年、三年又は五年とし、二人については四年」とされたため、各人個別の任期を付記する。
  • 氏名欄については、初代の委員の辞令の官報掲載順に左から記載し、以下各人の後任として任命された者を時系列に沿って記載する。このため、1952年8月1日以降の定数減の枠は右寄せとはならない。
  • 委員任期満了に伴い欠員が生ずる場合、公正取引委員会の委員の級別等に関する政令(昭和22年政令第134号)の規定に基づき、1952年7月31日までは当該満了した委員に対して「公正取引委員会委員の職務を行うことを命ずる」との辞令を発出することが認められていたため、当該辞令により職務を行った者については当該期間につき氏名を丸括弧で囲って表示する。
  • 氏名に付した(願)は依願免官、(亡)は在任中死亡、(定)は定年退官、(異)は委員から委員長へ任命されたことによる異動、付していないものは任期満了。(一級)は1952年7月31日までに併せて官吏一級(旧・勅任官に相当)に叙されたことを示す。依願免官又は在任中死亡の場合は、即日後任者が任命された場合を除き、便宜上、免官の辞令発出当日又は死亡日のセルをハイフン表示とした。
任命年月日等 氏名 氏名 氏名 氏名 氏名 氏名 氏名
1947年7月14日 島本融
(一級・1年)
横田正俊(異)
(一級・5年)
蘆野弘
(一級・3年)
石井清
(一級・4年)
大橋光雄
(一級・2年)
倉井敏麿(願)
(一級・4年)
中山喜久松(願)
(一級・2年)
1949年7月30日 -
1947年7月31日 (減員)
1948年7月14日 (島本融)
1948年10月26日 島本融(願)
(一級)
1949年7月14日 -
1949年12月10日 赤木曉(願)
(一級)
1950年7月13日 -
1950年7月14日 -
1950年7月21日 蘆野弘
(一級)
1950年11月22日 -
1951年3月26日 北沢新次郎(定)
(一級・残任)
1951年3月31日 湯地謹爾郎
(一級・残任)
1951年7月14日 - (湯地謹爾郎)
1951年8月21日 湯地謹爾郎(願)
(一級)
1952年2月4日 - 高野善一郎(願)
(一級)
1952年2月15日 -
1952年2月21日 -
1952年2月26日 山本茂
(一級・残任)
1952年8月1日 (減員) (減員)
1953年9月28日 -
1953年10月26日 山本茂(願)
1954年2月19日 吉田晴二(願)
(残任)
1955年3月29日 -
1955年7月12日 塚越虎男
(残任)
1955年7月21日 蘆野弘(願)
1956年2月15日 -
1956年3月6日 中村清
(残任)
1956年8月21日 塚越虎男(願)
1957年2月4日 -
1957年2月6日 中村清公
1958年6月22日 -
1958年7月8日 高坂正雄
(残任)
1958年8月11日 -
1958年9月5日 鈴木憲三
(残任)
1958年10月26日 高坂正雄(願)
1958年11月15日 -
1958年12月19日 入江一郎
(残任)
1960年7月21日 -
1960年8月12日 石井幸一
1961年8月21日 鈴木憲三(願)
1962年2月6日 -
1962年2月23日 佐久間虎雄
1963年8月15日 -
1963年9月13日 菊池淳一
(残任)
1963年10月26日 菊池淳一
1964年8月10日 -
1964年10月13日 崎谷武男
(残任)
1965年8月12日 梅田孝久(願)
1966年8月21日 -
1966年9月13日 亀岡康夫(願)
1967年2月23日 -
1967年6月24日 山田精一(異)
1967年8月21日 有賀美智子
(残任)
1968年10月26日 菊池淳一(願)
1970年3月6日 高橋勝好
(残任)
柿沼幸一郎
(残任)
1970年6月27日 -
1970年6月30日 橋本徳男
(残任)
1970年8月12日 高橋勝好(願)
1971年9月13日 -
1971年10月12日 呉文二
1972年6月24日 有賀美智子(定)
1972年10月10日 -
1972年10月24日 瀧川正久
(残任)
1973年10月26日 -
1973年11月30日 橋本徳男(願)
1975年1月11日 青山春樹
(残任)
1975年8月12日 青山春樹(願)
1976年10月12日 -
1976年10月29日 野口一郎
(残任)
熊田淳一郎
1977年6月24日 後藤英輔
1978年4月5日 早川晴雄
(残任)
1978年11月30日 野口一郎
1980年8月12日 平田胤明
1981年10月29日 -
1981年11月13日 渡辺豊樹(願)
1982年6月24日 大森誠一(願)
1983年11月30日 宗像善俊(願)
1984年11月13日 妹尾明
(残任)
1985年6月30日 -
1985年7月1日 海原公輝
(残任)
1985年8月12日 宮代力
1986年11月13日 伊従寛
1987年6月24日 -
1987年7月1日 佐藤徳太郎
1987年9月16日 宇賀道郎
(残任)
1988年11月30日 宇賀道郎(願)
1990年8月12日 佐藤謙一(願)
1991年11月13日 -
1991年12月16日 股野景親(願)
1992年7月1日 植木邦之
1993年7月1日 植松敏
(残任)
佐藤勲平
(残任)
1993年11月30日 植松敏
1994年10月5日 -
1994年12月2日 柴田章平
(残任)
1995年8月12日 佐藤勲平(定)
1996年12月16日 -
1996年12月18日 柴田章平
1997年7月1日 糸田省吾
1997年7月7日 黒河内久美
(残任)
1998年11月30日 -
1998年12月15日 本間忠良
2000年8月12日 小林惇
2001年12月18日 柴田愛子
2002年7月1日 三谷紘
2003年12月15日 山田昭雄
2005年8月12日 濱崎恭生(定)
2006年12月18日 -
2007年2月18日 後藤晃
2007年7月1日 神垣清水
2008年12月15日 -
2009年4月1日 濵田道代
2010年1月28日 細川清
(残任)
2010年8月12日 -
2010年12月4日 細川清(亡)
2012年2月18日 -
2012年3月5日 小田切宏之
2012年7月1日 幕田英雄
2012年9月6日 -
2013年3月28日 山﨑恒
2014年4月1日 山本和史
2016年2月22日 三村晶子
2016年11月21日 青木玲子
2017年7月1日 小島吉晴

その他の公取委関係者

  • 上杉秋則(法学者・元事務総長)
  • 正田彬(法学者・顧問)
  • 厚谷襄児(法学者・元事務局長)
  • 今村成和(法学者・元調査第一課長)
  • 玉木昭久(弁護士・元経済調査課長)
  • 村上政博(法学者・元監査室長)
  • 郷原信郎(弁護士・元審査部付)
  • 石田英遠(弁護士・元特別審査専門官)
  • 中山武憲(法学者・元事務局、官房・取引部・審査部の各課・室長)

脚注

  1. 是非の判断は、シェアから経済価値に”. 日経ビジネスオンライン (2008年2月6日). . 2008閲覧.
  2. 新日鐵住金の日新製鋼子会社化に公取委はどう判断するか”. ビジネスジャーナル (2016年3月9日). . 2016閲覧.
  3. “新日鉄・住金合併、公取委が条件付き承認”. 日本経済新聞. (2011年12月14日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1401U_U1A211C1MM8000/ . 2016閲覧. 
  4. “公取委判断が焦点 新日鉄住金の日新製鋼子会社化”. 日本経済新聞. (2016年2月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ01I7Z_R00C16A2EA2000/ . 2016閲覧. 
  5. 「公取委、浜田氏が委員長代理へ」時事通信 2012/9/12 15:49
  6. 委員長在任中に委員が1人欠員で3人(合議体としては4人)となった例はそれまでも度々あったが、委員長と委員1人の欠員が重複して合議体が3人となったのはこのときが初めてであった。
  7. 「改正独禁法が成立 不服審査、東京地裁で」2013年12月7日付配信 日本経済新聞

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外部リンク