元老院(古代ローマ)

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senatus; senate

立法・諮問機関。ローマ建国者のロムルス (ロムルスとレムス) によって設置されたといわれる。起源は古く,タルクイニウス王のとき定員が 100名から 300名となる。元老院議員の選定は王,執政官 (コンスル ) を経て前4世紀末戸口総監 (ケンソル ) の権限となる。政務官を終えた,おもに高齢者が選ばれた。元来パトリキ (貴族) が多く選ばれたが,プレプス (平民) の議員もふえていった。

議員名簿の筆頭者をプリンケプスと呼び,特定氏族のパトリキで戸口総監経験者の最高齢者がその地位を占めた。王政期には諮問機関の役目を果し,王の急死の際には中間王 (インテルレックス ) が議員から選ばれた。議員は紫の上衣,赤皮の靴の着用を許され儀式や競技の座席が与えられた。元老院の職務は,民会 (コミチア ) の議決の承認,また行政,財政,宗教,立法などについての諮問に答え,その諮問が実質的には元老院議決として政務官を拘束した。前 287年のホルテンシウス法以後,法案承認の権利を民会の議決に譲り,議員にも新興のノビリタス (新しい貴族) 階級が進出したが,政務官への助言機関として政務官任命,宣戦日や講和の決定,租税額,収入,支出の決定に大きな影響力をもち,儀式の開催,新宗教の導入を決定するなど,内政,財政,外交面にわたって共和政期ローマの指導的機関となった。

前 218年元老院議員は国との請負契約,大船舶の所有を禁じられ,富裕な大土地所有者が議員に選ばれるようになり,終身議員として世襲化するにいたった。 L.スラのとき定員 600名となり騎士身分 (エクイテス ) が参加,さらにユリウス・カエサルは議員資格の制限を縮小し,部下の属州民,軍人,解放奴隷を送り込んで 900名とし,元老院は独裁権の前にその地位を喪失した。しかしアウグスツスは元老院再建に努め定員 600名,議員資格を自由人で 100万セステルチウス銀貨以上の財産をもち,財務官 (クアエストル ) 以上の官職経験者とした。一方皇帝がプリンケプスにつき,議員任免権ももち,元老院統治の属州も治安のよいものに限るなど,その独立性を次第に奪っていった。

その結果議員は世襲化し,大土地所有者層の利害を代表することとなった。3世紀の軍人皇帝時代にその権威はまったく衰えたが,皇帝任命権は保ち続けた。コンスタンチヌス1世 (大帝) は新たな議員階級を定め,以後完全に皇帝諮問機関となり,580年頃まで存続した。