作新学院高等学校
作新学院高等学校 | |
---|---|
過去の名称 |
下野英学校 私立尋常中学作新館 下野中学校 作新館高等女学校 作新学院高等部 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人作新学院 |
校訓 |
一校一家 自学自習 誠実勤労 |
設立年月日 | 1885年(明治18年) |
創立記念日 | 5月28日 |
創立者 | 船田兵吾 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 商業システム科 ビジネスサイエンス科 ライフデザイン科 電気システム科 電子システム科 スポーツ科学科 自動車整備士養成科 美術デザイン科 |
学科内専門コース |
英進部 総合進学部 情報科学部 |
高校コード | 09501A |
所在地 | 〒320-8525 |
栃木県宇都宮市一の沢1-1-41 北緯36度34分5.5秒東経139度51分35.4秒 | |
外部リンク | 公式サイト |
作新学院高等学校(さくしんがくいんこうとうがっこう)は、栃木県宇都宮市一の沢一丁目にある高等学校。
Contents
特色
概要
日本最大の規模と卒業生を持つ大規模校であり、ピークの1991年には4部[1]3学年合わせて約1万人の在校生がいた。長年、同一敷地内に別学の男子部・女子部を設置していたが、2003年、二つの部を統合し、「総合進学部」を設置した。現在、英進部、総合進学部、情報科学部の3部で、約4千名の在校生を擁する日本一の生徒数を誇る学校である。敷地内に幼稚園・小学部・中等部・高等部がある。高校の分だけで、10以上の校舎、3つの体育館、3つのグラウンドを持つ[2]。校名の「作新」は、黒羽藩14代目当主大関増徳(増式)の開設した藩校「作新館」に由来する。藩校の「作新館」は、15代目当主大関増裕の海軍奉行時代の部下であった勝海舟も影響を与えたと言われている[3][4]。廃校になった作新館の名称を継承したのは、直接的な関係は無いが、創立者の船田兵吾と黒羽藩士(栃木県議 )小山田辯助が懇意であったことによる。設立においては、田中正造らの協力があった。なお、「作新館」は実質的には、黒羽藩家老職、風野家屋敷跡隣地にある大田原市立黒羽小学校に引継がれている[5]。2010年4月、学校法人船田教育会から分離し、学校法人作新学院の経営する学校となる。
教育方針
一校一家 自学自習 誠実勤労
教育課程
3つの部(2014年のカリキュラム改編で英進部内で「トップ英進部」が分割される)に別れ、それぞれが全く異なった教育課程を持っている。授業の相互乗り入れ、単位互換等はない。また、原則として転部は行われない。
トップ英進部・英進部
- 旧男子部・女子部の英進コース(A'などとも呼ばれた)を元に、1988年に設置された。設置当初は英進科(国公立大学目標)進学科(私立大学目標)の2科に別れ、それぞれで募集を行っていたが、後に現在の形態になった。かつては併設の作新学院中等部からの中高一貫クラス(英進科に学年1クラス)が存在した。
SIクラス・SIIクラス(トップ英進)
- 入学試験の成績によって選抜されたトップクラス。最難関国公立大、医歯薬科系大学への進学を目指す。2年次以降S文系クラス、S理系クラスに別れる。
英進選抜クラス(英進)
- 国公立大、有名私立大への進学を目指す。2年、または3年進級時にトップ英進部に転部することができる。
英進クラス(英進)
- 習熟度別授業の展開により、多様な進路希望の実現に応える。英進選抜クラス同様2年、または3年進級時にトップ選抜クラス、英進選抜クラスへ編入することができる。
総合進学部
- 男子部・女子部が、2003年に統合再編されて設置された。
- 2014年度のカリキュラムよりクラス編成が一新され、一学年は特別進学クラスと進学クラスに統一となり、二年次以降に大学進学と専修進学の系列に分かれるようになった。ここでは2013年度までのシステムを交えて解説する。
大学進学系列
- 旧進学コース(A)を継承する。特進選抜コースと大学進学コース(2014年度以前)に別れる。特進選抜コースは国公立大、有名私立大合格を目標としており、かつての英進コース(A')を彷彿とさせる。大学進学コースでは系列の作新学院大学、同短期大学部への進学を目指す。
- 2014年度以降はこれまでの2系列を基本としつつ、1年次の同部入学者のうち、成績上位のものが特別進学クラス、それ以外の者が進学クラスとなるよう再編された。
専修進学系列
- 旧専修進学コース(S)を継承する。2年次より文理に別れ、主に専門学校への進学を目標とする。
- これまで1年次より独自のコースを歩むカリキュラムとなっていたが、2014年度以降は2年次以降のコース選択の一つとして専修進学コースが位置づけられるようになった。
キャリア系列
- 旧就職コース(W)を継承する。就職を目標としたキャリア教育を行う。
- 2014年度以降のカリキュラムでは廃止となり、情報科学部の普通科総合選択コースに実質的改組された。
情報科学部
- 旧男子部・女子部にあった普通科以外の学科(商業科・情報科・電気科・電子科・美術デザイン科)を統合して1991年に設置された。2003年、女子部にあった生活科学科を編入し、現在の形になった。2006年、学科の新設・再編を行い、それに伴う学科名称の変更があった。
ビジネスサイエンス科(旧商業科→流通経済科)
- 2年次以降、トータルビジネスコースとアドバンスコースに別れる。現在廃止。
コンピュータサイエンス科(旧情報科)
- 2年次以降、プログラミングコースとマルチメディアコースに別れる。現在廃止。
電気・電子システム科(旧電気・電子科)
- 2年次以降、電気システム科と電子システム科に別れる。電気システム科は電気テクニカルコースと電気工事士養成コースに別れる。電気工事士養成コースは、現在廃止。
美術デザイン科
- 2年次以降、美術コース、デザインコース、漫画アニメ映像コースに別れる。3年次に、美術コースは絵画・デザイン・彫刻の各専攻に、デザインコースはグラフィックデザイン、ビジュアルデザイン・プロダクトデザインの各専攻に別れる。
ライフデザイン科(旧家政科→生活科学科)
- 2年次以降、ファッションコース・フードコース・保育、福祉コースの3つに別れる。
被服、食物、保育、福祉それぞれ専用の実習室があり設備が充実している。また、技術を着実に身に着け、さらに向上を図るために文部科学省後援の家庭科技術試験(1〜4級)を実施している。
4,3級においては全員受験、1,2級はコース別に受験をし、毎年合格率100%を目指している。
自動車整備士養成科(新設)
- 三級自動車整備士の養成課程(実技試験免除)である。
普通科総合選択コース(新設)
- 2年次以降、進学コースと就職コースに別れる。普通科の授業に加え、専門学科の授業を受けるコース。総合学科的な位置づけである。
生徒会活動・部活動など
運動部
硬式野球部・軟式野球部・自転車競技部・ボクシング部・弓道部・柔道部・ラグビー部などが強豪として知られる[6]。
- 事故
1990年1月17日、男子柔道部員(当時17歳)が、投技を受けた最中に相手が体勢を崩したため受け身がとれずに頭を強打、脳内出血が原因で3日後に死亡。これを受けて同部は第12回全国高等学校柔道選手権大会県予選会を棄権した[7]。
硬式野球部
春の甲子園は10回、夏の甲子園は14回出場している[8]。獲得した全国タイトルは、計4回(選抜1回・選手権2回・国体1回)を誇る。
- 春:1961年、1962年(優勝)、1971年、1973年(4強)、1977年、1979年、2000年(8強)、2004年、2012年、2017年
- 夏:1958年(4強)、1962年(優勝)、1964年、1973年、1978年、2009年、2011年(4強)、2012年(8強)、2013年、2014年、2015年、2016年(優勝)、2017年、2018年
1958年に夏の栃木県大会決勝で宇都宮工を破り、第40回全国高等学校野球選手権大会に初出場する。同大会で選抜優勝校の済々黌[9]や高松商を破るも[10]、準決勝で板東英二擁する徳島商に接戦の末に敗れる[11]。この年の11月、野球部員による不祥事が起こり、レギュラー部員2名が退学処分となった。また学校として「1959年春のセンバツに推薦されても辞退する[12]」との方針を固めた。
1962年には第34回選抜高等学校野球大会に出場し、八木沢荘六・加藤斌を擁して選抜初優勝[13]。同年夏の第44回全国高等学校野球選手権大会では、八木沢が欠場したものの、加藤が一人で投げ切って選手権初優勝[14]。史上初の甲子園春夏連続優勝を成し遂げた[8]。
1973年には第45回選抜高等学校野球大会に出場し、江川卓が60奪三振(大会記録)等の活躍で準決勝まで進むが、広島商に敗れる[15]。同年の第55回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、2回戦で銚子商に延長12回の末、押し出し四球で敗れた[16]。
2000年の第72回選抜高等学校野球大会には21年ぶりに出場し[8]、ベスト8進出[17]。
2009年の第91回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦で敗れたものの夏の甲子園に31年ぶりの出場を果たし、名門復活を予感させた。
2011年には第93回全国高等学校野球選手権大会に出場し、福井商[18]・唐津商[19] ・八幡商[20] ・智弁学園を破り49年ぶりの夏ベスト4を達成した[21]。
2012年、第94回全国高等学校野球選手権大会に出場。この大会もベスト8に進出した。8月18日、野球部員が8月10日に強盗強姦致傷事件を起こしていたことが発覚[22]。ただし、大会中であったこともあり出場停止にはならなかった。
2013年、第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。栃木県勢としては初の3年連続出場を記録し2018年現在までに8年連続の出場を果たしている。
2016年、第98回全国高等学校野球選手権大会に出場し、今井達也を擁して54年ぶり2回目の優勝を果たした。[23]
2017年、第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。盛岡大学附属高等学校に対し初戦で黒星を喫し、夏2連覇ならず。
プロ野球界へ20名以上OBを輩出している[24]。
軟式野球部
1993年に発足。獲得した全国タイトルは、全国高校最多の計17回(選手権9回・国体8回)を誇る。
全国高校軟式野球選手権大会には、2008年から5年連続出場など2012年までに26回出場[25]し、9回全国優勝している[26]。また、国体高校野球競技でも8回優勝している。
文化部
演劇部・吹奏楽部・チアリーディング部が有名である[27]。
特に演劇部は、関東大会・全国大会の常連校として知られている[28]。
交通
東日本旅客鉄道(JR東日本)宇都宮線宇都宮駅より関東バス「作新学院・駒生」行き、「作新学院前」バス停下車
宝木団地方面のバスでも行けるが、停留所が駒生行きと異なるため少し不便である。
登下校時にはバス停で生徒会役員による乗車指導が行われている。
※最近(2018/10/01現在)先生(学科・小中など関係なく)も乗車指導している場合がある。
その他
沿革
経緯
1885年、船田兵吾らによって、私塾「下野英学校」として設立された作新学院は、大正末期~昭和初期の一時期を除いて、船田家による家族経営が続けられてきた[30]。
年表
- 1885年 - 船田兵吾らによって、下野英学校として栃木県宇都宮市馬場町に設立。
- 1886年 - 二里山(現在の塙田町、栃木県立図書館、船田教育会館などがある場所)に校舎を建築する。
- 1888年 - 私立作新館に改称する。
- 1895年 - 尋常中学校としての許可を得、私立尋常中学作新館に改称する。
- 1899年 - 旧制中学校としての許可を得、私立下野中学校に改称する。
- 1919年 - 下野中学校に改称する。
- 1925年 - 前年に起こった事務職員の卒業証書偽造事件の影響により、経営が悪化、半官半民の財団法人下野中学校に改組される。
- 1940年 - 全民の財団法人に改組される。
- 1941年 - 財団法人作新館高等女学校が、清水町(現在の千波町)に設立される。
- 1946年 - 前年校舎を焼失した作新館高女が、陸軍第14師団輜重兵第14連隊跡地(現在の一の沢キャンパス)に移転する。
- 1947年 - 下野中学校が騎兵第18連隊跡地(現在の一の沢キャンパス、旧女子短大付近)に移転する。作新館高女と下野中学校が合併し、作新学院高等部(共学)となる。
- 1950年 - 学校法人作新学院と改称
- 1952年 - 高等部を男子部・女子部の併設に改組する
- 1960年 - 学校法人船田教育会と改称
- 1988年 - 英進コースを独立させ、英進科を設置する。
- 1991年 - 商業科・情報科・電気科・電子科・美術デザイン科を独立させ、情報科学部を設置する。
- 2003年 - 校名を作新学院高等学校に改称、同時に学部再編を行い、男子部・女子部を統合し、総合進学部を設置する。女子部にあった生活科学科を情報科学部に移す。
- 2006年 - 情報科学部の学科再編を行い、自動車整備士養成科・普通科総合選択コースが新設される。
- 2010年 - 幼稚園、小学部、中等部とともに、学校法人船田教育会から系列の学校法人作新学院(旧、学校法人作新理容美容専門学院)に運営が移管された。
- 2016年8月21日 - 夏の甲子園で南北海道の北海に7対1で54年ぶりの夏の甲子園優勝。
著名な関係者
出身者
政治分野
- 小沢佐重喜(衆議院議員、弁護士、運輸相、郵政相、建設相)小沢一郎の父。下野中学から開成中学へ編入。
- 小倉偉民(現在は亀岡偉民)(衆議院議員)硬式野球部OBで自身の実姉と婚姻関係にあった男性の実父の実弟亀岡高夫と養子縁組、江川卓とバッテリーを組んだ捕手。
スポーツ分野
- 野球
- 天知俊一(中日ドラゴンズ監督)
- 島野育夫(阪神タイガース二軍監督)
- 八木沢荘六[8] (千葉ロッテマリーンズ監督・現日本プロ野球OBクラブ会長)
- 高山忠克(阪神タイガース)
- 中野孝征(ヤクルトスワローズ)
- 加藤斌(中日ドラゴンズ)
- 岩崎良夫(広島東洋カープ・現高校野球解説者)
- 江川卓[8] (旧男子部A'コース、法政大学野球部→作新学院職員として米留学→空白の一日事件で阪神タイガース→読売ジャイアンツ)
- 大橋康延(大洋ホエールズ)
- 平川洋幸(大洋ホエールズ)
- 落合英二(中日ドラゴンズ・現韓国サムスン・ライオンズコーチ)
- 渡辺秀一(福岡ダイエーホークス)
- 柳沼強(千葉ロッテマリーンズ)
- 岡田幸文[31](千葉ロッテマリーンズ所属)
- 寺田哲也(東京ヤクルトスワローズ)
- 笹沼明広[32] (福岡ソフトバンクホークス)
- 松崎啄也(読売ジャイアンツ)
- 石井一成(北海道日本ハムファイターズ)
- 今井達也(埼玉西武ライオンズ)
- 神長英一(法政大学野球部前監督・元日本通運硬式野球部監督)
- 自転車競技
- 雨谷一樹(競輪選手)
- 飯嶋則之(競輪選手)
- 内田慶(元競輪選手)[33]
- 神山拓弥(競輪選手)[34]
- 神山雄一郎(競輪選手)[35]
- CHISAKO(自転車プロロードレース選手)
- 廣瀬佳正(自転車プロロードレース選手)
- サッカー
- ラグビー
- 廣澤拓(ラグビー選手)
- フィナウ・フィリペサーリ(ラグビー選手)
- 格闘技
- 古口哲(ボクサー、鬼塚勝也のトレーナー)
- 小口雅之(ボクサー、「づらボクサー」として知られる)
- 清水清隆(総合格闘技選手)
- 堀口恭司(総合格闘家)
- 二瓶卓郎[36](日本空手松濤連盟所属、2006年アジア競技大会男子組手70キロ級銅メダリスト)
- 関根英之(柔道家)
- 大山峻護[37](総合格闘家)
- その他
- 五十嵐久人 (新潟大学教授、オリンピック体操競技金メダリスト)[38]
- 宇賀地強 (陸上競技選手、モスクワ世界陸上10000m日本代表)[38]
- 神山知也(陸上競技選手、大阪世界陸上男子200m日本代表)
- 萩野公介(競泳選手、ロンドン五輪400m個人メドレー銅メダリスト、リオ五輪400m個人メドレー金、200m個人メドレー銀、4×800mリレー銅メダリスト)[39]
- 清水咲子(競泳選手、400m個人メドレー日本記録保持者)
- 大宮宏正(プロバスケットボール選手)
芸能・音楽分野
- 染谷恵二(アール・エフ・ラジオ日本アナウンサー)
- ウチダトモヒロ(歌う海賊団ッ!ボーカリスト・作曲家・作詞家・編曲家・執筆家)
- 斉藤和義(シンガーソングライター)
- ミユキ(2人組ロックバンド『ハルカトミユキ』キーボード担当)
- 東京ぼん太(コメディアン)
- 藤水名子(作家)
- 黒乃奈々絵(漫画家)
- 谷口宗一、加藤英幸(元BAKU)
- 柴野真理子(LOOP CHILDボーカル、吹奏楽部OG)
- NAiL(歌手)
- MAH SHAKALABBITS ドラマー
- ザ・たっち(コメディアン)※メンバーの内1名のみ。もう1名は栃木工業高の出身
その他
教職員
- 塙静夫(元英進部長、元栃木県栃木県考古学会会長、2000年度栃木県文化功労者)
脚注
- ↑ 英進部・男子部・女子部・情報科学部
- ↑ 『百十年誌』作新学院編、1995年
- ↑ 「作新学院同窓会 作新学院の歴史」[1]
- ↑ 大田原市立黒羽小学校ホームページ[2]
- ↑ 『百年誌』作新学院編、1985年
- ↑ 『百年誌』作新学院編、1985年
- ↑ [朝日新聞朝刊 栃木 1990年1月23日]
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 “高校野球の総合情報サイト”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―済々黌(3回戦)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―高松商(準々決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “徳島商―作新学院(準決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ この年に群馬県で開催された秋季関東大会で優勝しているため。
- ↑ “作新学院―日大三(決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―久留米商(決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “広島商―作新学院(準決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “銚子商―作新学院(2回戦)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “東海大相模―作新学院(準々決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―福井商(1回戦)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―唐津商(2回戦)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―八幡商(3回戦)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院―智弁学園(準々決勝)”. 朝日新聞. . 2012閲覧.
- ↑ “作新学院野球部員、強盗容疑で逮捕”. 産経ニュース. . 2012閲覧.
- ↑ “作新・今井決勝で最速152キロ「優勝なんて奇跡」 - 高校野球 : 日刊スポーツ” (ja-JP). nikkansports.com . 2018閲覧.
- ↑ 『作新学院硬式野球部 栄光の100年史』作新学院硬式野球部100年史出版実行委員会編、2003年
- ↑ “作新が5年連続全国へ 高校軟式野球”. 朝日新聞 (2012年8月9日). . 2012閲覧.
- ↑ “栃木・作新学院、一球に泣く 全国高校軟式野球決勝”. 朝日新聞 (2011年8月30日). . 2012閲覧.
- ↑ 『百十年誌』作新学院編、1995年
- ↑ 『平成18年度栃木県高等学校総合文化祭演劇研究大会パンフレット』栃木県高等学校文化連盟演劇部会・栃木県高等学校演劇研究大会実行委員会編
- ↑ 『作新学院九十年』作新学院「九十年」編集委員会編、1975年
- ↑ “作新学院の歴史”. 作新高等学校同窓会. . 2012閲覧.
- ↑ 朝日新聞、2002年7月4日付朝刊、栃木地方面
- ↑ “本学OB(経営学部)硬式野球部卒業の笹沼明広選手がドラフト指名を受けました。”. 作新学院大学. . 2012閲覧.
- ↑ 全国高校総体栄光の記録 > 1990(H02)-1999(H11)
- ↑ 91期生 新人選手通信簿 - KEIRIN.JP
- ↑ 全国高校総体栄光の記録 > 1980(S55)-1989(H01)
- ↑ 第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)空手道日本代表選手団名簿 - 空手道 (PDF)
- ↑ “元格闘家 大山峻護さんが振り返るグレイシー一族との死闘 (3/4)”. 日刊ゲンダイDIGITAL (日刊ゲンダイ). (2017年11月13日) . 2018閲覧.
- ↑ 38.0 38.1 “未来を切り拓くこと”. 作新学院大学. . 2012閲覧.
- ↑ “ロンドンオリンピック競泳男子400メートルで作新学院の萩野公介が銅メダル”. 栃木放送 (2012年7月). . 2012閲覧.
関連項目
外部リンク
部活動実績 |
---|
テンプレート:選抜高等学校野球大会優勝校
テンプレート:全国高等学校野球選手権大会優勝校 テンプレート:国民体育大会高等学校野球競技優勝校 テンプレート:全国高等学校軟式野球選手権大会優勝校 テンプレート:全国高等学校総合体育大会弓道競技大会男子団体戦優勝校 テンプレート:全国高等学校総合体育大会弓道競技大会女子団体戦優勝校 テンプレート:全国高等学校弓道選抜大会女子団体戦優勝校 |