佐藤達夫 (法制官僚)
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従二位勲一等 佐藤達夫 | |
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法制局長官 | |
任期 1947年6月14日 – 1948年2月14日 | |
首相 | 片山哲 |
前任者 | 入江俊郎 |
任期 1952年8月1日 – 1954年12月11日 | |
首相 | 吉田茂 |
後任者 | 林修三 |
人事院総裁 | |
任期 1962年9月3日 – 1974年9月12日 | |
任命者 |
第2次池田内閣 第3次池田内閣 第2次佐藤内閣 第3次佐藤内閣 |
前任者 | 入江誠一郎 |
後任者 | 藤井貞夫 |
個人情報 | |
生誕 |
1904年5月1日 福岡県 |
死没 | 1974年9月12日(70歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
佐藤 達夫(さとう たつお、1904年5月1日 - 1974年9月12日)は、日本の法制官僚。法制局長官、人事院総裁。
経歴
福岡県出身。内務官僚・佐藤孝三郎の長男として生まれる。中学明善校、第五高等学校一部丙類を経て、1928年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し、同年11月、内務省に入り内務属として地方局に配属された。地方事務官・群馬県などを経て、1932年3月、法制局に移り参事官となり、以後、法制局で勤務。1941年10月、法制局第二部長心得に就任し、専任法制局参事官、法制局第二部長を歴任し終戦を迎えた。
1945年11月、法制局第一部長に就任。以後、日本国憲法の作成に関わる。法制局次長、兼行政調査部部員を経て、1947年6月、片山内閣の法制局長官に就任。その後、法制局長官は法務庁法制局長、法務府法制意見長官、法制局長官と変遷したが、第5次吉田内閣の1954年12月まで7年半在任した。
1955年1月、国立国会図書館専門調査員に就任。1962年9月から人事院総裁を務め、人事院勧告の完全実施に尽力し、現職で死去した。
栄典
- 1974年9月11日 - 勲一等・旭日桐花大綬章 叙勲
- 1974年9月12日 - 正三位 叙位 位一級追陛され 従二位 叙位
- 1974年9月13日 - 特旨を以て位一級追陛
著作
- 『国会のはなし』三省堂出版、1949年。
- 『戦力・その他』学陽書房、1953年。
- 『日本国憲法誕生記』大蔵省印刷局、1957年。
- 『憲法講話』立花書房、1959年。
- 『行政法』学陽書房、1960年。
- 『行政法』学陽書房、1960年。
- 『日本国憲法成立史』第1巻 - 第4巻、有斐閣、1962 - 1994年。
- 『公務員制度いまと昔 - 佐藤達夫論稿集』尾崎朝夷、1975年。
- 『国家公務員制度』学陽書房、1975年。
- 『景色』河合善次郎、1953年。
- 『花の絵本 - 画文集』東京新聞出版局、1970年。
- 『花の画集』1 - 3、中日新聞東京本社東京新聞出版局、1971 - 1973年。
- 『花の幻想』矢来書院、1974年。
- 『私の絵本 - 画文集』矢来書院、1976年。
- 『県の花 - 佐藤達夫画文集』矢来書院、1978年。
- 『定本花の画集』中日新聞東京本社、1991年。
- 『サトーズ・フローラ - 佐藤達夫花の画集. a』ユーリーグ、1995年。
- 『サトーズ・フローラ - 佐藤達夫花の画集. b』ユーリーグ、1995年。
- 『植物誌』雪華社、1966年。(第15回日本エッセイスト・クラブ賞受賞・1967年)
- 『植物誌 続』学陽書房、1977年。
- 『私の植物図鑑』矢来書院、1975年。
- 『法律のミステーク』学陽書房、1954年。
- 『土曜日・月曜日 - 随筆集』第一法規出版、1964年。
- 『法律の悪魔 - 佐藤達夫・法令随筆』学陽書房、1969年。
- 『ネパールの伊藤博文 - 佐藤達夫憲法随筆』啓正社、1972年。
- 『自然の心』毎日新聞社、1972年。
親族
参考文献
外部リンク
公職 | ||
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先代: 入江俊郎 |
法制局長官 第48代:1947 - 1948 |
次代: 法制長官(法務庁) |
先代: 新設 |
法制長官(法務庁) 1948 - 1949 |
次代: 法制意見長官(法務府) |
先代: 新設 |
法制意見長官(法務府) 1949 - 1952 |
次代: 法制局長官 |
先代: 再設置 |
法制局長官 第49代:1952 - 1954 |
次代: 林修三 |
先代: 入江誠一郎 |
人事院総裁 第5-8代:1962 - 1974 |
次代: 藤井貞夫 |
典拠レコード: