伊是名村
Contents
地理
沖縄本島辺戸岬の西約30kmに位置し、有人島の伊是名島および、無人島の屋那覇島・具志川島・降神(うるがみ)島の4島からなる。
人口
伊是名村(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域
字一覧
以下の字一覧は、全ての村民が生活している伊是名島のものである。なお、屋那覇島・具志川島・降神島の3島は無人島である。
- 伊是名(いぜな)
- 内花(うちはな)
- 諸見(しょみ)
- 勢理客(せりきゃく)
- 仲田(なかだ)
歴史
1939年(昭和14年)7月1日の分村許可司令により、伊平屋村の一部(伊是名・仲田・諸見・勢理客)が分立し伊是名村が成立[1][2]。
琉球国王第二尚氏の始祖・尚円(金丸)の生まれた島として知られ、2015年には尚円生誕600周年祭が行われた。
沖縄貝塚時代の前半(縄文時代にあたる)時期の遺跡が多く、特に貝塚時代前半の伊是名貝塚からは竪穴式住居や土器などがみつかっている。また、北側にある具志川島遺跡群ではオオベッコウガサガイ製の腕輪(貝輪)をはめた人骨が県内で初めて発見された。
琉球王国においては、伊是名島および伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされた。この経緯から1896年(明治29年)に県内において郡制度が施行された際、かつての王府領や聖域も多い沖縄本島南部と同じ島尻郡に属され、現在に至る。
2008年(平成20年)度決算における実質公債費比率が自治体財政健全化法における早期健全化基準を超過したため、翌年度より財政健全化団体となっている。人件費削減と船舶運航事業への繰出削減などにより総額4,600万円を捻出し、2011年(平成23年)度までに実質公債費比率が早期健全化基準を下回ることを目標としている。
2015年、新しいフェリーが就航した。
変遷表
伊是名村村域の変遷表 | |||||
---|---|---|---|---|---|
1868年 以前 |
1908年(明治41年) 4月1日 |
1908年(明治41年) - 1987年(昭和64年) | 1987年(平成元年) - 現在 | 現在 | |
伊是名村 | 伊平屋村 の一部 |
1939年7月1日 伊是名村分立 |
伊是名村 | 伊是名村 | |
仲田村 | |||||
諸見村 | |||||
勢理客村 |
経済
施設名の後にある括弧書きは字名である。
日本郵政グループ
村内の郵便番号は「905-06xx」である。集配業務は沖縄本島の今帰仁村にある今帰仁郵便局が行っている。
医療
施設名の後にある括弧書きは字名である。
- 沖縄県立北部病院附属 伊是名診療所(仲田)
- 時間外診療および医師不在時は伊是名村役場に連絡することとしている。
- 民間救急ヘリコプター(ドクターヘリ)「MESHサポート」
- 村内の4箇所(内花、仲田、諸味)がランデブーポイントに指定されている[3]。
交通
船舶
港湾
- 仲田港
- 内花港
飛行場
主な道路
主な出身者
名所・旧跡
脚注・出典
関連項目
外部リンク