代々木

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代々木
—  町丁  —
代々木の位置
代々木
代々木の位置
座標: 東経139度42分6.42秒北緯35.683861度 東経139.7017833度35.683861; 139.7017833
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 25px 渋谷区
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 23,297人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 151-0053[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

代々木(よよぎ)は、

  1. 東京都渋谷区の北部にある町名。代々木一丁目から代々木五丁目まである。郵便番号は151-0053[2]
  2. 代々木駅代々木公園を含む地域の汎称地名。「1」のほか、元代々木町代々木神園町、さらには代々木上原地区までが該当し得る
  3. 1889年明治22年)まで存在した代々木村。「2」の地域に概ね合致する

概要

歴史的な地名としての代々木とは、旧代々木村一帯のことである。すなわち、東は明治神宮、西は大山町、北は甲州街道、南は富ヶ谷上原に囲まれた地域が該当する。代々木郵便局や代々木上原駅代々木八幡宮などがあり、現代でもこれら地域全体が「代々木」として認識されることが多い。

1906年明治39年)に開業した代々木駅(所在地の現行町名は代々木一丁目)は旧代々木村ではなく旧千駄ヶ谷村の区域にあるが、開業当時旧代々木村の町域には路線・駅がなかったことから、「代々木駅」と名づけられた経緯がある[4]

「代々木」の由来は諸説あるが、明治神宮の御苑東門の近くにモミの大木が代々あったことからとされている[5]。大木は高さ54メートル、幹の周囲は11メートルと推定され、江戸時代から旅人の目印として有名な大木だったが、明治中期に枯れ、1945年5月の空襲で米軍機が樹上に墜落し焼失した[5][6]

歴史

地名の変遷

代々木村」の名は古く戦国時代の書状にも認められ、江戸時代には大名旗本の屋敷地があった[7]

1878年明治11年)、郡区町村編制法施行により代々木村は南豊島郡に属した[8]1889年明治22年)市制町村制の施行により代々木村は幡ヶ谷村と合併、代々幡村となる。(この時、現在の渋谷区に相当する地域として他に渋谷村千駄ヶ谷村)  1896年(明治29年)、これら「渋谷3村」は南豊島郡が東多摩郡と合併して誕生した豊多摩郡に引き継がれた。1915年大正4年)、代々幡村は前述の渋谷3村のなかで最後に町制を施行した。

1932年昭和7年)、代々幡町渋谷町千駄ヶ谷町と合併、東京市渋谷区(大東京35区のひとつ)となった。渋谷区は1943年(昭和18年)の東京都政への移行、1947年(昭和22年)の東京23区への再編においても区域は変わらず現在に至っている。

その他の歴史

各町丁の地誌

現行の町丁区分に基づく各地区の様子は次のようである。

代々木

ファイル:Yoyogi 2-Chome 02.JPG
代々木一丁目・二丁目のビル群
一丁目

代々木駅があり、駅前には飲食店や事務所などが入居する雑居ビルが多い。代々木ゼミナールはかつて、本部校を含めて多くの建物をこの地に有していたが、2008年平成20年)に新本部(代々木二丁目)が完成した後には、一丁目の建物や機能は大幅に移転・縮小された。

住居表示実施以前には、代々木駅から南西に向かって、「千駄ヶ谷五丁目」(代々木駅を含む)、「千駄ヶ谷四丁目」、「代々木山谷町」という町域になっていた。

二丁目

北部は新宿駅南口に近く、オフィスや商業施設が多くを占める。1990年代中盤以降、JR東日本本社ビル(1994年平成6年))、新宿マインズタワー1995年(平成7年))、小田急サザンタワー1998年(平成10年))などの超高層ビルが次々に完成した。

住居表示実施以前には、町域の大半が「千駄ヶ谷五丁目」に含まれていた。

三丁目
ファイル:Aioi sompo shinjuku building cropped.jpg
1989年平成元年)完成の大東京火災新宿ビル(当時): 代々木三丁目

住宅街が大半を占め、北より、甲州街道沿いには文化服装学院文化女子大学がある。住居表示実施以前には、町域の大半が「代々木山谷町」であった。

ファイル:Yoyogi Gochome Tokyo.jpg
代々木5丁目の住宅地
四丁目・五丁目

明治神宮代々木公園に隣接し、西参道と小田急線、山手通りに囲まれた町域である。地形は起伏に富んでおり、高台部分を中心に住宅街が形成されている。また、各国の大使館も点在する。

現在は暗渠化されているがここに河骨川(こうほねがわ)という小川が南北を貫き、西原から流れてくる宇田川と代々木八幡付近で、渋谷の宮下公園付近で渋谷川と合流して東京湾に注いでいた。唱歌「春の小川」は、この河骨川を見て作詞されたとされており、記念碑が建てられている。

住居表示実施以前には、四丁目の大部分は「代々木山谷町」、五丁目の大部分は「代々木初台町」の町域に含まれていた。

代々木神園町

(よよぎかみぞのちょう):明治神宮代々木公園の所在地の町名である。面積は120万m2以上に及ぶが、神社・公園以外の建物や居住者はごく僅かである。

元代々木町

(もとよよぎちょう):山手通り西参道通り小田急線線路とのあいだの丘陵に位置する住宅地である。

上原、西原、大山町

(うえはら、にしはら、おおやまちょう):一般に「代々木上原」と括られる住宅地である。富ヶ谷も含め、隣接する渋谷区目黒区世田谷区の住宅地へと続く。かつて付近には紀州徳川家徳川頼倫侯爵の屋敷があり、昭和初期には「徳川山」の名で分譲開発された。上原、西原、大山には戦後、アメリカ軍関係者の邸宅と思われるプールテニスコートがあり広い芝生の庭つき住宅が点在した。昔の写真によると、このあたりは牧場が広がっていたらしい。

地名の由来

江戸名所図会』などによると、現在の明治神宮境内の御苑東門(旧彦根藩井伊家下屋敷)近くに代々の巨木があり、「代々大きな木があった」という意味でこのように呼ばれるようになったとされる。二代目歌川広重も『絵本江戸土産』に「代々木村の代々木」を描いている。この木は幕末には品川沖の外国船の偵察に利用されたと言われている(通説であって証拠は示されていない。戦前は代々木西原から隅田川の花火が見えたと言われるが、品川沖まで見通せた証拠はない)。その後枯死し、さらに太平洋戦争末期の1945年5月、アメリカ軍による空襲の際、高射砲で撃墜されたB-29が直撃し焼失した[9]。焼失前の1920年頃に撮影された写真が発見され、2017年6月10日から白根記念渋谷区郷土博物館・文学館で公開される予定である[10]

現在、その御苑東門近くには樅の大木と共に次のような立て札が掲げられている。

代々木
この地には昔から代々樅の大木が育ち「代々木」という地名が生まれました。この前の名木「代々木」は昭和二十年五月の戦禍で惜しくも消失しましたのでその後植継いだものであります。

また別の説として、この地で代々皀莢(サイカチ)を栽培していたからともいわれる。

政治

ファイル:Japanese Communist Party Central Comittee 3.jpg
日本共産党本部(中央委員会)

日本の昭和時代後期の政界では、「代々木」という言葉が代々木駅の近くに党東京都委員会事務所と本部ビル(中央委員会)を持つ日本共産党を指したことがある。特に学生運動における各分派(セクト)の性格を解説する際に、共産党と近い関係の日本民主青年同盟(民青)などを「代々木系」、共産党と対立する新左翼系のセクトを「反代々木系」と称していた。なお、日本共産党中央委員会住所渋谷区千駄ヶ谷であり、代々木ではない。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
代々木一丁目 1,855世帯 2,828人
代々木二丁目 1,940世帯 2,949人
代々木三丁目 2,886世帯 4,638人
代々木四丁目 3,905世帯 6,723人
代々木五丁目 3,377世帯 6,159人
13,963世帯 23,297人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]

丁目 番地 小学校 中学校 調整区域による変更可能校
代々木一丁目 5~11番 渋谷区立代々木山谷小学校 渋谷区立代々木中学校 渋谷区立原宿外苑中学校
その他 渋谷区立原宿外苑中学校 渋谷区立代々木中学校
代々木二丁目 全域
代々木三丁目 18~20番
その他 渋谷区立代々木中学校 渋谷区立原宿外苑中学校
代々木四丁目 1~31番
34〜35番
40番
47~50番
その他 渋谷区立幡代小学校
代々木五丁目 13~36番
43~47番
49~53番
42番
48番
54~60番
渋谷区立代々木山谷小学校 渋谷区立原宿外苑中学校
その他 渋谷区立富谷小学校 渋谷区立上原中学校 渋谷区立代々木中学校

交通

道路

鉄道

教育

大学

中学

小学

その他

所在する主な企業・施設等

主な施設等

主な企業等

主な医療施設

なお、代々木郵便局渋谷区西原にあり、むかしの代々木本町に近い。 また代々木警察署は現在は代々木地域外の渋谷区本町にあるが、かっては甲州街道南側の代々木地域内にあったものが、1953年昭和28年)に甲州街道を渡って北側の現在地に移転したものである。

大使館

ゆかりある人物

居住者

脚注

  1. 1.0 1.1 住民基本台帳・外国人登録による人口”. 渋谷区 (2017年12月1日). . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 郵便番号”. 日本郵便. . 2017閲覧.
  3. 市外局番の一覧”. 総務省. . 2017閲覧.
  4. 類似の経緯を持つ駅名にとして、目黒駅品川区)や品川駅港区)がある
  5. 5.0 5.1 「代々木」起源トナリシ樹木 明治神宮創建直後の鮮明写真が見つかる東京新聞 2017年7月12日 夕刊
  6. 明治神宮の巨大モミ 名木「幻の写真」七飯に 現存は数枚「貴重な資料」北海道新聞、2017年8月7日
  7. http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/profile/uraig.html 渋谷区「地名の由来」
  8. http://www.city.shibuya.tokyo.jp/shibuya/profile/history.html 渋谷区「渋谷区の歴史」
  9. 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p206-11
  10. 「代々木地名 由来の巨木/焼失前1920年ごろの写真」『読売新聞』夕刊2017年6月8日
  11. 通学区域”. 渋谷区. . 2017閲覧.

外部リンク