今帰仁城
今帰仁城 (沖縄県) | |
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別名 |
北山城 山北今帰仁城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 湧川王子(英祖王の次男) |
築城年 | 13世紀頃か |
主な城主 |
仲北山王: 湧川王子(英祖王の次男) 湧川按司(湧川王子の長男) 今帰仁按司一世(湧川王子の長男) 仲昔今帰仁按司(今帰仁按司一世の長男) 仲宗根若按司(仲昔今帰仁按司の長男) 後北山王(怕尼芝王統) 第一尚氏(琉球王国) |
廃城年 | 1665年(寛文5年) |
遺構 | 城壁、石垣 |
指定文化財 |
国の史跡(今帰仁城跡 附シイナ城跡) 世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群) |
位置 |
北緯26度41分26.8秒 東経127度55分47.2秒 |
地図 |
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今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))は、沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡である。14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であった。国の史跡に指定されている。
概要
城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。北山は尚巴志に1416年(応永23年・永楽14年。1422年(応永29年・永楽20年)説もある)に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、北山監守が派遣された。1609年の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。
現在も石垣などの遺構の整備が進み、今帰仁城跡として1972年(昭和47年)5月15日に国の史跡に今帰仁城跡として指定される[1]。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 - 2月始めに開花する。本部町の八重岳などと並び、桜の名所として知られている(日本トランスオーシャン航空作成の壁掛けカレンダーの1月は最近数年間この桜景色が写真を飾っている)。城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。
2000年(平成12年)11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(98番)に選定された。
2010年(平成22年)2月22日に国の史跡地域が追加され、史跡名称が今帰仁城跡 附シイナ城跡へ改められた[2]。
城域
南北350 m、東西800 m、面積37,000 m2。県内最大級の城(グスク)として名高い。
現地情報
世界遺産登録以降、城跡は徐々に整備および修復作業の強化が行われた。また駐車場が城跡入口付近へ、場内に入る際のチケット販売所がグスク交流センターへ移設された。2005年(平成17年)9月1日、グスク交流センターや観光バス駐車場などの周辺設備の整備に伴い、今帰仁城跡のみの入場料が今帰仁城跡と今帰仁村歴史文化センターの共通料金となり、300円から400円に値上げされた。
観覧料
今帰仁村歴史文化センターと共通
- 大人:400円
- 小中高校生:300円
アクセス
- バス路線
- 参照: 沖縄本島のバス路線#65番・66番
- 今帰仁城跡入口バス停
- 名護バスターミナルからだと66番の方が早く到着でき、運賃も安くなる。