京阪京津線
京津線(けいしんせん)は、京都府京都市山科区の御陵駅から滋賀県大津市のびわ湖浜大津駅までを結ぶ京阪電気鉄道の軌道路線である。石山坂本線と合わせて大津線と総称される。
Contents
概要
京津線は正式な起点を御陵駅としているが、列車運行および旅客案内ではびわ湖浜大津駅から御陵駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとされている。御陵駅から逢坂山を越える大谷 - 上栄町間には61‰の勾配区間があり[1]、びわ湖浜大津駅付近は併用軌道となっている。全区間が軌道法の適用を受けている。軌道運転規則では列車長が30m以下と定められているが、京津線では4両編成の電車(1両あたり16.5m)が併用軌道区間を走ることが特例として認可されている。御陵駅から京都市営地下鉄東西線に乗り入れている。
かつて京津線は御陵駅より西にも併用軌道を交えた路線があり、京阪本線と共通の三条駅(のちに同線から分離して京津三条駅と改称)を起点として三条 - 浜大津間を結んでいた。また、蹴上駅付近では碓氷峠並みの66.7‰の急勾配[1] を越えていた。1997年10月12日に御陵駅以西を廃止し、地下鉄東西線へ乗り入れを開始した。
京津線ではPiTaPa・ICOCAなどの全国相互利用交通系ICカードが利用できる(スルッとKANSAIも2018年1月31日まで利用可能であった)。ただし、京阪線[2] と異なりPiTaPaの割引サービスは適用されない。三条京阪 - びわ湖浜大津間の運賃は競合区間である西日本旅客鉄道(JR西日本)琵琶湖線の京都 - 大津間と比較すると高い(2015年1月時点で京阪が430円、JRが200円)。地下鉄東西線開業後は地下鉄と京津線の運賃が別々に加算されるようになったことから地下鉄東西線開業前に比べて高くなった(下表参照)。また、三条京阪駅で乗り換えて京阪線を利用する場合、地下鉄と京津線の運賃に京阪線の運賃も加算されるうえ、普通乗車券の通過連絡運輸が行われず、乗り換え時にも切符の購入が必要である。ただし、定期券やPiTaPaなどのICカード、あるいは「京都・びわ湖チケット」などの企画乗車券ではこの限りではない。2009年3月まで京都高速鉄道が保有していた三条京阪 - 御陵の区間については、京阪は第二種鉄道事業免許を取得せず、通常の乗り入れ形式を取ることになったという経緯がある。
東西線開業前 | 東西線開業後 | ||
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1995年9月[3] | 1997年10月12日[4] | 2014年4月1日現在[5] | |
三条[注 1](四条[注 2]) - 浜大津[注 3]間 | 300 (380) 円 | 390 (540) 円 | 430 (580) 円 |
淀屋橋 - 浜大津[注 3]間 | 690円 | 790円 | 840円 |
淀屋橋 - 四宮間 | 620円 | 720円 | 770円 |
石山坂本線と2線あわせて年間15億円程度の赤字が出ており、一部マスコミから大津線自体の廃線も検討されていると報じられることもあった[6]。そこで京阪本社は地元自治体(大津市など)との間で、今後の運営のあり方についての協議を始めている。京阪はこれら2線の経営を本社から分離し独立採算制をとる分社化を検討しており、当初2004年秋に分社化を予定していたが、この時点で分社化しても収支改善が見込めず経営に行き詰まるという理由で見送られ、経費削減を図り収支が均衡した時点で分社化することになっている[7]。
1997年の東西線直通開始以来、800系車両の帯の色でもある黄色がラインカラーとして使われていたが、2017年からの京阪線系統との車両カラー統一に伴い、これに代わって黄緑色の路線マークが設定された。路線マークのコンセプトは「山を越えて東西へ」とされている[8]。
路線データ
- 路線距離(営業キロ):7.5 km
- 軌間:1435mm
- 駅数:7駅(起終点駅含む。地下駅1駅・地上駅6駅)
- 複線区間:全線
- 電化区間:全線電化(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:京阪型速度照査ATS
- 最高速度:75 km/h
- 最急勾配:61‰
- 最小曲線:半径40m
運行形態
2018年3月17日改正ダイヤでは、早朝・深夜などに御陵駅・四宮駅 - びわ湖浜大津駅間の列車があるが、それ以外の全列車が京都市営地下鉄東西線と直通運転を行い、朝時間帯に京都市役所前駅発着列車があるほかは、すべて太秦天神川駅まで乗り入れる。昼間はおおむね1時間に3本運転される[9]。これにより、以前の起点の京津三条駅(現在の三条京阪駅)までの沿線をカバーしている。
かつては急行(1973年まで京阪山科駅には待避線が設けられており、同駅で普通列車と緩急接続を行っていた)や準急(京津三条駅 - 御陵駅間は途中無停車)の運転、石山坂本線との直通運転もあったが、現在はすべてびわ湖浜大津駅折り返しで普通列車のみの運転である。
地下鉄東西線開業前の準急列車は、京津三条駅 - 浜大津駅(現在のびわ湖浜大津)間を24分で運転していた。現在の地下鉄東西線乗り入れ列車は、三条京阪駅 - びわ湖浜大津駅間を22分で運転している。地下区間で高速運転が可能になったことで若干の速達化が図られたといえる。
御陵駅では乗務員交代の関係上、停車時間が長めに設定されている。
昼間時間帯は20分間隔で運転されるが、本数が少ないため自動車やJR琵琶湖線・湖西線を相手に苦戦を強いられている。2両編成・15分間隔であった東西線開業前よりも乗客は減少している一方、輸送力は逆に4両編成・20分間隔と1.5倍になっている。なお、京津線直通以外の東西線列車は現在7分半間隔で運転しているが、1997年10月12日の東西線開業当初は10分間隔で、15分間隔であった京津線直通とパターンがずれていた。2000年には東西線を増発し運転間隔を7分半として、京津線直通とパターンを合わせてずれを解消した。なお、後述のように、乗り入れ先の三条京阪駅(京阪線側は三条駅)における京阪本線・鴨東線との接続時間に多少のばらつきが生じている。
2002年より全線でワンマン運転を行っている。列車内で料金を収受せず、駅では改札口を利用するいわゆる「都市型ワンマン列車」であり、列車内には運賃箱がない。なお、毎年8月8日の「びわ湖大花火大会」の開催日のみ、浜大津発御陵行きの臨時列車も運転される。この日に限り乗降客の安全確保などの理由により、運転士が列車防護要員として乗務するツーマン運転が行われている。
京都市営地下鉄東西線乗り入れ区間の延長
1997年10月12日に開業した京都市営地下鉄東西線は、2008年1月16日に二条駅と右京区の太秦天神川駅との間が延長開通した。これに伴い京阪京津線の地下鉄東西線乗り入れ区間もそれまでの京都市役所前駅から新しい西の終点駅の太秦天神川駅まで延長された。なお、開通後の運行形態は浜大津方面は7 - 21時台、御陵方面は6 - 19時台の時間帯の半数の列車(おおむね30分間隔)が太秦天神川駅発着・その他の列車は京都市役所前駅発着となった。なお、この2008年1月に行われたダイヤ改正では、地下鉄化後初の減便改正となった。日中が15分間隔であることは変わらず、昼間以外の時間帯で減便がなされた。さらに、2018年3月17日のダイヤ改正からは、日中はすべての列車を太秦天神川駅発着とする代わりに20分間隔となり減便となった[9](減便で生じる余力を乗り入れ区間の延長に回した)。
過去の運行形態
浜大津駅は現在のびわ湖浜大津駅。当節では当時の駅名で解説。
●:停車、○:一部の時間帯のみ停車、-:通過
1971年8月14日まで
駅名 | 三条駅 | 東山三条駅 | 蹴上駅 | 九条山駅 | 日ノ岡駅 | 御陵駅 | 京阪山科駅 | 四宮駅 | 追分駅 | 大谷駅 | 上関寺駅 | 上栄町駅 | 浜大津駅 |
急行 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | - | - | - | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
1971年8月15日 - 1981年4月11日
駅名 | 三条駅 | 東山三条駅 | 蹴上駅 | 九条山駅 | 日ノ岡駅 | 御陵駅 | 京阪山科駅 | 四宮駅 | 追分駅 | 大谷駅 | 上栄町駅 | 浜大津駅 |
急行 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | - | - | ● | ● |
準急 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ |
- このダイヤ改正で準急が新たに設定(石山坂本線石山寺直通列車も急行から準急に変更された)され、逆に急行は朝夕の京津線内のみの運転となり、また改正前は全線通し運転が原則であった普通が一部を除き四宮駅折り返しとなった。
- 上関寺駅は廃止となった。また京阪山科駅での待避が廃止され、2年後の1973年に待避線は撤去された。
- 石山坂本線石山寺直通列車は浜大津駅 - 石山寺駅間では各駅停車。
- 三条駅 - 浜大津駅間直通および四宮駅 - 浜大津駅間の普通列車(後者は80型使用列車のみ)は早朝と深夜のみの設定。
- 早朝深夜の急行・準急は四宮駅始発・終着のものが設定されていた。なお、四宮駅 - 浜大津駅間の準急は80型以外の車両を使用したものであり、実質的に各駅停車として運行していた(80型を使用した場合は普通列車として運転)。1981年改正以降もこれは変わらなかった。
1981年4月12日 - 1997年10月11日
駅名 | 京津三条駅 | 東山三条駅 | 蹴上駅 | 九条山駅 | 日ノ岡駅 | 御陵駅 | 京阪山科駅 | 四宮駅 | 追分駅 | 大谷駅 | 上栄町駅 | 浜大津駅 |
準急 | ● | - | - | - | - | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
普通 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ○ | ○ | ○ | ○ |
- 石山坂本線石山寺直通の準急列車と急行列車が廃止された。
- 昼間時は準急・普通それぞれ15分間隔。朝ラッシュ時は、それぞれ6-10分間隔。
- 京津三条駅 - 浜大津駅間直通の普通列車は早朝と深夜のみの設定。
- 一部の準急は四宮駅 - 浜大津駅間で運行されていたが、実質各駅停車のため、1987年6月1日ダイヤ改正以降は普通列車扱いとなった。このため、高床車の方向幕には「普通 四宮」「普通 浜大津」の表示が用意されていた。
その他
- 1950年代から1960年代まで臨時特急が運転されていたこともあった。1950年代の夏季臨時特急では京阪山科駅のみに停車していたが、1960年代の冬季スキー臨時特急では全線ノンストップで運転していた。
使用車両
通常は800系4連のみだが、貸切で600形・700形がびわ湖浜大津 - 四宮間を運行することがある。
600形以降の車両は、石山坂本線とともに、寺院の半鐘の音をイメージして作られた、独自の警笛を採用している。
1997年に800系の運転席の運行スタフ(時刻表)に、運転席のモニター内のタッチパネル式ディスプレイ表示(運行指示の内容が記録されたICカードを読み込んで表示する方式)が採用された。
過去の使用車両
- 1型(初代)
- 1912年(大正元年)の京津電軌開業時に製造された8m級モニタールーフ・オープンデッキの路面電車スタイルの木造ボギー車で15両あった。マキシマム・トラクション台車が特徴で、1933年(昭和8年)までに廃車された。客室窓は2連窓が3組並び、その上部の幕板にはアーチ状の飾り窓が設けられていた。
- 1型(2代・元北大阪電気鉄道1形)
- 20型
- 30型
- 京阪に合併された後の1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)にかけて登場した10m級半鋼製車で12両(31 - 43、42は欠番)あった。丸屋根で乗降口に扉が設置されるなど近代化が進み、京阪線100型を2扉丸屋根にしたような外観。31 - 35は一時石山坂本線に転属したが、四宮車庫火災の後に激減した低床車を補うため京津線に復帰した。新製当時は低床車で台車は住友ST18を履き、一部車両(36 - 40)の四宮車庫火災からの復旧の際に全車がステップを撤去して高床化・自動ブレーキ化・2両固定編成化の改造を受け、上半マンダリンオレンジ・下半カーマインレッドの特急色で京津線急行運用に就いた(なお復旧車は車体長が若干伸びて表面のリベットがなくなり、側窓も無被災車の8枚に対し9枚と1枚増えている)。その後260型の登場で石山坂本線に転属して塗色も緑の濃淡の一般色に変更され、1968年(昭和43年)に廃車された。
- 50型
- 60型(びわこ号)
- 70型
- 80型(普通列車用だが、時折急行・準急の代走にも使用された)
- 200型
- 260型
- 300型(2代)
- 350型(回送・試運転のみ)
- 500形(2代)
歴史
車両はすべて電車。本節中の「客車」は電動客車を意味する。
京津電気軌道時代
- 1906年(明治39年)
- 3月19日:旧東海道に沿って京都市中心部と大津市中心部とを直結する電気鉄道の敷設を目的に、京津電気軌道株式会社が、京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設を鉄道院に請願。
- ほぼ同時期
- 旧東海道に沿って京都市中心部と大津市中心部とを直結する電気鉄道の敷設を目的に、京都電気鉄道株式会社(後の京都市電)ほか1社が、京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設を鉄道院に請願。
- 京都市下京区三条通大橋町117番地先 - 大津市御蔵町間の軌道敷設が京津電気軌道、京都電気鉄道株式会社ほか1社の3社の競願となる。
- この年
- 鉄軌道事業の主務官庁(監督官庁)である鉄道院が京津電気軌道株式会社、京都電気鉄道株式会社ほか1社の3社に対して妥協による合流を要請。
- 京津電気軌道株式会社と京都電気鉄道株式会社とが妥協し、京都電気鉄道株式会社が京津電気軌道株式会社に合流。
- 1907年(明治40年)1月24日:軌道法に基づき、鉄道院から京津電気軌道株式会社に対して三条大橋 - 浜大津間10.0kmの軌道敷設特許状、並びに命令書が下付。
- 1910年(明治43年)3月28日:京都商工会議所において、京津電気軌道株式会社の創立総会が開催され、資本金150万円で発足。初代社長に衆議院議員奥繁三郎が就任。
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)
- 1912年(大正元年)
- 8月15日:上関寺駅(現在の大谷 - 上栄町間にあった。1971年8月15日廃止)付近における官設鉄道東海道本線(現在のJR西日本 東海道本線)を跨ぐ上関寺国鉄跨線橋の建設工事の遅れから、三条大橋 - 上関寺仮乗降場間と上関寺 - 札ノ辻(上栄町 - 浜大津間、1946年10月1日廃止)間がそれぞれ個別に開業。上関寺駅付近約100mは徒歩連絡。
- 12月13日:軌道法に基づき、三条大橋 - 三条間0.6kmの軌道敷設特許状、並びに命令書が下付[10]。
- 12月14日
- 上関寺駅付近における官設鉄道東海道本線を跨ぐ上関寺国鉄跨線橋の建設工事が竣工し、上関寺仮乗降場 - 上関寺間約100mが開業し、三条大橋 - 札ノ辻間10.0kmが一体化し、直通運転を開始。同区間を10分毎に30分で結ぶ。
- 総工費 - 145万1,107円73銭。
- 京都市内から琵琶湖畔の栗太郡瀬田村(現在の大津市瀬田) - 滋賀郡下阪本村字唐崎(現在の大津市唐崎)間・湖東の山田港(栗太郡山田村、現在の滋賀県草津市山田町)・木ノ浜港(野洲郡速野村、現在の滋賀県守山市木浜町)や湖西の雄松埼港(滋賀郡小松村、現在の大津市南小松)・竹生島への参詣客の誘致のため、太湖汽船と湖南汽船(両社とも現在の琵琶湖汽船)との連絡割引切符の発売を開始。
- 12月20日:京津電気軌道から古川町・木屋町三条経由 京都電気鉄道木屋町線、木屋町五条・五条経由 京阪電気鉄道京阪本線の3社線連絡運賃が認可。
- 1913年(大正2年)
- 1916年(大正5年)5月1日:官設鉄道東海道本線 京都 - 馬場(現在の膳所)間の現行ルートへの移設工事に伴い、御陵 - 毘沙門道(現在の京阪山科)間の一部ルートを新設の東海道本線 高架(盛土高架)北側へ移設する工事を開始。
- 1917年(大正6年)5月5日:札ノ辻 - 浜大津間の家屋立退が進展せず、敷設を断念[11]。
- 1919年(大正8年)5月29日:三条大橋 - 三条間が単線開業[12]。
- 1921年(大正10年)
- 8月1日 官設鉄道東海道本線:京都 - 馬場間の現行ルートへの移設工事に伴う御陵 - 毘沙門道間の一部ルートの新設の東海道本線 高架(盛土高架)北側への移設工事が竣工し、毘沙門道駅を山科駅前駅(現在の京阪山科駅)に改称。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 2月20日:三条大橋 - 三条間が複線開業[13]。
- この頃
- 奥繁三郎社長が推し進める京津電気軌道と京阪電気鉄道との合併に異議を唱える役員が増加。一部の役員の中からは、独自に京都電燈(現在の京福電気鉄道)との合併交渉に取り組む者まで現れるようになる。
- 京阪電気鉄道株式会社が鉄道大臣、及び京都府知事に対して、京津電気軌道との合併によって大阪市 - 大津市間の直通運転が可能となり、大幅に旅客の便宜を図れることや、両社とも鉄軌道事業を本業する会社であることから、その一環経営による経済面、能率面での国家的利益を強調して具申。
- 京阪電気鉄道株式会社が京津電気軌道の全事業のうち、沿線における電力供給事業については、安曇川発電所とともに電力供給事業を本業とする京都電燈に譲渡することで京都電燈との間に折り合いをつけ、京津電気軌道との合併協議を再転させる。
- 1924年(大正13年)
(旧)京阪電気鉄道時代
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)9月1日:旧京津電気軌道が行っていた配電事業を京都電燈に譲渡[14]。
- 1927年(昭和2年)9月21日:御陵駅を新築移転。
- 1928年(昭和3年)
- 1930年(昭和5年)11月9日:大谷駅で労働組合員による電車脅迫脱線事件が起きる(日本の鉄道に関する事件を参照)。
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)6月29日:鴨川水害に伴い三条大橋駅破損、蹴上 - 日ノ岡間の土砂崩れで三条大橋 - 日ノ岡間が不通、7月2日より運転再開[15]。
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)8月20日:大津線の旅客運賃の改正を実施し、旅客運賃を値下げ。
- 1939年(昭和14年)6月20日:京津線と石山坂本線との連絡線が完成。
- 1940年(昭和15年)
- 戦時体制下の下、紀元2600年と相まって京津線開業30周年の祝意を表す最小限の企画が実施。
- 2月頃:京阪線京津線の「びわこ号」による直通運転が停止される。
- 1941年(昭和16年)2月1日:神宮道駅を平安神宮前駅に改称。
- 1942年(昭和17年):緑ヶ丘運動場前臨時駅を廃止。
- 1943年(昭和18年)4月15日:天文台下駅を九条山駅に改称。
京阪神急行電鉄時代
- 1943年(昭和18年)
- 10月1日:戦時中の企業統合政策、陸上交通事業調整法により、京阪電気鉄道株式会社が阪神急行電鉄株式会社と合併し、京阪神急行電鉄株式会社(現在の阪急電鉄株式会社。法人格としては現在の阪急阪神ホールディングス株式会社)が発足。同社の京津線となる。
- 11月10日:長等公園下駅を廃止。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1948年(昭和23年)
- 2月1日:三条大橋 - 浜大津間急行列車の運転を再開(最速25分)。三条大橋 - 石山坂本線石山寺間直通運転を開始。
- 5月18日:全線で旅客運賃を改定し、旅客運賃を7割5分値上げ。また、大津線の区間制が変更され、京津線内の区間が、それまでの3区から4区となる。
- 10月15日:長等公園下駅の下り線ホームの使用を中止。
- 10月31日:16時40分頃、上り25号車が蹴上 - 九条山間でポールが外れ停車中、急勾配のため自然後退し、後続の58号車に衝突。同車もこの衝撃で後退し、さらに神宮道で停車中の72号車に衝突、3両とも中破した。乗客中死者1名、重軽傷70名。
- 1949年(昭和24年)
- 3月1日:長等公園下駅の下り線ホームの使用を再開。
- 5月1日:全線で旅客運賃を改定。
- 5月20日:22時25分頃、蹴上の都ホテル前で京津線の三条大橋行の37号車のモーター回路が地絡して主回路遮断器が熔解し、乗客8名が火傷を負う事故が発生。
- 7月16日:土曜・日曜・祝日に限り浜大津 - 天満橋間直通の「びわこ号」運転再開。
- 8月7日:4時30分頃、四宮車庫で火災が発生し、建物と客車22両を焼失。
- 三条大橋 - 石山直通列車を一時中止。急行・普通ともに15分毎に運転し、その不足分を京阪自動車(現在の京阪バス)がバスを増発して輸送を補う。
- 8月8-13日:京津間旅客輸送に京阪自動車がバスを電車代替車として臨時ダイヤを実施。
- 11月25日:三条大橋駅を京阪本線の三条駅に統合。
- 11月30日:統合された三条駅が竣工。
(現)京阪電気鉄道時代
地下鉄東西線開業前
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)1月7日:古川町駅の上り線に安全地帯を設置。
- 1月30日:四宮車庫の火災によって焼失した大津線車両22両のうち復旧困難な客車15両と老朽電動客貨車各1両(20型1両、撒水車1両)を廃車。
- 9月3日:ジェーン台風によって駅や変電所などに被害が発生し、その被害額は約3,000万円に及ぶ。
- 大津線の関西電力送電線事故のため、12時30分から約12時間半に渡って停電し、京津線を走行中の13の旅客列車が営業線上に停車。
- 9月4日:1時50分頃に停電が復旧したため、初発から平常運転を実施。
- 9月10日:四宮駅上り副本線の新設に伴い、上り急行列車の待避駅を京阪山科駅から四宮駅に変更。
- 10月30日:ジェーン台風による大津線の被害復旧工事が完了。
- 11月25日:古川町駅を東山三条駅と改称。
- 12月25日:大谷 - 上関寺間の軌道の一部移設工事を完了し、上関寺駅上り線ホームを高床ホームに変更。
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 4月1日:山科駅前駅を東へ100m移設し、京阪山科駅と改称。
- 7月20日:18時50分・九条山駅付近で土砂崩れ発生、21時24分単線で仮復旧するも、再度崩落で不通に。翌21日三条 - 九条山間の不通箇所間は、京阪自動車で代替輸送し、列車は九条山に仮ホームを設け、浜大津 - 九条山間の折り返し運転を実施(復旧日不明)。同区間は9月15日朝にも同区間で落石、一時運休。9月25日も台風13号で落石事故で運休している[16]。
- 10月13日:上関寺国道踏切の遮断機を半自動式に変更。
- 11月24日:200型運転に伴う京津線の工事方法の変更が認可。
- 12月15日:大津線車両にスライダー式トロリーポールの試験的使用を開始。
- 12月28日:日ノ岡駅の営業再開。
- 12月30日:200型連結運転に伴う三条曲線の変更工事、並びに浜大津駅の改良工事を完了。
- 1954年(昭和29年)
- 1月4日:日ノ岡駅に安全地帯を新設。
- 1月25日:浜大津経由の三条 - 石山寺間の急行運転が開始。
- 1月29日:大津線車両に車輪々縁注油器の試験使用を開始。
- 4月11日:九条山防災工事に着工。
- 7月4日:大津線各駅から宇治直通団体客に対して60型を運転。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1月10日:線路名称が制定され、大津線に属する京津線となる。
- 1月15日:石清水厄除大祭参詣客のため、三条経由の八幡町(現在の八幡市) - 浜大津間直通臨時急行「やわた」号を運転。
- 5月24日:大津線車両200型201-202号車に車内放送装置を取り付け、試験使用を実施。
- 9月13日:大津線客車7両に車内放送装置を設置。
- 10月15日:追分 - 大谷間の重軌条更換工事を完了。
- 12月15日:総工費380万円をかけた三条 - 東山三条間の併用軌道舗装改修工事が完了。
- 1957年(昭和32年)
- 1月10日:三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事と浜大津駅の改良工事を着工。
- 2月15日:京阪山科 - 追分間での重軌条更換工事を完了。
- 3月15日:総工費213万円を投じた三条駅入口付近の曲線部軌条更換工事が完了。
- 4月26日:大津線260型2両を新造。
- 7月10日:九条山 - 日岡間の重軌条更換工事を完了。
- 7月11日:大津線260型5両を新造。
- 7月15日:浜大津駅改良工事完成、ホームを2面2線に増強。
- 1958年(昭和33年)12月24日:大津線車両のうち急行車用26両に暖房器を新設。
- 1959年(昭和34年)
- 1961年(昭和36年)
- 8月12日:抑速回生と発電ブレーキ併用の高性能車80型営業運転開始。
- 11月23日:浜大津 - 枚方公園間の「菊号」の運行をもって、60型による京阪線への直通運転を中止。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)11月4日:デッドマン装置の未設置車43両にデッドマン装置の設置を完了。
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)11月6日:三条駅構内の京阪本線との連絡線路を撤去[20]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 8月15日:上関寺駅廃止。大規模なダイヤ改正が実施され、運転間隔を20分毎から15分毎(三条 - 石山寺または浜大津準急、三条 - 四宮普通)に変更することにより京津線と京阪本線との連絡が強化。全列車を2両連結編成での運行とし、単行運転を廃止。急行は朝夕のみの運行となる。
- 1979年(昭和54年)
- 1980年(昭和55年)10月30日:大津線全車両62両に排障器および補助排障器の取付けが完成。
- 1981年(昭和56年)
- 1月9日:浜大津駅前の京津線と石山坂本線との連絡線を廃止し、浜大津経由の三条 - 石山寺間の直通運転を廃止。
- 4月12日:京津線の浜大津駅を石山坂本線の同駅(旧東口)に統合。ダイヤ改正を実施し、急行を廃止。
- 7月31日:浜大津駅の移設・統合化工事が完成。
- 1984年(昭和59年)
- 4月1日:ATSの設置を完了。
- 4月26日:京津線初の冷房車600型営業運転開始。
- 1986年(昭和61年)
- 1月17日:列車無線連絡装置の使用を開始。
- 7月30日:全駅で朝夕ラッシュ時に禁煙タイム実施。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
- 4月12日:冷房化した80形1編成の使用を開始。
- 10月1日:プリペイド式の「Kカード」を導入。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)12月29日:600形の建設中の京都市営地下鉄東西線への直通運転開始に伴う大津線の電圧の1500V昇圧準備工事を完了。
- 1995年(平成7年)
- 1月30日:京阪電気鉄道株式会社と京都市の間で京津線列車の京都市営地下鉄東西線への乗り入れ関する基本協定が締結される。
- 9月1日:車内普通券発券機を導入。
- 12月29日:地震計の使用を開始。
- 1996年 (平成8年)
- (時期不明)
- 京阪山科 - 浜大津間の4両編成対応のホーム延伸工事を完了。
- 御陵府道東踏切付近で下り線側から京都市営地下鉄東西線へ接続する新線への単線渡り線と架線を設置。
- 1997年(平成9年)
- 4月8日:800系が京都市営地下鉄東西線に乗り入れての試運転を開始、7月末までに全車32両が東西線での試運転を行う。
- 6月28日:四宮駅新駅舎供用開始。
- 7月1日:大津支社廃止。
- 10月11日:80形81-82号車による京津三条 - 四宮(早朝のみ京津三条 - 浜大津)間の普通と260形261-262号車による京津三条 - 浜大津間の準急を京津三条 - 御陵間のさよなら列車として運行(詳細な最終日の様子は「京津三条 - 御陵間の廃止に関する出来事」を参照)。
地下鉄東西線開業後
- 1997年(平成9年)
- 10月12日:京津三条 - 御陵間3.9km廃止。京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止。
- 御陵駅を西へ約300m移設し、京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。御陵府道東踏切付近 - 御陵間を地下新線に切り換え。
- 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 京都市営地下鉄東西線京都市役所前まで直通運転開始。800系営業運転開始。浜大津駅で出発式が行われ、一番列車となる浜大津駅5時12分発の普通京都市役所前行(800系801-851-852-802号車)が発車。
- 京津線専用の80形、京津線・石山坂本線用の260形、石山坂本線専用の350形の大津線内での営業運転を廃止し、600形・700形を石山坂本線専用とする。保線用の貨122号車を廃車。以上により京阪電鉄車両の冷房化率100%と大津線の回生ブレーキ搭載車率100%を達成。
- 準急が廃止され、大津線内の優等列車は全廃となり、普通列車のみの設定となる。
- 大津線と京都市営地下鉄との連絡乗車券の発売を開始し、大津線と京阪線との連絡乗車券の発売を廃止。京都市営地下鉄東西線を介した大津線と京阪線との連絡定期券の発売を開始。
- 10月27日:大津線で廃車となった260形261-262号車、貨122号車の台車をアメリカ合衆国のシーショア・トロリー博物館とミネソタ博物館に無償譲渡。
- 10月12日:京津三条 - 御陵間3.9km廃止。京津三条駅、東山三条駅、蹴上駅、九条山駅、日ノ岡駅を廃止。
- 1998年(平成10年)
- 8月8日:びわ湖大花火大会開催日に限った御陵 - 浜大津間の臨時運行を開始。
- 12月31日:初の「おおみそか延長運転」を実施。
- 1999年(平成11年)6月1日:大津線列車運行管理システムの使用を開始。
- 2001年(平成13年)
- 5月10日:京都市営地下鉄東西線の特定区間である三条京阪 - 御陵間との定期旅客運賃を改定。
- 11月:諸羽神社踏切、円光寺道踏切十禅寺道踏切に踏切障害物検知装置を設置。
- 2002年(平成14年)1月15日:京阪山科駅、四宮駅、上栄町駅の各上り線で係員配置時間帯のみ自動改札機の使用を開始。
- 2004年(平成16年)
- 1月24日:臨時貸切列車「おでんでんしゃ」として600形が京津線に入線。
- 6月1日:京阪大津線公式ウェブサイト「keihan-o2.com」開設。
- 2005年(平成17年)12月31日:この年の運転をもって「おおみそか延長運転」を休止。
- 2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」を導入。
- 2008年(平成20年)1月16日:京都市営地下鉄東西線の二条 - 太秦天神川間の延伸開業に伴い、同線への乗り入れ区間を太秦天神川まで延長。
- 2013年(平成25年)
- 2017年(平成29年)4月1日 石山坂本線を含む大津線系統全線で、JR西日本が発行するICカード「ICOCA」を媒体とした「ICOCA定期券」を発売[29][30]。
- 2018年(平成30年)
- 1月31日:スルッとKANSAI対応カードの利用を終了。
- 3月17日:浜大津駅をびわ湖浜大津駅に改称[31][9]。
駅一覧
現存区間
- 普通列車のみ運転、全列車各駅に停車。
- 京都市営地下鉄東西線については「京都市営地下鉄東西線」の項を参照。
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
T08 | 御陵駅 | - | 0.0 | 京都市営地下鉄:■ 東西線(太秦天神川駅まで直通運転) | 京都府 | 京都市山科区 |
OT31 | 京阪山科駅 | 1.5[32] | 1.5 | 西日本旅客鉄道:東海道本線(A 琵琶湖線)・B 湖西線(山科駅) 京都市営地下鉄:■ 東西線(山科駅:T07) | ||
OT32 | 四宮駅 | 0.6 | 2.1 | |||
OT33 | 追分駅 | 1.3 | 3.4 | 滋賀県 | 大津市 | |
OT34 | 大谷駅 | 1.6 | 5.0 | |||
OT35 | 上栄町駅 | 1.7 | 6.7 | |||
OT12 | びわ湖浜大津駅 | 0.8 | 7.5 | 京阪電気鉄道:OT ■ 石山坂本線 2018年3月に駅名を「浜大津駅」から変更。 |
現存区間の廃止駅
現存区間の過去の接続路線
廃止区間
- 取り消し線を引いた駅はこの区間の廃止前に廃止された駅。名称は廃止時点のもの。
- 現存区間の御陵 - びわ湖浜大津間は前節を参照。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|
京津三条駅 | - | 0.0 | 京阪電気鉄道:京阪本線・鴨東線 | 京都府京都市 | 東山区 |
東山三条駅 | 0.6 | 0.6 | 京都市電:東山線(1978年9月30日まで) | ||
1944年廃止 | |||||
1931年廃止 | |||||
蹴上駅 | 1.0 | 1.6 | 京都市電:蹴上線(1945年2月1日まで) | ||
九条山駅 | 0.9 | 2.5 | 山科区 | ||
日ノ岡駅 | 1.0 | 3.5 | |||
御陵駅 | 0.4 | 3.9 |
- 京都市電東山線とは一時期、東山三条駅で直接線路がつながっていたが、旅客列車の直通はなかった。
- 御陵駅は京都市営地下鉄東西線との共同駅として地下化。
- 東山三条駅と蹴上駅は、それぞれ現在の地下鉄東山駅、蹴上駅とほぼ同位置に設置されていた。
- 廃止された日ノ岡駅と御陵駅(地上)のほぼ中間に現在の御陵駅(地下)がある。
- 東山三条 - 日ノ岡間の各駅は無人で券売機も設置されていなかったため、これらの駅では乗車券を購入できず、車内で乗車券を購入するシステムとなっていた。
- 上記区間では廃止直前時点で普通列車と準急が運行されており、普通列車は終着駅の四宮駅まで各駅に停車し、準急は京津三条 - 御陵間の各駅を通過し御陵駅から終着駅の浜大津駅までの各駅に停車する運行形態を採っていた(「1997年10月11日までの運行形態」の項も参照)。これは、準急に充当される車両が路面区間の駅での乗降に必要なステップを装備していなかったためでもある。
京都市営地下鉄東西線の京阪京津線の代替駅
京津線 | 東西線 | 備考 |
---|---|---|
京津三条駅 | 三条京阪駅 | 地下鉄東西線の三条京阪駅は、京津電気軌道開業時の三条大橋駅があった三条通上の地下に開業。 |
東山三条駅 | 東山駅 | 現行とほぼ同じ位置で地下化 |
蹴上駅 | 蹴上駅 | 現行とほぼ同じ位置で地下化 |
九条山駅 | (完全廃止) | 代替駅設置を巡って(その他、諸々あるが)民事訴訟にまでに発展したが、原告側敗訴の上、代替駅も設置されず。 |
日ノ岡駅 | 御陵駅 | 御陵駅を日ノ岡 - 御陵間の中間地点、三条通上の地下に移設し、日ノ岡駅とを統合 |
御陵駅 |
※京都市営地下鉄東西線三条京阪 - 御陵間は京阪京津線の代替区間であり、この区間の鉄道施設は京都市・京阪電気鉄道・地元企業などが出資する第三セクター「京都高速鉄道」が建設・所有し、京都市交通局に貸与して経営を行わせていた。2009年4月からは、同区間は京都市交通局が保有し直営している。
京津三条 - 御陵間の廃止に関する出来事
浜大津駅は現在のびわ湖浜大津駅。当節では当時の駅名で解説。
さようならイベント
- 80形ギャラリー電車の運行
- 京津線の京津三条 - 御陵間の廃止と、鉄道の日(10月14日)に関連して、80形85-86号車の編成の車内に京津線電車の写真パネルが展示されたほか、車両の正面には、特製の副標識が取り付けられた。
- 260形の回送
- 最終営業日に同線で使用された260形261-262号車が四宮駅からの発車となるため、その前日の1997年10月10日に錦織車庫から四宮車庫へ回送された。
最終営業日
1997年10月11日
- 80形81-82号車の「さよなら」装飾編成は、四宮5時30分発浜大津行普通列車から運用が開始された。その後、京津三条22時06分発浜大津行最終普通列車(四宮 - 浜大津間延長運転)に充当される予定だったが、交通渋滞などの理由からダイヤが大幅に乱れたため、結局運転されず、三条・浜大津の行先掲示板を掲出したのは四宮駅5時30分発浜大津行の普通列車の折り返し列車の1本のみに終わった。
- 260形261-262号車の「さよなら」装飾編成は、四宮駅7時24分発浜大津行普通列車から運用が開始された。
- 80形83-84号車の廃車回送が行われ、錦織車庫に9時30分頃到着した。
- 浜大津10時5分発とその1時間後にもう1本800系が翌日の営業に備えて直流600Vの架線の下を四宮まで回送され、上栄町・追分付近では、京津線での600・700形との新旧擦れ違いが見ることができた。
- 石山坂本線内における朝のラッシュ時の運用を終え、昼間時は錦織車庫に入庫していた350形は、夕方のラッシュ時から再び同線内での運用に就いたが、この際に350形353-352号車には「ご苦労様でした350形」と書かれた副標識が取り付けられた。
- 京津三条?時?分発の準急浜大津行を最後に700形の京津線内での営業運転を終了。
- 20時以降、260形263-264号車と265-266号車が浜大津発四宮行準急として運転され、四宮車庫に入庫後、留置場所となる九条山へと回送された。
- 21時過ぎに260形267-280が京津三条 - 浜大津間の準急として1往復した後、浜大津発京阪山科行普通となり、京阪山科から九条山へと回送された。
- 21時以降、350形353-352号車と355-354号車が留置場所となる九条山へ回送列車として、京津線に入線。
- 260形261-262号車による京津三条22時14分発の浜大津行準急(ダイヤが大幅に乱れていたため実際はその数分後)を最後に、御陵府道東踏切付近での京都市営地下鉄東西線への線路切り替え工事のため京津三条 - 京阪山科間の営業運転が休止され、京阪山科 - 浜大津間で折り返し運転となった。折り返し運転には260形261-262号車と600形607-608が使用された。
- 臨時ダイヤによる京津三条 - 京阪山科間の京阪バスによるバス代行輸送と京阪山科 - 浜大津間の臨時列車による折り返し運転が実施され、600形と260形に「浜大津 京阪山科」の方向板を取り付けて運行。
- 京津三条22時06分発の普通四宮行を最後に80形の営業運転を廃止。この列車は80形81-82号車で運転される予定だったが、ダイヤが大幅に乱れたため、同形式の95-96号車が使用された。このままでは廃車車両の留置場所が変わってしまうため、同形式81-82号車は四宮 - 浜大津間を回送として運転された。なお、想定外の運転だったためか「回送」の行先板を付けずに運転された。
- 80形93-94号車が京津三条駅に回送運転され、京津三条 - 九条山付近(蹴上 - 日ノ岡間の専用軌道上)間の旅客営業を行わない事実上の最終列車となる。
1997年10月12日
- 京阪山科0時10分発の普通浜大津行を最後に600形の京津線内での営業運転を終了。
- 浜大津0時25分発の普通四宮行を最後に260形の京津線を含む大津線での営業運転を終了。
- 260形261-262号車が九条山付近(蹴上 - 日ノ岡間)の専用軌道上に回送運転され、九条山付近(蹴上 - 日ノ岡間の専用軌道上) - 御陵府道東踏切付近間の旅客営業を行わない事実上の最終列車となる。
その他
- 大谷 - 上栄町間にある逢坂山トンネルは、京阪の鉄軌道線では唯一の山岳トンネルとなっている(他に男山ケーブル線にトンネルが存在)。集電装置をポールからパンタグラフに変更するにあたって路盤を下げる工事が実施されたが、これは列車を運行しながら行われた。
- 大津線(京津線と石山坂本線)の各駅では京都市営地下鉄各駅への連絡運輸は普通乗車券・定期乗車券ともに実施しているが、京阪線(京阪電気鉄道の路線のうち、大津線を除く路線)への(通過)連絡運輸は定期乗車券しか実施していない。大津線各駅の運賃表に掲示されている「六地蔵駅」は京都市営地下鉄の駅であり、隣接する同名の京阪の駅ではない。運賃表にもその旨の注記がある。なお、京阪宇治線の乗り換え駅である地下鉄六地蔵駅でも大津線への連絡乗車券は購入可能である。2007年4月1日からのPiTaPa導入でこうした不便さは幾分緩和されている。
- 連絡乗車券での東西線東野以南と大津線との乗り換えは、御陵に限定されており、山科(京阪山科)乗換の乗車券は設定されていない。そのため、連絡普通乗車券では山科(京阪山科)の改札を出ることができない。また、大津線各駅から御陵乗り換え山科への連絡普通乗車券は発売されておらず、運賃表にも山科の運賃は掲示されていない。ただし運賃自体は乗り越し客などのために設定されており、大津線各駅からICカード乗車券(あるいは京津線各駅からはスルッとKANSAI対応カード)を利用し御陵乗換で地下鉄山科まで乗車した場合、御陵経由の正規の乗車運賃が自動的に引き落とされる。
- 過去には「びわこ号」や200系・260系などを使用した臨時特急も運転されていたこともあった。京津線内はノンストップであった。
- 京阪山科駅 - 四宮駅間で、旧三条通り(東海道)を回るより距離が100m短縮できることから、抜け道替わりに線路内を通行する歩行者がおり問題になっている。特に地下鉄東西線開通後は同区間の列車本数が1時間8往復から4往復に半減したことから列車と列車の間隔が長くなり、その間に通り抜ける線路内通行者が多数現れている。山科警察署は署員を巡回させ線路内通行者2名を検挙書類送検した[33]。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 京阪電車大津線公式webサイトkeihan-o2.com 上栄町駅 (Internet Archive)
- ↑ 京阪電気鉄道の路線のうち京津線・石山坂本線(大津線)・鋼索線以外の路線
- ↑ 1995年9月1日実施。『1995京阪時刻表』京阪電気鉄道 1995年7月
- ↑ 『JTBの運賃表』第17号 日本交通公社 1998年
- ↑ 京阪電気鉄道 公式サイト
- ↑ “赤字の大津線が廃止も 京阪社長、地元に協議要請”. 47NEWS (共同通信). (2003年12月20日) . 2011閲覧.
- ↑ “京阪大津線 分社化先送り 社員3分の1配転で収支改善”. Yahoo!ニュース (産経新聞). (2004年4月8日). オリジナルの2004年7月10日時点によるアーカイブ。
- ↑ “「大阪、京都、びわ湖を結ぶ京阪電車」のブランドイメージを統一 大津線車両のカラーデザインを変更します (PDF)”. 京阪電気鉄道 (2017年3月13日). 2017年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2018閲覧. (PDF)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 3月17日(土)より大津線4駅の駅名を変更します (PDF) - 京阪電気鉄道、2018年1月26日
- ↑ 長年にわたり三条大橋-古川町間が仮開業とされてきたが、公文書で本開業であることが証明された (出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103) 。
- ↑ 出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.29。
- ↑ 出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.30。
- ↑ 出典 : 中山(2017)「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、p.31。
- ↑ 京阪電気鉄道 会社案内 2007-2008 (pdf) pp. 3-4 による。
『関西電力二十五年史』関西電力 1978年 pp. 563-564 によると1926年7月 - ↑ 出典:『京都の治水と昭和大水害』(文理閣)156頁より
- ↑ 出典:『京阪百年のあゆみ』資料編214頁より
- ↑ 『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』(関西鉄道研究会)156頁掲載の1965年4月22日付けの片町駅に搬入時の写真より
- ↑ 出典:『鉄道ピクトリアル』1966年1月号(No.179)93頁
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 出典:『京阪百年のあゆみ』資料編230頁より
- ↑ 出典:「『関西の鉄道』別冊第1巻京阪電気鉄道 戦後分離後の歩みPart1」51頁より
- ↑ 出典:関西鉄道研究会「車両発達史シリーズ1『京阪電気鉄道』第5編「京阪電気鉄道の路線の変遷について」・180頁掲載の『1-8 追分付近の移設』より
- ↑ 外山勝彦「鉄道記録帳2002年11月」、『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年2月1日、 21頁。
- ↑ 京津線で脱線 大津、けが人なし - 京都新聞 2013年2月7日 23時50分。
- ↑ 京津線が運行再開 京阪脱線事故 - 京都新聞 2013年2月8日 14時00分。
- ↑ “地下鉄東西線の一部で運休続く 台風18号、大雨影響”. 京都新聞 (京都新聞社). (2013年9月17日). オリジナルの2013年9月17日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.
- ↑ 列車運行状況(京阪線) - 京阪電気鉄道、2013年9月17日閲覧。
- ↑ “名神の一部通行止め、京津線運行できず 台風18号、滋賀影響”. 京都新聞 (京都新聞社). (2013年9月17日). オリジナルの2013年9月17日時点によるアーカイブ。 . 2017閲覧.
- ↑ 【緊急情報】地下鉄東西線ダイヤの全面復旧について(9月30日始発から復旧予定)
- ↑ 大津線「ICOCA定期券」「ICOCA連絡定期券」の発売開始および接続駅の追加について (PDF) - 京阪電気鉄道、2017年2月3日
- ↑ 導入される予定の自動定期券発行機設置駅、および定期券情報のない「ICOCA」・「こどもICOCA」の発売の有無については不明。
- ↑ 大津線4駅の駅名を変更します (PDF) - 京阪電気鉄道、2017年2月13日
- ↑ 京津三条 - 御陵間廃止前の御陵 - 京阪山科間の営業キロは1.3km
- ↑ 出典・「山科新聞」2017年(平成29年)7月19日号・京都新聞山科販売センター編集局編集毎月第3日曜日発行
参考資料
- 京阪電気鉄道『京阪時刻表』第1987巻、1987年5月。京都地下線(七条 - 三条の地下駅)開業による改正号。
- 京阪電気鉄道『京阪時刻表』第9巻、1995年5月。京都市営地下鉄東西線開業による京津線部分廃止前の最終号、改定運賃掲載。
- 藤井信夫ほか 『京阪電気鉄道』 関西鉄道研究会〈車両発達史シリーズ1〉、1991。
- 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』9 関西2、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 中山嘉彦「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103、2017年。