交通科学博物館

提供: miniwiki
移動先:案内検索

交通科学博物館(こうつうかがくはくぶつかん、英語Modern Transportation Museum)は、かつて大阪府大阪市港区波除3丁目11番10号にあった交通科学に関する博物館である。

大阪環状線弁天町駅の高架下にあり、西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団が運営していた。

沿革

昭和30年代初頭、日本国内の交通関係の博物館は東京神田須田町にあった交通博物館が唯一のものであった。博物館を所有していた日本国有鉄道1957年ごろ、大阪地区に交通博物館の分館を設置することを検討したが、その後、交通博物館の分館としてではなく、交通博物館とはコンセプトの異なる現代・未来の交通に関する展示を中心とした博物館として、設置することになった。

大阪環状線全通記念事業として開館が具体化し、弁天町駅隣に「交通科学館」として設置されることになり、1961年10月14日鉄道記念日〈現・鉄道の日〉)の開館に向けて準備が進められた。しかし、同年9月の第2室戸台風により工事が遅れて開館は延期、翌1962年1月21日に開館した。当初は「科学館」の名称であったが、1964年3月に博物館法29条に定める「博物館相当施設」の指定を受けている[1]

上記のような経緯から、開館当初は鉄道に関する歴史的な展示は抑えられ、実物の鉄道車両の保存展示も蒸気機関車1両と客車3両のみであった。その後は鉄道車両の他に歴史的な展示物も順次追加されており、2006年に交通博物館が閉館した後は、後継となった鉄道博物館さいたま市)がその名のとおり鉄道分野に特化した展示構成となったことから、鉄道以外の交通分野に関する一部の収蔵品が当館に移動している。

開館当初の運営は国鉄から財団法人日本交通公社に委託されていたが、1970年に国鉄の外郭団体として発足した交通文化振興財団に変更された[2]国鉄分割民営化後、財団はJR西日本と東日本旅客鉄道(JR東日本)が共同で引き継いだが、交通博物館閉館後の2009年8月1日付で本部を当館内に移し、JR西日本が単独で管掌する関連組織として再出発した。

しかし、施設・設備の老朽化や手狭になったこともあり、2016年をめどに、京都市下京区にある梅小路蒸気機関車館を拡張する形で新たな鉄道博物館を建設し[3](2013年12月に「京都鉄道博物館」に名称決定[4])、2014年4月6日に交通科学博物館を閉館することになった。同館の収蔵資料は新博物館に移設する[5]が、閉館後の今後の利用法については、「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として施設の開発が進められる予定となっている。2015年になって、展示車両の一部(D51形蒸気機関車、DD13形ディーゼル機関車、DF50形ディーゼル機関車)については、京都鉄道博物館ではなく、岡山県津山市津山まなびの鉄道館(津山扇形機関車庫)に移設されることが発表された[6]

2008年度の入館者数は289,800人であった。

2011年5月に大阪ステーションシティがオープンしてからは、サウスゲートビル内に当館の案内所が設置されていた。閉館後の2014年7月19日から8月17日まで、同施設の夏季プロモーション「Fun Fan Festa 2014」で、旧蔵品の一部が展示公開された[7][8]

年表

展示

展示場は、屋内展示場、屋外展示場、第2展示場の3つであった。以下、閉館時点での展示構成を説明する。

屋内展示場の入口付近にはML-500形リニアモーターカーの実物が展示されていた。入口入ってすぐに鉄道省資料を基に昭和初期の駅を再現した「昔の」、車掌ロボット「ポッポ君」が映像で鉄道の歩みを紹介する「ポッポシアター」があり、次位に設置された「模型電車の運転」(信号に従って模型電車を運転する)は、休日には順番待ちの長蛇の列ができた。

奥には当館で人気の高い「模型鉄道パノラマ室」があった。新幹線電車や寝台列車などの80分の1スケール16番ゲージ鉄道模型車両が、巨大ジオラマの中を走行した。学芸員が集中制御板を操作し、解説を加えつつ手動で運転した[11]。職員3名が日替わりで運転したが、マニュアルはなく、運転列車や車両の登場順番、解説内容も様々であった[11]。閉館時の1日の運転回数は、平日3回、土日祝5回であった。

屋外展示場は実物車両展示が中心であった。7100形蒸気機関車「義経号」など9台の車両がある「プラットホーム・プラザ」は、2代目京都駅1番ホーム上屋のトラス構造を再利用した。

第2展示場は屋内展示場と専用通路で連絡する構造で、世界の鉄道を映像で紹介する「世界の車窓」、ディーゼル機関車、保線機器などが展示されていた。弁天町駅北口改札口と直結する北口ゲートもあった。開設当初は環状線電車の券売機で当館の入場券も購入でき、駅改札係のチェックで入場もできたが、のちに出口専用に変更された。

2007年3月20日には、一部展示室がリニューアルオープンした。列車運行と車両の仕組みをテーマとする第4室に縦8m・横7mの巨大ジオラマが設置され、700系ひかりレールスター」や223系電車などの模型(1/35)が配備された。模型の運転操作をしながら信号や自動列車停止装置(ATS)など鉄道の安全の仕組みを学べるようになっていた。運転台は実際に乗務員区所で使用されていた運転シミュレーターが活用された。模型の先頭には小型カメラが搭載され、映像を見ながらの運転が可能であった。ジオラマ中央に設けられたドームから模型が走行する様子を見ることができた。SL模型など従来の展示物も、展示台や解説パネルが一新された。

また、2009年3月には「船・航空機・自動車」展示エリアに展示品が増やされた。増えた展示品は、閉館した交通博物館で展示されていたもので、航空機エンジンハ45)」「JO-1」やベンツ1号車「ベンツ・モートルヴァーゲン」(複製)、「ミショー式自転車」「輪タク」などの自転車類、オートバイなどである。

図書室も設置されており、調査・研究目的であれば交通・運輸に関する図書・資料が閲覧できた。原則として土日祝のみ開室でコピー不可であったが、オンラインでの蔵書検索が可能となっていた。

主な展示物(閉館時)

ファイル:Bentencho2.jpg
展示物の一例 プラットホーム・プラザ(2005年5月撮影)
ファイル:Osaka Transportation Museum.jpg
プラットホーム・プラザ内部

「→」以下は閉館後の移設先。

鉄道車両

閉館以前に撤去された展示車両

自動車

航空機

その他

車両モックアップ(実物大のカットモデル)
  • 国鉄151系電車 クハ151形 - 「こだま」のヘッドサインを装着。開館から閉館まで存置したが、東海道新幹線開業後の時期にはヘッドサインを「つばめ」に差し替えの上、481系の塗装に変更された。一時期は「みどり」のヘッドサインも装着した[11]山陽新幹線全通で「つばめ」「みどり」が廃止された後には同じ塗装のままヘッドサインを「雷鳥」に変更していたが、のちに「こだま」の仕様に戻された。
  • 国鉄101系電車 クモハ100形 - 開館から閉館まで存置。車両の構造が透視できる形になっており、またパンタグラフの上下や扉の開閉操作を入場者が実演できた[11]
  • これらのほか、開館時に設置されたEF58形電気機関車[9]をはじめ、その後追加された新幹線0系電車(1964年設置[1])、20系客車(1967年設置[16])、581系電車(1968年設置[16])の実物大レプリカが存在していたが、中途の展示替えに伴い、閉館以前に撤去されている。
施設、機器等
  • 221系電車運転シミュレーター
    • 福知山線(JR宝塚線)尼崎 - 宝塚間を運転可能だったが、2005年のJR福知山線脱線事故以後休止していた。2007年3月20日のリニューアルから区間をJR東日本の中央線快速三鷹 - 西八王子間に変更して再開した。 → 京都鉄道博物館に移転後、客室部分を増設して車掌体験用設備として使用している。
  • 16番ゲージ鉄道模型パノラマ室
  • DMH17Bエンジン+TC-2液体変速機カットモデル
  • 踏切 - ボタンを押すと警報機が鳴り遮断機が作動する。
  • 各種鉄道信号機 - 3灯式信号機・5灯式信号機・中継信号機・回転形特殊信号発光機・入換信号機・進路予告機など。
  • 自動改札機 - 京橋駅で旧国鉄時代から使用していた筺体を展示していた。
  • 反転フラップ式案内表示機 - 綾部駅で国鉄時代から使用していた表示機を展示。操作卓で実際に触って操作体験ができた[11]。また、当初操作体験用として使用されていた東海道・山陽新幹線用の表示機(のぞみ登場以前のもの)は、綾部駅の表示機導入後、表示を固定した状態で展示されていた。
  • 車内補充券発行機
  • 関西地区鉄道各社の概要を紹介するコーナー(制帽と鉄道各社を代表する鉄道模型を展示していた)

展示物画像

交通手段

その他

脚注

  1. 1.0 1.1 『50年史』p.11
  2. 『50年史』、p.14
  3. 2016年(平成28年)春、京都・梅小路エリアに新たな鉄道博物館が開業します - JR西日本プレスリリース、2012年12月19日。
  4. 鉄道博物館の名称が決まりました - JR西日本プレスリリース、2013年12月18日。
  5. 52年分の感謝と共に、交通科学博物館の営業を終了します - JR西日本プレスリリース、2013年7月24日
  6. 津山扇形機関車庫リニューアルへ JR「子どもたちの教育施設に」 - 山陽新聞2015年2月27日
  7. 大阪ステーションシティ 夏季プロモーション「Fun Fan Festa 2014」の開催について - JR西日本プレスリリース、2014年6月25日。
  8. それ以前の閉館直前の数ヶ月後には、一般には見ることができなかった蔵出し品の展示が行われていた。
  9. 9.0 9.1 『50年史』p.9
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 『50年史』p.19
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 11.5 11.6 11.7 11.8 もっと知りたい!交通科学博物館”. 交通科学博物館. 2014年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014年07月20日閲覧.
  12. “JR7社14年のあゆみ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 9. (2001年4月2日) 
  13. SL義経号、17年ぶり復活 京都・梅小路蒸気機関車館 - 朝日新聞デジタル2015年10月11日
  14. 14.00 14.01 14.02 14.03 14.04 14.05 14.06 14.07 14.08 14.09 14.10 14.11 14.12 14.13 14.14 14.15 展示車両の紹介 (PDF) - 京都鉄道博物館
  15. 『50年史』p.11
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 『50年史』p.12
  17. 梅小路蒸気機関車館に移転したC53形の代替として設置された。
  18. 18.0 18.1 18.2 津山扇形機関車庫リニューアルへ JR「子どもたちの教育施設に」 - 山陽新聞2015年2月27日
  19. 19.0 19.1 19.2 19.3 19.4 19.5 『50年史』p.15
  20. 20.0 20.1 20.2 『50年史』p.16
  21. 晩年は食堂(車内で調理して提供)としての営業は土休日と学校の長期休み期間中のみとなっていた。
  22. 『50年史』p.17
  23. 「保存車両」関東エリア一覧 - 鉄道フォーラム
  24. 24.0 24.1 「サンフランシスコ市ケーブルカー」の利活用にかかるマーケット・サウンディング(市場調査)を実施します - 大阪市役所(2016年1月26日)
  25. 1962年設置と書いた文献も存在する[1]が、ここでは所有者である大阪市の記述を採用する。
  26. 名取紀之 (2013年7月31日). “交通科学博物館のサンフランシスコ・ケーブルカー。”. . 2016閲覧.
  27. すでに前記のスハシ38(スシ28)形が存在していたため、供食スペースの拡張という目的から厨房設備が撤去されてその跡に客席が増設された(『交通科学博物館50年史』p.12掲載の車内写真で確認できる)。
  28. 年鑑バスラマ 2016-2017 p.086-089 ぽると出版 2016年12月 ISBN 978-4-89980-516-8
  29. 京都鉄道博物館グランドオープン1周年記念イベント開催(3月18日から5月14日まで) - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2017年3月8日
  30. 柳谷政人 (2015年1月22日). “戦後初の本格国産機「KAL1」、帰郷 大阪から岐阜へ”. 朝日新聞(朝日新聞デジタル) (朝日新聞社). オリジナル2015年1月25日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150125053356/http://www.asahi.com/articles/ASH1F6X5HH1FPTIL02M.html . 2016年11月21日閲覧. 
  31. MBSのニュース番組『VOICE』のコーナーにて紹介された[2]
  32. 公式パンフレット29ページによる。

参考文献

  • 『交通科学博物館50年史』交通科学博物館、2013年(脚注では『50年史』と略記)
  • 鉄道ピクトリアル』電気車研究会、1962年3月号(通巻129号)吉川寛 開館した大阪交通科学館
  • 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会、2005年5月号(通巻761号)特集:食堂車

関連項目

外部リンク