二階俊博
二階 俊博(にかい としひろ、1939年2月17日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)。自由民主党幹事長(第48代)、志帥会会長(第5代)。
和歌山県議会議員(2期)、運輸政務次官(第2次海部内閣・細川内閣)、運輸大臣(第75代・第76代)、北海道開発庁長官(第69代・第70代)、保守党幹事長(第2代)、保守新党幹事長(初代)、自由民主党総務局長、経済産業大臣(第6代・第9代・第10代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)、自由民主党総務会長(第46代・第53代)、自由民主党選挙対策局長(初代)、国土強靭化総合調査会(現:国土強靭化対策本部[1])会長[2]などを歴任した。
Contents
来歴
生い立ち
1939年2月、和歌山県御坊市新町に生まれる[3]。父親の俊太郎は和歌山県議会議員だった[3]。父は仕事が忙しく、父と一緒に遊んだ経験がなかった[3]。母・菊枝は医師古久保良輔の娘で、当時まだ珍しかった女性医師だった。
稲原小学校に入学し、終戦後、御坊小学校に転入した[3]。御坊中学校に進学した二階はある時、外郭団体の主催する弁論大会のメンバーに選ばれ、部落差別問題を主題にした島崎藤村の社会小説『破戒』を引用し、人権問題について演説した[3]。和歌山県立日高高等学校を経て中央大学法学部政治学科に進学する。
政界入り
和歌山県議会議員
法学士号を取得して卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月13日に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。
衆議院議員
1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。以後、現在まで連続当選を続けている。
田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。
第39回衆議院議員総選挙が行われた直後の1990年2月、第2次海部内閣で運輸政務次官に就任。1992年の竹下派分裂時は小沢一郎に同調し、羽田派に参加する。
自民党離党後
運輸政務次官
1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党の運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。
小沢一郎の側近
細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」建設・運輸・国土政策担当などを務める。小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。1996年10月20日、第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。
1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。
運輸大臣
自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の小渕第2次改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣した。
保守党結成
2000年4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、野田毅や扇千景ら連立残留派とともに保守党を結成する。自公保連立政権に参加し、小渕内閣を引き継いだ第1次森内閣で運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。
同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。
2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。
自民党復党後
自民党総務局長
自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。
2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。
経済産業大臣
総選挙での功績を買われ、2005年10月に発足した第3次小泉改造内閣に経済産業大臣として入閣する。2006年9月、小泉の自民党総裁任期満了に伴い安倍晋三が総裁に就任し、民主党代表小沢一郎への対策として自民党国会対策委員長に任命された。
自民党総務会長
2007年8月、党三役の一角である自民党総務会長に就任。その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の政治資金収支報告書未記載問題が発覚する[4]。2007年9月14日、自民党幹事長麻生太郎の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、2007年自民党総裁選期間中の幹事長職務を一任された。9月24日、福田康夫が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。
2008年の福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。2008年9月24日に発足した麻生内閣でも経済産業大臣に再任されている。
自民党選挙対策局長
2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に出馬した際は、公明党の推薦も受けて9回目の当選を果たし[5]、同年10月には自民党幹事長の下に新設された自民党選挙対策局長に就任。自身が会長を務めていた二階グループは総選挙で二階本人を除く衆議院議員が全員落選し、参議院議員2名と合わせて総勢3名となったことから派閥の維持が困難となった。このため、11月5日に全員が志帥会(伊吹派)へ合流し、同日付で二階グループは解消された。
同年12月に西松建設事件で政策秘書が政治資金規正法違反で略式起訴となったことを受け、自民党選挙対策局長を辞任する。
志帥会会長
2012年12月、伊吹文明が衆議院議長への就任に伴い志帥会(伊吹派)会長を退任。後任として二階が同派会長に就任し、志帥会は伊吹派から二階派へと衣替えした。
2013年、第2次安倍政権下で衆議院予算委員長に就任。[6]
2014年9月、第2次安倍改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で党総務会長に再任される。党四役は派閥を離れるとの慣例により、二階は志帥会(二階派)会長の職を退任し、同派会長は空席とされた(同派の指揮は会長代行の河村建夫が務める)。
自民党幹事長
2016年8月3日の第3次安倍第2次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事で、自転車で転倒して入院した谷垣禎一の後任として自民党幹事長に就任した[7]。就任時の年齢は77歳と5ヶ月であり、歴代の自由民主党幹事長の中で最高齢の就任であった。
2017年8月3日の第3次安倍第3次改造内閣発足と同時に行われた党役員人事でも党幹事長に留任し、記者会見で「しっかりと党をまとめる努力をしたい」「みなさんから意見を頂戴しながら党運営をやっていく」と抱負を述べた[8]。
人物
- フリーアナウンサーのみのもんたと親交がある。二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも芸能関係者に交じり祝福のスピーチを行った。2007年12月8日には、二階を団長とする経団連などを中心とした訪中団にみのも招かれていた[9]。両者の関係は、東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が二階が秘書を務めていた東海地方選出国会議員の後援者だった縁によるもので、20年来の懇意な間柄であり、大下英治の著書『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』にもみのが推薦文を寄せている[10]。
- 好きな食べ物は餅である[11]。
- 韓国と中国によく親近感を表わす人物として韓国の記者にも知られている。2017年に韓国観光公社が最高級ホテルで平昌観光を促進のためにジャーナリストと旅行業関係者など約250人の日本人内で招待客の最高位であった。自民党の序列第2位の幹事長、日本全国旅行業協会会長としての挨拶した際には「(韓国人の)皆さんは、どんどん日本人が平昌オリンピック(のために韓国に)に来なければならないと言いますが、(日本人に)『謝罪せよ』という話をやめるのであれば行きます。日本人は最近、韓国旅行を恐れています。お金かけて、時間を費やして(韓国に)行くというのに『謝罪せよ』という言葉を聞かなければならない。それを(謝罪要求)しないという約束をしてくれるのであれば私も平昌訪問キャンペーンに率先して乗っていきましょう」と述べている[12]。
所属団体・議員連盟
- 日韓議員連盟(常任幹事)
- 北京オリンピックを支援する議員の会(副会長)
- 日中緑化推進議員連盟
- 日本ネパール友好議員連盟(会長)
- 日本トルコ友好議員連盟(会長)
- 小規模企業税制確立議員連盟
- 自転車活用推進議員連盟(会長代行)
- 自由民主党津波対策議員連盟(会長)
- 全国旅行業協会(会長)
- 日本モノレール協会(会長)
- 日本武術太極拳連盟(元会長)
- 全国土地改良事業団体連合会(会長)
政治活動
日中友好活動
江沢民碑建立計画
親中派の有力議員の一人であり、北京オリンピックを支援する議員の会にも所属した。
保守新党時代には、地元・和歌山県田辺市の新庄総合公園に江沢民が自筆で書いた「登高望遠睦隣友好」の文字と、自身も参加した2000年の日中文化観光交流使節団に対して江が発表した重要講話を刻んだ日中国交正常化30周年記念碑の建立を計画し、新東京国際空港や全国各地にも同様の石碑を建立する心算であったが、地元市議らの猛反対に遭ったため頓挫した[13]。
新幹線輸出
新幹線の中国への輸出に関し、訪中時に新幹線担当の国家発展計画委員会主任(大臣)曽培炎、さらに中国大使陳健に対し、「日本は中国から文化を教わり、その延長線上に今日の日本の繁栄がある。そのなかから、たまたま新幹線の技術を開発した」「この技術が中国の発展にもしお役にたつならば、どうぞ一つお使いください。積極的に協力します」と発言した。
東シナ海ガス田の試掘中止
東シナ海日中中間線でのガス田開発問題では、外務大臣麻生太郎が中華人民共和国によるガス田開発強行に断固対応する姿勢を示すと、この「日本の対応に“こそ”問題がある」「強硬に対応するなら勝手にやればいい」と述べた。当時の経済産業大臣中川昭一は帝国石油に東シナ海ガス田の試掘許可を下ろしたが、後任として二階が経済産業大臣になると試掘は中止された。
書画展
NPO法人日中国会議員書画展実行委員会が運営する日中国会議員書画展へ書画を提供している[14]。
新たな日中友好議連計画
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙後に、自民党元幹事長古賀誠、元内閣総理大臣森喜朗らとともに新たな日中友好議員連盟の結成を予定していると報じられた。
同年7月4日、中華人民共和国大使の王毅と大使公邸で懇談し、日中友好に関する協力を求めた。日中国交正常化35周年に合わせて日本と中華人民共和国が進める「2万人交流」プロジェクトが2007年秋にも達成されるのに合わせ、双方で記念式典を開催することで一致したとされる[15]。2007年10月12日、その行事記念として中国人民解放軍交響楽団の日本公演が行われた。
日本ボアオ会
2015年11月、ボアオ・アジア・フォーラムを支援する日中友好団体として「日本ボアオ会」を立ち上げ、自ら会長に就任、発起人には前経団連会長の御手洗冨士夫やタレントの高木美保らが名を連ねた[16]。
一帯一路
2017年5月、中国国家主席習近平の唱える一帯一路をテーマにした一帯一路国際協力サミットフォーラムへの出席のため、戦略的互恵関係を重視する旨が書かれた内閣総理大臣安倍晋三の親書を携え、代表団団長として、経団連会長榊原定征や経済産業副大臣松村祥史[17]、内閣総理大臣秘書官今井尚哉[18]らを引率して訪中し、「日本も積極的に協力をする決意をもってうかがってる[19]」「日本は一帯一路に最大限協力する[20]」と述べた。
また、同サミット直前に行われた北朝鮮のミサイル発射については「こういう日に北朝鮮の行為は許されるものではない。強く日本国としても自民党としても抗議する」「日中両国を含む北東アジア地域および国際社会の安全保障に対する明らかな挑発行為だ」「日本は中国と緊密に連携する」と述べた[21]。ただし、同サミットには北朝鮮の閣僚級も出席しており[22]、同サミットに代表団を派遣していたアメリカ合衆国政府からも中国に懸念は表明されていた[23]。同じく中国の主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)についても「参加をどれだけ早い段階で決断するかだ」と発言した[24]。
2017年8月に自民党・公明党と中国共産党の間で行われた第6回日中与党交流協議会では一帯一路への協力を具体的かつ積極的に検討するとする共同提言をまとめた[25]。
共創
2017年12月での第7回日中与党交流協議会への参加のための訪中で中国共産党中央党校で講演した際に、現代日中関係の基礎である戦略的互恵関係を共に未来を創る「共創」に格上げすることを提唱した[26]。また、「大国である中国と、それを追う日本が協力し、時に競争することも必要」とも述べてる[27]。
清華大学名誉教授
2017年12月、清華大学から名誉教授の称号を授与される[28]。
尖閣諸島
日韓友好活動
2015年2月、1400人の訪問団を率いて韓国入りし、慰安婦問題解決を迫る大統領朴槿恵に「積極的な努力」を約束した[30]。
過去の数々の韓国に対する功績に対して、韓国から最高位の国家勲章「金塔産業勲章」(1等級)を授与されている。日韓議員連盟常任幹事も務める。産経新聞前ソウル支局長の拘留問題(産経新聞韓国大統領名誉毀損問題)では、「われわれから新聞社の判断や韓国の司法がどうだとか、言うべきことではない」と発言している[31]。河野談話の見直しについては「軽々しく口にすべきではない」として否定的な立場を示しており、元衆議院議長河野洋平の国会招致についても反対している[32]。
「金忠善」碑の建立
故郷であり、自らの選挙区である和歌山県に金忠善の碑を建立している。金忠善は日本兵であったが、文禄・慶長の役の際に朝鮮側に寝返り、日本側と戦った人物である[33]。2015年に渡韓した際、ソウルで開かれた「韓日友好交流行事」でもモデルとして金忠善の例を挙げ、日韓友好を訴えた[33]。
日本における外国人参政権
2003年2月11日、青瓦台で大統領秘書室長朴智元と会談し、在日外国人に対する参政権について「実現に向け、引き続き努力する」と述べた[34]。
靖国神社問題
2003年2月11日、青瓦台で大統領秘書室長朴智元と会談し、自身が韓国の国立墓地「顕忠院」に参拝したことを紹介した上で、靖国神社に代わる新たな追悼施設について「必要性をあらためて認識した。実現のために努力したい」と述べた[34]。その一方で、4月22日には靖国神社に参拝している。
中韓への苦言
しかし一方では、「世界津波防災の日」の制定に反対する中国や韓国に対し、「日本が提案しているというだけで反対したがる特殊な国民性がある」と名指しで苦言を呈したこともある[35]。2017年6月10日には、木浦(モッポ)市であった韓国国会議員らとの会合であいさつし、日韓の関係改善を妨げる動きが両国にあるとの認識を示した上で、「一握りの悪巧みをする連中は撲滅をしていくように。韓国の中にも一握りだけでもいるかも知れないが、見つけたら撲滅して」と述べた[36]。
国対政治
「だんごの会」
自由党、保守党時代に国会対策委員長を務め、自由民主党でも国対委員長を務めた。1999年の通常国会では、自民党国対委員長の古賀誠、公明党国対委員長の草川昭三としばしば懇談し、3人は当時の流行歌『だんご3兄弟』をもじって「談合三兄弟」と呼ばれた[37]。二階はこれを逆手に取り、自由党国対副委員長だった西川太一郎主催の形で、だんごを食べながら国政を語る「だんごの会」を企画した。「だんごの会」は会期末間近の8月8日に開催され、「3兄弟」揃って参加することで結束をアピールした。自自公連立政権成立に3人は大きな役割を果たしたとされ、その後も固いパイプを誇った。このため二階は党内ハト派の重鎮である一方、調整や根回しに優れる数少ない親分肌の党人派という顔も持っている[38]。
郵政国会
馳浩によると、「その人脈と調整力と勝負カンの鋭さと気配りは、衆目の一致するところ」であるという[39]。同じく馳によると、2005年の郵政国会では、民主党の筆頭理事(=中井洽[40])の弱みを利用し、中井の顔を立てる形で採決に協力させた。
北朝鮮への非難決議
2006年10月9日に北朝鮮が核実験を行ったが、二階はあらかじめ6日に「週末に北朝鮮が核実験をもしも行ったら、世界で唯一の被爆国である日本は、強い抗議声明を国民総意として世界に発信しなければならない。そのためには、与野党の国会対策責任者がその準備をしておかねばならない。土日祝日だからといって危機管理の対応が疎かになってはならん。いざという時には休日であっても集まって、本会議を開く準備をしておこう!!」と各党の国対委員長のもとに出向き頭を下げて要請していた。その結果、翌10月10日に核実験への非難決議を全会一致で採択させることができたという[39]。
「人間的な信頼関係」
松浪健四郎によれば、日本共産党の議員とも「人間的な信頼関係で結ばれている」という[41]。
切り崩し工作
2008年8月28日、民主党議員らが改革クラブ(現:新党改革)を旗揚げしたが、以前より二階が切り崩し工作を行ったことが功を奏したとする報道もある[42]。
内政
経済
積極財政派と見られている[43]。ある政府関係者は、「二階氏はスピードとボリュームのある財政出動で、デフレ脱却を目指している」と評している[43]。2016年、安倍晋三首相は翌年4月に予定していた消費税率10%への引き上げの延期を表明したが、二階は早い段階から増税を延期するように首相に求めていた[43]。2017年8月に、当選2回の衆院議員29人による「日本の未来を考える勉強会」から消費増税凍結を求める提言書を渡された際は、二階は「どんどん発信してほしい」と歓迎した[44]。拙速な基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化には、「そもそもの財政規律目標である『債務残高の対国内総生産(GDP)比の改善』の障害だ」として反対の立場を取り、日本経済復活の会の会長小野盛司は「正論」と評価している[45]。
選択的夫婦別姓制度
選択的夫婦別姓制度導入の是非について、2014年の調査で「どちらとも言えない」と回答していた[46]が、2017年の調査ではどちらかと言えば賛成、としている[47]。
グリーンピア南紀
グリーンピア南紀(和歌山県)の跡地開発をめぐり、所有する那智勝浦町に中華人民共和国のリゾート会社「香港BOAO」を紹介したのは、地元政界に強い影響力を持つ二階だと報じられている。跡地は賃貸後の2015年に無料で業者へ譲渡されるという異例の契約となっており、地元で批判が高まっている。グリーンピア跡地の大半が公募で請負先を決めている中では異例だった。
その後、資金難を理由に開発計画を先延ばしをしようとしたペーパーカンパニーとも報じられた香港BOAOに対し、那智勝浦町議会は債務不履行を理由に契約解除を決めた。だが、違約金などで長引く可能性があり、そもそもこのような会社を紹介し、圧力をかけた二階に対する疑問の声は地元ですら多いという。香港BOAO側も那智勝浦町長も二階に紹介を受けたと証言しており、自分は関係ないとする二階の態度に疑問がもたれている[48]。
医師のモラル低下説
2008年9月22日晩から23日明け方にかけて東京都の妊婦の容体が急変し、受け入れ先が見つからなかった事件に関連して、経済産業大臣として、「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」という見解を表明した[49]。
原発の津波対策をめぐって
経済産業大臣在任中の2006年3月1日、第164回国会衆議院予算委員会第七分科会で吉井英勝(日本共産党)から福島第一原子力発電所など43基の原子力発電所における津波対策の不備を指摘され、冷却水喪失による炉心溶融の危険性を警告された[50]。この時、二階は吉井に対策を約束したが、原子力安全・保安院によれば2010年時点で改善はされていなかった[51]。
部落差別問題
部落差別の法規制を検討している[52]。2015年11月16日、東京平河町のホテルで「人権課題解決に向けた和歌山県集会」と銘打った「人権フォーラム」が開かれた[52]。約400人が参加した[52]。実行委員長として挨拶に立った二階は、法規制について「結婚、就職問題で現に苦しんでおられる人が存在するのであればもう済んだ、終わったとか無責任な言葉で解決できる問題ではないと思っている」と話した[52]。部落差別解消推進法の成立後、門博文衆院議員や自民党和歌山県議らを引き連れ、数十年にわたり親しくしてきた間柄であり長年にわたり同法の必要性を訴えてきた故・中澤敏浩部落解放同盟和歌山県連合会元執行委員長の自宅を訪れ、同氏の仏壇に手を合わせ同法の成立を報告した[53]。
日本体育大学大学名誉博士
2018年4月、日本体育大学から名誉博士の称号を授与される[54]。
献金問題
- 道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている[55]。
- 日本道路建設業協会(道建協)の会員企業である奥村組土木興業など3,4社から合計168万円の献金を受け取ったことが2004年-2006年の政治資金収支報告書からわかっている[56]。
- 自らが代表を務める「和歌山県第3選挙区支部」が、2004年から2007年にかけて、談合事件や耐震補強工事の設計ミスなどの問題を起こし営業停止もしくは指名停止処分を受けた3つの企業から、問題発覚後に、合計で253万円に亘る寄付を受けていたことが判明している[57]。
- 西松建設事件で準大手ゼネコンの西松建設から、同社のOBらを代表とした政治団体(「新政治問題研究会」「未来産業研究会」)を隠れ蓑に多額の政治献金を受けていた1人だったことが、2008年12月末に表面化した[58]。この疑惑に関連して西松建設関係者や民主党代表小沢一郎の公設第1秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された後、二階にも同様の行為をおこなっている疑いがかかり、東京地検特捜部が二階の関連政治団体を捜査する方針を固めたことが報じられた[59]。これに対し、二階は「調査を受けるいわれはない」「違法性はない」と反発している[60]。しかし、2009年6月の検察審査会で前西松建設社長が起訴相当、二階の政策秘書が不起訴不当となったことを受け、前西松建設社長が二階ルートでも起訴され有罪判決を受けた。政策秘書は再度不起訴となったが、西松建設の別ルートの資金提供問題に関して2009年12月に政策秘書が虚偽記載で略式起訴され、罰金100万円の判決が下された[61]。
家族・親族
- 二階家
和歌山県御坊市
- 祖父・二階儀三郎
- 父・二階俊太郎(政治家)
- 母・菊枝(医師)
- 明治32年生まれ[68][69]。和歌山県日高郡龍神村(現:田辺市龍神村殿原)出身[70][71]。実家の古久保家は十何代も続いた医師の家系[72]。医師である父親のあとを継ぐため、東京女子医学専門学校(現:東京女子医科大学)を卒業後、御坊市新町で医院を開業した[3]。
脚注
- ↑ “国土強靱化対策本部に格上げ 二階俊博幹事長が本部長就任 自民党人事 小泉進次郎農林部会長は続投”. 産経新聞. (2016年8月23日)
- ↑ “国土強靭化総合調査会設立趣意”. 自由民主党和歌山県支部連合会. (2013年10月21日)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 二階運輸大臣の半生 政治家というのは忙しい仕事なんだな、大下英治『小説 二階俊博』、二階事務所ホームページ。
- ↑ [1]
- ↑ 比例貢献が基準> 公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
- ↑ 安倍政権を牛耳る「二人の妖怪」~二階幹事長と菅官房長官の「力の源泉」を突き止めた週刊現代
- ↑ 二階自民幹事長「エネルギーあふれる党運営に努力」 就任会見(2016年8月3日、日本経済新聞)
- ↑ 二階氏「しっかり党まとめる」 自民幹事長留任(2017年8月3日、日本経済新聞)
- ↑ みのもんた 談合と政治家『週刊現代』2008年6月21日号
- ↑ 『週刊新潮』2009年3月26日号「続小沢ショック/二階ファン、信頼する友人と公言しちゃったみのと王」
- ↑ 【CafeSta】山本一太の直滑降ストリーム@Cafesta ゲスト:二階俊博 自民党総務会長(2016年6月24日)
- ↑ (오늘과 내일/서영아) 외교 의전은 ‘국내용’이 아니다[今日と明日]外交儀典は「国内」向けではない
- ↑ 「二階俊博の「江沢民碑 全国建立計画」白紙へ」国民新聞 平成15年3月
- ↑ 日中国会議員書画展 二階俊博 作品
- ↑ 『毎日新聞』2007年7月5日 東京朝刊
- ↑ “日中関係深める新組織「日本ボアオ会」発足”. テレ朝NEWS. (2015年11月13日) . 2017閲覧.
- ↑ “中国提唱「一帯一路」 きょうから初の国際会議”. NHK. (2017年5月14日) . 2017閲覧.
- ↑ “二階氏、16日に習主席と会談 首相親書渡す”. 日本経済新聞. (2017年5月13日) . 2017閲覧.
- ↑ “自民幹事長「一帯一路」積極的に関わる考え”. 読売テレビ. (2017年5月13日) . 2017閲覧.
- ↑ “日本のAIIB参加可能性、自民党の二階俊博幹事長が言及 「一帯一路」構想に「最大限の協力」”. 産経新聞. (2017年4月29日) . 2017閲覧.
- ↑ “»【北ミサイル】自民・二階幹事長「中国と緊密に連携」”. 産経ニュース. (2017年5月14日) . 2017閲覧.
- ↑ “»「一帯一路」出席の北朝鮮一行が北京到着、米が中国の招待に懸念”. TBS. (2017年5月13日) . 2017閲覧.
- ↑ “米国が中国に不満表明、「一帯一路」国際会議に北朝鮮招待―米メディア”. Record China. (2017年5月14日) . 2017閲覧.
- ↑ “安倍晋三首相 AIIB参加「疑問解消されれば前向きに考える」 米との連携強調”. 産経ニュース (産経新聞社). (2017年5月16日) . 2017閲覧.
- ↑ 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年8月10日). https://mainichi.jp/articles/20170810/k00/00m/010/023000c+. 2017閲覧.
- ↑ “互恵から共創へ 二階氏、新たな日中関係提唱”. 日本経済新聞. (2017年12月28日) . 2017閲覧.
- ↑ “「中国と協力、競争を」 二階氏、曽元副首相と会談”. 産経新聞. (2017年12月27日) . 2017閲覧.
- ↑ 二階氏が清華大訪問=名誉教授の称号時事ドットコムニュース
- ↑ 尖閣問題、棚上げを=「トップの度量だ」―自民・二階氏(2014年10月9日、時事通信)
- ↑ 1400人訪韓団率いた二階総務会長、慰安婦問題解決を迫る朴大統領に「積極的な努力」を約束・・韓国ネットは「この際、独島も」「ご存命中に強い圧力を加えて…」(2015年2月14日、FOCUS-ASIA.COM)
- ↑ 【本紙前ソウル支局長起訴】「大人の対応ができるように努力を」自民・二階総務会長(2014年10月9日、産経ニュース)
- ↑ 二階氏、河野談話見直し「軽々と発言すべきでない」 消費税引き上げ「約束通り」に 産経ニュース 2014年9月10日23:50
- ↑ 33.0 33.1 (朝鮮日報日本語版) 二階氏、「投降日本兵」沙也可を例に韓日友好訴える
- ↑ 34.0 34.1 靖国代替施設実現に努力 訪韓の与党幹事長が表明
- ↑ “「日本の提案に反対したがる中国と韓国」自民・二階氏”. 朝日新聞デジタル. (2015年10月27日)
- ↑ 訪韓中の二階氏「悪巧みする連中、見つけたら撲滅して」(2017年6月11日閲覧)[2]
- ↑ 「自自公「三兄弟」の活躍」(二階のサイトより)
- ↑ 安倍官邸が最も警戒する男・二階俊博〜官邸VS自民党
- ↑ 39.0 39.1 「『馳 浩の永田町通信』2006年12月号 「二階マジック」」
- ↑ 記事中では名指ししていないが、この時点で「民主党の筆頭理事」に該当するのは中井しかいない。
- ↑ 「健四郎代議士日記 擁立」
- ↑ 『産經新聞』 【民主から新党結成(5)】 自民党が切り崩し工作 2008.8.29 01:28
- ↑ 43.0 43.1 43.2 “アングル:二階幹事長で高まる積極財政への期待、ヘリマネの思惑再燃も”. ロイター (2016年8月3日). . 2018閲覧.
- ↑ “「消費税10%」で自民党内二分か GDP受け増税論台頭は確実 総裁選の焦点にも”. 産経新聞 (2017年8月15日). . 2018閲覧.
- ↑ “二階ペーパーは正論:「与謝野の方程式」を封印 経済諮問会議の迷い(No.173): 日本経済復活の会”. 日本経済復活の会 (2015年2月19日). . 2018閲覧.
- ↑ 2014年衆院選 朝日・東大谷口研究室共同調査
- ↑ 2017年衆院選、候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)
- ↑ 朝日新聞 2007年4月14日
- ↑ 2008年11月10日TBS系番組JNN中
- ↑ 第164回国会衆議院予算委員会第七分科会 平成十八年三月一日(水曜日)吉井委員の質疑
- ↑ 2010年3月1日(月)「しんぶん赤旗」チリ地震が警鐘 原発冷却水確保できぬ恐れ 対策求める地元住民
- ↑ 52.0 52.1 52.2 52.3 “毎日フォーラムファイル 人権 自民党が部落差別の法規制を検討 二階総務会長呼びかけ ネット上の侵害が急増”. 毎日新聞のニュース・情報サイト (毎日新聞社). (2016年1月15日) . 2016-5-10閲覧.
- ↑ 部落差別解消法成立 中澤さんに二階氏報告16年12月12日 18時58分
- ↑ 自民党の二階氏に名誉博士学位、高木美帆から花束nikkansports.com(2018年4月3日)
- ↑ 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書 2008年2月5日
- ↑ 自民“道路族”に献金 青木・古賀・二階氏に2375万円 道建協会員企業 しんぶん 赤旗2008年5月12日
- ↑ 二階経産相の支部も、談合企業などから253万寄付受ける 読売新聞 2008年10月5日
- ↑ 裏金疑惑の西松建設 関連政治団体政界に4億2000万円 森・二階・小沢氏ら しんぶん赤旗 2008年12月21日(2009年3月12日閲覧)
- ↑ 二階氏側も聴取へ 西松に838万パー券 東京地検特捜部、規正法違反容疑 MSN産経ニュース 2009年3月6日
- ↑ 西松献金事件で二階氏「調査を受けるいわれはない」 MSN産経ニュース 2009年3月6日
- ↑ 二階氏秘書を略式起訴、罰金命令 西松建設巡る献金偽装アサヒコム
- ↑ [3]
- ↑ 医聖 小山肆成の生誕の地 旧日置川町久木を訪ねて 2008年8月19日
- ↑ [4]
- ↑ 参議院議員 大江康弘 公式ウェブサイト - 政策・主張
- ↑ 高校時代、生徒会長
- ↑ [5]
- ↑ 二階菊枝さん葬送の記
- ↑ サンデー訪問記 女医 二階菊枝 女史
- ↑ 二階菊枝さん葬送の記
- ↑ 2001年のお墓参り
- ↑ サンデー訪問記 女医 二階菊枝 女史
関連項目
外部リンク
- 二階事務所ホームページ(公式サイト)
公職 | ||
---|---|---|
先代: 中川昭一 甘利明 |
経済産業大臣 第6代:2005年 - 2006年 第9・10代:2008年 - 2009年 |
次代: 甘利明 直嶋正行 |
先代: 川崎二郎 |
運輸大臣 第75代・76代:1999年 - 2000年 |
次代: 森田一 |
先代: 川崎二郎 |
北海道開発庁長官 第69代・70代:1999年 - 2000年 |
次代: 森田一 |
議会 | ||
先代: 山本有二 |
衆議院予算委員長 2013年 - 2014年 |
次代: 大島理森 |
先代: 市川雄一 |
衆議院建設委員長 1997年 - 1998年 |
次代: 遠藤乙彦 |
党職 | ||
先代: 谷垣禎一 |
自由民主党幹事長 第48代:2016年 - |
次代: 現職 |
先代: 丹羽雄哉 野田聖子 |
自由民主党総務会長 第46代:2007年 - 2008年 第53代:2014年 - 2016年 |
次代: 笹川堯 細田博之 |
先代: 細田博之 |
自由民主党国会対策委員長 第48代:2006年 - 2007年 |
次代: 大島理森 |
先代: 伊吹文明 |
志帥会会長 第5代:2012年 - 2014年 |
次代: 河村建夫(代行) |
先代: 結成 |
新しい波会長 初代:2003年 - 2009年 |
次代: 志帥会へ合流 |
先代: 結成 |
保守新党幹事長 初代:2002年 - 2003年 |
次代: 自由民主党へ合流 |
先代: 野田毅 |
保守党幹事長 第2代:2001年 - 2002年 |
次代: 保守新党へ |
先代: 岡島正之 |
保守党国会対策委員長 第2代:2001年 - 2002年 |
次代: 保守新党へ |
先代: 結成 |
自由党国会対策委員長 初代:1998年 - 1999年 |
次代: 中西啓介 |