二百円紙幣
二百円紙幣(にひゃくえんしへい)とは日本銀行兌換券の1つ。乙号券、丙号券、丁号券の3種類が存在するが現在はすべて失効している。
乙号券
- 日本銀行兌換券
- 額面 200円(貳百圓)
- 表面 彩紋
- 裏面 (印刷なし)
- 寸法 縦73mm、横123mm
- 発行開始日 1927年(昭和2年)4月25日
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
昭和金融恐慌において取り付け騒ぎが発生し紙幣が不足したことから、潤沢な現金の供給を行って混乱を沈静化させるために片面印刷の様式を急遽制定して製造された。造幣の速度を優先して裏面の印刷が省略されたことからも、その「急遽」さがうかがえる。裏面が白い事から「ウラシロ」とも呼ばれた。一部は預金者に支払われたが、片面印刷で作りも粗雑であったことから市中で使用しようとしたところ偽札扱いされた事例もある。騒ぎが収まるとすぐに回収された。日本史の資料集に写真が載せられていることがあり、取り付け騒ぎの行列を写した写真とともに恐慌の象徴という印象を与えている。現存数は非常に少なく十数枚程度と推定され、古銭市場では数百万円で取引されているようである。
丙号券
- 日本銀行兌換券
- 額面 200円(貳百圓)
- 表面 武内宿禰
- 裏面 彩紋
- 寸法 縦97mm、横188mm
- 発行開始日 1945年(昭和20年)8月16日(1927年5月10日付け大蔵省告示では同年5月12日と予告されていた)
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
昭和2年の昭和金融恐慌の混乱の中で増大する紙幣の需要を賄うために大蔵省告示で制定され、モラトリアム令の解除後の銀行預金払い出しに備えて急造された紙幣である。裏面に赤い文様が刷られた事から「ウラアカ」と呼ばれた。預金払い戻しに備えて銀行に届けられたものの預金者には渡らず、そのまま回収され将来のインフレに備えて日本銀行に死蔵された。終戦直後の1945年8月16日付けで発行されたが、新円切替に伴い発行から1年も経たず1946年3月2日限りで失効した。
丁号券
- 日本銀行兌換券
- 額面 200円(貳百圓)
- 表面 藤原鎌足と談山神社拝殿
- 裏面 談山神社十三重塔
- 寸法 縦97mm、横165mm
- 発行開始日 1945年(昭和20年)4月16日(1942年1月4日付け大蔵省告示では同年1月6日と予告されていた)
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
昭和17年の大蔵省告示で制定されたが、すぐには発行されず将来のインフレに備えて日本銀行に死蔵されていた。終戦を迎えた直後に実際に発行されたが、新円切替に伴い発行から1年も経たず1946年3月2日限りで失効した。丙号券および丁号券については、失効後も、証紙を貼り付けて臨時に新券の代わりとする「証紙貼付券」が発行され流通・通用したが、この「証紙貼付券」も1946年10月に失効した。