二木秀夫

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二木 秀夫(ふたつぎ ひでお、1930年昭和5年〉7月1日 - )は、山口県宇部市出身の教育者・元政治家学校法人宇部学園学園長[1]。元参議院議員、元科学技術政務次官、元山口県宇部市長

来歴・人物

1930年(昭和5年)7月1日山口県宇部市二木謙吾の次男として生まれる[2]山口県立宇部高等学校を経て山口大学工学部を卒業したのち、学校法人宇部学園で勤務[2][3]

1977年(昭和52年)、宇部曹達工業労働組合(現・セントラル硝子労働組合)等からなる「明日の宇部市をよくする会」や宇部市議会保守系議員団から宇部市長選挙への出馬要請を、また、新田圭二宇部市長(当時)からも後任指名を受け、二木は同年2月28日に同市長選挙への出馬を表明した[4]

同年4月29日に行われた宇部市長選挙には、二木のほかに日本社会党日本共産党革新系統一候補として藤井昇宇部市助役[5]が出馬したが、保守中道の勢力から支援を受けた二木が初当選した[6]。市長在職中には宇部市役所の機構改革等に取り組み[7]、以後3期連続当選したが、1987年(昭和62年)6月18日江島淳死去に伴う参議院議員補欠選挙出馬のため、3期目の任期途中で宇部市長を辞職。同年7月12日に行われた第14回参議院議員補欠選挙山口県選挙区自由民主党公認で出馬、初当選し[8]、以後2期連続当選[2]

参議院議員時代は清和会安倍晋太郎派)→政眞会加藤六月グループ)に所属し、国土審議会中国地方開発特別委員会特別委員、中小企業対策特別委員会委員長、科学技術政務次官第2次海部改造内閣宮澤内閣)等を歴任した[3]

なお、二木の後任宇部市長である中村勝人は、市長1期目の任期満了を前にした1991年(平成3年)1月29日、二木に市長就任を要請したとして辞意を表明したが、翌2月に二木が市長選出馬を断念したことでこれを撤回している[9]

1998年(平成10年)7月25日に参議院議員を引退。山口県選挙区の選挙地盤は第18回参議院議員通常選挙の際に合志栄一へ引き継がれたが、無所属の松岡満寿男が当選し、合志は落選した。

実績

選挙

主な役職

家族・親族

脚注

  1. 1.0 1.1 学校紹介-慶進中学校・高等学校”. 学校法人宇部学園. . 2017閲覧.
  2. 2.0 2.1 2.2 『二木謙吾伝』
  3. 3.0 3.1 『自由民主党山口県支部連合会35周年記念誌』
  4. “二木秀夫氏が市長選出馬を表明”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1977年2月28日) 
  5. “藤井昇助役も市長選へ”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1977年3月8日) 
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 “二木市長が誕生”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1977年4月29日) 
  7. 7.0 7.1 “宇部市役所が大幅な機構改革”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1978年1月11日) 
  8. “二木秀夫氏が参議院補欠選挙に当選”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1987年7月12日) 
  9. 『報道八十年』 p.265
  10. “常盤小開校”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1978年4月8日) 
  11. “待望の文化会館に着工”. 宇部時報 (宇部: 宇部時報社). (1978年6月30日) 

参考文献

  • 宇部市選挙管理委員会 『選挙の記録(昭和21年 - 昭和62年)』 宇部市選挙管理委員会。
  • 宇部市選挙管理委員会 『選挙の記録(昭和62年 - 平成16年)』 宇部市選挙管理委員会。
  • 自由民主党山口県支部連合会 『自由民主党山口県支部連合会35周年記念誌』 自由民主党山口県支部連合会、1990年。
  • 二木謙吾伝編纂委員会 『二木謙吾伝』 学校法人宇部学園、宇部、1984-12-22。
  • 宇部時報社 『報道八十年』 宇部時報社、宇部、1993年3月(日本語)。NCID BA62794971

関連項目


公職
先代:
新田圭二
25px 宇部市長
第18・19・20代:1977年 - 1987年
次代:
中村勝人
先代:
本村和喜
日本の旗 科学技術政務次官
1991年 - 1992年
次代:
渡海紀三朗
議会
先代:
新設
日本の旗 参議院中小企業対策特別委員会委員長
初代:1996年
次代:
大島慶久
その他の役職
先代:
二木謙吾
学校法人宇部学園理事長
第2代:1984年 - 2015年
次代:
二木寛夫

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