丸尾千年次

提供: miniwiki
移動先:案内検索

丸尾 千年次(まるお ちとじ、1917年10月22日 - 2000年5月14日)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)・プロ野球スカウト。

来歴・人物

熊本工業の選手として1936年の春の選抜に参加。熊本鉄道管理局を経て1936年、投手として阪急軍に入団。戦績は通算7勝9敗。戦後、プロ野球が復活した1945年11月職業野球東西対抗戦第2戦で登板し、西軍の勝利投手になった。

1946年に阪急のマネージャーとなる。スカウトとしても活動。梶本隆夫米田哲也山田久志福本豊高井保弘などの逸材を見いだし、阪急の黄金時代を支えた。

1973年に阪急がドラフトで1位指名した作新学院江川卓を担当。江川の実家がある栃木県小山市に元旦に訪ねたが、門前払いされて獲得を断念[1]1975年に阪急を退職した後はスポーツメーカー勤務[1]を経て、1978年から日本ハムファイターズに移籍。1989年まで在籍した[1]

2000年5月14日、心不全のため死去。享年82。

詳細情報

年度別投手成績

1936春夏 阪急 9 3 1 0 0 4 1 -- -- .800 207 42.0 42 0 31 -- 3 16 1 0 28 21 4.50 1.74
1936 1 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 22 4.0 5 0 5 -- 0 2 0 0 6 4 9.00 2.50
1937 4 1 1 0 0 0 1 -- -- .000 65 15.0 6 1 13 -- 1 7 1 0 7 4 2.40 1.27
1937 15 13 6 0 0 3 7 -- -- .300 417 96.2 72 5 56 -- 5 46 1 0 50 39 3.62 1.32
1943 2 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 27 6.0 3 0 6 -- 0 4 0 0 2 2 3.00 1.50
通算:3年 31 19 8 0 0 7 9 -- -- .438 738 163.2 128 6 111 -- 9 75 3 0 93 70 3.84 1.46

背番号

  • 19 (1936年 - 1937年)
  • 27 (1943年)

脚注

関連項目