上磯郡
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上磯郡(かみいそぐん)は、北海道(渡島国)渡島総合振興局の郡。
人口8,633人、面積418.62km²、人口密度20.6人/km²。(2018年3月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
Contents
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、木古内町および北斗市の一部(追分、久根別、中野通、清川、野崎、戸切地以南)を加えた区域にあたる。知内町は明治14年(1881年)に福島郡から編入された区域である。
歴史
郡発足までの沿革
室町時代までに道南十二館のうち中野館・茂別館が築かれていた。茂別館は応仁の乱のちょうど10年前の1457年(康正3年、長禄元年)に起きたコシャマインの戦いの際も、落城しなかった館のひとつである。七重浜では松前藩祖・武田信広公がコシャマイン親子を討取り、その後戦いは散発したものの蜂起は平定された。
江戸時代の上磯郡域は和人地となっていた。陸上交通は、津軽郡の松前と亀田郡の箱館を結ぶ奥州街道(松前道)が東西に走り、木古内から檜山郡の上ノ国までは木古内山道が通じていた。寛永18年には木古内村に真宗大谷派函館別院の前身の阿弥陀堂が建立されたが、これは宝永7年亀田郡の箱館(函館)に移転している。
上磯郡は当初松前藩領とされていたが、江戸時代後期の文化4年、上磯郡域を含む渡島国域が天領とされた。文政4年いったん松前藩領となり、安政元年には野崎に戸切地陣屋が築かれたが、安政2年、上磯郡域は再び天領とされ松前藩が警固を行った。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して上磯郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、渡島国および上磯郡が設置される。開拓使が管轄。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての上磯郡が発足。
- 明治13年(1880年)1月 - 亀田上磯郡役所の管轄となる。
- 明治14年(1881年) - 福島郡知内村・小谷石村(福島村より分村)の所属郡が本郡に変更。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により函館県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)
- 明治21年(1888年)3月 - 亀田郡外三郡役所(亀田上磯茅部山越郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、亀田支庁の管轄となる。
- 明治32年(1899年)10月1日 - 亀田支庁が移転・改称して函館支庁となる。
- 明治33年(1900年)7月1日 - 北海道一級町村制の施行により、上磯村、清川村、中野村、谷好村、富川村の区域をもって上磯村(一級村)が発足。(1村)
- 明治35年(1902年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、木古内村、札苅村、泉沢村、釜谷村の区域をもって木古内村(二級村)が発足。(2村)
- 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制施行により、以下の町村が発足。(4村)
- 大正7年(1918年)1月1日 - 上磯村が町制施行して上磯町(一級町)となる。(1町3村)
- 大正8年(1919年)4月1日 - 木古内村が北海道一級町村制を施行。
- 大正11年(1922年)8月17日 - 函館支庁が改称して渡島支庁となる。
- 昭和17年(1942年)10月1日 - 木古内村が町制施行して木古内町(一級町)となる。(2町2村)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道渡島支庁の管轄となる。
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 茂別村が上磯町に編入。(2町1村)
- 昭和42年(1967年)10月1日 - 知内村が町制施行して知内町となる。(3町)
- 平成18年(2006年)2月1日 - 上磯町が亀田郡大野町と合併して北斗市が発足し、郡より離脱。(2町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 渡島支庁が廃止され、渡島総合振興局の管轄となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 1 北海道