上九一色村

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かみくいしきむら
上九一色村
廃止日 2006年3月1日
廃止理由 分割・編入合併
上九一色村(北部…古関・梯)、中道町甲府市
上九一色村(南部…精進・本栖・富士ヶ嶺)→富士河口湖町
現在の自治体 甲府市富士河口湖町
廃止時点のデータ
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
西八代郡
団体コード 19341-1
面積 86.59km2
総人口 1,501
(2006年2月1日)
隣接自治体 市川三郷町東八代郡中道町芦川村
南都留郡富士河口湖町鳴沢村
南巨摩郡身延町静岡県富士宮市
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上九一色村(かみくいしきむら)は、山梨県西八代郡にあった2006年平成18年)3月1日、北部の古関・梯地区が甲府市へ、南部の精進・本栖・富士ヶ嶺地区が南都留郡富士河口湖町にそれぞれ編入されるという、全国でも珍しい市町村合併を行った。後述のオウム真理教事件によって広く知られた村だった。

地理

歴史

交通

オウム真理教事件とその後

1989年から村に進出したオウム真理教は、開拓民が手放した元国有地富士ヶ嶺地区の各所にサティアンと呼ばれる多数の出家信者を収容する施設を建設し、サリン製造などオウム真理教事件を起こした犯罪の拠点となった。さらに村民の住宅からオウムが仕掛けたと思われる盗聴器が多数発見された[2]

1995年3月20日東京都営団地下鉄(現東京メトロ)の通勤電車を対象にした地下鉄サリン事件が発生し、その2日後、サティアンに警視庁強制捜査が行なわれ、同年5月16日に開祖である麻原彰晃逮捕されるに至り、サティアンはことごとく取り壊され、翌1996年10月31日限りで最後まで村に残っていた信者らが教団の破産管財人の退去勧告に基づき教団が決めた退去期限を迎えると共に退去、7年ぶりに教団の撤退が実現した(捜査対象として残っていた第7サティアンサリンプラントを除く)[3]

この大捜査では、数百名に及ぶ警察官迷彩服自衛隊から貸し出しを受けた化学防護衣)着用の警視庁・山梨県警捜査員)が動員され、多くのマスコミ取材班も現地に派遣された。サリン等の毒ガスの使用も懸念されたため、陸上自衛隊の化学部隊も出動し、村は一時期混乱状態に陥った。連日に及ぶ報道の結果、「オウムの村」として知名度は一挙に全国区レベルになった。

その後、村のイメージ回復のため、1997年テーマパーク富士ガリバー王国」を誘致して運営していたが、経営難により2001年に閉鎖された。

分割と編入の経緯

※ 関連記事「日本の市町村の廃置分合#合併と分割の両用」も参照すること。

上九一色村は西八代郡に属していたが、行政のつながりでは富士河口湖町富士吉田市などとともに富士五湖広域行政事務組合(事務局 富士吉田市下吉田六丁目)の構成村として富士北麓地域に多くを委託していた。電話の市外局番も吉田MAに属する0555区域となっている。その村域は御坂山地を境に二分され、南側の高原地帯には精進本栖富士ヶ嶺の各地区が、北側の山峡には古関の両地区があった。

南北は国道358号で結ばれ、村役場は古関地区に置かれていたが、南北を結ぶバス路線はなく、住民の生活圏も、北部は甲府市中道町市川三郷町などとの、南部は富士北麓地域との結び付きが強かった。

官署の管轄も北部と南部では違い、例えば警察署は北部が市川署(市川三郷町)、南部が富士吉田署の管轄で、また保健所は北部が甲府保健所、南部が吉田保健所(富士吉田市)の管轄下にあった。更に、南部には精進湖本栖湖があることから、観光面でも富士河口湖町などと一体化していた。

こうした生活圏の違いを背景に、住民アンケートに基づいて北部は甲府市、中道町芦川村との合併を、南部は河口湖町勝山村足和田村との合併を目指すことになり、2002年にそれぞれ法定合併協議会を設置した。

南部については、協議過程で上九一色村と河口湖町、勝山村、足和田村との間で意見がまとまらなかったため、3町村が2003年11月15日に合併して富士河口湖町となり、北部の甲府市などとの合併時に南部を分離して富士河口湖町に編入する方針となった。

だが、甲府市などの法定合併協議会では中道町が住民投票の結果を受けて離脱し、芦川村も同調して合併協議は崩壊した。さらに南部でも「富士河口湖町」の名称決定に不満を持つ住民による、合併の見直しを求める請願があり、これが議会で採択された後、村議会で全域での甲府市との飛地合併が検討されるようになった。

全村での甲府市との合併は、南部の住民の間で反対が根強く、2004年6月10日に集計された住民アンケートでは「甲府市との合併」が、「分割して、北部は甲府市と合併、南部は富士河口湖町と合併」を上回ったが、僅差であったために甲府市長は慎重な姿勢をとり、2004年11月28日に「甲府市との全域合併の是非」を問う住民投票を行った結果、反対多数となり、全域合併を断念した。

その後、南部については、村議会は鳴沢村との合併を打診したが、同村が合併しない方針を取り続けたために断念し、富士河口湖町との合併協議を再開することとなり、2005年1月4日に上九一色村長が富士河口湖町に合併協議の再開を申し入れて、2005年1月31日に富士河口湖町との法定協議会を設置した。

一方で、北部については甲府市との合併を引き続き検討したが、甲府市との合併協議からの離脱後、笛吹市との合併を検討していた中道町が住民アンケートの結果(「甲府市と合併特例法期限内に合併」が過半数)を受け、上九一色村北部とともに甲府市との合併を再協議することとなり、2005年2月2日に、甲府市・中道町・上九一色村北部で法定協議会を設置した。

両協議会ともに、合併期日を2006年3月1日とすることで合意し、細部の協議項目については過去の協議実績があったため、順調に協議が進み、2005年2月28日には甲府市・中道町・上九一色村北部、3月3日には富士河口湖町と上九一色村南部の合併協定調印式が行われた。双方の合併関連議案が3月16日までに関係各市町村議会で、7月6日には山梨県議会で可決され、7月29日に総務大臣が官報に告示したことにより、「平成の大合併」においては他に例を見ない「分合両用」による市町村分割が、正式に決定された。

双方とも、合併後の町字名に旧町村名は使わないこととなった。これにより、オウム真理教の事件により知れ渡った村の名前も、2006年2月限りで消えることとなった。

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関連項目

脚注

  1. 九一色郷
  2. 江川紹子『「オウム真理教」追跡2200日』 1995年
  3. 中日新聞1996年11月1日朝刊 第二社会面 38頁「オウム『上九』から撤退 『やっと静かな村に』 信者はギリギリまで淡々と座禅」

外部リンク