三重県立美術館
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三重県立美術館(みえけんりつびじゅつかん、英語: Mie Prefectural Art Museum)は三重県津市にある美術館である。1982年(昭和57年)に中部・東海地区初の本格的な美術館として開館した[1]。2003年(平成13年)には柳原義達記念館が開館した。日本の近代洋画のコレクションが充実している。
歴史
1982年に開館[1]。初代館長は、美術史家で後に横浜美術館の館長を務めた陰里鐵郎[2]。開館当初は半年間で想定より多い約23万人が来館したが、以降の入館者数は年間12万人で安定している[3]。
建物は富家建築事務所の設計、大成建設の施工による[4]。1998年(平成10年)に公共建築百選に選定された[5]。
沿革
県立の美術館設置構想は1972年(昭和47年)に「県立美術博物館」の名で文化審議会が答申を出して始まった[6]。その後、基金の創設・美術館建設準備室の設置等を行い、1982年(昭和57年)4月に三重県立美術館が発足した[6]。実際に開館したのは同年の9月25日である[1]。
2005年(平成17年)には三重県出身の画家・和田義彦の作品展を開催したが、後に和田の作品がイタリア人の画家・アルベルト・スギの作品の盗作ではないか、との疑惑が浮上し、翌2006年(平成18年)6月5日に館長名義で「お詫び」を出した[7]。なお、和田義彦展は三重県立美術館で開催後、渋谷区立松濤美術館と茨城県つくば美術館でも開かれ、この3館の編集により図録の制作も成されていた[8]。
主な収蔵品
日本画
- 曾我蕭白 「旧永島家襖絵」全44面 18世紀中期
- 竹内栖鳳 「虎・獅子図」1901
- 菱田春草 「薊に鳩図」1901
- 小林古径 「麦秋」1915
- 中村岳陵 「都会女性職譜」1933
- 宇田荻邨 「祇園の雨」1953
- 横山操 「瀟湘八景」1963
日本洋画
- 岩橋教章 「鴨の静物」(水彩)1875
- 長原孝太郎 「牛肉屋の二階」(水彩)1892
- 村山槐多 「自画像」1916
- 萬鉄五郎 「木の間よりの風景」1918
- 岸田劉生 「麦二三寸」1920
- 小出楢重 「パリ・ソンムラールの宿」1922
- 中村彝 「髑髏のある静物」1923
- 藤田嗣治 「猫のいる自画像」1927
- 佐伯祐三 「サンタンヌ教会」1928
- 藤島武二 「大王岬に打ち寄せる怒涛」1932
- 梅原龍三郎 「山荘夏日」1933
- 松本竣介 「駅の裏」1942
- 元永定正 「赤と黄色と」1966
- 諏訪直樹 「波濤図 No.1」1980
西洋絵画・版画
- バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 「アレクサンドリアの聖カタリナ」1645-50頃
- フランシスコ・デ・ゴヤ 「アルベルト・フォラステールの肖像」1804頃
- ウィリアム・ブレイク 「ヨブ記」(版画)1825
- クロード・モネ 「橋から見たアルジャントゥイユの泊地」 1874
- ピエール=オーギュスト・ルノワール 「青い服を着た若い女」1876頃
- パブロ・ピカソ 「ロマの女」1900
- サルバドール・ダリ 「パッラーディオのタリア柱廊」1937
- マルク・シャガール 「枝」1956-62
- ベン・ニコルソン 「パロスの木」1968
彫刻
交通
JR紀勢本線・近鉄名古屋線・伊勢鉄道伊勢線津駅西口(近鉄側)より
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 廣済堂"美術史家の陰里鐵郎さん死去、横浜美術館長などを歴任"ミュージアム・カフェ.2010年8月25日.(2011年4月22日閲覧。)
- ↑ 橘重蔵"三重県立美術館/ひる・とおく"(2011年4月23日閲覧。)
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「ar852
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 三重県観光連盟"選ばれし三重|建築物(道・建築物):観光三重"(2011年4月23日閲覧。)
- ↑ 6.0 6.1 三重県立美術館(1985)"三重県立美術館/年報1982+1983 沿革"(2011年4月23日閲覧。)
- ↑ 三重県立美術館"三重県立美術館/お詫び 和田義彦展について"
- ↑ "三重県立美術館/和田義彦展 図録"(2011年4月23日閲覧。)