三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう[1][2]、さんかくぶちしんじゅうきょう[3])は、銅鏡の形式の一種で、縁部の断面形状が三角形状となった大型神獣鏡。
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概要
日本の古墳時代前期の古墳から多く発掘され、既に540面以上も発掘されている。面径は平均20センチ程度。鏡背に神獣(神像と霊獣)が鋳出され、中国、魏の年号を銘文中に含むものは2点発掘されている。
縁が三角になっている理由としては、ほとんどが凸面鏡であるため三角縁にすると構造上作りやすいから、あるいは、神聖な場所を囲む瑞垣をまねた等の説がある。中国で三角縁の銅鏡は2世紀 - 3世紀の時代に、紹興近辺でしか出土しておらず、三角縁神獣鏡の出土はない。
三角縁神獣鏡があらわれる前の3世紀前葉には、神獣鏡類の画文帯神獣鏡と呼ばれる中国鏡が畿内を中心に出土しており、三角縁神獣鏡の画像は、画文帯神獣鏡の画像を巧妙に変更して国内で量産したものであるという説がある。
近年の研究
分類と生産地に関する研究
近年の研究で、鏡の断面が時代とともに変化していることがわかってきた。古い鏡は、外区が厚く、それに対して内区が薄いが、時代の経過とともに外区が薄くなり、内区との差がなくなり、終いには内区と外区の厚さが同じになってしまっている。これらの変化と文様やその配置などを勘案した5段階の型式編年ができあがっている。第1段階は景初3年(239年)・正始元年(240年)前後と推定できるから、一つの段階を約10年あまりと考えて、第2段階は250年前後、第3段階は260年前後、あとの段階も同様に考える。 この型式編年を利用して、出現期古墳はどの段階の鏡を持つかで古墳が年代的に古いかどうかが判断できるようになった。ただ、鏡の生産地については難しい議論が進行中である。
従来、文様の違いから舶載鏡(中国製)・仿製鏡(国産)に分類されていたが、2015年に鏡の精密3次元形状計測によって舶載鏡1枚・仿製鏡3枚が実際には同鋳型であることから、すべてが仿製鏡の可能性が高くなった[4]。
2016年には、小田中親王塚古墳(石川県鹿島郡中能登町)の出土鏡が「中国製」とされていた鏡と「国産」鏡の中間の過渡的な特徴を有するとして、両形式が一連の変遷上にある可能性が指摘されている[5]。
鏡の魔鏡現象
2014年1月29日、3Dプリンターを使用して、東之宮古墳から出土した三角縁神獣鏡の複製品を作成して実験したところ、鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる魔鏡の現象が確認できたと、京都国立博物館が発表した[6]。なお、実物は錆などのため、光は反射できない[7]。
卑弥呼の鏡説
邪馬台国の女王、卑弥呼は魏に遣使していたとされ、中国の歴史書『三国志』「魏志倭人伝」には239年(景初3年)魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述があることから、三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説がある。しかし、中国からは1枚も出土せず国内で既に540面以上も見つかっていることから、魏から下賜されたものではなく国内で創作され大量に複製されたものと考えられている。もし、魏から下賜されたとすれば年代的には平原遺跡から多数出土している方格規矩四神鏡もしくは画文帯神獣鏡に類似したものであろうと言われている。
1953年(昭和28年)、京都府相楽郡高麗村(現・木津川市)の椿井大塚山古墳から神獣鏡が出土すると、小林行雄は同型の鏡が日本各地の古墳から出土している事実に着目し、ヤマト王権が卑弥呼に下賜された神獣鏡を各地の豪族に与えたとする古代政権成立過程を提唱したが、黒塚古墳だけで33面出土するなど、国内で大量に複製品が作られた三角縁神獣鏡はそれほど珍しくないものであったと考えられる。
日本製鏡説等
従来、三角縁神獣鏡と同じようなものは中国では出土しておらず、中国で既に改元された年号や実在しない年号の銘が入ったものもあることから、日本製あるいは中国から渡来した工人の製であるとする説、また中国製で船で日本に運ばれた舶載鏡とする説、日本で中国の鏡を真似て作った倣製鏡説などがある。
一方で2015年(平成27年)には中国の骨董市で三角縁神獣鏡が発見されたという報告がなされたが、その出自は不明である[8]。その西川寿勝の調査により、少なくともこの鏡は贋作ではないとされるが、これ以外に中国で三角縁神獣鏡は1面も見つかっていない[9]。
三角縁神獣鏡に関する議論
三角縁神獣鏡が畿内を中心に出土することから、卑弥呼の鏡説をとるのは邪馬台国=畿内説をとる研究者に多かった。彼らの中には、三角縁神獣鏡を、卑弥呼の遣使を記念して呉の工人などに日本で作らせたものだと主張するが、邪馬台国=九州説を主張する研究者は、三角縁神獣鏡全体が魏の年号が記されてはいるが後世の偽作物であるとしている。その根拠として次のような疑問点が指摘されている。
- 疑問点
- 三角縁神獣鏡は4世紀以降の古墳から既に540面以上見つかっているのに、邪馬台国の時代である3世紀の墳墓からは1面も出土しておらず、年代が合わない。
- 三角縁神獣鏡は中国国内では1面も出土しておらず、中国の鏡ではないと中国の学者が述べている。
- 改元されて実在しない中国の年号の銘が入った鏡がある。
- 卑弥呼に下賜された銅鏡は100枚だが、それをはるかに超える数の三角縁神獣鏡が出土している。
- 反論
- 景初3年は、景初4年正月となるべき月を後十二月とした年であり、年号はその混乱を示すものである。
- 三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀以降の古墳のみだというが、近年の年輪年代学により古墳時代の開始は3世紀に繰り上がるという説もある、とする。
疑問側からの意見として、三角縁神獣鏡における銘文は韻が踏まれていない、というものがある。漢代を代表する方格規矩四神鏡の銘文ではキッチリと押韻がなされているが、これより後代の三角縁神獣鏡の銘文では韻が踏まれておらず、中国で鋳造されたとは考えにくい、とするものである。
また、反論側に連なる意見として、「景初は本来4年まで存在したが、魏晋革命に関連して紀年が書き改められ、本来の景初4年は正史では景初3年として記録されるに至った」とする説もある[10]。
また、景初3年1月1日に明帝が崩御しているため、その翌年が改元せずそのまま景初4年となることはありえないという意見もあるが、景初4年が存在しなければ先帝の命日に正月の祝賀行事を行うことになり、不孝となる。魏朝が景初3年12月の翌月を閏の「後12月」としたのも、新帝の正月と先帝の一周忌を一か月ずらすために景初3年に後12月を制定せざるを得なかった、という経緯がある。
2015年(平成27年)には上述のように中国で三角縁神獣鏡が発見されとする説があり、これが中国出土鏡か否かが注目されているが[8]、これ以外中国ではこの鏡がまったくみつかっていない。また、わが国の古墳から520面以上出土していており、椿井大塚山古墳からは36面以上、黒塚古墳からは33面出土した例もあることから、この鏡は魏から卑弥呼に下賜されたものではなく、日本で創作され大量に製造されたものである説が有力である。
紀年銘をもつ三角縁神獣鏡
三角縁神獣鏡のうち、銘文中に魏の年号が記された鏡が4面ある。島根県雲南市加茂町大字神原・神原神社古墳出土の「景初三年」鏡、群馬県高崎市柴崎町蟹沢・蟹沢古墳、兵庫県豊岡市森尾字市尾・森尾古墳、山口県周南市竹島御家老屋敷古墳の3古墳から出土した同型の「正始元年」鏡3面である。これらの鏡4面は、すべて文様の神像と獣形像が同じ方向に並ぶ同向式である。
- 「景初三年」鏡
- 景初三年陳是作鏡自有経述本是京師杜□□出吏人□□□(位)□(至)三公母人?之保子宜孫寿如金石
- 「正始元年」鏡
- □始元年陳是作鏡自有経述本自州師杜地命出寿如金石保子宜孫
三角縁神獣鏡出土の古墳
東北地方
関東地方
- 前橋天神山古墳(群馬県前橋市、全長126メートル、4世紀後半の前方後円墳、三角縁四神四獣鏡2面)
- 蟹沢古墳(群馬県高崎市、正始元年(240年)銘鏡が出土した前方後円墳)
- 手古塚古墳(千葉県木更津市、仿製鏡、同じ鋳型で造られた同笵鏡は奈良県の河合古墳、島根県造山古墳から出土。)
- 真土大塚山古墳(神奈川県平塚市西真土)
- 白山古墳(神奈川県川崎市幸区、前期で4世紀後半、全長87メートルの前方後円墳)
東海地方
- 赤門上古墳(静岡県浜松市、56.3メートルの前期の前方後円墳、京都府椿井大塚山古墳や奈良県佐味田宝塚古墳と同笵鏡関係にある。)
- 新豊院山2号墳(静岡県磐田市、墳長34.3メートルの前方後円墳、三角縁四神四獣鏡、3世紀末から4世紀前半で県内最古級の一つ )
- 奥津社古墳(愛知県愛西市、円墳、径25メートル、墳頂に奥津社の社殿があり、同神社所蔵の3面の銅鏡が三角縁神獣鏡で、椿井大塚山古墳出土鏡などと同笵鏡関係にある。)
- 東之宮古墳(愛知県犬山市、国の史跡、墳丘長67メートルの前方後方墳、4面出土)
中部・北陸地方
- 森将軍塚古墳(長野県千曲市、「天王日月」銘、前方後円墳、墳丘長100メートル)
- 甲斐銚子塚古墳(山梨県甲府市下曽根町、4世紀後半の前方後円墳)
- 一輪山古墳(岐阜県各務原市鵜沼西町、円墳)
- 円満寺古墳(岐阜県海津市南濃町、4世紀中頃の前方後円墳)
- 花岡山古墳(岐阜県大垣市、4世紀中頃の前方後円墳)
- 長塚古墳(岐阜県大垣市)
- 野中古墳(岐阜県可児市中恵土、古墳時代前期II、推定墳丘長58メートル)
- 花野谷1号墳(福井県福井市、2000年(平成12年)9月発見。円墳)
近畿地方
- 雪野山古墳(滋賀県東近江市、前方後円墳)
- 温江丸山古墳(京都府与謝郡与謝野町、野田川の上流)
- 久津川車塚古墳(京都府城陽市、平川古墳群にある5世紀前葉の前方後円墳、墳丘長180メートル、前方部が大きく発達し、二重の周壕を巡らす。)
- 椿井大塚山古墳(京都府木津川市、前期前方後円墳、前方部撥型)36面以上出土)
- 西求女塚古墳(兵庫県神戸市灘区、前方後方墳)
- ヘボソ塚古墳(兵庫県神戸市東灘区、前方後円墳、三角縁神獣鏡2面を出土)
- 東求女塚古墳(兵庫県神戸市東灘区、4面、前期の前方後円墳)
- コヤダニ古墳(兵庫県洲本市、当地方最古の古墳)
- 吉島古墳(兵庫県たつの市、前方後円墳、三角縁4面を含む6面の大型鏡を出土、椿井大塚山古墳、黒塚古墳、佐味田宝塚古墳、雪野山古墳、赤上門古墳と同笵鏡関係にある。)
- 黒塚古墳(奈良県天理市、前方後円墳、三角縁神獣鏡33面を出土)
- 桜井茶臼山古墳(奈良県桜井市、前期前方後円墳、前方部柄鏡形)
- 鴨都波1号墳(奈良県御所市柳田町、棺外から3三面出土、小方墳<南北辺20メートル、東西辺16メートル>)
- 佐味田宝塚古墳(奈良県北葛城郡河合町大字佐味田字貝吹、墳頂で鏡片を採集、古墳時代前期の前方後円墳、家屋文鏡(仿製鏡)で名高い)
中国地方
- 備前車塚古墳(岡山県岡山市、前方後方墳、三角縁神獣鏡11面を含む13面の鏡を出土)
- 鶴山丸山古墳(岡山県備前市、円墳、三角縁神獣鏡1面を含む30面の鏡を出土)
- 白鳥古墳(広島県東広島市高屋町)
- 潮崎山古墳(広島県福山市新市町)
- 中小田1号墳(広島県広島市東区、京都府椿井大塚山古墳と同笵鏡、海上交通で大和政権と繋がっていた。)
- 神原神社古墳(島根県雲南市加茂町、一辺約30メートル、景初三年銘)
四国地方
円墳)
- 宮谷古墳 (徳島県徳島市国府町、 3世紀末〜4世紀初頭の前方後円墳)
九州地方
- 那珂八幡古墳(福岡県福岡市博多区、三角縁五神四獣鏡、前期、後円部正円形でない、墳丘長約75メートル)
- 石塚山古墳(福岡県京都郡苅田町、三角縁神獣鏡7面は京都府の椿井大塚山古墳と同笵鏡、3世紀後半の前方後円墳)
- 一貴山銚子塚古墳(福岡県糸島市、日本製の三角縁神獣鏡8面、4世紀後半の前方後円墳)
- 赤塚古墳(大分県宇佐市、宇佐風土記の丘、5枚出土、九州最古の前方後円墳)
- 沖ノ島岩上祭祀遺構、岩陰祭祀遺構(福岡県宗像市沖ノ島)古代祭祀遺構であり古墳ではない。
三角縁神獣鏡の出土を府県別にみると奈良県の100枚が群を抜いており、京都府の66枚、次いで福岡県、兵庫県の40枚以上、大阪府が38枚、吉備国が28枚以上である。このことから、奈良を中心とする近畿地方(京都・奈良・大阪)に三角縁神獣鏡の出土が多いことがわかる。さらに、近畿地方での出土数は270枚を超え、全体の1/2以上を占めている。
- 城ノ越古墳出土 三角縁四神四獣鏡.JPG
熊本県城ノ越古墳出土 三角縁四神四獣鏡
脚注
- ↑ 所蔵資料詳細/三角縁神獣鏡 - 宮内庁
- ↑ 三角縁神獣鏡 文化遺産オンライン
- ↑ 「神獣鏡」『国史大辞典』 吉川弘文館、「三角縁神獣鏡」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。
- ↑ "「中国製」「国産」同じ鋳型か 卑弥呼の「神獣鏡」、傷ほぼ一致"(日本経済新聞、2015年11月1日記事)。
"中国製と国産が同鋳型、傷で判明 卑弥呼の鏡、製作地論争に影響"(共同通信、2015年11月1日記事(47NEWS))。 - ↑ "中国製と国産の「中間」 能登で出土の三角縁神獣鏡"(日本経済新聞、2016年2月5日記事)。
- ↑ “「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」 3Dプリンターで復元”. 日本経済新聞. (2014年1月29日) . 2014-1-29閲覧.
- ↑ “三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明”. NHK. (2014年1月29日) . 2014-1-30閲覧.
- ↑ 8.0 8.1 "邪馬台国論争に新材料 -卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文-"(朝日新聞、2015年3月2日記事)。
- ↑ "三角縁神獣鏡、中国で発見か 日本人研究者が所見"(日本経済新聞、2015年12月18日記事)。
"日本と同じ工人製作か - 中国出土の三角縁神獣鏡"(奈良新聞、2015年12月25日記事)。 - ↑ 平勢隆郎「景初の年代に関する試論」(所収:池田温 編『日中律令制の諸相』(東方書店、2002年) ISBN 978-4-497-20205-5)
関連項目
外部リンク
- 「三角縁神獣鏡の復元」 (PDF) (福島県文化財センター白河館)