三次方程式

提供: miniwiki
移動先:案内検索

三次方程式(さんじほうていしき、cubic equation)とは、次数が 3 であるような代数方程式の事である。この項目では主に、実数係数とする一変数の三次方程式を扱う。

概要

一般に一変数の三次方程式は

[math] a_3 x^3 + a_2x^2+a_1x + a_0 = 0\quad (a_3\ne 0)[/math]

の形で表現される。現代においては、三次方程式の解法といえば、主に代数的解法の事を意味する。

古代バビロニアにおいて既に代数的に解かれていたと考えられている二次方程式と違い、三次方程式が代数的に解かれたのは16世紀になってからである。11世紀頃、円錐曲線による作図によって三次方程式の根を幾何学的に表したウマル・ハイヤームなども、三次方程式を代数的に解くことはできないと考えていた。

三次方程式の代数的解法はガロア理論へと至る代数方程式論の始まりであり、カルダノが著書『アルス・マグナ』によって三次方程式と四次方程式の代数的解法を公表した1545年は、その影響の大きさから現代数学の始まりの年とされることもある。

まだの数が数学者達にあまり受け入れられていなかった時代であり、全ての係数が正の数であるとして扱われたために、例えば、

x3 = a1 x + a0
x3 + a1 x = a0

の 2 つの三次方程式は、いずれも 2 次の項が無い三次方程式であるが、別の形の方程式とされた。

このように負の数ですら嫌悪された時代に、三次方程式の代数的解法は虚数をもたらした。三次方程式の根が全て正の実数である場合に限っても、代数的解法にこだわる限り虚数を避けては通れないのである。虚数に対する不安は、19世紀コーシーガウスが活躍するようになるまで続いた。

また、三次方程式と四次方程式の代数的解法の発見を元に、数学者達は 5 次以上の一般の代数方程式の代数的解法を追い求めた。最終的にこの代数的解法の存在は、アーベル-ルフィニの定理によって否定されるものの、ガロア理論として結実し、などの基本的な代数的構造の概念を生み出した。

根の様子

三次方程式は、高々 3 個の根を持つ。中間値の定理によれば、実数を係数とする三次方程式は、少なくとも 1 つ以上の実数を解に持つことが分かる。

a3 x3 + a2 x2 + a1 x + a0 = 0 (a3 ≠ 0)

重根を持つ場合、その重根は、この式を形式的に x微分して得られる、二次方程式

3 a3 x2 + 2 a2 x + a1 = 0

の根でもあるため、比較的容易に三次方程式を解くことができる。虚数の根を持つ場合は、 その共役複素数も根となるため、重根を持たない。したがって、重根が現れる場合は、全ての根が実数である。

a3 x3 + a2 x2 + a1 x + a0 (a3 ≠ 0)

の根を α1, α2, α3 とすると判別式 Da34 倍は

Δ = a34 D = − 4 a13 a3 + a12 a22 − 4 a0 a23 + 18 a0 a1 a2 a3 − 27 a02 a32

となる。

判別式を計算すれば、具体的に根を求めなくても

  • Δ > 0 の時、 3 つの異なる実数解を持つ。
  • Δ < 0 の時、 1 つの実数解と 2 つの互いに共役な複素数解を持つ。
  • Δ = 0 の時は、実数の重根を持つ。

ということが分かる。Δ = 0 の時さらに

Δ2 = − 2 a23 + 9 a1 a2 a3 − 27 a0 a32

と定義すれば Δ2 = 0 の時、三重根を持つ。そうでなければ二重根と(それとは異なる)実数解を 1 つ持ち、Δ2 > 0 のとき(二重根)< (もう一つの実数解)、Δ2 < 0 のとき(二重根)> (もう一つの実数解)となる。

代数的解法

カルダノの公式

一般的な三次方程式の代数的解法は、カルダノの方法あるいはカルダノの公式として知られる。

a3 x3 + a2 x2 + a1 x + a0 = 0 (a3 ≠ 0)

a3 で割り

x3 + A2 x2 + A1 x + A0 = 0

の形にする。( An = an / a3)

[math] x = y - {A_2 \over 3} [/math]

によって変数変換を行うと

[math] y^3 + \left(A_1 - {A_2^2 \over 3}\right) y + \left(A_0 - {1 \over 3} A_1 A_2 +{2 \over 27} A_2^3 \right) = 0 [/math]

のように二次の項が消えた方程式が得られる。見やすいように一次の係数を p, 定数項を q とし

y3 + p y + q = 0

と書く。さらに

y = u + v

と置くと

u3 + v3 + q +(3uv + p) (u+v) = 0

ここで

u3 + v3 + q = 0
3uv + p = 0

となる u, v を探せば、そこから y の値が求まる。 この二つの式から v を消去すると

[math] u^6 + q u^3 - \left({p \over 3}\right)^3 = 0 [/math]

この式は u3 に関して見ると二次方程式なので、公式から

[math] u^3 = - {q \over 2} \pm \sqrt{\left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3}[/math]
uv は対称なので、この二つの解の一方を u3 にとれば、他方は v3 になる。

それぞれの立方根の和として

[math] y = \sqrt[3]{- {q \over 2} + \sqrt{\left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3}} + \sqrt[3]{- {q \over 2} - \sqrt{\left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3}}[/math]

が求まる。

この解法が見つけられた当時は複素数は知られていなかったため、これで解を求めたことになったが、その後、複素数についての研究が進み

x3 = a

の解が ω を 1 の立方根として

[math] \sqrt[3]{a}, \omega \sqrt[3]{a}, \omega^2 \sqrt[3]{a} [/math]

の 3 つあることが知られるようになってからは u の立方根をとる際にも同様に 3 つの場合を考えるようになり、それぞれに対応する v を求めることで

[math] y = \omega^k \sqrt[3]{- {q \over 2} + \sqrt{\left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3}} + \omega^{3-k} \sqrt[3]{- {q \over 2} - \sqrt{\left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3}}, (k=0,1,2)[/math]

が解として知られるようになった。

また

x3 + y3 + z3 − 3 x y z
= (x + y + z) (x2 + y2 + z2z xx yy z)
= (x + y + z)(x + ω y + ω2 z)(x + ω2 y + ω z)

という因数分解からもカルダノの方法を説明することができる。

y3 + z3 = q
−3 y z = p

とおいてみると p, q から y, z を求めることにより

x3 + p x + q
= (x + y + z)(x + ω y + ω2 z)(x + ω2 y + ω z)

という三次の多項式の因数分解が計算できる。この計算はカルダノの方法と同じである。

還元不能の場合

カルダノの公式を用いると

x3 + p x + q = 0

という三次方程式は

[math] \left({q \over 2}\right)^2 + \left({p \over 3}\right)^3 \lt 0 [/math]

の時に負の数の平方根が現れる。これは、この方程式の判別式

D = − (4p3 + 27q2) > 0

と同値な条件であり 3 つの異なる実数解を持つ条件である。実数解しかないのにも関わらず、カルダノの公式では負の数の平方根を経由する必要がある。カルダノは負の数の平方根を計算に用いることはあったものの、それらの場合は不可能で役に立たないものと考えていた。

ラファエル・ボンベリ(Rafael Bombelli)は、この場合を詳しく研究し1572年に出版した『代数学』(Algebra)に記した。形式的な計算ではあるものの、当時はまだ知られていない虚数の計算と同じであった。ボンベリは

x3 = 15x + 4

という x = 4 を解に持つ方程式を例にあげた。この方程式をカルダノの公式で計算してみると

[math] x = \sqrt[3]{2+\sqrt{-121}} + \sqrt[3]{2-\sqrt{-121}} [/math]

となるが、ボンベリはこの右辺は、今日でいうところの共役な複素数の和であると考え、負の数の平方根の演算規則を与えた上で

[math] \left(2 \pm b \sqrt{-1}\right)^3 = 2 \pm \sqrt{-121} [/math]

から b = 1 を求め、元の方程式が x = 4 を解に持つことを説明した。

一般には

[math] \left(a \pm b \sqrt{-1}\right)^3 = 2 \pm \sqrt{-121} [/math]

から a, b の二つの値を求めなければならないが、これを求めるためには別の三次方程式が現れるため、カルダノはこの場合を還元不能(かんげんふのう、casus irreducibilis)と呼んだ。この還元不能の場合を回避するために様々な努力がなされたが、実は、虚数を避けて実数の冪根と四則演算を有限回用いただけで解を書き下す事は不可能であるため、全て徒労に終わった。

ビエタの解

解法を代数的なものに限らないのであれば、還元不能の場合の解も虚数を使わずに書けることが知られている。フランソワ・ビエタは、三角関数の三倍角の公式

cos 3α = 4 cos3 α − 3 cos α

を変形した

[math] \cos^3 \alpha = {3 \over 4} \cos \alpha + {1 \over 4} \cos 3 \alpha [/math]

と、三次方程式

x3 = px + q

の類似性に着目し p = 3a2, q = a2bとおいた式

x3 = 3a2 x + a2b

を考えた。

x = 2a cos α

として両辺を 8a3 で割り、三倍角の公式より得た式と比較すれば

[math] \cos 3 \alpha = {b \over 2a}[/math]
[math] \alpha = {1 \over 3} \arccos {b \over 2a} [/math]
[math] x = 2a \cos \alpha = 2a \cos \left({1 \over 3} \arccos {b \over 2a}\right)[/math]

という解が得られる。この解のことをビエタの解という。

[math] \cos 3 \alpha = {b \over 2a} [/math]

は 0 ≤ 3α ≤ π、つまり 0 ≤ α ≤ π/3 に解を 1 つ持つ。この解を α1 とすれば、他の解は α2 = α1 + 2π/3、α3 = α1 + 4π/3と表せ、これに対応して 3 つの実数解が定まる。 この解において、arccos の変数の絶対値は 1 以下でなければならないが、これはカルダノの公式において還元不能の場合に対応する。カルダノの公式と違い、負の数の平方根というよく知られていないものを避け実数の計算だけで解を得ることができた。しかし、逆三角関数や三角関数の計算を含むため厳密な値を得るのは大変である。

ラグランジュの方法

ラグランジュは、三次方程式や四次方程式の代数的解法を分析し、根の置換という代数方程式論の方向性を決定づける重要な概念に到達した。この研究はガロア理論の発見へと繋がっていった。

x3 + A2 x2 + A1 x + A0 = 0

の 3 つの解を r0, r1, r2 とし 1 の虚立方根の一つ

[math]\omega = {-1 + i \sqrt{3} \over 2}[/math]

を取る。

s0 = r0 + r1 + r2
s1 = r0 + ω r1 + ω2 r2
s2 = r0 + ω2 r1 + ω r2

とおくと

[math]r_0 = {s_0 + s_1 + s_2 \over 3}[/math]
[math]r_1 = {s_0 + \omega^2 s_1 + \omega s_2 \over 3}[/math]
[math]r_2 = {s_0 + \omega s_1 + \omega^2 s_2 \over 3}[/math]

である。根と係数の関係により s0 = −A2 であることが分かるので s1s2 の二つが分かれば解が求まることになる。ここで rmrn を入れ替える互換を σm,n と書けば

0,1 s1) = r1 + ω r0 + ω2 r2
ω20,1 s1) = r0 + ω2 r1 + ω r2 = s2

が得られる。両辺を三乗することにより

σ0,1 s13 = s23

同様に

σ0,1 s23 = s13

σ0,2 σ1,2 も計算してみれば分かるとおり、これらの互換は s13s23 の入れ替えしかない。つまり s13 + s23s13 s23r0, r1, r2 で書けば対称式になり、それらの基本対称式で表される。すなわち s13s23 を解とする二次方程式

(zs13)(zs23) = z2 −(s13 + s23) z + s13 s23 = 0

の係数は、もとの三次方程式の係数 A2, A1, A0 で表されることになる。実際にこれは

[math]z^2 - \left( -2 A_2^3 + 9 A_1 A_2 - 27 A_0 \right) z + \left( A_2^2 - 3 A_1 \right)^3 = 0[/math]

という二次方程式になり、この解は根の様子を調べた時に定義した記号 Δ と Δ2 によって

[math]{\Delta_2 \pm 3 \sqrt{-3\Delta} \over 2} [/math]

と書くことができる。

円錐曲線による作図

代数的解法は重要であるものの、歴史的にはそれよりも先に、作図による三次方程式の幾何学的解法が模索されていた。このような解法は、古代ギリシアメナイクモスに始まり、セルジューク朝ペルシャウマル・ハイヤームによって一般化された。

ファイル:CubicEquation 1.png
この 2 つの放物線の交点の x 座標は 0 と a であり、a は、三次方程式 x3 = p2 q の実数解である

xy 平面上の 2 つの放物線を表す式

x2 = py (p > 0)
y2 = qx (q > 0)

において y を消去すると、

x4 = p2 qx

となり、この 2 つの放物線の交点の x 座標は、

[math] x = 0, \sqrt[3]{p^2 q}[/math]

となり、x = 0 でない方の交点の位置によって

x3 = p2q

という形の三次方程式の解が得られることになる。特に q = 2p ととれば、立方体倍積問題と同値な三次方程式

x3 = 2 p3

の実数解を、線分の長さとして得たことになる。

ファイル:CubicEquation 2.png
この放物線と円の交点の x 座標は 0 と a であり、a は、三次方程式 x3 + p2 x = q の実数解である

また、放物線とを表す式

x2 = p y (p > 0)
x2 + y2 = q x (q > 0)

において同様に y を消去すれば

p2 x2 + x4 = q x

であり、x = 0 以外の交点を求めることは

x3 + p2 x = q

という三次方程式の実数解を与えるのと同じである。

一般に、

a3 x3 + a2 x2 + a1 x + a0 = 0 (a3 ≠ 0)

という三次方程式は

x2 = py (p > 0)
a3 p2 y2 + a2 p x y + a1 x2 + a0 x = 0 (a3 ≠ 0)

というように、放物線と、もう 1 つの円錐曲線の組み合わせでも書けるし

x2 = py
(a3 x + a2) py + a1 x + a0 = 0

のように、放物線と双曲線の交点としても表すことができる。

歴史

古代バビロニアでは、数表を用いて三次方程式の根の近似値を得ていた。

古代ギリシアでは、三大作図問題の 1 つとして知られる立方体倍積問題が、キオスのヒポクラテスによって、与えられた 2 つの数 p, q から

p : x = x : y = y : q

となる数 x, y を求めるという、の問題に帰せられた。

メナイクモスは、ヒポクラテスのアイデアから円錐曲線を思いつき、立方体倍積問題を円錐曲線による作図によって解いた。この業績によって、メナイクモスは、円錐曲線の発見者と考えられている。立方体倍積問題は

x3 = 2 p3 (p > 0)

の形の三次方程式を解くことと同じであり、メナイクモスによる方法は、三次方程式の幾何学的解法の 1 つと考えられ、円錐曲線の数表を計算しておけば、三次方程式の根の近似値も得ることができることになる。しかし、一般に円錐曲線は、プラトンの束縛の下で作図できる曲線ではないため、円錐曲線による幾何学的解法は立方体倍積問題の解法とは見なされない。このような円錐曲線の研究は、アルキメデスイブン・アル・ハイサム等を経て、セルジューク朝ペルシャウマル・ハイヤームにより拡張され、様々な形をした三次方程式の根が、円錐曲線同士の交点として調べられ、網羅された。

三次方程式の代数的解法は、16世紀頃にボローニャ大学シピオーネ・デル・フェッロによって発見されたとされる。デル・フェロの解いた三次方程式は

x3 + a1 x = a0 (a1 及び a0

という形の物である。当時はまだ、負の数はあまり認められていなかったため、係数を正に限った形をしている。

この方程式自体は特殊な形であるものの、一般の三次方程式はこの形に変形できるため、本質的には三次方程式はデル・フェロが解いたといっても過言ではない。また、この方程式の場合は係数の符号の制約から還元不能にはならない。

デル・フェロは、この解法を公開せず、何人かの弟子に託して1526年に死んだ。そのうちの一人、アントニオ・マリア・フィオル(Antonio Maria Fior)は、この方法を、当時盛んに行われていた、金銭を賭けた計算勝負に使い、勝ち続けた。

三次方程式の解法があるという噂を元にタルタリア(Tartaglia)は、独力かどうかは分からないが

x3 + a2 x2 = a0 (a2 及び a0 は正)

の形の三次方程式を解くことに成功し、さらにはデル・フェロの三次方程式の解法にも辿り着いた。タルタリアが三次方程式を解いたとの噂を聞いたフィオルは噂を信用せずタルタリアに計算勝負を挑み、打ち負かして名声を上げようとしたものの、デル・フェロの三次方程式の解法しか知らなかったため、計算勝負に負けた。

タルタリアが三次方程式の代数的解法を知っていると聞いたカルダノはタルタリアに頼み込み、三次方程式の代数的解法を聞き出すことに成功した。カルダノは、弟子のルドヴィコ・フェラーリが得た、一般的な四次方程式の代数的解法とあわせて、三次方程式の代数的解法を出版したいと考えるようになったが、タルタリアとの約束で秘密にすると誓ったために、出版することはできなかった。そこで、かつてデル・フェロが、三次方程式の代数的解法を得たという噂を頼りに、フェラーリとボローニャに行き、デル・フェロの養子のアンニバレ・デラ・ナーヴェ(Annibale della Nave) に会い、デル・フェロの遺稿を見せてもらった。それによってカルダノは、タルタリアが三次方程式を解いた最初の人ではないことを知ったので、タルタリアとの約束は無効とし1545年に 『アルス・マグナ』(Ars Magna) を出版し、様々な形の三次方程式の解法を公表した。以来、三次方程式の解法はカルダノの方法と呼ばれるようになった。この事はタルタリアを激怒させ論争に発展したが、カルダノは『アルス・マグナ』の中でデル・フェロとタルタリアの功績について賞賛しており、独自の方法と偽ったわけではない。また、タルタリアから解の導出方法までは聞いておらず、色々な形の三次方程式について解を表した事はカルダノ自身の業績である。

外部リンク

テンプレート:代数方程式