三好郡
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人口14,195人、面積122.48km²、人口密度116人/km²。(2018年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 東みよし町(ひがしみよしちょう)
文化・風習は、徳島県沿岸部よりも愛媛県東予地方や香川県西讃地方に類似している。
Contents
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、三好市の一部(東祖谷各町・西祖谷山村各町を除く)にあたる。
歴史
近世以降の沿革
- 清水村、勢力村、加茂野宮村、芝生村、太刀野山村、太刀野村、足代村、中庄村、毛田村、西庄村、加茂村、昼間村、東山村、洲津村、西山村、東井川村、井内谷、白地村、馬路村、佐野村、中西村、大利村、川崎村、漆川村、中津川村、西井川村、池田村、松尾村、山城谷、西宇村、上名村、下名村
- 明治4年
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により高知県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)1月4日[1] - 郡区町村編制法の高知県での施行により行政区画としての三好郡が発足。郡役所が池田村に設置。
- 明治13年(1880年)3月2日 - 徳島県(第2次)の管轄となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)10月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。特記以外は全域が現・三好市。(13村)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治28年(1905年)10月1日 - 池田村が町制施行して池田町となる。(1町12村)
- 明治30年(1907年)11月1日 - 井川村が町制施行・改称して辻町となる。(2町11村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)1月26日 - 三野村が町制施行して三野町となる。(3町10村)
- 大正14年(1925年)10月1日 - 昼間村が町制施行して昼間町となる。(4町9村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和25年(1950年)1月1日 - 美馬郡東祖谷山村・西祖谷山村の所属郡が本郡に変更。(4町11村)
- 昭和26年(1951年)11月3日 - 加茂村が町制施行して加茂町となる。(5町10村)
- 昭和30年(1955年)3月21日 - 昼間町・足代村が合併して三好町が発足。(5町9村)
- 昭和31年(1956年)9月30日(6町6村)
- 箸蔵村が池田町に編入。
- 山城谷村が三名村を編入のうえ町制施行・改称して山城町となる。(6町6村)
- 昭和34年(1959年)
- 平成18年(2006年)3月1日(1町)
地名の由来
百済国王の末裔、三善氏に由来する、という説がある[3]が、「三野・三津・三繩」の三郷を合わせて、「三好」という佳名にしたのだとも考えられる[4]。
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 36 徳島県
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
関連項目
先代: 美馬郡 |
行政区の変遷 860年 - |
次代: (現存) |