三太夫 (行司)
三太夫(さんだゆう)は、大相撲における行司の名跡である式守与太夫・式守勘太夫・式守錦太夫の総称である。もとは伊勢ノ海部屋の名跡で、明治30年代までは伊勢ノ海部屋、もしくはその分家の部屋の行司のみが襲名していた。
木村庄之助や式守伊之助に準ずる由緒ある名跡であり、明文化された規則はないが幕内格以上が襲名する。特に大正後期に5代与太夫 (のちの19代庄之助) ・3代勘太夫 (のちの14代伊之助) ・3代錦太夫 (のちの松翁20代庄之助) の3名が三役格行司に在位した時代は 「名行司三太夫」 と呼ばれた。
式守与太夫
2009年1月場所、8代式守錦之助が幕内格に昇進し12代与太夫を襲名。与太夫の名乗りは式守伊之助への出世名であり、2代から7代までの与太夫と11代与太夫が伊之助(36代)昇進直前に与太夫を名乗っている。主に時津風一門・立浪一門の部屋に所属する行司が名乗る。かつては錦太夫を名乗ったのち、与太夫を名乗る(3代、4代、6代、7代、9代が前名錦太夫)時期があったが、現在では錦太夫を経ず与太夫を襲名する。10代目が一時、与太夫から「與太夫」を名乗ったことがある。また11代与太夫は三役格在位4場所という史上最短で立行司に昇進した。12代与太夫が本人の希望で名跡を返上したため[1]、2016年1月場所現在は空き名跡。
式守勘太夫
時津風一門または立浪一門 (元々は立浪・伊勢ヶ濱連合) の部屋に所属する行司が名乗る。2代目から10代目までは式守與之吉(与之吉)から勘太夫を襲名している。2007年1月限りで伊勢ヶ濱部屋(旧)が消滅したため、今後の動向が注目される名跡でもある。
2008年5月場所で10代勘太夫が38代式守伊之助(36代木村庄之助)を襲名して以来、しばらく空き名跡となっていたが、2012年1月場所より高田川部屋(高砂一門~無派閥~二所ノ関一門)所属の当時幕内格行司木村和一郎が、與之吉を経ず11代勘太夫を襲名。2013年5月場所より三役格に昇進した。
式守錦太夫
2017年1月現在12代目。主に二所ノ関一門・出羽海一門に所属する行司が名乗る。過去には初代~4代の歴代錦太夫と7代錦太夫が与太夫を襲名するという流れが見られたが、現在では錦太夫のまま通す。なお、9代目以降は式守錦太夫の譲り団扇(「中道実相」と記された黒漆塗りの軍配)が伝わっている。11代錦太夫は2011年11月場所より三役格行司、2013年11月場所より40代式守伊之助を襲名した。2014年1月場所より、4代式守慎之助が幕内格に昇進し12代目を襲名。