ワタナベエンターテインメント
株式会社ワタナベエンターテインメントは、渡辺プロダクション系列の芸能事務所。
2000年10月24日、渡辺プロダクションの組織改編により、芸能プロダクション部門を分社化して設立。代表は、渡辺ミキ代表取締役社長(渡辺プロダクション代表取締役会長も兼任)。本社は東京都渋谷区神宮前4-2-12 WESビル
Contents
概要
渡辺プロダクション(ナベプロ[1])時代は、有力タレントを多数抱え、番組も多数制作。1960年代から1970年代に掛けて渡辺プロが放送タレント業界の最大手であった。
ジャズミュージシャンであった渡邊晋と妻の渡辺美佐は、所属タレントに仕事を斡旋し出演料の一部を受け取るだけであった芸能プロの仕事を変革した。レコードやテレビ番組や映画を自社で制作して、レコードの原盤制作収入や番組制作費、興行収入が入ってくるようにし、戦後の新しい芸能ビジネスのスタイルを作った。
スターの他事務所への流出や独立を阻止するために妨害工作を行ったこともあり、伊東ゆかり、森進一や小柳ルミ子らは独立により一時期民放全局に出演できなくなった。しかしその後も独立するタレントは後を絶たず、1970年代後半以降、吉本興業やホリプロやジャニーズ事務所など競合他社が力をつけたことにより、相対的に影響力が低下した。とはいえ、現在でも渡辺プログループ全体でフジテレビと強固な関係を維持するなど(後述)、大手プロダクションとして安定した地位を維持している。2000年10月24日の組織改編も、経営を安定させる経営多角化の一環と考えられている。
その後、2002年8月2日にビスケットエンターティメント、ワタナベデジタルメディアコミュニケーションズと会社統合した(後者は後に再分社)。
ワタナベエンタの待遇について、所属タレントがその現状をテレビなどで語ることがあり、例としては、青木さやかが「以前は、自分1人で現場に行かなければならなかった。売れてからようやく現場マネージャーがついてくるようになったが、そのマネージャーが学生アルバイトで、学祭になると休んでしまうので困る」と語っている。また、波田陽区が「宣伝に使用される写真が、僕の場合はインスタントカメラ(で撮影されたもの)だった」と語った。
トラブル防止のため、また副業禁止(ただし本業がタレントでない場合を除く)であるため、所属タレントの著した書籍の印税等は一旦全てが事務所に入り、その後タレントに定率で分配している。
井澤健、池田道彦、大里洋吉、諸岡義明、野田義治、尾木徹らの著名芸能プロダクションの社長もかつてナベプロやその系列のプロダクションの社員だった。
2003年、専門学校「バンタンデザイン研究所」(バンタングループ)の芸能人育成部門「バンタンミュージック/モデルアクターズカレッジ」(旧名:バンタン芸術学院)を買収。そのまま「ワタナベエンターテイメントカレッジ」と改称し新人育成部門を強化。
2006年には、ワタナベエンターテインメント九州事業本部を創設。それまで東京で活動していたゴリけんやパラシュート部隊などが九州支部に異動したほか、九州地方でも所属タレントのスカウトを行っている。また、当地のフジ系列局であるテレビ西日本とも関係を作っている。
フジテレビとナベプロ
フジテレビとナベプロは古くからパイプが太いことでも知られている。その端緒は、当時、渡辺晋社長の右腕として力を発揮していた松下治夫が制作を担当、同局開局数か月後に放送開始した「ザ・ヒットパレード」と言われている。その後も、松下の指揮の下、正月恒例だった長寿番組「新春かくし芸大会」や週一レギュラー番組「なりゆき街道旅」などはナベプロが番組の著作権を持っている。
また渡辺ミキ渡辺プロ会長およびワタナベエンタ社長と、フジテレビのバラエティ班で長らく活躍した吉田正樹現ワタナベエンタ会長とが夫婦であることもフジテレビとの太いパイプを象徴している。
フジ日曜12時枠の番組(現在は「なりゆき街道旅」。過去の番組としては「クイズ・ドレミファドン!」「上岡龍太郎にはダマされないぞ」など)は、エンディングのスタッフロールの最後の部分が、「フジテレビ」ではなく「企画・制作 ワタナベエンターテインメント(分社前は渡辺プロダクション)」になっている。また、ナベプログループのイザワオフィスも、「ドリフ大爆笑」や志村けん主演の番組では、フジテレビではなくイザワオフィス制作としている。
キー局系の番組で、制作者が放送局名義でないことは現在では珍しく、ナベプロの存在感を示す一例といえる。
主な製作参加番組
フジテレビ系列番組
2018年4月現在放送されている番組
- ネプリーグ(2003年〜、制作協力扱い)
- 芸能界特技王決定戦 TEPPEN(2010年〜)
- 年2 - 3回程度放送のスペシャル番組で、「新春かくし芸大会」の事実上の後継番組。共通の趣味・特技を持つ数名の芸能人が、勝ち残り方式(トーナメント方式)でピアノや100m走、剣道など各競技のナンバーワン(TEPPEN)を争う。総合MCはネプチューン。
- なりゆき街道旅(2018年4月1日〜)
- 林修のニッポンドリル(2018年4月25日〜、制作協力扱い[2])
- 日本の文化や歴史、日本語に関する知識・雑学をクイズ形式で紹介する情報バラエティ番組で、林修の冠番組。
過去放送していた番組
- 新春かくし芸大会(1964年〜2010年)
- ザ・ヒットパレード(1959年〜1970年)
- クイズ・ドレミファドン!(1976年〜1988年)
- ウチくる!?(1999年4月〜2018年3月)
その他の主な系列番組
2018年4月現在放送されている番組
- 林先生が驚く初耳学!(2015年〜、TBS系[3])
- 雑学や教育論をメインテーマにした情報バラエティ番組で、林修の冠番組。スタジオパネラー兼コーナーMCとしてハライチの澤部佑がレギュラー出演している。またエンディングテーマには同社所属の女性ボーカルグループ・Little Glee Monsterのシングル曲が初回から使用されている(2018年4月現在は「My Best Friend」) 。
過去に放送していた番組
- シャボン玉ホリデー(1961〜1972年、日本テレビ系)
- ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツの2枚看板が大活躍したバラエティ番組。最後にはジャッキー吉川とブルーコメッツもレギュラーとなる。
- 8時だョ!全員集合(1969年〜1971年・1971年〜1985年、TBS系)
- ザ・ドリフターズが大活躍し、放送当時の子供達を中心に絶大な人気を博したバラエティ番組。公開生放送。
- 8時だョ!出発進行(1971年、TBS系)
- 「8時だョ!全員集合」の第1期が終了後、同番組の第2期までの間につなぎ番組として放送されたハナ肇とクレージーキャッツがメインのバラエティ番組。
- 日曜日だョ!ドリフターズ!!(1971年、日本テレビ系)
- 「8時だョ!全員集合」の第1期終了後に始まったザ・ドリフターズがメインのバラエティ番組。番組フォーマットは「全員集合」と似ていた。
- スター・オン・ステージ あなたならOK(1973年、NETテレビ(現・テレビ朝日)系)
- この番組のスタートをめぐり、日本テレビ系「NTV紅白歌のベストテン」プロデューサーで、元々は渡辺と親交があった井原高忠との間に深刻な確執が生じる(詳しくは「紅白歌のベストテン」の項を参照されたい。同番組の司会はかくし芸の司会者でもある高橋圭三)。
- みごろ!たべごろ!笑いごろ!(1976〜1978年、NETテレビ系→テレビ朝日系)
50周年イベント
2005年12月23日より2006年1月15日まで、東京都千代田区にある丸ビルで、「渡辺プロダクション創立50周年企画 「抱えきれない夢」 日本のエンターテインメントの50年」が開催された。会場では、過去のタレントを中心に、現在所属のタレントの資料も一部展示されていた。その後、同年7月2日より9月3日まで長野県諏訪市のまるみつ百貨店で、また同年12月より2007年1月4日まで石川県金沢市のめいてつ・エムザでも開催された。同年8月16日より8月28日まで東京都渋谷区の東急百貨店本店で開催された。
所属タレント
グループ会社
- 渡辺プロダクション(持株会社)
- ビスケットエンターティメント
- ザ・ワークス
- イザワオフィス(いしだあゆみ、ザ・ドリフターズ、小泉孝太郎らが所属)
- トップコート(木村佳乃、松坂桃李らが所属)
- 渡辺音楽出版
- ワタナベアマダクション(ワタナベエンターテインメントとドワンゴが設立したマネジメント会社)[4]
注釈
関連項目
- 太田プロダクション - かつては、ネプチューンやビビるなども所属していた。
- スクールメイツ
- 坂善商事 - 関東地区を中心に紳士服チェーンを展開する企業。広告モデルは石塚英彦を筆頭に、全てワタナベエンターテイメント所属タレントが起用されている。