ローマ進軍

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ローマしんぐん
Marcia su Roma

イタリアにファシスト政権が成立する直接の契機となった 1922年10月の無血クーデター。1919年3月に結成されたベニト・ムッソリーニ戦闘ファッシは,第1次世界大戦後の不況と革命の不安におびえる当時の情勢を利用してしだいに支持者を獲得し,1921年議会に 35人の代議士を送ると,同年 11月に国家ファシスト党に改組した(ファシスト党)。一方,暴力によって次々と地方都市の行政権を奪い,1922年8月には中部,北部イタリアを支配下に置くにいたった。同 1922年10月24日,ナポリでファシスト党大会が開かれ,党首ムッソリーニは政権奪取を宣言,武装私兵(黒シャツ隊)を集結させた。10月28日,ルイジ・ファクタを首班とする内閣はこのファシスト運動を武力で制圧しようとしたが,逆に国王ビットリオ・エマヌエレ3世は内閣を辞任させ,翌 10月29日,ムッソリーニに打電して組閣を命じた。10月30日,ムッソリーニはミラノからローマに到着,ついに政権を掌握した。武装した 4万余のファシスト党員はこれにこたえ,ローマに進軍した。(ファシズム