ロイヤルバンク・オブ・スコットランド

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ロイヤルバンク・オブ・スコットランド: The Royal Bank of Scotland plc, 略称:RBSスコットランド・ゲール語Banca Rìoghail na h-Alba)またはスコットランド王立銀行は、エディンバラに本社を置く、イギリスメガバンク[1]アメリカ合衆国でも最大規模の商業銀行である[2]FTSE100指数採用銘柄。

概要

戦間期ウィリアムズ・ディーコンズ・バンクグリン・ミルズ商会を買収し、ユーロ債市場が隆盛した1970年に両ブランドを統合した(Williams & Glyn's Bank)。合衆国で事実上の銀証分離緩和が進む1985年、ロイヤルバンク・オブ・スコットランドは統合したブランドを廃止、完全吸収した。1980年代には、一時ロイズ銀行の支援を受けるが、個人向け業務や中小企業向け業務の拡充により高い収益率を誇る。海外進出にも積極的で、1988年にはアメリカニューヨーク州を拠点とするCitizens Financial Groupを買収している。FIMACOソ連崩壊で親会社ゴスバンクを失い、旧ソ連のユーロバンクが支配するところとなるとき、ユーロバンクはロイヤルバンク・オブ・スコットランド信託会社に85万ドルの事務管理費を払った[3]

2000年にはイングランドの四大商業銀行の一つであるナショナル・ウエストミンスター銀行を敵対的買収により子会社化し、イギリスで最大の商業銀行となった。2004年には中国銀行の株式10%を取得している。2006年から2010年にかけて、F1ウィリアムズチームのスポンサーを務めていた。2007年10月にABNアムロ銀行の買収に参加した。2008年10月13日、英国政府より経済危機対策として、200億ポンドの資金注入を受ける[4]。英国政府より巨額の公的資金注入を受けたにも関わらず、銀行業界で過去最大規模のボーナスを社員に支給したことで批判を集めた。CEOのグッドウィン卿(Fred Goodwin)は引責辞任した。

ユーロ危機の顕在化する2012年1月に、グッドウィン卿はスケープゴートになってナイトを剥奪された。2013年12月4日、欧州委員会がロイヤルバンク・オブ・スコットランド他5行のLIBOR不正操作を追及して制裁金を課した。

2015年6月10日、オズボーン英財務相は、損失を出してもRBS株を売却することが納税者と国家経済にとって「正しいことだ」と述べた[5]。2017年5月現在も株の売却がつづいており[6]、完全に機関化された[7]

MBSの不正販売で制裁金を課しても負担がファンド購入者に転嫁される仕組みができてしまった。世界の流動性を独占してシャドー・バンキング・システムを操り大衆貯蓄に損害を与えた国際決済制度は野放しである。

日本での活動

意外にも日本進出は遅く、2001年4月に旧Natwestが開設していた東京支店を改組する形で、RBS東京支店、並びにRBS証券東京支店(現アール・ビー・エス証券会社)を開設したのが最初。

またかつては傘下のDirect Lineが安田生命保険(当時)と合弁を組み日本で「安田ライフダイレクト損害保険」を設立して損害保険業務を行っていたが、2004年に合弁を解消し持分を売却している(現在のそんぽ24損害保険)。

アール・ビー・エス証券会社 東京支店[8] 代表取締役 リー・ナイト

関連項目

脚注

  1. バンク・オブ・スコットランド(スコットランド銀行)などと共に、スコットランド・ポンドの発行を行う3つの商業銀行のうちの一つで、持株会社RBS Group plc(LSERBS)全体では220,000人の従業員と700の支店網を有する、イギリス最大の銀行グループ。
  2. アメリカのロイヤルバンク・オブ・スコットランド グループは25,000人以上のスタッフを持つ
  3. The Moscow Times, A YEAR AFTER THE CRASH:A Glimpse Through the Looking Glass, Aug. 17 1999
  4. バークレイズは受けなかった。
  5. ウォールストリート・ジャーナル 英政府、RBS株の売却開始へ=オズボーン財務相 2015年6月11日 09:42 JST 更新
  6. The Guardian, RBS shareholders take battle over cash call to high court, Jill Treanor, Sun 21 May 2017 15.21 BST
  7. Top Mutual Fund Holders
  8. 所在地 東京都千代田区丸の内1-6-2 新丸の内センタービル

外部リンク