レフ・ヤシン
{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} レフ・イワノヴィッチ・ヤシン(Лев Иванович Яшин, 1929年10月22日 - 1990年3月20日)は旧ソ連出身のロシア人サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
人物
しばしばサッカー史上最高のゴールキーパーと評される。1963年に2018年現在までにGKで唯一となるバロンドールを受賞している。1998年にはFIFAの20世紀ワールドチームのGKに選ばれた。FIFAワールドカップの大会最優秀GKに与えられる賞には、1994年大会から2006年大会まで「ヤシン賞」と名付けられている。
クラブではデビューから引退まで20年以上をディナモ・モスクワ一筋で過ごし、326試合出場[1]、リーグ優勝5回、カップ優勝3回を経験した。ソ連代表としては通算78試合に出場し、夏季オリンピック優勝1回、欧州選手権優勝1回。FIFAワールドカップでは合計13試合に出場した。
非常に長い腕と、黒いユニフォームと黒いグローブを付けていた風貌から「黒蜘蛛」と呼ばれた。必要とあらば積極的にペナルティエリアの外にも飛び出すプレースタイルは同時代のほかのGKには見られない特長だった[1]。真偽は不明だが語られるところによれば彼は150本以上のPKを止めたという[1]。
ソビエト連邦代表では通算78試合プレーし、70失点だった。ヤシンの全盛期だった当時は現在と比べてディフェンス技術のレベルが高くなく、フェレンツ・プスカシュを始めとした一流のストライカー達が容易くゴールを決められる環境であったことを考えると驚異的な記録といえる。
略歴
1949年にディナモ・モスクワに加入。当初は「タイガー」の愛称で知られた名GKアレクセイ・コミッチの控えであり、その時期のヤシンはHCディナモ・モスクワでアイスホッケーのGKとしてもプレーしていた。1953年にコミッチの怪我を契機として正GKに定着し、1954年にソ連代表に初招集された。
ソ連代表として1956年のメルボルンオリンピックで金メダルを獲得。1960年に第1回欧州選手権(当時は欧州ネイションズカップと呼称)に優勝し、ベストイレブンにも選出された。
1958年スウェーデン大会に続き自身2度目のワールドカップとなった1962年チリ大会では、10分間に3点差を追い付かれ4-4で引き分けたコロンビア戦や、2度も平凡なロングシュートを失点して2-1で敗れたチリ戦などの不安定な守備を見せたことで、国内では敗退の責任を一身に背負わされる格好となり、その非難の激しさに一時期は真剣に引退を考えたほどだった[2][3]。
しかし、その悪評は翌1964年に覆された。彼はソ連リーグで27試合に出場して6失点しか許さず、この年にディナモは優勝した[3]。10月23日にイングランドで行なわれたFA創設100周年記念試合の世界選抜メンバーに招待されたヤシンは、イングランド代表の度重なる猛攻を無失点に抑えて、前半45分のみの出場ながらも見た者に強い印象を残した。欧州選手権では準優勝を果たし、前回に続いてベストイレブンに選出された。
ソ連にとってワールドカップ最高成績の4位となった1966年大会では6試合中4試合に出場。すでに40歳になっていた1970年大会でも控えGKとしてメンバー入りし、同年に現役を引退した。1971年5月27日に行なわれた引退試合のディナモ・モスクワ対世界選抜には、会場のレーニン・スタジアムに10万人のファンが集まった。世界選抜にはエウゼビオ(ポルトガル)、ボビー・チャールトン(イングランド)、ゲルト・ミュラー(西ドイツ)といった各国のスター選手たちが参加した。
その後、血液のかたまりによって引き起こされる血栓性静脈炎という病気により足を切断している。
そして1990年3月20日、その生涯に幕を閉じた。60歳没 。
ディナモ・スタジアムの側にはレフ・ヤシンの像が建てられている。
2018年FIFAワールドカップ・ロシア大会では、ソビエト連邦代表時代のヤシンのプレーを模した大会公式ポスターが製作されている[4]。
出場大会
- 1956年夏季オリンピック(優勝)
- 1958年ワールドカップ(ベスト8、5試合6失点)
- 1960年欧州ネイションズカップ(優勝)
- 1962年ワールドカップ(ベスト8、4試合7失点)
- 1964年欧州ネイションズカップ(準優勝)
- 1966年ワールドカップ(4位、4試合5失点)
- 1970年ワールドカップ(ベスト8、出場なし)
獲得タイトル
- ソビエト連邦代表
- オリンピック優勝1回:1956
- 欧州選手権優勝1回:1960
- ディナモ・モスクワ
- 個人タイトル
- バロンドール:1963
- ソ連年間最優秀GK(アガニョーク誌選定):1960, 1963, 1966[1]
- 20世紀世界最優秀GK 1位 (1999年、国際サッカー歴史統計連盟)
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人(ワールド・サッカー誌選定) 11位(GKとしては最上位):1999
- ロシア・ゴールデンプレイヤー(1954年から2003年の間の同国最優秀選手):2004
- UEFAゴールデンジュビリーポール 8位(GKとしては2位):2004
- 20世紀最優秀GK(IFFHS選定)[5]
- 20世紀ワールドチーム:1998
- スポーツマスター:1957
- レーニン勲章:1967
- 社会主義労働英雄:1990
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 “Lev YASHIN” (英語). Russian National Football / Soccer Team. . 2009閲覧.
- ↑ 大平陽一『ロシア・サッカー物語』 東洋書店、2002年。ISBN 4-88595-394-4
- ↑ 3.0 3.1 “Yashin earns more than respect” (英語). uefa.com (2004年10月11日). . 2009閲覧.
- ↑ “W杯ポスターに元ソ連代表の伝説的GKヤシン”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2017年11月29日) . 2017閲覧.
- ↑ RSSSF - IFFHS' Century Elections
タイトル・受賞歴 |
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