ルイス・ハミルトン
ルイス・ハミルトン | |
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基本情報 | |
フルネーム |
ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン Lewis Carl Davidson Hamilton |
略称表記 | HAM |
国籍 |
イギリス ( イングランド) |
出身地 |
同・ハートフォードシャー スティーブニッジ |
生年月日 | 1985年1月7日(39歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2007- |
過去の所属チーム | '07-'12 マクラーレン |
所属チーム | メルセデス '13- |
車番 | 44 |
出走回数 | 223 |
タイトル | 4 (2008,2014,2015,2017) |
優勝回数 | 69 |
表彰台(3位以内)回数 | 129 |
通算獲得ポイント | 2,891 |
ポールポジション | 79 |
ファステストラップ | 40 |
初戦 | 2007年オーストラリアGP |
初勝利 | 2007年カナダGP |
2017年順位 | 1位 (363ポイント) |
(記録は2018年第15戦シンガポールGP終了時) |
ルイス・カール・デビッドソン・ハミルトン(Lewis Carl Davidson Hamilton, MBE 1985年1月7日 - )は、イギリス・ハートフォードシャー(東イングランド)スティーブニッジ出身のレーシングドライバー。グレナダ出身のアフリカ系イギリス人の父親とイングランド人の母親を持つ。2008年に当時の史上最年少でF1ワールドチャンピオンを獲得した。
Contents
初期の経歴
カート
1993年、8歳でレーシングカートを始める。2年後の1995年、10歳の時にイギリスカートチャンピオンを獲得したのを皮切りに幾つかのタイトルを獲得。この年のオートスポーツ・アワードの授賞式でロン・デニスに自ら歩み寄り「あなたの車に乗ってワールドチャンピオンになりたい」と言ったが、デニスはハミルトンのサイン帳に「9年後にまたおいで」と書いたという。しかし、その後の活躍に注目したデニスから3年後にはコンタクトがあり[1]、1998年にはF1チームのマクラーレンと長期契約を交わした。以後、同チームによる支援の下でキャリアを重ねることとなり、早期から「マクラーレンの秘蔵っ子」として名を知られるようになった。2000年にはフォーミュラAクラスでヨーロッパカートチャンピオンとなり、ツインリンクもてぎ北ショートコースで行われた「アイルトン・セナ メモリアルカップ CIK-FIA WORLD CUP Shell ADVANCE KART RACE IN JAPAN」のフォーミュラAクラスでも優勝。
2001年はCIK-FIA カート世界選手権にフォーミュラスーパーAクラスからエントリー。
ジュニアフォーミュラ
2001年は、CIK-FIA カート世界選手権と共にイギリスフォーミュラ・ルノー冬季シリーズにも参戦し、ランキング5位。
2002年は同選手権のレギュラーシリーズに参戦。3度のポールポジションと3度の優勝を記録し、ランキング3位。
2003年は同選手権を独走し、10勝を上げ、最終戦まで2ラウンド(4レース)を残し、チャンピオンに輝いた。この年はF3マカオGPにも出場した。
F3
2004年はマノー・モータースポーツからF3ユーロシリーズに参戦。初年度は1勝、ランキング5位。マカオGPでも総合14位と不本意な成績に終わった。その後の「バーレーン・スーパープリ」では優勝を飾っている。また、シルバーストンで行われたマクラーレンのテストに参加し、初めてF1カーを運転した。
2005年はASMに移籍すると、20レース中15勝を上げてチャンピオンに輝き、各国F3の強豪が集うマールボロ・マスターズを制した。
GP2
2006年は前年度チャンピオンのニコ・ロズベルグがF1へ昇格したことを受け、その後任としてARTグランプリからGP2に参戦。開幕戦のサンマリノではセーフティカーを抜き、失格となったが、ポール・トゥ・ウィンを飾ったモナコでの1勝を加えシーズン通算5勝を獲得。なかでもニュルブルクリンクとシルバーストンでは、第1レースとリバースグリッド制の第2レース両方とも勝利して、ネルソン・ピケJr.との争いを制してタイトルを獲得した。
F1での経歴
マクラーレン
2007年
2007年、マクラーレン・メルセデスからF1デビュー。チームメイトは2005年、2006年を連覇したチャンピオン、フェルナンド・アロンソ。
「F1史上初の黒人ドライバー」「マクラーレンの秘蔵っ子」などの愛称として注目を浴びる中、デビュー戦となる開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞し表彰台へ登った[2]。続く第2戦マレーシアGP、第3戦バーレーンGPでも2位に入り、デビューから3戦連続表彰台という史上初の成績を収めた。更に第4戦スペインGP、第5戦モナコGPでも続けて2位に入賞。第4戦終了時には未勝利ながら史上最年少でドライバーズランキングの首位に立った。
第6戦カナダGPでは初のポールポジションを獲得すると、決勝レースではポールトゥウィンで初優勝を遂げ[3]、続く第7戦アメリカGPでもポールトゥウィンで2戦連続優勝を果たした[4]。
その後、第8戦フランスGP、第9戦イギリスGPにおいても3位と安定した成績を収めたが、第10戦ヨーロッパGP予選Q3では公式セッションに於いて初のクラッシュを経験し、その結果デビュー後最低となる10番グリッドからのスタートとなった。決勝では他車との接触によるパンクや雨によるコースアウトなどが重なり入賞圏外の9位でフィニッシュ。これにより初参戦以来の連続表彰台記録および連続入賞記録は9でストップした。その後は、第11戦ハンガリーGP、第15戦日本GPで勝利を飾った事などもあり、ポイントリーダーの座を守ったが、チャンピオン獲得の可能性もあった第16戦中国GPでは、タイヤのパンクで自身初のリタイアを経験した。
史上初の新人ドライバーによるチャンピオン獲得の可能性に注目が集まった最終戦ブラジルGPでは、スタートでキミ・ライコネンとアロンソに先行を許し、ミスによるコースアウトやギアトラブルにより後退した。その後、追い上げたものの7位に終わり、ライコネンが逆転でチャンピオンを獲得した。決勝後、ハミルトンの上位3人の燃料温度に違反があるとして審議が行われた。その日のうちにペナルティなしとの判断が下されたものの、2日後にマクラーレンはFIA国際控訴裁判所に控訴した。仮にこの3人にタイム加算や失格ペナルティが下された場合、ハミルトンのチャンピオン獲得の可能性は残されていたが、最終的にFIAによりマクラーレンの控訴が棄却されたため、その可能性は消滅した。
結果的にF1史上初のルーキーによるワールドチャンピオン獲得という偉業達成はならなかったものの、このシーズンの多くをポイントリーダーとして過ごし、最終的にチャンピオンとなったライコネンに1ポイント差、前年まで2年連続チャンピオンであるチームメイトのアロンソと同ポイントでシーズンを終えたことで、その才能を遺憾なく見せつける一年となった。
2008年
2008年、シーズン開幕前にはフェラーリ圧倒的に有利と言われていた下馬評[5]を覆し、開幕戦オーストラリアGPを制した。しかし第2戦マレーシアGPでは予選中に他車のアタックを妨害したとして、グリッド降格ペナルティを受けてしまい、決勝レースでは5位にとどまった。第3戦バーレーンGPでは2度もアロンソに追突するなどのミスから順位を落とし、ノーポイントに終わったが、その後の2戦では表彰台を獲得。第6戦モナコGPでは序盤にガードレールに当たりタイヤをパンクさせるミスを犯し、ピットインを余儀なくされ後退するも、セーフティカーが導入されたレース展開に巧みに対応して中盤には首位に立ち、モナコGP初優勝を飾った。その後の第7戦カナダGPでは、ピットアウト時に赤信号で停止していたライコネンのマシンに追突するミスを犯しリタイアに終わる。この事故により次戦第8戦フランスGPでは10グリッド降格ペナルティを受け、決勝でもシケイン不通過でのオーバーテイクによるペナルティを受け、2戦連続ノーポイント。しかし、大雨の第9戦イギリスGPを独走で制すると、第10戦ドイツGPではセーフティカー導入時の戦略ミス[6]を覆して優勝し、2連勝でポイントリーダーに立つ。その後の6戦は優勝こそないものの、手堅くポイントを上げランキング首位を堅持する。第16戦日本GPでは、スタート直後の1コーナーへの進入で他車を巻き込むミスを犯し、それに対するペナルティで後退し無得点に終わった。しかし続く第17戦中国GPではポールポジションからスタートすると、ファステストラップを記録しながら独走し、圧倒的な強さを見せシーズン5勝目をハットトリックで飾った。
5位以上でフィニッシュすれば、タイトルを争うフェリペ・マッサの成績に関係なくチャンピオン獲得となる絶対的に有利な状況で最終戦ブラジルGPをむかえた。スタートからマッサが首位を快走する中、チャンピオン獲得の最低条件となる5位走行中の68周目にセバスチャン・ベッテルに抜かれ、6位で残り2周を迎えることとなった。ベッテルを抜き返せず、チャンピオン獲得は絶望的に思われた最終ラップ、雨が強まる中ドライタイヤを装着していたティモ・グロックがペースを落としたところを、最終コーナー手前でオーバーテイク。5位で完走し、シーズン前の大方の予想[5]を覆して、アロンソの記録を破り当時のF1史上最年少ワールドチャンピオン記録を樹立した(23歳300日)。
結果的に史上最年少でワールドチャンピオンを獲得はしたものの、前年と比較するとミスや荒い運転が目立ち、他のドライバーやメディアの批判の的になることが多い一年となった[7][8][9][10]。
2009年
2009年もマクラーレンから参戦。チームは大幅なレギュレーション変更の対応に苦しみ、開幕前のテストから不調が報じられた[11]。ハミルトン自身も、開幕戦オーストラリアGPでは決勝前の全セッションでチームメイトのコバライネンにも遅れをとり苦戦が予想されたが、決勝ではグリッド最後尾から追い上げ、4位でゴールした。レース終了後に3位に繰り上がったが、その際の審議で虚偽証言をしたとして失格処分となった。
第4戦バーレーンGP以降はノーポイントのレースが続き、また第6戦モナコGPから第8戦イギリスGPまで3戦連続で予選Q1落ちを喫していたが、第9戦ドイツGPで復活の兆しを見せ予選5番手を獲得。決勝ではスタートでマーク・ウェバーに追突されタイヤがパンクする不運もあり、最下位でレースを終えた。
しかし、次戦第10戦ハンガリーGPでは予選4位を獲得すると決勝では終始安定したペースで11戦ぶりの勝利をあげ、KERS搭載車の初勝利を記録した。続く第11戦ヨーロッパGPでも好調を維持し、シーズン初のポールポジションを獲得し、決勝では終盤のピット戦略ミスがあったが2位表彰台を獲得した。
第13戦イタリアGPではシーズン2度目のポールポジションを獲得するが、決勝では3位走行中のファイナルラップで自身のミスによりクラッシュしてレースを終えた。これにより、シーズン4戦を残してタイトル防衛の可能性が無くなった。続く第14戦シンガポールGPでは2戦連続となるポールポジションを獲得し、ポールトゥーウィンを飾った。その後の2戦でも表彰台を獲得するなど、終盤の8戦では全ドライバーの中で最も多くのポイントを上げる活躍を見せた。
最終的に、コンストラクターランキング上位2チームの4人に次ぐ、ドライバーズランキング5位でシーズンを終えた。2018年現在、F1キャリアでファステストラップ獲得のないシーズンはこの年のみである。
2010年
2010年もマクラーレンから参戦。チームメイトは前年度チャンピオンのジェンソン・バトン。開幕戦バーレーンGP予選では、ポールポジションのセバスチャン・ベッテルから1秒以上の遅れをとり、フェラーリ勢の後塵を拝する4位に留まった。決勝では3位表彰台を獲得したものの、翌第2戦オーストラリアGP、第3戦マレーシアGPでは予選Q2敗退を喫するなど、シーズンの苦戦が予想された。
好機が訪れたのは第7戦トルコGP。首位を争っていたレッドブル勢の2人のドライバー、ベッテルとマーク・ウェバーが接触。ベッテルはリタイアに追い込まれ、ウェバーは後退を余儀なくされた。これにより首位に出たハミルトンは2009年シンガポールGP以来、10戦ぶりの勝利をあげた。続くカナダGPではレッドブル以外の車両でこのシーズン初のポールポジションを獲得して見せた。決勝もチームメイトのバトンと1-2フィニッシュで優勝を飾り、ポイントランキングでも首位に躍り出た。次の2戦ではマシンのアップデートが進まずに[12][13]、第9戦ヨーロッパGPではセーフティカーを抜きドライブスルーペナルティを受けるものの、チームの巧みなレース戦略で第10戦イギリスGPと2戦連続で2位表彰台を獲得しランキング首位を堅持した。
第11戦ドイツGP以降はレッドブル勢ばかりでなく復調したフェラーリ勢にも遅れをとり始め、第12戦ハンガリーGPではギアボックストラブルでリタイアに終わったことによりポイントランキング首位の座をウェバーに明け渡した。翌第13戦ベルギーGPで優勝し再びタイトル争いで首位に立ったが、第14戦イタリアGPでは1周目に自身のミスによりマッサと接触しリタイアに終わり、続く第14戦シンガポールGPで今度はウェバーと接触し、2戦続けてリタイアしたため首位から陥落。第15戦日本GP終了時点ではベッテルにも先行されたものの、翌第16戦韓国GPで2位表彰台を獲得し、レッドブルの2人が共にリタイアに終わったことでタイトル獲得へ望みをつなげた。最終戦アブダビGPをランキング4位で迎え、ハミルトンにも辛うじてチャンピオン獲得の可能性が残されていた。優勝することと首位のアロンソが無得点であることが最低条件という最も不利な状況であったが、2位表彰台に留まり最終的にドライバーズランキング4位に終わった。
2011年
2011年もマクラーレンから参戦。開幕前のテストではレッドブルやフェラーリに大きく遅れを取っていたが、開幕戦オーストラリアGPの予選ではポールポジションのベッテルに0.778秒という大差をつけられながらも2位につけ、決勝でも2位表彰台を獲得した。続く第2戦マレーシアGP予選でも好調を維持し2戦連続で2番手につけたものの、決勝では2位を走行中のピット作業ミスで3位に落ち、その後アロンソに追突されタイヤに不調をきたし、さらにはアロンソとのバトル中にストレートで複数回の進路変更を行ったことを咎められ、ペナルティを受け8位に降格となった。しかし、続く第3戦中国GPではベッテルが予選まで全てのセッションでトップタイムをマークする好調さを見せていたが、決勝ではレース終盤でそのベッテルをオーバーテイクしてシーズン初優勝をあげた。
第6戦モナコGPではマッサとマルドナドと接触し、ペナルティを受けて6位に終わった。大雨によりセーフティカースタートとなった第7戦カナダGPではスタート直後にウェバーと接触し、その後ホームストレートでチームメイトのバトンをオーバーテイクしようとした際に追突してリタイアとなった。この2件の接触は共に審議の結果ペナルティの対象とはならなかった[14]ものの、2戦で4件の接触事故を起こし、そのドライビングスタイルが非難を浴びた[15]。4戦続けて表彰台にすら登れないレースが続いていたが、過密スケジュールによる精神的な疲労を理由に直前のいくつかのイベントなどをキャンセルし、休暇を取って臨んだ第10戦ドイツGPでは予選で2番手を獲得し、決勝ではスタートで首位に立つとアロンソとウェバーとの三つ巴の激戦を制し、7戦ぶりとなる2勝目をあげた。第11戦ハンガリーGPではレースの大半を首位で走るが雨が降り出すとスピンし、その際にコースへ戻るスピンターンが危険という理由でドライブスルーペナルティを受け、ウェットタイヤへ交換する作戦も裏目に出て4位に終わった。その後も他車との接触が多く、表彰台に乗れないレースが続いた。
第16戦韓国GPでは昨年のカナダGP以来のポールポジションを獲得し、決勝では1周目にベッテルに抜かれ中盤からペースが上がらずに苦しんだものの、ウェバーとの2位争いを制し久しぶりの表彰台を手にした。ポールポジション獲得後の記者会見で「久しぶりのポールポジションなのに嬉しそうではないのはなぜか」と問い詰められることがあったが、この頃恋人のニコール・シャージンガーと別れており[16]それが影響したのではないかと噂され、こうしたプライベートな問題がパフォーマンスに影響したのではないかという噂を後にハミルトン自身も認めた[17]。しかし、第18戦アブダビGPではフリー走行から好調で、予選Q2でレースウィーク中全体の最速タイムを記録し、ベッテルにポールポジションを奪われたものの、決勝ではスタート直後にベッテルがリタイアしたためトップに上り、その後は安定した走りでアロンソを退け、久しぶりとなる勝利を挙げた。
レッドブル以外のドライバーで唯一のポールポジションを獲得したが、決勝ではピレリタイヤのマネジメントに苦しんだレースが多々あり、レース中のミスや接触も目立った。その結果、12回表彰台に登りドライバーズランキング2位を手にしたチームメイトに対し、共に3勝を上げたものの自身の表彰台は6回に留った。シーズンを通して安定感に欠けたことでドライバーズランキングは5位に終わり、F1のキャリアの中で初めてドライバーズランキングでチームメイトの後塵を拝した。
2012年
2012年もマクラーレンから参戦。テストで好調が噂されたMP4-27は速さを見せ、予選では開幕戦オーストラリアGP、第2戦マレーシアGPと連続ポールポジションを獲得し、決勝では第3戦中国GPまで3戦連続3位表彰台を獲得した。
第5戦スペインGPでは予選で2位に0.568秒差をつけてのポールポジションを奪うが、2010年カナダGP同様燃料切れ寸前になり、アタック後にピットに戻ることができずに予選タイム抹消で失格処分[18]となった。決勝は最後尾から唯一2ストップ作戦で走りきり8位入賞。 第6戦モナコGPではレース序盤まで3番手をキープして走行していたが、ピットストップでアロンソとベッテルに逆転され5位でレースを終えた。レース後にはチーム側への不満を露にしたが[19]、続く第7戦カナダGPでアロンソとベッテルとのトップ争いを制してシーズン初優勝を飾った。その後はマシンパフォーマンスとともに調子を落とすものの、第11戦ハンガリーGPでは2位に大差を付けてのポールポジションを獲得すると、決勝ではロータス勢の激しい追い上げを抑えきりポール・トゥ・ウィンで2勝目を上げた。
第12戦ベルギーGPではスタートでロマン・グロージャンに幅寄せされ接触、そのまま多重クラッシュに巻き込まれてリタイアするも、連戦となった翌第13戦イタリアGPでは4度目となるポールポジション、2度目のポール・トゥ・ウィンで3勝目を上げた。第14戦シンガポールGPでも連続となるポールポジションを獲得したが決勝では首位走行中ギアボックストラブルによりリタイア。
その後は復活したベッテルに遅れを取り、マシントラブルも多発したことにより入賞が精一杯という結果が続きタイトル獲得は絶望的となった。数字上は僅かに可能性が残っていた第18戦アブダビGPではフリー走行から復活の兆しを見せ、予選では大差を付けてポールポジションを獲得、決勝でも充分なリードを築いていたがまたもマシントラブルに襲われリタイアに終わり、チャンピオン争いから脱落した。その後の第19戦アメリカGPでは予選2位からポールポジションを獲得したベッテルとのマッチレースを逆転で制し、6戦ぶりの勝利を飾る。最終戦となる第20戦ブラジルGPでは7度目のポールポジションを獲得。雨まじりとなった決勝では序盤首位からバトンに抜かれ順位を落とすも、セーフティカー導入により差が縮まり雨も止んだ中盤に首位に復帰。しかし追い上げてきたニコ・ヒュルケンベルグに追突されリタイアに終わった。
シーズン最多となる7度のポールポジションとベッテルに次ぐ4度の優勝を上げ、その速さを遺憾なく発揮したシーズンであったが、度重なるチームのミスやマシントラブルなどによりポイントを失うレースが多く、ドライバーズランキングは4位で終わった。
第15戦日本GP開催前に、翌2013年シーズンはメルセデス・ベンツから参戦することが発表された。
メルセデス
2013年
2013年はメルセデスから参戦。チームメイトはカート時代の元チームメイト、ニコ・ロズベルグ。 3年で1勝しか上げていないメルセデスへの移籍は賛否両論があり、自身も「移籍してすぐに結果を出せるとは思っていない」と語っていたが[20]、冬のテストでは最後のバルセロナテストでトップタイムを記録し、メルセデスW04は高い競争力を持っているのではと期待された[21]。
その期待通り、早くも第2戦マレーシアGPで移籍後初となる3位表彰台を獲得。しかし、終盤明らかに速かったチームメイトのロズベルグがすぐ後ろを走行していたにもかかわらず、チームオーダーによって順位を維持したため物議を醸した(この時ハミルトン自身は無線で「ニコの方が自分より速いからニコを先に行かせてやってくれ」と言っている[22])。第3戦中国GPでは移籍後初のポールポジションを獲得。決勝では2戦連続となる3位表彰台を獲得した。その後はロズベルグが3戦連続でポールポジションを獲得し第6戦モナコGPでは優勝するなど、チームメイトの後塵を拝することになる。この不調についてハミルトンは、長年居たマクラーレンとメルセデスのマシンの感触の違い、特にブレーキングのフィーリングが違うせいで自信を持ってドライブできないのが原因と語った[23]。
得意とする第7戦カナダGPから復調の兆しを見せ、3度目の3位表彰台を獲得。母国である第8戦イギリスGPでは2位以下を0.4秒以上引き離すコースレコードタイムで2回目のポールポジションを獲得。決勝レースも順調に後続を引き離していたが、このレースで多くのマシンを襲ったピレリのタイヤバーストトラブルの最初の犠牲者となり、最後尾まで順位を落としてしまう。終盤はセーフティカーにも助けられ4位まで挽回した。次戦第9戦ドイツGPでも2戦連続のポールポジションを獲得するが、決勝はペースに苦しみ5位フィニッシュ。
カナダと同様に得意とする第10戦ハンガリーGPで3戦連続のポールポジションからポール・トゥ・ウィンを決めて、移籍後の初優勝を果たした。第11戦ベルギーGPまで4戦連続ポールポジションとシーズン中盤には速さを見せたが、その後に圧倒的なパフォーマンスを発揮したレッドブルとベッテルを脅かすには至らず、ドライバーズランキング4位でシーズンを終えた。
キャリアで複数回勝利を上げられなかった初めてのシーズンである。しかし、リタイアしたのは第15戦日本GPのみという安定した走りを見せたこともあって、序盤の予測を覆し同年のポイントは自身が前年にマクラーレンで稼いた得点まであと1点のところまで迫った[24]。
2014年
2014年もメルセデスから参戦。2014年からカーナンバーに固定ナンバー制度が導入され、カート時代に使っていた44を選んだ[25]。偶然だが、44は2007年のデビューからつけてきたナンバーの合計でもある(2、22、1、2、3、4、10)。
レギュレーションの大変革が行われた今年、冬のテストで明らかにライバルをリードしていたのがメルセデスのW05だった。開幕戦オーストラリアGPでポールを獲得し、決勝はパワーユニットのトラブルでリタイアするも僚友のロズベルグが圧倒的なリードで優勝したことによってそれは証明され、チャンピオンシップはハミルトンとロズベルグによって争われることが予想された。 第2戦マレーシアGPでグランドスラムを達成しシーズン初勝利を飾る。第3戦バーレーンGPではポールポジションはロズベルグに譲るも、スタートでリードを奪うとその後の激しいバトルを制して勝利をもぎ取る。勢いそのままに第4戦中国GP、第5戦スペインGPを連続ポール・トゥ・ウィンで制し、自身初となる4連勝を果たした。
ポイントリーダーとして迎えた第6戦モナコGPだったが予選決勝共に2位で終わり、早々にポイントリーダーの座を奪い返された。予選Q3の最後のアタックで暫定首位のロズベルグを上回るペースを見せた矢先に、前を走行していたロズベルグがブレーキングミスを犯してコース外にマシンを止めた事により黄旗が振られ、タイム更新が不可能となった。 2006年同レースのシューマッハによる「ラスカスゲート」を彷彿とさせるこの出来事により、ロズベルグの無罪が審議により証明されたにも関わらず、ハミルトンは明らかな不満を表し[26]、二人の関係は以降ぎくしゃくしたものとなる。
その後はやや精彩を欠き、特に予選の成績は低迷した[27]。第7戦カナダGPはマシントラブルによりリタイア、第8戦オーストリアGPでは2位表彰台に登るものの、それぞれ予選でポール獲得可能なペースがあったにも関わらずミスにより逃している。第9戦イギリスGPでも予選でのミスにより6番手に沈むが、決勝では目覚ましいペースで追い上げ、ポールスタートのロズベルグがギアボックストラブルによりリタイアするのを尻目に2008年以来となる母国優勝を果たした。広がりつつあったポイント差を一気に縮める事にも成功した。しかし第10戦ドイツGP、第11戦ハンガリーGPではそれぞれ予選Q1でブレーキトラブルによるクラッシュ、マシンから出火という不運に見舞われ後方スタートを余儀なくされるものの、共に追い上げ3位表彰台まで挽回した。ハンガリーでは終盤タイヤ戦略の異なるロズベルグを前に出すようにチームオーダーが出されるが、それを拒否してポジションを守り切った事によりチーム内で物議を醸した[28][29]。
ロズベルグとの間の緊張感はシーズンが進むにつれ大きくなっていったが[30]、第12戦ベルギーGPで接触という形で表れる。スタートでポールのロズベルグを抜いてトップにたったハミルトンだったが、次の周にロズベルグに追突された事によりタイヤがパンクし最後方に沈み、最終的にはリタイアした。一方のロズベルグが2位に入った事でまたしてもポイント差を広げられたが、第13戦イタリアGP、第14戦シンガポールGPで共にハットトリックを飾り連勝したことにより、シンガポールをリタイアしたロズベルグに代わり再びポイントリーダーの座に立った。その後も第18戦ブラジルGP以外のレースを優勝してロズベルグとの差を広げ、2008年以来となる2度目のワールドチャンピオンに輝いた。
幾度かのマシントラブルや、本人の浮き沈みもあり、予選ではロズベルグに対して7勝12敗と遅れをとり、2014年シーズンから始まった最多ポール獲得者に送られるポールトロフィーは奪われてしまった。しかし、第15戦日本GPや第17戦アメリカGPのようにレースで逆転するケースが目立ち、決勝レースでの強さが光った。その結果、11勝を挙げて自身2度目にして6年ぶりのワールドチャンピオンを獲得した。
2015年
2015年もメルセデスからワールドチャンピオンとして参戦。カーナンバーは、チャンピオンにのみ権限が与えられる1ではなく44を選択。
昨年同様テストから他を圧倒する速さを見せ、開幕戦オーストラリアGPをハットトリックで制し、幸先よくシーズンをスタートした。第2戦マレーシアGPでは2ストップ作戦をとり、1回ピット回数を減らしてきたフェラーリのベッテルに敗れ、2位に終わる。しかし、続く第3戦中国GPをハットトリックで制し、第4戦バーレーンGPは終盤ブレーキトラブルを抱え、ライコネンの猛追を受けたものの、ポールトゥーウインを飾った。
ヨーロッパラウンドに入ると、スタートで出遅れるケースが目立った。また、第6戦モナコGPではトップを快走し、2位ロズベルグを20秒近く離していたが、チームの戦略ミスにより3位で終え、第10戦ハンガリーGPではスタートで後退し、ロズベルグを抜こうとしてコースアウト、さらにリチャルドとの接触によりペナルティを受け、表彰台すら逃したものの、夏休み明けの第11戦ベルギーGPをポールトゥーウィンで制すと、続く第12戦イタリアGPでは自身2度目のグランドスラムを達成した。
第13戦シンガポールGPではメルセデス勢はフリー走行から決勝まで共にペースが上がらず、予選ではセナの持つ連続PP8回の記録に挑んだが、フェラーリ勢とレッドブル勢の後塵を拝する5番手で終え、連続PP記録は7で途絶えた。さらにはレース中盤で今シーズン初のリタイアを喫した。しかし、続く第14戦日本GPではポールポジションをロズベルグに譲ったものの、スタートでトップに立ち、その後は危なげない走りで、憧れのセナに並ぶ通算41勝目を挙げた。第15戦ロシアGPではロズベルグのリタイアで楽にトップに立つと、2位のベッテルに対して、付け入る隙を見せずに勝利を飾る。第16戦アメリカGPでもスタートでロズベルグをかわしてトップに立つが、再度抜き返される。しかし2度のセーフティカーも味方し、さらにはロズベルグがコースアウトした隙を突いて、トップを奪って勝利を収め、2年連続、自身3度目のワールドチャンピオンを獲得した。
フェラーリの躍進、マシンの問題やチーム・自身のミス、第13戦シンガポールGPでの急失速などもあり、決して楽なシーズンではなかったが、昨年以上の安定感に予選の速さも加わり、2年連続での2桁勝利と11回のPPを獲得した。その結果、シーズン中1度もポイントリーダーの座を譲ることなく、自身3度目のワールドチャンピオン戴冠を実現した。
2016年
引き続きメルセデスから参戦。開幕戦直前に決まった新予選方式[31]が導入された開幕戦オーストラリアGPではポールポジションを獲得した。決勝ではスタートで順位を落としたが、終盤はフェラーリのベッテルを凌いで2位表彰台。第2戦バーレーンGPでもV10時代のコースレコードを塗り替えるラップでポールポジションを獲得したが、決勝ではスタートでチームメイトのロズベルグにあっさりかわされ、さらにウィリアムズのバルテリ・ボッタスと接触して大きく順位を落とし、挽回したものの3位に終わる。続く第3戦中国GPではマシントラブルにより、およそ2年ぶりのQ1落ち。さらに決勝でもスタート直後にフェリペ・ナスルと接触し、その後もペースが上がらず7位に終わった。第5戦スペインGPにおいてもシーズン3度目のポールポジションを獲得したが、ロズベルグとオープニングラップに接触してリタイアに終わり、この時点でポイントリーダーのロズベルグに43ポイントの大差をつけられていた。
迎えた第6戦モナコGP予選ではトラブルの影響もあり3位に終わる。しかし、決勝ではペースの上がらないロズベルグにポジションを譲られて[32]早々に2番手に上がり、その後はレッドブルのタイヤ交換ミスにも助けられて、トップを奪いシーズン初優勝を飾ると、続く第7戦カナダGPもポール・トゥ・ウィンで連勝。第8戦ヨーロッパGPでは初開催のバクー市街地コースの予選でクラッシュして10位に終わり、決勝でもペースが上がらず5位に終わった。しかし、第9戦オーストリアGPではロズベルグと接触しながらも逆転勝利を飾ると、第11戦ハンガリーGPではスタートでトップを奪って優勝を飾り、ロズベルグからポイントリーダーの座を奪った。さらに第12戦ドイツGPでもスタートでロズベルグをかわしてそのまま独走で勝利を収めた。7月負けなしの4連勝で前半戦を折り返した時点でロズベルグに19ポイントの差をつけた。
夏休み明けの第13戦ベルギーGPではパワーユニット交換のペナルティにより21番手スタートとなったが、序盤の混乱や赤旗に乗じて大きく順位をあげて3位表彰台を獲得した。しかし、その後はミスやトラブルによりロズベルグに3連勝を許して第15戦シンガポールGPでポイントリーダーの座を譲り、第16戦マレーシアGPではトップを快走中にエンジンブローでシーズン2度目のリタイヤを喫し、さらに第17戦日本GPでもスタート失敗が尾を引き3位に終わり、4戦を残してロズベルグに33ポイント差をつけられて自力タイトルの可能性は消滅した。その後、得意とする第18戦アメリカGPでは初のポールポジションを獲得して、そのまま危なげなくポールトゥウィンを飾り、勢いに乗って終盤4レースすべてでポールトゥウィンと意地をみせ、第20戦ブラジルGPではアラン・プロストの通算優勝回数を上回り単独歴代2位となった。しかし、その4レースすべてで2位に入り続けたロズベルグに最終的に5ポイント及ばず、3連覇達成とはならなかった。
最終的にはロズベルグを上回る12回のポールポジションを獲得し、3年連続の二桁勝利を達成した。しかし、ロズベルグがさほど苦しまなかったにも関わらず、ハミルトンはスタートで大きく順位を落とす場面や[33]オープニングラップでの接触がしばしばであり、またマシントラブルにも苦しみ、ポイントを取りこぼすレースが目立った。それにより、自身4度目のワールドチャンピオンを逃した。
2017年
メルセデスでの5年目のシーズン。チームメイトは昨シーズン限りで引退したニコ・ロズベルグに代わって、ウィリアムズより加入したバルテリ・ボッタス。
開幕戦オーストラリアGPでは4年連続となるポールポジションを獲得したが、決勝ではセバスチャン・ベッテルに逆転を許して2位。第2戦中国GPではグランドスラムでシーズン初優勝を飾った。しかし、続く第3戦バーレーンGPでは終盤の追い上げ実らずベッテルに次ぐ2位に留まり、第4戦ロシアGPでは終始ペースが上がらず優勝したチームメイトのボッタスに30秒もの大差をつけられて4位に終わった[34]。
第5戦スペインGPではスタートでベッテルの先行を許したものの、再びコース上で逆転して優勝を飾った。しかし、第6戦モナコグランプリでは予選ではストフェル・バンドーンのクラッシュの影響もありQ2敗退を喫し、決勝も7位でフィニッシュするにとどまった[35]。第7戦カナダGPにてアイルトン・セナに並ぶ65回目のポールポジションを獲得し、決勝でも安定した走りを見せてシーズン2度目のグランドスラムを達成。その後の2レースはヘッドレストが緩むトラブルによる緊急ピットインや[36]、ギアボックス交換ペナルティ[37]が響き表彰台にすら登れなかった。そしてロンドンで行われたF1のイベントをキャンセル[38]して臨んだ第10戦イギリスGPでは再びグランドスラムで同グランプリ4連覇を達成する。これで一気にベッテルとのポイント差を縮める事にも成功したが、第11戦ハンガリーGPでは4位に留まり、優勝したベッテルに14ポイントのリードを許して前半戦を終えた。
夏休み明け第12戦ベルギーGPでは予選でポールポジションを獲得すると、決勝でもベッテルとのマッチレースを制して5勝目をあげた。続く第13戦イタリアGPでは通算69回目のポールポジションを獲得し、ミハエル・シューマッハの68回を上回る歴代最多記録を更新。決勝でも危なげない走りで優勝を飾り、シーズンで初めてポイントリーダーの座に立った。その後も第14戦シンガポールGPから第17戦アメリカGPの4レースで優勝3回、2位1回と安定した成績を収め、クラッシュやトラブルで失速したベッテルに66ポイントの差をつけた。迎えた第18戦メキシコGPではベッテルと接触し、最後尾まで後退。しかし、9位まで追い上げてポイントを獲得し、2年ぶり4回目のチャンピオンを決めた。
自身も「暴れ馬」[39]と呼んだマシンに手こずり、調子を落とすレースもいくつかあった一方で、徐々にマシンの理解が進むにつれて調子を上げていった。特にベルギーGPからタイトル獲得までは圧倒的な速さと強さを見せ、終わってみればタイトル獲得に加え、3年連続の2桁ポール、9勝を挙げた。さらには2017年参戦のドライバーで唯一、自身初の年間全レース完走および入賞を達成した。
2018年
メルセデスでの6年目のシーズン。引き続きボッタスとコンビを組む。
開幕戦オーストラリアGPでは5年連続ポールポジションを2位にコンマ7秒近い大差をつけて獲得するも、レース中盤に導入されたバーチャルセーフティカーによりまたしても開幕戦での優勝を逃した。昨年同様にタイヤとの相性に苦しむ状況となっていたが[40][41][42]、第4戦アゼルバイジャンGPでシーズン初優勝を飾りポイントリーダーの座に躍り出ると、第5戦スペインGPで連勝を果たした。
第7戦カナダGPではPUのアップデートが遅れた影響などにより5位に終わり[43]、第9戦オーストリアGPではおよそ2年ぶりとなるリタイヤを喫した。さらに、母国第10戦イギリスGPではスタート直後にライコネンと接触し、5連覇達成とはならなかった。第11戦ドイツグランプリでもトラブルで予選は下位に沈むが、逆転優勝を飾りポイントリーダーを奪還。第12戦ハンガリーグランプリでは予選の雨を味方につけてポールトゥウィンを果たし、ベッテルに24ポイント差をつけた状態でシーズン後半へ突入する。
特筆されるレース
チームメイトのフェルナンド・アロンソを退けて、自身初のポールポジションを獲得。決勝は4度にわたってセーフティカーが入る荒れた展開となったが、ハミルトンはセーフティカーにより2位以下とのギャップが縮まっても、すぐにセーフティーマージンを築く安定したペースコントロールをみせ、デビュー6戦目の自身初優勝を危なげない形で飾った。
予選はミスの影響もあり4番手に終わった。しかし、ハーフウェットで始まった決勝のスタートで2番手に上がると、5周目のストウコーナーでヘイキ・コバライネンをかわしてトップに立った。その後、目まぐるしく変わるコンディションに対応しきれずスピン・クラッシュするマシンが続出したが、ハミルトンは大したミスなく60周のレースをまとめ、2位に1分差・4位以下を周回遅れにする圧倒的な速さで母国グランプリ初制覇を果たした。
予選では圧倒的な速さを見せてポールポジションを獲得。決勝でも序盤からトップを快走していたが、トヨタのティモ・グロックのクラッシュによりセーフティカーが出動。この際にハミルトンはピットに入らずにコース上にステイアウト。レース終盤に2度目のピットインを済ませ、5番手でコースに復帰する。そこからチームメイトのコバライネンをかわすと、マッサをやや強引にパス。60周目にはGP2でタイトルを争ったネルソン・ピケJr.をオーバーテイクしてトップに立ち、前回イギリスGPに続いて連勝を果たした。
2008年の最終戦。予選は4番手で、ハーフウェットで始まった決勝レースでも順当にポジションをキープ。路面が乾いてきてドライタイヤに交換。7番手でコースに復帰する。そこからヤルノ・トゥルーリ、ジャンカルロ・フィジケラをかわして自力でチャンピオンを決められる5位まで挽回する。その後、最後のルーティンのピットインを終えて4位に浮上したが、レース終盤に再び雨が降り始めてウェットタイヤに交換。5番手でコースに復帰する。残り3周というところでセバスチャン・ベッテルにパスされて6番手に後退し、ワールドチャンピオンの権利を失ったかに見えた。しかし、最終ラップの最終コーナーでドライタイヤでステイアウトしていたティモ・グロックをパス。再び5位に浮上し、当時史上最年少のワールドチャンピオンに輝いた。
雨で混乱した予選では18番手に沈んだ。決勝ではオープニングラップで発生したクラッシュでセーフティカーが出動。ハミルトンはこの際にピットインし、給油とタイヤ交換を済ませた。その後、じわじわと順位を上げていき、全車がルーティンのピットインを済ませた時点で4番手に浮上。さらにタイヤのスローパンクチャーに見舞われ、ペースの上がらないルーベンス・バリチェロをオーバーテイクし、3位表彰台のポジションを得る。バリチェロをオーバーテイクした際に、フロントウィングにダメージを負った影響でペースが上がらず、ベッテルに迫られたもののポジションをキープ。18番手スタートから表彰台を獲得した。
予選6番手から決勝スタート。1周目にセーフティカーが入り、雨を予想してピットイン。しかし、雨は大して降ることなく再度ドライタイヤに交換し、ほぼ最後尾まで順位を落とした。しかし、そこからファステストラップを出しながらベッテルとスーティルをダブルパッシング、さらにミハエル・シューマッハとの抜きつ抜かれつの激しいバトルを制するなどして徐々にポジションを回復。さらに、レース中盤にセーフティカーが入ってからも勢いは止まらず、最終的にはトップのジェンソン・バトンに1秒差の2位でチェッカーを受けた。
予選は3番手。スタートでチームメイトのバトンと共にベッテルをパスするが、すぐにベッテルに抜き返されてしまう。その後は、2ストップ作戦を取るベッテルとフェリペ・マッサを、早めのピットストップで上位に上がってきていたニコ・ロズベルグを筆頭に、バトン、ハミルトンが3ストップ作戦で追い上げる展開となる。ハミルトンはその中でもペースが抜きん出ており、バトンを半周近い攻防の末に抜き去ると、続けてロズベルグ、マッサを攻略。ついには残り5周というところでベッテルをかわしてシーズン初優勝を飾り、昨シーズンから続いていたベッテルの連勝を4でストップさせた。
フリー走行からベッテルが圧倒的な速さを見せ、ハミルトンに対して約1秒の差をつけていた。予選では逆転は叶わなかったが、コンマ1秒差にまで迫る2番手タイムを叩き出していた。スタートではマーク・ウェバーに抜かれて3番手にポジションを落とすが、すぐに抜き返して2番手を取り戻す。その後はトップのベッテルと共にファステストラップを出し合いながらも、ハミルトンはベッテルに対して1秒差を切るところまで近づきオーバーテイクのチャンスを伺う。レース終盤になると周回遅れのマシンが絡み始め、ベッテルが引っかかったタイミングを見逃さずにオーバーテイク。その後も僅差で続くベッテルに抜き返すチャンスを与えずにシーズン4勝目を飾った。2018年現在、マクラーレン在籍時の最後の優勝である。
予選ではコースレコードを塗り替えるタイムでポールポジションを獲得。決勝でもスタートから順当にトップをキープして快走していた。しかし、このレースで多くのマシンを襲ったタイヤトラブルの最初の被害者となり、一気に最後尾にまで順位を落とした。しかし、2度にわたって入ったセーフティカーにも助けられて徐々に順位を挽回。最終的には3位アロンソのすぐ後ろまで迫る4位でフィニッシュした。
予選はロズベルグに続く2番手。しかしスタートでチームメイトのロズベルグをかわすと、ターン4までの攻防も制してトップに立つ。レースペースで勝るロズベルグが再三プレッシャーをかけてくるが、トップを守り19周目にピットイン。ソフトタイヤで復帰する。その後は、ロズベルグを突き放してこのまま勝負あったかと思われた。しかし、40周目にパストール・マルドナードとエステバン・グティエレスの接触でセーフティカーが出動。ロズベルグに対しての9秒のリードが帳消しとなった。レースは47周目から再開されると、ミディアムタイヤのハミルトンに対して、ソフトタイヤのロズベルグが襲いかかる。数周にわたって1コーナーからターン6までにかけてサイドバイサイド、テールトゥーノーズの抜きつ抜かれつの激しいバトルを繰り広げながらも、ロズベルグを抑えきってバーレーン初優勝、シーズン2勝目を飾った[44]。
予選ではロズベルグを千分の数秒差で破ってポールポジションを獲得。好スタートをきって順調にトップを快走していた。しかし、31周目に導入されたセーフティカーにより後続とのギャップは消滅、さらに上位陣ではルーティンのピットインを唯一残すという厳しい状況に置かれた。レースが再開されるとファステストラップを出しながら、2番手のベッテルに対して1周2秒ほどの差をつけながら周回を重ね、ピットイン時までに25秒の差をつけた。トップでコースに復帰することは叶わなかったが、ピットインの次のラップにはベッテルを交わしてトップに立ち、そのままチェッカーを受けてこのレースをリタイヤで終えていたロズベルグからポイントリーダーの座を奪取した。
予選はロズベルグに逆転され2番手。決勝のスタートでは自身最高と語るスタート[45]でロズベルグをかわしてトップに立つ。その後、ロズベルグはマシントラブルにより後退し、代わって2番手に上がってきたウィリアムズのマッサがハミルトンを猛追。しかし、ハミルトンは正確なペースコントロールで寄せ付けずにシーズン11勝目を飾り、自身2度目のワールドチャンピオンを達成した。
予選では4戦連続となるポールを獲得。しかし、決勝ではマッサにスタートでかわされ、オープニングラップに導入されたセーフティカーが解除された直後にマッサをパスしようとしてオーバーラン。バルテッリ・ボッタスに前に出られて3番手まで後退する。その後、19周目にピットインを済ませると、ウィリアムズの2台をまとめてアンダーカットしてトップに立つ。レース終盤になると雨が降り始め、このタイミングで2番手に上がってきていたチームメイトのロズベルグがおよそ10秒あった差を数周で2秒差にまで縮めてきたが、絶妙なタイミングでウェットタイヤに交換。再びロズベルグに10秒程のギャップをつけながら母国グランプリ2連覇、シーズン5勝目を飾った。
予選ではトラブルの影響もあり、3番手にとどまった。ウェットコンデイションとなった決勝レースでは、トップを走るレッドブルのダニエル・リチャルドに対して3秒近く遅いタイムで走っていたロズベルグに順位を譲られて2番手に浮上。その後、リチャルドがインターミディエイトタイヤに交換したことでトップに立つと、ハミルトンはウェットタイヤからドライタイヤに1発で履き替える賭けに出てステイアウト。31周目にドライタイヤに交換。次の周にリチャルドがピットインするが、レッドブルはこの際にタイヤが用意できておらずタイムロス。このミスに助けられて再びトップに立つ。その後はタイヤのライフを守るためにペースを抑えたため、再三リチャルドのプレッシャーにさらされたが、終盤にはシーズン初となるファステストラップでリチャルドを突き放してモナコ2勝目を飾った。
予選ではシーズン3回目となるポールポジションを獲得。しかし、スタートではベッテルの先行を許して追う展開となる。メルセデスは2回目のピットストップで、バーチャルセーフティカーを利用してベッテルに対して8秒あった差を一気に詰めることに成功する[46]。そして44周目にハミルトンはベッテルをパスすることに成功してそのままトップチェッカーを受けた。このレースでは少しでもマシンを軽くするためにドリンクボトル抜きでレースに臨んでいたため、レース後のハミルトンは疲れきっておりレース中に体重が2kg減ったとコメントしていた[47]。
予選ではハイドロリック漏れなどのトラブルで14番手にまで沈んだ[48]。それでも、決勝では順調に5番手までポジションを回復する。レース終盤に雨が降り始めたタイミングでドライタイヤに交換し、そこから前のマシンよりも1周1秒程速いペースで追い上げ始める。トップを走っていたベッテルが52周目にリタイヤを喫すると、セーフティカーが導入された。この際に、コミュニケーションミスによりピットレーンを跨いでしまったが[49]、ステイアウトを選択してトップに浮上する。セーフティカーが解除されるとファステストラップを連発しながら後続を突き放し優勝を飾った。14番手以降からの優勝は同グランプリ終了時点で、976レースが行われた中での史上12例目である[50]。
議論を呼んだレース
- 2007年ハンガリーGP
- 予選Q3の終盤、最終アタックを前にピットインしたチームメイトのアロンソが、ピットアウトのタイミングを図るために20秒間停止。ハミルトンはその間にピットインし、アロンソの後で待機していたが、アロンソはチームから発進の指示が下った後も10秒間停止し続けた。ハミルトンは後ろで10秒間余分に待機されたことにより、わずかな差で最終アタックができなかった。アロンソは「ハミルトンの最終アタックの機会を妨害した」と判定され、5グリッド降格のペナルティを受けた。また、チームに対しても「このような行為はスポーツに損害を与える、汚すもの」として、コンストラクターズポイントの獲得を本GPにおいて認めないことと、自チームドライバーが優勝してもコンストラクターズトロフィーは受け取ることができないというペナルティが課せられた[51]。
- アロンソは「余分な10秒」について、「取り付けられたタイヤは正しいのかを聞いていた」と妨害が故意でないことを主張した。ロン・デニスは、Q3序盤にハミルトンがチームからの無線による指示を無視し、アロンソを先行させなかったことで、予選での戦略を妨害したことが発端と発言している[52]。
- 2008年カナダGP
- セーフティカー導入中のピットアウトの際、ピットレーン出口の赤信号を見落とし、ルールに従い停止していたライコネンの後部に激突した。レース後に、次戦フランスGPでの予選グリッド10番手降格のペナルティが科された。また、この件で「レース中なのにピット出口に赤信号を付けるなんて、くだらないルールだ」と、自身のミスを省みずルールを非難するコメントをした[53]。
- 2008年ベルギーGP
- 首位ライコネンに対して2位ハミルトンは42周目の最終コーナーで外側からオーバーテイクを仕掛けるが、接触を避けるためシケインを不通過してライコネンの前に出た。シケインの不通過を自覚していたため、ホームストレートで一端ライコネンを先行させたが、直後の第1コーナーで再びオーバーテイクした。この行為がレース後の審議で「明確に順位を戻しておらず不十分である」と裁定され、レース後にレースタイムに25秒加算ペナルティが下された。首位でゴールしたが、これにより3位に降格となった。
- マクラーレンはこの裁定を不服とし、FIAの国際控訴裁判所に控訴したが、レース中であればドライブスルーペナルティに相当し、抗議や控訴はできないレギュレーションのため、棄却された。マーティン・ウィットマーシュはレース中に、ハミルトンの行為に問題がないことをスチュワードに2度確認したと証言している[54]。
- FIAの裁定に対する批判の声も多く、議論を呼んだ[55][56]。
- 2008年日本GP
- スタートに失敗した後、1コーナーへの進入でブレーキングを遅らせて大きく白煙を上げるほどタイヤをロックさせ、ライコネンやマッサらがコース外に退避するかたちとなった。これによりドライブスルーペナルティを受けたが、この処分にハミルトンとチームは重過ぎると反論している。実際過去に、接触を伴わないブレーキングミスのみに対するペナルティの前例はなく、異例の措置といえる。また、このブレーキングについて数名のドライバーから批判の声が上がり[9]、後日GPDAで話し合いがもたれた[10]。
- 2009年オーストラリアGP
- 4位でゴールした後、トゥルーリのペナルティにより3位に繰り上がったが、4日後に失格の裁定が下された。失格の理由は、故意に紛らわしい証言をしたことによる、「国際スポーティングコード違反」とされた。セーフティカー出動中にトゥルーリがコースアウトし、この間にハミルトンがトゥルーリをオーバーテイク。セーフティカー出動中の追い越しによるペナルティを警戒したチームの指示により再度トゥルーリを先行させた[57]。その後の審議で、ハミルトンがトゥルーリを意図的に先行させたか否かが問われたが、ハミルトンは「意図的ではなかった」と証言した[58]。これによりトゥルーリには、セーフティーカー出動中のオーバーテイクを理由にペナルティが下った。
- しかしこのときの審議ではFIAはチームとハミルトンの無線の内容を把握しておらず、無線ではチームがトゥルーリを先行させるように指示していたことが後に明らかになったため意図的に先行させたと判断され、ハミルトンの証言が虚偽であることが発覚した[57]。
- 当初、マクラーレン代表のウィットマーシュは、最初の審議でFIAが無線の内容を把握していることを前提に証言をしていたため誤解が生じ、故意に虚偽の発言をしたわけではない、と主張していたが、ハミルトン自身は、チームのスポーティング・ディレクターのデヴィッド・ライアンから虚偽の証言をするように言われ、それに従ったと発言し、チームもそれを認めた[59]。この事件はLügen-Weltmeisterという見出しで、国際的に非難[60]された。
- 2011年モナコGP
- レース中にロウズヘアピンでフェリペ・マッサと、サン・デボーテでパストール・マルドナドと接触し、レース後にスチュワードに呼び出され審議の結果ペナルティを受けた。この裁定に対してハミルトンは「最低の冗談」と不満を漏らし、ペナルティを受けた理由については「僕が黒人だからじゃない?」と人種差別があったかのような発言をし、問題となった。2件の接触についても「あのドライバーたちは本当にふざけている。馬鹿げている」とマッサとマルドナードを批判し[61]、物議をかもした。後日ハミルトンはマッサとマルドナード双方に直接電話にて謝罪し、両ドライバーはその謝罪を受け入れるコメントをした[62]。
- またFIAに対しても書簡にて謝罪し、FIA会長ジャン・トッドは「ルイスの発言は受け入れがたいが過剰反応はしたくなかった。裁判所で問題を解決することもできたが正式な手続きはしていない。」と、事実上謝罪を受け入れるコメントをした[63]。
- これを機に、ハミルトンとマッサとの間で起こったクラッシュはこのシーズンだけで6回(モナコGP、イギリスGP、シンガポールGP、日本GP、インドGP他1回)、マルドナルドとはベルギーGP、2012年ヨーロッパGPなどで接触が生じている。
- 2013年マレーシアGP
- スタートでフェラーリ勢が後退したのを尻目に、レッドブルの2台と抜きつ抜かれつのバトルを展開していたが、終盤は燃費が厳しくペースを落として3位を走っていたところに、チームメイトのロズベルグが迫ってきていた。明らかにロズベルグのほうが速かったにもかかわらず、ロズベルグもタイヤや燃費をセーブすることを理由に、ロス・ブラウンは順位をキープすることを指示した。結果として、メルセデス移籍後初の表彰台を手にしたが、ロズベルグを先に行かせてレッドブルを苦しめるべきだとの批判もあり、チームオーダーを守らなかったために問題となったレッドブルとは対照的なかたちで物議を醸した[64]。
- 2014年ベルギーGP
- 予選ではチームメイトのロズベルグに敗れて2番手に終わった。決勝レースではスタートでトップを奪ったが、2周目にロズベルグに追突され大きく後退。その後も接触のダメージの影響かペースが上がらずレース終盤にリタイヤした。チャンピオンを争う2台が接触したということで物議を醸し、スチュワードからロズベルグにペナルティを与えられることはなかったが、この一件でダイムラー本社が介入し、ロズベルグを公式に謝罪させて懲罰を課した[65]。
- 2015年モナコGP
- 2014年末から長らく引き延ばしていたメルセデスとの3年契約を締結。フリー走行から精力的に走行し、予選ではモナコ初ポールポジションを獲得。決勝でも序盤から後続を引き離し、勝利は確実と思われた。しかし、ロマン・グロージャンとマックス・フェルスタッペンのクラッシュで導入されたセーフティカーの際にピットインしたが、この時、直前にバーチャルセーフティカーが導入されていたタイミングでは2位ロズベルグとは25秒程あった差が、実物のセーフティカー導入に切り替わり、ピットイン直前にこのセーフティカーに引っかかったことにより10秒近く縮まってしまったこと、またピットストップ時にザウバーのマシンに阻まれてピットアウトが数秒遅れたことにより、この時にステイアウトしていたロズベルグ、さらにはベッテルに抜かれてしまい、抜き返すことができずに3位に終わった。このレースではハミルトンから勝利を奪ったと、メルセデスチームに批判が相次いだ[66]。
- 2016年アブダビGP
- 2016年のワールドチャンピオン決定戦となった2016年シーズンの最終戦。ランキング首位のロズベルグを12ポイント差で追うハミルトンは3連勝の勢いそのままに、ポールポジションを獲得し決勝でもレースを引っ張る展開となった。しかしレース終盤、2位を走っていたロズベルグを後方のバトルに巻き込ませようと意図的にペースを落とし、ロズベルグは後ろからフェラーリのセバスチャン・ベッテルとレッドブルのマックス・フェルスタッペンからの激しい追い上げを許すこととなった[67]。この時、ハミルトンにはテクニカル部門のトップ、パディ・ロウからペースを上げるよう指示されたがハミルトンはこの指示を無視した。ロウの無線はメルセデスチームの中ではもっとも重要度の高い無線と位置づけられており[68]、ハミルトンはこの無線を無視したとして勝利をなによりに重視するメルセデスチームの方針に違反したとみなされた。結果的にロズベルグは2位を守りハミルトンはチャンピオンを逃している。この行為は大きな波紋を呼び、メルセデスチームはハミルトンの解雇を含めた処分を検討していると報じられる事態になった[69]。ベッテルはハミルトンの行為には同意できないとする一方、ハミルトンの戦術を擁護する声も多くタイトルを争っていたロズベルグも「彼の行動は理解できる」と語っている。なお、この後にロズベルグが電撃引退したこともあって最終的にチームからのハミルトンへの処分はなかった。
- 2018年ロシアGP
- レース中盤、チームメイトのバルテリ・ボッタスのペースが上がらず、前を走るフェルスタッペンを攻略できない状況にあった。ハミルトンはベッテルとのバトルの影響もあり、ブリスターの兆候が表れ始めたうえ、ベッテルを振り切ることもできず、苦しい状況となる。そのため、メルセデスはハミルトンを前に出すようボッタスに指示を出した。その後、フェルスタッペンがピットインしたことでメルセデスのワンツー体制となり、ベッテルは失速したためワンツーフィニッシュは確実なものになった。チェッカー間際に、ボッタスがファステストラップを叩き出したうえで、チームに無線で「このまま終われってこと?」と暗に尋ねたが、トト・ヴォルフは「そうだ。後で話そう」[70]と、そのままフィニッシュするというのが答えであった。ハミルトンはシーズン8勝目を挙げ、メルセデスが1-2フィニッシュを果たしたが、メルセデス陣営がレース前にチームオーダーを出さない可能性も示唆したコメント[71]をしていたことや順位の入れ替わりによりドライバーズ2位のベッテルに逆転あるいは翌戦で逆転されるポイント差に縮まるわけではなかったため、チームオーダーを発動させる必要性があったのかと疑念を抱かせることとなり、レース後に物議を醸した。今回のチームオーダー騒動は、2002年オーストリアGPや2010年ドイツGPで発生したフェラーリのチームオーダー騒動に似たようなケースであるが、この2件が行動について正当化するようなコメントをしたため批判を招いたのに対し、この件ではレース後にハミルトンは「この勝利は僕がこれまで獲得した勝利の中で、最も誇りを感じない勝利だ」としてボッタスに同情し、チームの判断も批判。ヴォルフも定例会見のインタビューにおいて、チームオーダーに関する方針を事前に確認していなかったことが原因としてチーム側に責任があると明言[72]した。また、ライバルたちもメルセデスに対する批判に対してけん制するコメント[73][74]をしたこともあり、後味の悪さや一時的に批判は殺到したものの、比較的早く終息した。
上記の他、2007年スペインGPでチームメイトの作戦をばらしてしまう、同年モナコGPでは「ぼくはNo.2ドライバー」と皮肉った発言、2012年ベルギーGP予選でチームメイトに負けたのは新型パーツを使わなかったせいだと批判して非公開のテレメトリーデータをツイッターに掲載してしまった騒動(ツイッターゲート)[75][76]、2016年マレーシアGPでエンジントラブルでリタイアした際メルセデスチームの陰謀説を訴える発言、その翌戦日本GPでは記者会見中にスマートフォンでSNSに「なにこれ、死にそう」と投稿[77]、またレース以外でも自身のInstagramに不適切な動画を投稿するなど、思慮に欠けた言動について度々批判されている[78](そのほかの内容は#エピソードも参照)。
受賞歴
- 2007年11月7日、ドイツの「ビルト・アム・ゾンターク」が選定する、ヨーロッパモータースポーツ界で最も名誉ある賞「ゴールデン・ステアリング賞」を受賞した[79]。
- 2007年12月3日、「オートスポーツ・アワード」において、26年の同賞の歴史の中で初めて「インターナショナル・レーシング・ドライバー・オブ・ザ・イヤー」「ブリティッシュ・コンペティション・ドライバー・オブ・ザ・イヤー」「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の3賞を同時に受賞した[80]。
- 2008年2月18日、「ローレウス世界スポーツ賞」の授賞式において、「年間最優秀成長選手(ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー)」を受賞した[81]。
- 2008年11月27日、ドイツのメディアグループ「ヒューバート・ブルダ・メディア・グループ」から、「バンビ賞」を受賞した[82]。
- 2008年12月7日、「オートスポーツ・アワード」において、2年連続で「インターナショナル・レーシング・ドライバー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した[83]。
- 2008年12月8日、「BRDC」の授賞式において、ゴードン・ブラウン英国首相から「ゴールド・スター」賞が授与され、スターリング・モスから賞を受け取った[84]。
- 2009年2月10日、「インターナショナル・オートモービル・フェスティバル」において、「パルムドール賞」を受賞した[85]。
- 2014年12月29日、ポーランドのニュース通信社『PPA(Polish Press Agency)』が主催し、スポーツマスコミ18社が投票で決める「欧州スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した[86]。
- 2015年9月4日、GQ誌の2015年の「スポーツマン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。キウェテル・イジョフォーによって賞が贈られた。 [87]
- 「オートスポーツ・アワード 2017」で「インターナショナル・レーシング・ドライバー部門」と「イギリス・コンペティション・ドライバー部門」の2つで表彰された[88]。
エピソード
- フォーミュラ・ルノー2000 UK ウィンター・シリーズに参加した2001年のみ0勝で、あとは何らかのシリーズで必ず優勝している。2018年現在、F1参戦初年度から全てのシーズンで優勝歴をもつ唯一のドライバーである。
- F1参戦当初は父・アンソニー・ハミルトンがマネージャーとしてほぼ全てのグランプリに帯同していた。
- 両親は2歳の時に離婚している。10歳になるまで母親のカーメンと暮らし、その後、アンソニーの後妻のリンダ・ニコラスの家に引っ越した。カーメンとは今でも親しい関係にあり、時折観戦に来ているのが国際映像に映っていた[89]。
- ハンガロリンクとサーキット・オブ・ジ・アメリカズを得意としており、前者のコースでは最多の6勝、後者のコースでも最多の4勝を挙げている。ただし、ハンガロリンクで勝利した年にはチャンピオンになっていない。またハミルトンに限らず2005年以降、ハンガロリンクを制したドライバーはその年の年間チャンピオンになれていないジンクスがある。
- F1直下のカテゴリーとして、フォーミュラ2(1967年〜1984年)、国際F3000(1985年〜2004年)、GP2(2005年〜)と続いてきているこれらのクラスでチャンピオンになったドライバーは、F1ではチャンピオンになれないというジンクスがあったが、40年間続いていたこのジンクスを初めて破ったドライバーである。
- F1ではカーナンバーが「ゾロ目」の時のみチャンピオンを獲得している(1回目は「22」、2回目以降は「44」)。
- 幼い頃からアイルトン・セナに憧れていることを公言しており、しばしばレース後の公式インタビューなどでもそれを感じさせる発言をする。セナが亡くなった日には泣きさけんだと語っている[90]。2010年にイギリスBBCの人気番組「トップ・ギア」の企画で、セナが初タイトルを獲得したマシン「マクラーレン・MP4/4」をドライブしたことがある。ヘルメットカラー・デザインはセナとよく似たものを使用しているが、黄色いヘルメットにした理由を「パパ(父アンソニー)が見つけやすいように」と答えている。セナの遺族に承諾を取って、後ろ側のみセナのデザインにしたヘルメットを使用したこともある。2016年ブラジルグランプリではシーズン中1度のみヘルメットを変えてよい権利を行使し、セナ仕様のデザイン施したヘルメットを使用した。しかし雨の決勝ではヘルメットのバイザーから雨が入るトラブルに見舞われ、赤旗中断の際に従来のヘルメットに戻した。このレースでは一度も首位を譲らず優勝し、はじめてブラジルGP制覇となった。
- 2007年ヨーロッパGPにおいて、1コーナーでコースアウトしてグラベルから脱出できなくなった際、エンジンはかかっていたため、近くのクレーンに吊り上げてもらいレースに復帰した。過去にこのような方法でのレース復帰は前例がなく、それを規制するレギュレーションもなかったが、このようなケースでは全てのドライバーに平等な対応ができないため、以降クレーンでのレース復帰はレギュレーションで禁止された。
- 2007年には、自伝「My story(マイ・ストーリー)」が出版された。2008年には、その改訂版も出版された[91]。
- 2008年12月、世界的に権威ある「ING/F1 - Racing Formula1 survey」により、視聴習慣や好み、平均的なF1ファンのプロフィールなどを追求するための世論調査が、世界中に渡って徹底的に実施された。調査にはおよそ7万人が投票し、「好きなドライバー部門」で、全体の約27%の票を得て1位に選ばれた。2位は約17%を獲得したキミ・ライコネン[92]。
- 母国のイギリスGPではファンサービスのため、レース終了後によくドーナツターンを披露している[93]。このような行為は安全性を損なうとされFIAから厳しく規制されている行為であるため(ただし、2014年から一部緩和されている)、近年ドライバーがグランプリで行うことはめったにないが、ハミルトン自身はファンサービスやエンターテイメントの面から見てドーナツターンなどのパフォーマンスに肯定的である[94]。
- 2011年には「僕にとって宿命のライバル、そして最大のライバルは、永遠にフェルナンド(アロンソ)だ。」と語っており、「僕らがプロストとセナだとすれば、彼は僕にとってプロストだ。どちらかのドライバーを選ぶとすれば僕は迷わずアイルトンを選ぶ。だから彼は僕にとってプロストということになるんだ。」とも語っている。ベッテルについては「彼が現代のマンセル?、僕は彼に対してマンセルと同レベルの評価をすることはできない。」と評価している[95]。
- 弟のニコラス・ハミルトンは脳性麻痺を患っているが、いくつかのグランプリではガレージ内で観戦している。2011年4月には、ブランズ・ハッチで行われたルノー・クリオ・カップに出場し、レーシングドライバーデビューを果たした[96]。
- ブルドッグの「ロスコー」を飼っており、2013年の開幕前テストの際にはパドックに連れてきていた。その後、バーニー・エクレストンがロスコーにパドックパスを配布したこともあってパドックで散歩する姿がよく見られていたが、最近は姿を見せない。なお、ジョン・ワトソンは「F1パドックに犬はふさわしくない」などと批判していた[97][98]。
- パガーニに特注したゾンダ760LHを愛車としており、2015年11月9日早朝にモナコで交通事故を起こしたが、その後のレースには無事出走できた[99]。
- オートスポーツ・アワード2015を欠席して[100]カナダでバスケットボールの試合を見に行き、これを堂々とインターネット上で報告した。
- シュトゥットガルター・ツァイトゥング紙のインタビューの中で、ディスレクシアであることを告白している[101]。
- アメリカの経済誌『フォーブス』が毎年発表する、年収の多い世界のスポーツ選手のランキングで11位となった[102]。
- 人気ゲームコール オブ デューティの一作品にゲームの登場人物として出演している[103]。また、レースゲームグランツーリスモSPORTではマエストロとして登場している[104]。
- インディカーについて、2017年モナコグランプリを欠場してインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソが予選で5番グリッドを獲得したことについて、「ずっとあそこで戦っているドライバーたちの中で彼(アロンソ)が5番手になったなんて、面白いね」とインディカーを軽視するコメントを発し、元インディ500ウィナーのトニー・カナーンがインディ500の表彰式のスピーチで反撃、さらに多くのインディ関係者が反論する事態になった[105]。一方、2017年第15戦日本GPでの表彰式において、インタビュアーとして登壇していた佐藤琢磨のインディ500のチャンピオンリングには興味を示していた[106]。
- 2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、ハミルトンは84位に選出された[107]。
- 2017年第7戦カナダGPにおいて、アイルトン・セナのポールポジション記録に並んだ。この際にセナの家族よりセナがロータス時代の1987年に着用したヘルメットをプレゼントされた[108]。
- ミハエル・シューマッハの最多ポールポジション記録を破った2017年第13戦イタリアGPでは、Q1で3時間近くにわたる赤旗中断となった。その際に、チームメイトのバルテリ・ボッタスとゲームをしている様子が国際中継に映された[109]
- タックス・ヘイヴンを介した課税回避を行った疑いがあることがICIJが入手したパラダイス文書によって明らかとなった。BBCなどが報じたところによると、ハミルトンは架空のリース会社を経由してマン島にジェット機を輸入して付加価値税(VAT)330万ポンドの還付を受けていたという。リース業務目的であるはずのジェット機を私的利用することではVAT還付が禁止されており、欧州税制に抵触する可能性があるという[110]。
レース戦績
略歴
年 | シリーズ | チーム | レース | 勝利 | PP | FL | 表彰台 | ポイント | 順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | フォーミュラ・ルノー2000 UK ウィンター・シリーズ | マノー・モータースポーツ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | ? | 5位 |
2002 | フォーミュラ・ルノー2000 UK | 13 | 3 | 3 | 5 | 7 | 274 | 3位 | |
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ | 4 | 1 | 1 | 2 | 3 | 92 | 5位 | ||
2003 | フォーミュラ・ルノー2.0 UK | 15 | 10 | 11 | 9 | 13 | 419 | 1位 | |
イギリス・フォーミュラ3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | NC | ||
フォーミュラ・ルノー2000 マスターズ | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 24 | 12位 | ||
フォーミュラ・ルノー2000 ドイツ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 25 | 27位 | ||
コリア・スーパープリ | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | N/A | NC | ||
マカオグランプリ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | NC | ||
2004 | フォーミュラ3・ユーロシリーズ | 20 | 1 | 1 | 2 | 5 | 69 | 5位 | |
バーレーン・スーパープリ | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | N/A | 1位 | ||
マカオグランプリ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 14位 | ||
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | N/A | 14位 | ||
2005 | フォーミュラ3・ユーロシリーズ | ASM フォーミュラ3 | 20 | 15 | 13 | 10 | 17 | 172 | 1位 |
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | N/A | 1位 | ||
2006 | GP2シリーズ | ARTグランプリ | 21 | 5 | 1 | 7 | 14 | 114 | 1位 |
2007 | フォーミュラ1 | ボーダフォン・マクラーレン・メルセデス | 17 | 4 | 6 | 2 | 12 | 109 | 2位 |
2008 | 18 | 5 | 7 | 1 | 10 | 98 | 1位 | ||
2009 | 17 | 2 | 4 | 0 | 5 | 49 | 5位 | ||
2010 | 19 | 3 | 1 | 5 | 9 | 240 | 4位 | ||
2011 | 19 | 3 | 1 | 3 | 6 | 227 | 5位 | ||
2012 | 20 | 4 | 7 | 1 | 7 | 190 | 4位 | ||
2013 | メルセデスAMG・ペトロナスF1チーム | 19 | 1 | 5 | 1 | 5 | 189 | 4位 | |
2014 | 19 | 11 | 7 | 7 | 16 | 384 | 1位 | ||
2015 | 19 | 10 | 11 | 8 | 17 | 381 | 1位 | ||
2016 | 21 | 10 | 12 | 3 | 17 | 380 | 2位 | ||
2017 | メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ | 20 | 9 | 11 | 7 | 13 | 363 | 1位 | |
2018 | 15 | 7 | 7 | 2 | 12 | 281* | 1位* |
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
フォーミュラ3・ユーロシリーズ
年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年 | マノー・モータースポーツ | ダラーラ F302/049 | HWA-メルセデス | HOC 1 11 |
HOC 2 6 |
EST 1 Ret |
EST 2 9 |
ADR 1 Ret |
ADR 2 5 |
PAU 1 4 |
PAU 2 7 |
NOR 1 1 |
NOR 2 3 |
MAG 1 Ret |
MAG 2 21 |
NÜR 1 3 |
NÜR 2 4 |
ZAN 1 3 |
ZAN 2 6 |
BRN 1 7 |
BRN 2 4 |
HOC 1 2 |
HOC 2 6 |
5位 | 68 |
2005年 | ASM フォーミュラ3 | ダラーラ F305/021 | メルセデス | HOC 1 1 |
HOC 2 3 |
PAU 1 1 |
PAU 2 1 |
SPA 1 DSQ |
SPA 2 1 |
MON 1 1 |
MON 2 1 |
OSC 1 3 |
OSC 2 1 |
NOR 1 1 |
NOR 2 1 |
NÜR 1 12 |
NÜR 2 1 |
ZAN 1 Ret |
ZAN 2 1 |
LAU 1 1 |
LAU 2 1 |
HOC 1 1 |
HOC 2 1 |
1位 | 172 |
GP2シリーズ
年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | DC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | ARTグランプリ | VAL FEA 2 |
VAL SPR 6 |
IMO FEA DSQ |
IMO SPR 10 |
NÜR FEA 1 |
NÜR SPR 1 |
CAT FEA 2 |
CAT SPR 4 |
MON FEA 1 |
SIL FEA 1 |
SIL SPR 1 |
MAG FEA 19 |
MAG SPR 5 |
HOC FEA 2 |
HOC SPR 3 |
HUN FEA 10 |
HUN SPR 2 |
IST FEA 2 |
IST SPR 2 |
MNZ FEA 3 |
MNZ SPR 2 |
1位 | 114 |
F1
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- † : リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
- ‡ : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
F1での記録
- 史上最年少記録
- 史上最年少ポイントリーダー:22歳96日
- 参戦初年度の記録
- 初参戦からの連続表彰台:9回(歴代1位)
- 参戦初年度の優勝:4回(歴代1位タイ)
- 参戦初年度のPP:6回(歴代1位)
- 参戦初年度の表彰台:12回(歴代1位)
- 参戦初年度の入賞:15回(歴代1位)
- 連続記録
- フル参戦1年目からの毎年勝利記録:12年(歴代1位)
- 連続入賞記録:33回(歴代1位) - 2016年日本GPから2018年フランスGPにかけて記録、2018年中国GPでキミ・ライコネンの27回の記録を更新[111]。
- 年間記録
- 年間表彰台回数 : 17回 (歴代1位タイ) - 2015年,2016年にミハエル・シューマッハ(2002年)、セバスチャン・ベッテル(2011年)とタイ記録。
- 年間グランドスラム達成数 : 3回(歴代1位タイ) - 2017年にアルベルト・アスカリ、ジム・クラーク、ナイジェル・マンセルとタイ記録を達成[112]。
- 通算記録
- 通算獲得ポイント : 2610ポイント (歴代1位)
- 通算PP回数:72回 (歴代1位)- 2017年イタリアGPでミハエル・シューマッハの68回を更新[113]。
- 通算フロントロー回数 : 118回 (歴代1位) - 2017年アメリカGPでミハエル・シューマッハの116回を更新[114]。
- 通算ポールトゥーウィン : 41 (歴代1位) - 2018年スペインGPでミハエル・シューマッハの40回を更新[115]。
- 勝利したコース数 : 26 (歴代1位) - 2016年ブラジルGPでミハエル・シューマッハの23コースを更新[116]。
- 更新された記録
- 史上最年少ハットトリック:22歳266日 - 2009年イギリスGPにてセバスチャン・ベッテルが更新。
- 史上最年少ドライバーズチャンピオン:23歳300日 - 2010年アブダビGPにてセバスチャン・ベッテルが更新。
脚注
- ↑ ガーディアン紙 2006年5月23日
- ↑ デビュー戦での表彰台は、1996年のジャック・ヴィルヌーヴ以来11年ぶり。
- ↑ 22歳154日での初優勝は、当時のF1史上4番目の年少記録。
- ↑ 参戦初年度の複数回優勝はF1史上4人目。
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- ↑ F1-Live.com 2008年7月21日
- ↑ F1-Live.com 2008年6月24日
- ↑ F1-Live.com 2008年9月16日
- ↑ 9.0 9.1 F1-Live.com 2008年10月16日
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関連項目
- ニコール・シャージンガー - 恋人
外部リンク
タイトル | ||
---|---|---|
先代: キミ・ライコネン |
F1ドライバーズチャンピオン 2008年 |
次代: ジェンソン・バトン |
先代: セバスチャン・ベッテル |
F1ドライバーズチャンピオン 2014年-2015年 |
次代: ニコ・ロズベルグ |
先代: ニコ・ロズベルグ |
F1ドライバーズチャンピオン 2017年 |
次代: n/a |
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