リバタリアニズム

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テンプレート:リバタリアニズムのサイドバー リバタリアニズム: libertarianism)は、個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する、自由主義上の政治思想政治哲学の立場[1][2]新自由主義と似るが、これが経済的な自由を重視するのに対し、リバタリアニズムは個人的な自由も強調[3]。他者の身体や正当に所有された物質的、私的財産を侵害しない限り、各人が望む全ての行動は基本的に自由であると主張する[4]

日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、様々なニュアンスを持つ「リベラリズム」と区別する意味において、単に「自由主義」と訳されることはなく、完全自由主義自由至上主義自由意志主義など多数の訳語が存在する。また、リバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。リバタリアン右派とリバタリアン左派がある。リバタリアン左派はきわめて少数派だが、平等主義リバタリアニズム、リバタリアン社会主義などとも呼称されている。近接した思想として、左派リベラリズム、社会自由主義、アゴリズムなどが存在する。

なお、哲学神学形而上学においては決定論に対して、自由意志と決定論が両立しないことを認めつつ(非両立説 incompatibilism)、非決定論から自由意志の存在を唱える立場を指す。この意味では、日本語では自由意志論等の形に訳されることのほうが多い。ただし、政治哲学上のリバタリアニズムにおいては、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスマレー・ロスバード、ハンス・ヘルマン・ホッペ等の一部の論者は決定論と自由意思はある意味において両立する(両立論)として柔らかい決定論に分類されるものを支持している様に見える。[5]

概要

リバタリアンは、「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトン)という信念を持っており[1]、個人の完全な自治を標榜し、究極的にはアナキズム同様、国家や政府の廃止を理想とする[6]。 また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同義であると唱え、徴兵制に反対する。徴税は私的財産権の侵害とみなすので、税によって福祉サービスが賄われる福祉国家は、否定する。なお、暴力詐欺、侵害などの他者の自由を制限する行為が行われるとき、自由を守るための強制力の行使には反対しない。自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン[7]などに分類される場合がある。

アメリカ合衆国では、選挙年齢に達した者のうちの10%から20%が、リバタリアン的観点を持っているとされている。[8]

リバタリアニズムの基本理念

リバタリアニズムでは、私的財産権もしくは私有財産制は、個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有する権利を持つとする自己所有権原理を置く。(→ジョン・ロック)私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。法的には、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。経済的には、市場で起きる諸問題は、政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。

リバタリアニズムにおける自由

マレー・ロスバードによると、自由とは個人の身体と正当な物質的財産の所有権が侵害されていない事という意味である。またロスバードは犯罪とは暴力の使用により、別の個人の身体や物質的財産の所有権を侵害する事と定義した。[9]

またロスバードは、古典的自由主義者が使用してきた積極的自由の概念は所有権の観点から定義されていないので曖昧で矛盾に満ちており、知的な混乱と、国家や政府が公共の福祉や公の秩序を理由に個人の権利を恣意的に制限する事を許す事に繋がったとして批判している。[10]

所有権、財産権の根拠

マレー・ロスバードは万人の為の平等な自己所有権を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、万人の為の100%の自己所有権だけが唯一正当化可能な普遍的倫理であると結論した。また物質的な財産についても同様に、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事を否定した場合の二つの論理的な選択肢を検討し、最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得する事だけが唯一客観的に正当化可能であると結論した。[11]

ハンス・ヘルマン・ホッペは、人々の間に恣意的で主観的な分類的差別を作る規範は客観的、間主観的に正当化される事は出来ず、それ故に全ての人に等しい権利を認める規範だけが正当化されると述べ、次に、立論には彼の身体の使用を必要とするので、彼の身体を彼の意思のみで使用する事を許す自己所有権原理と両立しない全ての規範を主張する人は、もし人が本当に彼の身体を彼の意思のみで使用する権利を持たないならば、彼はそれを主張する事さえ許されない筈であり、このような主張を行う人はそれを主張するや否や彼自身の主張に反する行動を取っており、実践的な矛盾に陥っていると指摘し、それ故に全ての人の平等な自己所有権を認めるリバタリアニズムだけが先験的に正当化されるとした。また彼は同様の推論から最初の占有者がその物質的な資源の所有権を獲得するとする財産原理も矛盾無しに異議を唱える事は出来ないと主張する。(en:Argumentation_ethics)

リベラリズムとの違い

リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げるため、リバタリアニズムと相反する。例えばリベラリズムは、貧困者や弱者がその境遇ゆえの必要な知識の欠如、あるいは当人の責めに帰さない能力の欠損などによって、結果として自由な選択肢を喪失する事を防ぐために、政府による富の再分配や法的規制など一般社会への介入を肯定し、それにより実質的な平等を確保しようとする。

しかし、リバタリアンは「徴税」によって富を再分配する行為は公権力による強制的な財産の没収であると主張する。曰く、ビル・ゲイツマイケル・ジョーダンから税金を重く取り、彼らが努力によって正当に得た報酬を人々へ(勝手に)分配することは、たとえその使い道が道義的に正しいものであったとしても、それは権利の侵害以外の何物でもなく、そうした行為は彼らの意思によって行われなければならない。すなわち、貧困者への救済は国家の強制ではなく自発的な仕組みによって行われるべきだと主張する。

その他の思想との違い

リバタリアンの主張では、リバタリアニズムとは経済的自由と社会的自由(個人的自由、政治的自由)を共に尊重する思想であり、リバタリアン右派思想家デイヴィッド・ノーランEnglish版による右のノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は個人的自由は高いが経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は経済的自由は高いが個人的自由は低く、ポピュリズム(ここでは権威主義全体主義などを指す)では個人的自由も経済的自由も低い、という位置づけとなる。

リバタリアンの多くは経済的自由と政治的自由の両方を重視するため、さまざまな国営化計画経済も、ファシズム軍国主義などによる統制経済開発独裁も、いずれも経済的自由が低い「集産主義」であるとして批判し、同時にまた、旧東側諸国などの一党独裁も、ファシズム軍国主義などの言論統制も、いずれも政治的自由が低い「全体主義」であるとして批判する場合が多い。左翼からリバタリアニズム右派へは弱肉強食の強欲資本主義である、右翼からリバタリアニズムへは右派・左派共に伝統的価値や社会の安定を軽視しているなどと批判されることがある。

また、社会的自由をも尊重する立場であるため、家族性道徳などに対する保守的な価値観を重視する新保守主義とも異なる。

アナキズム(無政府主義)は多数の思想潮流を含むが、どれも国家や政府を廃止する事で自由や平等を最大化する思想のため、リバタリアニズムと密接に結び付いている。

リバタリアニズムの類型

自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン

自然権的リバタリアン(Right Libertarian)と帰結主義的リバタリアン(Consequentialist libertarian)との違いは大まかに言えば自由を正当化する根拠の違いである。

自然権的リバタリアンはロック的伝統にのっとり、自由を、不可侵な自然権としての自己自身への所有権として理解する。他方で、帰結主義的リバタリアンは、功利主義的観点から自由を支持する。相互の不可侵な自由が確立されている状態でこそ、社会全体の幸福が最大化されるのであり、政府などによる意図的な規制・干渉は、自然な相互調整メカニズムを混乱させ、事態を悪化させると考える。

主なリバタリアニズムの人物

脚注

  1. 1.0 1.1 「15テーマを「政治哲学」で徹底解明--民主党の主要政策/日本の問題/世界の問題 (混迷する現代社会を生きるビジネスパーソンのための 実践的「哲学」入門)」、『週刊東洋経済』第6278号、東洋経済新報社、2010年8月14日、 41-49頁、 NAID 40017218756
  2. Merriam-Webster Dictionary definition of libertarianism
  3. 小学館 デジタル大辞泉「リバタリアニズム(libertarianism)」
  4. Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  5. e.g.:The Ultimate Foundation of Economic Science,Chapter 3: Necessity and Volition:4.Free Will.:Man is not, like the animals, an obsequious puppet of instincts and sensual impulses. Man has the power to suppress instinctive desires, he has a will of his own, he chooses between incompatible ends. In this sense he is a moral person; in this sense he is free. However, it is not permissible to interpret this freedom as independence of the universe and its laws....Freedom of the will does not mean that the decisions that guide a man's action fall, as it were, from outside into the fabric of the universe and add to it something that had no relation to and was independent of the elements which had formed the universe before. Actions are directed by ideas, and ideas are products of the human mind, which is definitely a part of the universe and of which the power is strictly determined by the whole structure of the universe. What the term "freedom of the will" refers to is the fact that the ideas that induce a man to make a decision (a choice) are, like all other ideas, not "produced" by external "facts," do not "mirror" the conditions of reality, and are not "uniquely determined" by any ascertainable external factor to which we could impute them in the way in which we impute in all other occurrences an effect to a definite cause. There is nothing else that could be said about a definite instance of a man's acting and choosing than to ascribe it to this man's individuality.
  6. Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  7. Barry, Norman P. Review Article:The New Liberalism. B.J. Pol. S. 13, p. 93
  8. [1]
  9. Rothbard, Murray Newton. For a New Liberty: The Libertarian Manifesto: Freedom is a condition in which a person's ownership rights in his own body and his legitimate material property are not invaded, are not aggressed against. A man who steals another man's property is invading and restricting the victim's freedom, as does the man who beats another over the head. Freedom and unrestricted property right go hand in hand. On the other hand, to the libertarian, "crime" is an act of aggression against a man's property right, either in his own person or his materially owned objects. Crime is an invasion, by the use of violence, against a man's property and therefore against his liberty.
  10. Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  11. Rothbard, Murray Newton. The Ethics of Liberty.
  12. http://www.salon.com/.../libertarian-billionaire-peter-thiel-funds-une...
  13. http://www.cnbc.com/.../where-are-all-the-ron-paulite-libertar...

参考文献

  • マレー・ロスバード 『自由の倫理学:リバタリアニズムの理論体系』 森村進・鳥沢円・森村たまき訳、勁草書房、1991年。ISBN 4326101458。
  • マレー・ロスバード (2012-1). 新しい自由の為に:リバタリアンマニフェスト. Ludwig von Mises Institute. 
  • マレー・ロスバード (2009-3). 人間、経済及び国家. Ludwig von Mises Institute. 
  • デヴィッド・フリードマン 『自由のためのメカニズム:アナルコ・キャピタリズムへの道案内』 森村進・高津融男訳、勁草書房、1991年。ISBN 4326101466。
  • ランディ・E・ バーネット 『自由の構造:正義・法の支配』 渡部茂訳、木鐸社、1993年。ISBN 4833222965。
  • ウォルター・ブロック 『不道徳教育』 橘玲訳、講談社、2004年。ISBN 4062132729。

関連項目

外部リンク