リエル
រៀល | |
ISO 4217 コード | KHR |
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中央銀行 | カンボジア国立銀行 |
ウェブサイト | nbc.org.kh |
使用 国・地域 | カンボジア |
インフレ率 | 19.7% |
情報源 | The World Factbook, 2008年 |
補助単位 | |
1/10 | kak |
1/100 | sen |
通貨記号 | ៛ |
硬貨 | |
流通は稀 | 50, 100, 200, 500 リエル |
紙幣 | |
広く流通 | 100, 200, 500, 1000, 2000, 5000, 10 000 リエル |
流通は稀 | 50, 20 000, 50 000, 100 000 リエル |
Contents
概要
ポル・ポト政権下の1978年に[1]一旦廃止されたが、同政権崩壊後の1980年に[1]カンボジア国立銀行が設立されリエルも復活[2]。但し民主カンプチアにおいても貨幣が存在していたという説もある[3]。
カンボジア経済の実態と比較してリエルの為替レートが高めに設定されており、特に輸出においては不利な状況におかれるため、カンボジア国内であっても中産階級や富裕層の間では一般に、もっぱら米ドルが使用されているのが実状[2]だが、地方では一般に現金所得の低い人々が多いこともあって、リエルのほうが広く利用されている。また、公務員の給与はリエル払いが原則である。
- 1米ドル=4001リエル(2012年)→市中では便宜的に1ドル=4000-4500リエルで換算。コンビニエンスストアなどではカウンターに「当店では1ドルを4100リエルとします」のような但し書きが貼られていることが多い。
歴史
リエル(1953年-1975年)
1953年に「カンボジア・ラオス・ベトナム国立発券局(Institut d'Émission des États du Cambodge, du Laos et du Vietnam)」カンボジア支店が仏領インドシナ・ピアストルとリエルの両通貨(ピアストルとリエルは等価)で紙幣を発行した[4]。当時、発券局は南ベトナムにおいてはドンで、ラオスではキープで同様の発券を行なった。リエルは当初、通貨の補助単位を1リエル=100サンチームとしたが、1959年に100セン (សេន)に置き換えた。導入後数年はピアストルも流通していた。
クメール・ルージュ時代(1975年-1980年)
クメール・ルージュは紙幣を印刷したが、それらは貨幣として流通することはなかった。政権奪取後は貨幣自身を廃止した。
リエル(1980年-)
1978年のベトナム軍の侵攻後、1980年4月よりリエルがカンボジアの通貨として復活、当初は1米ドル=4リエルの為替レートで導入された。通貨の補助単位は1リエル=10カク(កាក់) 及び100セン (សេន)。発行時、国の荒廃と経済破綻のため貨幣自体が市中に存在しておらず、使用を推奨するため政府は新紙幣を無償配布した。
紙幣
2014年に発行された500リエル札には、日本の援助で作られたきずな橋(en:Kizuna Bridge)とつばさ橋が日章旗と共に描かれている[5]。
記号の符号位置
記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
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៛ | U+17DB |
‐ |
៛ ៛ |
リエル記号 |
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 "カンボジア" Microsoft Encarta Online Encyclopedia 2009, http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761570298_3/content.html#s10 1997-2009 Microsoft Corporation, 2009-08-28閲覧. 'IV 経済 3 通貨と外国貿易'
- ↑ 2.0 2.1 工藤剛 (2007), カンボジア通信: 合気道事始めイン・カンボジア, 文芸社, pp. 102-104, ISBN 9784286032313
- ↑ http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/poru00.html
- ↑ A Brief History of Cambodian Currency
- ↑ カンボジアで「つばさ橋」開通——ベトナム・カンボジア・タイが1本の道路でつながった 国際協力機構、2015年3月26日