ラーイオス

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ラーイオス古希: Λάϊος, Lāïos)は、ギリシア神話に登場するテーバイの王である。長母音を省略してライオスとも表記される。 テーバイ王ラブダコスの息子。メノイケウスの娘イオカステー(エピカステーとも[1])との間に息子オイディプースが生まれた。ラーイオスがオイディプースに殺された神話は後に「エディプスコンプレックス」の語源となった。

神話

以下はアポロドーロスの『ビブリオテーケー』(日本語訳『ギリシア神話』III 5.5 - 5.8)に基づく。

ラブダコスが死んだとき、ラーイオスは1歳だったので、リュコス(ラーイオスの曾祖父ニュクテウスの弟)が王権を簒奪し、20年間その座にあった。

クリューシッポスの誘拐

その後リュコスは妻ディルケーとともにアムピーオーンゼートスに殺され、アムピーオーンがテーバイの王となった。このとき、ラーイオスはテーバイから追放され、ペロポネーソスでペロプスの客となった。ペロプスにはクリューシッポスという息子があり、ラーイオスは戦車を駆る術を教えているときにクリューシッポスに恋情を覚え、彼を誘拐した[2]

オイディプースの誕生

アムピーオーンの死後、ラーイオスはテーバイ王となり、イオカステーを妻とした。ラーイオスには「男子をもうけるな。もし生まれればその子に殺される」との神託があったが、ラーイオスは酒に酔って妻と交わり、やがて男子が産まれた。ラーイオスは赤ん坊の踵を留め金で貫き、牧人に命じて息子をキタイローン山中に捨てさせた。しかし、コリントスポリュボスの牛飼いがこれを拾ってポリュボスの妃ペリボイアに預けた[3]。ペリボイアは赤ん坊をオイディプース(「腫れた足」の意)と名づけて養子として育てた。

ラーイオスの死

オイディプースが成長すると、ポリュボスの実の子ではないとの噂がたった。ペリボイアは真相をなにも語らず、オイディプースは両親について尋ねるためにデルポイに赴いた。神託は「故郷に戻れば父を殺し母と交わることになる」というもので、オイディプースはコリントスを捨て、ポーキスに向かって戦車を走らせた。その途上でラーイオスの戦車に出会った。ラーイオスの伝令使ポリュポンテースがオイディプースに退くように言ったが、オイディプースが従わずにもたついていたため、ポリュポンテースはオイディプースの馬を1頭殺した。怒ったオイディプースはラーイオスとポリュポンテースを殺してしまった[4][5]

ラーイオスはプラタイアイの王ダマシストラトスによって葬られ、テーバイの王座はメノイケウスの息子クレオーンが継いだ。

補足

ハンガリーの神話学者カール・ケレーニイによれば、エウリーピデースの悲劇『クリューシッポス』(散逸)において、ラーイオスは「少年愛」の始祖とされている。また、この誘拐事件によってラーイオスはペロプスから呪われ、息子をもうけることが許されず、もしもうければその息子に殺される運命になったとする。

イギリス詩人ロバート・グレーヴスは、クリューシッポスの誘拐は、王の統治の1年が終わったときに身代わりの生け贄を捧げた儀式と関係があるとする。また、ラーイオスの死は、太陽王が世継ぎの手によって戦車から投げ飛ばされ、馬で引きずられて殺される祭式を記したものであるとする。

系図

テンプレート:カドモスの系図


脚注

  1. オデュッセイアー』第11話271行
  2. ヒュギーヌス第85話「クリューシッポス」では、クリューシッポスは並外れた美貌の持ち主であり、ラーイオスはネメア競技祭のときクリューシッポスを掠い、ペロプスは戦争を仕掛けて息子を取り戻したとする。
  3. ヒュギーヌス第66話「ラーイオス」では、ペリボイアが海辺で服を洗濯しているときに捨て子を拾ったとする。
  4. ヒュギーヌス第67話「オイディプース」では、ラーイオスはデルポイに向かう途中であり、彼の衛兵が「王に道を譲れ」と命じたのにオイディプースは無視し、これを見たラーイオスが戦車の車輪でオイディプースの足を轢いたので、オイディプースはラーイオスを馬車から引きずり下ろして殺した。
  5. ロバート・グレーヴスやR.L.グリーンは、ラーイオスがデルポイに赴いたのはスピンクスへの対処法を求めるためだったという。

参考文献