ラファエル・ナダル
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はナダル、第二姓(母方の姓)はパレラです。 |
テンプレート:テニス選手ラファエル・ナダル・パレラ(Rafael Nadal Parera テンプレート:IPA-ca スペイン語: [rafaˈel naˈðal paˈɾeɾa], 1986年6月3日 - )は、スペイン・バレアレス諸島州マナコル出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス80勝、ダブルス11勝を挙げる。身長185cm、体重85kg。
グランドスラム優勝回数歴代2位(17回)、史上7人目となるキャリア・グランドスラム達成者、史上2人目となるキャリアゴールデンスラムを史上最年少の24歳3ヵ月で達成、2010年にはオープン化では5人目となる4大大会3冠達成、全仏オープン最多優勝・最長連覇記録、マスターズ1000では歴代最多となる33回の優勝記録を保持するテニス史上屈指の選手。
2018年6月10日時点のシングルス全80回の優勝のうちの57回がクレーコートである様に、特にクレーコートに非常に強いことで知られ、クレーコート最高勝率、クレーコート81連勝、クレーコート50セット連続奪取、クレー大会である全仏オープン、モンテカルロ・マスターズ、マドリード・マスターズ、ローマ・マスターズ、バルセロナ・オープンの最多優勝記録・最長連覇記録などの数々の記録を更新した。
北京五輪シングルス・リオデジャネイロ五輪ダブルス金メダリストで、デビスカップスペイン代表4度の優勝に貢献している。
Contents
- 1 選手経歴
- 1.1 プロ転向-2004年
- 1.2 2005年:4大大会初タイトル獲得
- 1.3 2006年:全仏2連覇・全英準優勝
- 1.4 2007年:全仏3連覇・全英準優勝
- 1.5 2008年:全仏4連覇、全英初優勝・五輪金メダル、世界ランク1位に
- 1.6 2009年:全豪初優勝、全仏初黒星・怪我による不調
- 1.7 2010年:キャリアベストシーズン(4大大会3冠、キャリアゴールデンスラム達成、No.1に復帰)
- 1.8 2011年:台頭するジョコビッチとの戦い
- 1.9 2012年:7度目の全仏優勝、怪我による休養
- 1.10 2013年:怪我からの復活、4大大会2冠/再び世界1位に
- 1.11 2014年:全仏5連覇9度目の優勝、再び怪我による不調
- 1.12 2015年:得意のクレーコートでの不調 世界ランキング上位から陥落
- 1.13 2016年 五輪ダブルス金メダル、再びの怪我
- 1.14 2017年 再びの復活 (グランドスラム3度の決勝で2度の優勝、4度目の世界ランク1位)
- 1.15 2018年 11度目の全仏優勝・7年ぶりのウィンブルドンベスト4
- 2 プレースタイル
- 3 エピソード
- 4 記録
- 5 4大大会優勝
- 6 成績
- 7 受賞歴
- 8 関連項目
- 9 脚注
- 10 外部リンク
選手経歴
プロ転向-2004年
マヨルカ島にあるバレアレス諸島州マナコルに生まれた。彼の叔父はサッカー元スペイン代表ディフェンダーのミゲル・アンヘル・ナダルであり、ラファエルも12歳まではサッカーで有望選手だったという。もう一人の叔父であるトニー・ナダルが子供のころから一貫してコーチを務めている。8歳の時にスペインの12歳以下の大会で優勝。その後テニスを職業に選び、2001年に15歳でプロ入りした。2003年4月21日、16歳10ヵ月で世界ランキング100位入り。2003年8月4日、17歳2ヵ月で世界ランキング50位入り。2004年8月のオレンジ・ワルシャワ・オープンでシングルス初優勝を飾り、アテネ五輪にカルロス・モヤとの男子ダブルスで出場している。全米オープン男子ダブルスで、同じスペインのトミー・ロブレドと組んで準決勝に進出したことがある。12月のアメリカとのデビスカップ決勝にも起用され、アンディ・ロディックを6-7(6), 6-2, 7-6(6), 6-2で破りスペインの優勝に貢献した[1]。
2005年:4大大会初タイトル獲得
ナダルは2005年シーズンに急成長を始めた。シーズン序盤、中南米のクレーコートの大会でいくつかの勝利を収め、全仏オープンの前哨戦となるATPマスターズシリーズのモンテカルロ・マスターズで18歳10ヵ月で優勝。世界ランキング10位入りを果たす。続くBNLイタリア国際でも優勝。年頭には50位だったATPランキングも、全仏オープン開始前の5月9日には5位まで上昇した。
第4シードで出場した全仏オープンでは、ラース・ブルクスミュラー、グザビエ・マリス、第30シードリシャール・ガスケ、第23シードセバスチャン・グロジャン、第20シードダビド・フェレールを破り準決勝進出。準決勝で世界1位のロジャー・フェデラーを破り、決勝ではアルゼンチンの伏兵マリアノ・プエルタに競り勝って、「19歳2日」の若さでグランドスラム初優勝を達成。全仏オープンでの初出場・初優勝は1982年のマッツ・ビランデル以来となり、大会でも4番目の年少記録だった。10代の男子テニス選手がグランドスラムで優勝したことも、1990年全米オープンに「19歳28日」で優勝したピート・サンプラス以来15年ぶりの快挙であった。
その後のグランドスラムでは、ウィンブルドンは2回戦でジル・ミュラーに、全米オープンは3回戦でジェームズ・ブレークに敗れるが、7月25日には19歳1ヶ月でロジャー・フェデラーに次ぐ世界ランキング2位の座につく。2005年度はATPツアーで年間11勝を挙げ、そのうちATPマスターズシリーズでは、モンテカルロ・マスターズ、BNLイタリア国際、ロジャーズ・カップ、マドリード・マスターズの4大会で優勝した。
2006年:全仏2連覇・全英準優勝
2006年のシーズンでも、ナダルはATPツアー大会の決勝戦でフェデラーに4連勝を記録した。同年5月、第7回「ローレウス・スポーツ賞」の「最優秀新人賞」を受賞。2006年にはクレーコートで、ギリェルモ・ビラスが持っていた「53連勝」の記録を更新する。
第2シードで出場した全仏オープンではロビン・セーデリング、ケビン・キム、ポール=アンリ・マチュー、レイトン・ヒューイット、ノバク・ジョコビッチ、イワン・リュビチッチに勝利し決勝進出。決勝戦ではフェデラーに1-6, 6-1, 6-4, 7-6で勝ち、大会2連覇を達成。クレーコートでの連勝記録を「60連勝」に伸ばし、それまでグランドスラムシングルス決勝戦で負けたことがなかったフェデラーに、初めての黒星をつけた。
同年のウィンブルドンでも初めて決勝に勝ち上がったが、全仏に続く2大会連続の決勝対決となったフェデラーに0-6, 6-7, 7-6, 3-6で敗れた(大会4連覇を達成したフェデラーは、試合終了後「芝では負けられなかった」と話した)。全米オープンでは振るわず、準々決勝でミハイル・ユージニーに3-6, 7-5, 6-7, 1-6で敗れた。
2007年:全仏3連覇・全英準優勝
全豪オープンでは、ナダルは準々決勝でフェルナンド・ゴンサレスに完敗している。2007年5月20日、ナダルはATPマスターズシリーズのハンブルク・マスターズ決勝でフェデラーに6-2, 2-6, 0-6で敗れ、2005年4月から続いていたクレーコートの連勝記録が「81連勝」でストップした(これはフェデラーにとって、対ナダル戦のクレーコート初勝利であった)。この記録は、ジョン・マッケンローが室内カーペットコートでマークした単一コートでの連勝記録「75連勝」を更新するものであった。
直後の全仏オープンではフアン・マルティン・デル・ポトロ、フラビオ・チポッラ、アルベルト・モンタニェス、レイトン・ヒューイット、カルロス・モヤ、ジョコビッチに勝利し決勝進出。決勝でフェデラーを6-3, 4-6, 6-3, 6-4で下し、大会3連覇を達成する。ウィンブルドンでは3回戦で相次ぐ降雨順延・中断に悩まされるなど、ハードなスケジュールの中で決勝に勝ち進む。フェデラーとの2年連続の決勝対決では6-7, 6-4, 6-7, 6-2, 2-6でまたも敗れたが、芝においても王者に肉薄しつつあることを十分に示す激闘だった。
2008年:全仏4連覇、全英初優勝・五輪金メダル、世界ランク1位に
全豪オープンでは、初進出の準決勝で世界ランキング38位のジョー=ウィルフリード・ツォンガに2-6, 3-6, 2-6のストレートで敗れた。全仏オープンでは、決勝でフェデラーを6-1, 6-3, 6-0のストレートで下し、全仏ではビョルン・ボルグ選手以来2人目の4連覇を達成、全仏初出場から28連勝とした。ボルグは1978年-1981年にかけて全仏4連覇を達成したため、ナダルは27年ぶりの偉業を射止めたことになる。
全仏オープン終了後、6月のアルトワ選手権において芝生コートでの初優勝を果たす。その勢いに乗り、ウィンブルドンで、5連覇中のフェデラーとの「4時間48分」に及ぶウィンブルドン決勝史上最長の試合を6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7で制し、初制覇を成し遂げた。スペイン勢のウィンブルドン制覇は1966年のマニュエル・サンタナ以来2人目で、同一年での全仏オープンとウィンブルドン選手権連続制覇は1980年のビョルン・ボルグ以来28年ぶりである。優勝を決めた自身のサービスゲームでは、フェデラーのバックを狙ったサービスや、それまで1度も使わなかったサーブ&ボレーなどの奇襲を駆使し、優勝を手にした。
ウィンブルドン優勝の後、ナダルは北京五輪で男子シングルスの金メダルを獲得し、決勝でフェルナンド・ゴンサレスを6-3, 7-6, 6-3のストレートで圧倒した。これまでオリンピックのテニス競技でスペイン人選手の金メダル獲得はなかったが、ナダルが最初のスペイン人金メダリストに輝いた。8月18日、ナダルは初めて世界ランキング1位の座につき[2]、フェデラーが保持してきた世界ランキング1位連続保持の世界最長記録を「237週」で止めた。左利きの選手としては、ジミー・コナーズ、ジョン・マッケンロー、トーマス・ムスター、マルセロ・リオスに続く歴代5人目の世界ランキング1位である。スペイン男子選手としてはカルロス・モヤ、フアン・カルロス・フェレーロに続いて史上3人目となる。全米オープンでは初めて第1シードに選ばれたが、準決勝でアンディ・マリーに2-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れ、初の決勝進出を逃した。
2009年:全豪初優勝、全仏初黒星・怪我による不調
全豪オープンでは、準決勝でフェルナンド・ベルダスコ、決勝のフェデラー戦と2試合連続で長い5セット・マッチを乗り切り、ハードコート・グランドスラムで初優勝を飾った。スペイン人選手による全豪オープン優勝は史上初である。ところが、全仏オープンでは4回戦でロビン・セーデリングに2-6, 7-6, 4-6, 6-7で敗れ、2005年に初出場してからの連勝記録が31で途切れた。この後、彼が両膝を痛めていたことが明らかになる。6月19日、ナダルは大会前年度優勝者として出場する予定だったウィンブルドンの出場断念を表明した。このため、7月6日付けのランキングではこの大会に優勝したフェデラーに1位を明け渡すことになった[2]。
その後のロジャーズ・カップにて第2シードで復帰を果たしたものの、第6シードのデルポトロにストレートで敗れた。これにより、2009年8月17日付けのランキングではマリーが2位となり、2005年7月18日以来、およそ4年1ヶ月ぶりに3位に後退することとなった[2]。翌週に開催されたシンシナティ・マスターズでも準決勝でジョコビッチに圧倒され敗退。 全米オープンでは、準決勝で再びデルポトロに2-6, 2-6, 2-6のストレートで敗れた。
2010年:キャリアベストシーズン(4大大会3冠、キャリアゴールデンスラム達成、No.1に復帰)
前年優勝者として挑んだ全豪オープンでは、準々決勝でマリーを相手にサードセット途中棄権という結果に終り、その後慢性化している膝の怪我で二ヵ月の休養を余儀なくされた。怪我明けのBNPパリバ・オープンとソニー・エリクソン・オープンでは準決勝で敗退したが、クレーコートシーズンに入ると、ATPワールドツアー・マスターズ1000のモンテカルロ・マスターズ、BNLイタリア国際、マドリード・マスターズのクレーコートマスターズを3大会連続優勝を果たし、マドリードの決勝戦ではフェデラーを6-4, 7-6で下し、膝の怪我から復活しつつあることを印象付けた。クレーコートマスターズの3大会を同年に全て制覇したのはナダルが史上初である。
また、全仏オープンにおいて、全試合ストレート勝ちでの優勝を達成した。これは全仏男子テニス史上5度目(ボルグ2度・ナスターゼ1度・ナダル2度)の快挙である。この翌日の6月7日付けのランキングにおいて1位に復帰した[2]。
さらにウィンブルドンでも決勝に進出し、準々決勝でフェデラー、準決勝でジョコビッチを破ったトマーシュ・ベルディハを6-3, 7-5, 6-4で破って2年ぶり2度目の優勝。また全仏とウィンブルドンの同一年制覇も自身2度目である。
全米オープンでは、決勝でジョコビッチを6-4, 5-7, 6-4, 6-2で破り、悲願の全米初タイトルを手に入れた。これによりフェデラーに続き、4大大会年間3冠の偉業をなしとげている。 加えて男子7人目のキャリア・グランドスラムおよび男子2人目の「キャリア・ゴールデンスラム」を達成。これは、グランドスラムのオープン化以降3人目で24歳3ヵ月での達成は史上最年少の記録である。
2010年10月の楽天ジャパン・オープンで初来日し、準決勝でビクトル・トロイツキにマッチポイントを握られながらも、7-6, 4-6, 7-6で制した。決勝ではガエル・モンフィスに6-1, 7-5で快勝して初来日を優勝で飾った。
最終戦のATPワールドツアー・ファイナルで初めて決勝に進出したが、フェデラーに3-6, 6-3, 1-6で敗れた。
2011年:台頭するジョコビッチとの戦い
4大大会4連続優勝を目指した1月の全豪オープンでは準々決勝でダビド・フェレールに4-6, 2-6, 3-6で敗れた。3月のインディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズでは決勝でジョコビッチに敗れ準優勝となった。4月のモンテカルロ・マスターズではフェレールを6–4, 7–5で破り、オープン化以降では史上初となる同一大会7連覇を達成した。5月のマドリード・マスターズ、ローマ・マスターズでも決勝に進み、史上初めてATPワールドツアー・マスターズ1000で5大会連続決勝進出と記録は作ったが、またしてもジョコビッチに敗れた。
全仏オープンでは、決勝でフェデラーを7-5, 7-6(3), 5-7, 6-1で破り、全仏ではビョルン・ボルグに並ぶ6回目の優勝を飾った。
ウィンブルドンでは、決勝でジョコビッチに4–6, 1–6, 6–1, 3–6で敗れ、大会2連覇は成らなかった。全米オープンでも決勝でジョコビッチに2–6, 4–6, 7–6(3), 1–6で敗れ、2011年のジョコビッチ戦に6戦全敗となってしまった。 楽天ジャパン・オープンで2年連続来日したが、決勝でマリーに6–3, 2–6, 0–6で敗れ連覇を逃した。
2012年:7度目の全仏優勝、怪我による休養
全豪オープン決勝では、昨年のウィンブルドン決勝から3大会連続でジョコビッチと対戦となり、7-5, 4-6, 2-6, 7-6(5), 5-7で敗れ、3大会連続で4大大会優勝を逃した。この試合は、グランドスラムの決勝史上最長となる5時間53分に及んだ。
4月のモンテカルロ・マスターズでは決勝でジョコビッチを6-3, 6-1で破りジョコビッチ戦の連敗を7で止め大会8連覇を果たした。全仏オープン決勝では、再びジョコビッチとの対戦となり、6-4, 6–3, 2–6, 7–5で破り3年連続7度目の優勝を果たし、オープン化以降ではビョルン・ボルグを抜き、全仏オープン最多優勝記録を更新した。
しかし、続くウィンブルドンでは当時ランク100位のルカシュ・ロソルにフルセットの末敗れ、2005年以来7年ぶりの2回戦敗退となった。大会後、膝の怪我によりロンドンオリンピック出場を断念し、開会式のスペイン選手団の旗手も辞退した。その後も怪我が回復せず、全米オープン、上海マスターズ、パリマスターズ、年間最終戦も欠場し年後半戦の主要大会全てを欠場することとなってしまった。
2013年:怪我からの復活、4大大会2冠/再び世界1位に
全豪オープンは胃の感染症を理由に欠場。2月、復帰初戦のVTRオープンでは単複ともに決勝まで進出するも、どちらも準優勝に終わった。シングルスは世界ランク73位のオラシオ・セバジョスに7-6, 6-7, 4-6で敗れた。翌週のブラジル・オープンで復帰後初優勝を飾ると、アビエルト・メキシコ・テルセル、BNPパリバ・オープンで優勝。ヨーロッパクレーシーズンは、モンテカルロ・マスターズ決勝でジョコビッチに2-6, 6-7で敗れ大会9連覇とはならなかった。しかしその後のバルセロナ・オープン・バンコ・サバデル、マドリード・マスターズ、BNLイタリア国際の3大会で優勝。復帰してから全仏オープンまでで出場した8大会全てにおいて決勝進出し、そのうち6大会で優勝するなど完全復活を果たす。
全仏オープンでは、準決勝で第1シードのジョコビッチに6-4,3-6,6-1,6(3)-7,9-7、4時間37分に及ぶフルセットで勝利し、決勝ではフェレールをストレートで下して大会2度目の4連覇と8度目の優勝を達成。グランドスラム1大会における8回の優勝は史上初であり、また、ギリェルモ・ビラスが保持していた全仏オープンでの最多マッチ勝利数を更新する59勝目を挙げた。
ウィンブルドンでは、1回戦で当時世界ランク135位のスティーブ・ダルシスに6-7, 6-7, 4-6で敗退してしまう。ナダルが4大大会初戦で敗退するのはプロ転向後初めてのことだった。しかし、その後の北米ハードコートシーズンでは好調さを取り戻し、ロジャーズ・カップでは決勝で地元勢のミロシュ・ラオニッチを、翌週のシンシナティ・マスターズでも決勝で地元勢のジョン・イズナーを下し、ハードコートのマスターズ大会で2週連続優勝を果たした。
全米オープンでも決勝に進出。ジョコビッチに6-2,3-6,6-4,6-1のセットカウント3-1で勝利し優勝。歴代単独3位となる4大大会13勝目を挙げた。その後のチャイナ・オープンでは決勝でジョコビッチに敗退。上海マスターズ、BNPパリバ・マスターズでは、デルポトロとフェレールにいずれも準決勝で敗れた。
ATPワールドツアー・ファイナルではラウンドロビン全勝で3年ぶりに決勝まで勝ち進むも、ジョコビッチに敗れ準優勝に終わった。それでも2013年は10大会で優勝挙げ、3年ぶりにシーズンランキング1位に輝き[2]、自身初の年間勝率90%超えを果たした。また1シーズンにおける獲得賞金が1,456万915ドルにのぼり、前年度のジョコビッチの記録を上回る歴代最多記録を更新した。
2014年:全仏5連覇9度目の優勝、再び怪我による不調
年初にカタール・エクソンモービル・オープンで優勝し通算61勝目を挙げた。続く全豪オープンでは、失セット数1と安定したプレーで決勝に進出。決勝では4大大会初の決勝進出を果たした第8シードのスタン・ワウリンカと対戦。過去12戦全勝と相性の良い相手ではあったが、試合中に負った怪我の影響や、ワウリンカの攻撃的なプレーに屈し3-6, 2–6, 6-3, 3-6で敗退し準優勝に終わった。2月開催のリオ・オープンでは、決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフを破り優勝。3月、BNPパリバ・オープンでは3回戦でドルゴポロフに、マイアミ・マスターズでは、決勝でジョコビッチに敗退した。クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズとバルセロナ・オープンの2大会では、過去9年間決勝進出を逃したことはなかったが、両大会とも準々決勝で敗退した。マドリード・マスターズでは決勝まで勝ち進み、錦織圭の途中棄権により4度目優勝を果たした。ローマ・マスターズでは決勝でジョコビッチに敗退。
全仏オープンでは決勝まで進み、キャリアグランドスラムを狙うジョコビッチを3-6, 7-5, 6-2, 6-4で破り、全仏5連覇と9度目の優勝及びピート・サンプラスに並ぶグランドスラム14勝目を挙げた。芝シーズンでは振るわず、前哨戦のゲリー・ウェバー・オープンで初戦敗退、ウィンブルドンでは4回戦でニック・キリオスに敗退した。その後の北米マスターズ2大会と全米オープンは手首の怪我により欠場することとなった。10月チャイナ・オープンで復帰を果たすが、上海マスターズ、スイス・インドアを含め3大会で準決勝までに敗退した。ATPワールドツアー・ファイナルは虫垂炎の手術により欠場を表明した。
2015年:得意のクレーコートでの不調 世界ランキング上位から陥落
1月はカタール・エクソンモービル・オープンダブルスで優勝。第3シードで出場した全豪オープンでは準々決勝で今まで17連勝してたトマーシュ・ベルディハに敗北。2月のリオ・オープンでは準決勝でファビオ・フォニーニに逆転負けを喫した。3月はアルゼンチン・オープンで優勝。BNPパリバオープンではミロシュ・ラオニッチに敗れベスト8。マイアミ・マスターズ直前の練習で足首を捻挫するも大会に出場。同じスペイン人選手のフェルナンド・ベルダスコに敗れる。第3シードで出場したモンテカルロ・マスターズは準決勝でジョコビッチに敗れた。バルセロナ・オープンでは3回戦でまたもファビオ・フォニーニに敗れた。2連覇中のマドリード・オープンでは決勝に進出するもマリーに敗れた。5月11日に発表された世界ランキングで7位に転落し2005年5月2日以来10年ぶりのトップ5落ちとなった[3]。6大会連続決勝進出中のBNLイタリア国際では準々決勝でワウリンカに敗れた。これにより全仏オープン自身初となる第5シード以下での出場が確定。またモンテカルロ・マドリード・ローマのクレーコートマスターズ1000大会でいずれも優勝できないまま全仏オープンに出場するのも自身初となる[4]。
迎えた全仏オープンでは第6シードで出場。準々決勝で第1シードジョコビッチと対戦。2人がグランドスラムのベスト8以下で対戦するのは公式戦初対決の2006年全仏以来9年ぶり。結果はナダルが5-7, 3-6, 1-6のストレートで敗れ、全仏では2009年のロビン・セーデリング戦以来6年ぶりの敗北。全仏通算2敗目となり、連続優勝記録は5連覇でストップした。6月8日のランキングでは10位に下降。世界ランク10位以下になるのは2005年4月18日以来約10年2ヶ月ぶり。
6月のメルセデス・カップでは決勝でビクトル・トロイツキに勝利し、5年ぶりに芝でのタイトルを獲得する。しかし、エイゴン選手権では初戦でドルゴポロフに敗れ、迎えたウィンブルドン選手権では2回戦でダスティン・ブラウンに敗れ、ウィンブルドン選手権で4年連続で世界ランキング100位以下の選手に敗れることとなった。
7月のドイツ国際オープンでは決勝でシーズン2度敗れたフォニーニに勝利し、シーズン初のヨーロッパでのクレーコートでのタイトルを獲得した。10位だったランキングも8位まで戻し、またレースランキングでも6位につけるなど、復調の兆しも見せる。しかし、ロジャーズ・カップでは準々決勝で錦織圭に 2-6, 4-6 で完敗、シンシナティ・マスターズでは3回戦でフェリシアーノ・ロペスに敗れた。
全米オープンでは3回戦でフォニーニに6-3, 6-4, 4-6, 3-6, 4-6で敗れた。フォニーニには今季3度目、ハードコートでは初敗北。チャイナ・オープンでは準決勝でフォニーニに7-5, 6-3で勝利、決勝でジョコビッチに2-6, 2-6で敗れた。上海マスターズでは準々決勝でワウリンカに6-2, 6-1で勝利し、ハードコートのマスターズでは約1年7か月ぶりに準決勝進出。準決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに4-6, 6-0, 5-7で敗れた。
スイス・インドアでは、決勝でフェデラーに3-6, 7-5, 3-6で敗れた。フェデラーとの対戦は2014年全豪以来約2年ぶり、決勝では2013年5月から約2年半ぶり、敗北したのは2012年インディアンウェルズ・マスターズ以来のことである。BNPパリバ・マスターズでは準々決勝でワウリンカに6-7(8), 6-7(6)で敗れた。ATPワールドツアー・ファイナルでは初戦でワウリンカを6–3, 6–2で破ると、第2戦でマリーを6-4, 6-1で圧倒し、復活を印象付けた。準決勝ではジョコビッチに3-6, 3-6で敗れた。年間最終ランキングは5位。
2016年 五輪ダブルス金メダル、再びの怪我
年初のカタール・エクソンモービル・オープンでは、決勝で1-6,2-6という一方的なスコアでジョコビッチに敗れ準優勝。全豪オープンでは初戦でベルダスコに6-7(6), 6-4, 6-3, 6-7(4), 2-6で敗れた。初戦敗退は全豪では初、グランドスラム全体でも2013年ウィンブルドン以来2回目。2月のアルゼンチン・オープンでは準決勝でドミニク・ティームに、リオ・オープンでは準決勝でパブロ・クエバスに敗れた。
3月のBNPパリバ・オープンでは準々決勝で錦織圭を6-4, 6-3で破り、当大会3年ぶりに準決勝進出。準決勝でジョコビッチに敗れた。マイアミ・オープンでは初戦のダミル・ジュムール戦を途中棄権した。4月のモンテカルロ・マスターズではティーム、ワウリンカ、マリーを破り、3年ぶりの決勝進出。決勝でガエル・モンフィスと対戦し7-5, 5-7, 6-0で勝利し、マスターズで2年ぶり、同大会4年ぶり9回目の優勝を果たした。。翌週のバルセロナ・オープンでは3年ぶりに決勝進出を果たし、決勝で錦織圭に6-4, 7-5で勝利し、3年ぶり9度目の優勝を果たす。5月のマドリード・オープンでは準決勝でマレーに敗れた。翌週のBNLイタリア国際では準々決勝でジョコビッチに敗れた。全仏オープンでは2回戦でファクンド・バグニスに勝利し、グランドスラム200勝目を挙げる[5]。しかし、3回戦を左手首の怪我のため棄権した[6]。ナダルが全仏で2年連続で優勝できなかったのは史上初。全仏後の世界ランキングで2015年5月10日以来1年1ヶ月ぶりに4位となった。しかし、左手首の怪我のためにウィンブルドンを含む芝シーズンの大会を欠場した[7]。
リオ五輪で復帰を果たす。スペイン選手団の旗手を務め、ダブルスではマルク・ロペスと組んで決勝に進出。決勝でルーマニアのメルジャ/テカウ組に6-2, 3-6, 6-4で勝利し、金メダルを獲得した。シングルスでは準決勝でデルポトロに7-5, 4-6, 6-7(5)で敗れた。3位決定戦では錦織圭と対戦。第2セットでは2-6, 2-5から2度ブレークし、第2セットを取るも、2-6, 7-6(1), 3-6で敗れた。
五輪翌週のシンシナティ・マスターズでは3回戦でボルナ・チョリッチに敗れた。全米オープンでは4回戦でリュカ・プイユと4時間を超える激戦の末、1-6, 6-2, 4-6, 6-3, 6-7(6)で敗れた。チャイナ・オープンでは準々決勝でグリゴール・ディミトロフに、上海マスターズでは初戦でビクトル・トロイツキに敗れた。上海マスターズでの初戦敗退後、左手首の怪我のリハビリのため、残りシーズンの欠場を表明した[8]。
2017年 再びの復活 (グランドスラム3度の決勝で2度の優勝、4度目の世界ランク1位)
復帰戦となる年初のブリスベン国際では準々決勝でミロシュ・ラオニッチに敗れた。全豪オープンでは準々決勝でラオニッチに、準決勝でグリゴール・ディミトロフに6-3, 5-7, 7-6(5), 6-7(4), 6-4で勝利し、グランドスラムでは2014年全仏オープン以来の決勝進出を果たす。決勝ではロジャー・フェデラーとグランドスラムでは2014年全豪オープン以来、グランドスラム決勝では2011年全仏オープン以来となる対戦。4-6, 6-3, 1-6, 6-3, 3-6で敗れ、準優勝となった。
2月のメキシコ・オープンではサム・クエリーに屈し準優勝。3月のBNPパリバ・オープンでは4回戦で再びフェデラーと対戦し、2-6, 3-6で敗れた。続くマイアミ・オープンでも決勝でフェデラーと対戦し、3-6, 4-6で敗れて準優勝となった。
4月のモンテカルロ・マスターズでは決勝で同じスペインのアルベルト・ラモス=ビノラスに6-1, 6-3で勝利し、2017年シーズン初優勝となるモンテカルロ通算10回目の優勝を果たし、同時に通算70勝、さらにギリェルモ・ビラスを抜いて単独1位となるクレー通算50勝を達成した。 その後バルセロナ・オープンとマドリード・マスターズでは、ともに決勝でドミニク・ティエムを破り優勝。しかし続くローマ・マスターズでは第8シードのティエムにリベンジを食らって準々決勝止まりとなった。そして迎えた全仏オープンではティエム 、スタン・ワウリンカなどに勝利し、全試合ストレート勝利、失ゲーム数35という脅威の試合運びでグランドスラム史上初の同大会ラ・デシマ(スペイン語でV10)を達成。
ウィンブルドンでは第4シードから順当に4回戦まで勝ち上がり、第16シードのジレ・ミュラーと対戦。2セットダウンから追いつく粘りを見せるも、最終セットで接戦の末13-15と敗れ、準優勝した2011年以来のベスト8進出を逃した。
ロジャーズ・カップでは世界ランク2位ながらアンディ・マリーの欠場により第1シードで参戦。3回戦で地元カナダの新星デニス・シャポバロフ相手に敗退。しかしマレーに加え世界ランキング3位のフェデラーが次のウエスタン・アンド・サザン・オープン欠場を表明したため、3年ぶりの世界1位復帰が確定した。その大会では準々決勝でニック・キリオスに敗れた。そして全米オープンは、2014年全仏オープン以来となるグランドスラム第1シードとして出場。準々決勝で若手アンドレイ・ルブレフを6-1, 6-2, 6-2で一蹴すると準決勝では、2009年の同大会覇者であり準々決勝でフェデラーを破ったフアン・マルティン・デル・ポトロと対決し、これを4-6, 6-0, 6-3, 6-2で撃破。決勝ではケビン・アンダーソンを6-3, 6-3, 6-4のストレートで倒し、今シーズン2度目となる16度目の四大大会制覇を果たした。ハードコート大会での優勝は2014年開幕戦のカタール・エクソンモービル・オープン以来約3年8ヶ月ぶりのことであった。
全米優勝後初の大会はこの年初開催となったエキシビションマッチであるレーバーカップ。長年のライバルのフェデラーとダブルスを組んでファンを沸かせ、またシングルスでも1勝を記録して欧州選抜チームの優勝に貢献した。アジアシリーズではまずチャイナ・オープンに参戦。準決勝では昨年の同大会で敗れたディミトロフに勝利すると、決勝でキリオスに6-2, 6-1で圧勝し12年ぶりに優勝した。続く上海マスターズでは準々決勝で再びディミトロフを、準決勝でマリン・チリッチを破って2週連続の決勝進出。しかし決勝ではシーズン4度目の対戦となったフェデラーにまたしても敗れた。
スイス・インドアは上海から続く膝の状態悪化により欠場。しかし続くBNPパリバ・マスターズで復帰すると2回戦で鄭現を下し、30代選手としては初となる年間最終ランク1位を確定させる。その後3回戦にも勝利したものの準々決勝を前に棄権した。
2年ぶりの出場となったATPファイナルズでは、ティエム、ディミトロフ、ダビド・ゴフィンと同居。初戦でゴフィン相手にマッチポイント4本を凌ぐも、6-7(5), 7-6(4), 4-6のフルセットで敗れ、その後膝の負傷を理由に同大会からの棄権を表明した。
2018年 11度目の全仏優勝・7年ぶりのウィンブルドンベスト4
2017年シーズンに負傷した足の怪我が心配される中の出場であったが、全豪オープンでは順当に勝ち上がり、4回戦でディエゴ・シュワルツマンを破り準々決勝に進出。しかしマリン・チリッチとの試合ではセットカウント2-1とリードした第4セットで足を故障し、必死のプレーを見せるが第5セットを0-2とリードされた時点で棄権しベスト8となった。またその負傷が長引いたことにより、出場を予定していたメキシコ・オープン、BNPパリバ・オープン、マイアミ・オープンの3大会を辞退し、春の北米ハードシーズンはスキップすることとなった。また、その間にロジャー・フェデラーに一時的に世界ランキング1位を奪還されたものの、フェデラーのポイント失効によりマイアミ終了後に5度目のランキング1位となる。
デビスカップ準々決勝のドイツ戦で復帰し、フィリップ・コールシュライバーとアレクサンダー・ズベレフを破って順調な滑り出しを見せる。モンテカルロ・マスターズでは錦織圭を6-3, 6-2のストレートで破りマスターズ1000シリーズ単独1位となる31勝目を飾った。続くバルセロナ・オープンでは決勝でステファノス・チチパスを6-2, 6-1のスコアで圧倒しモンテカルロに続くウンデシマ(スペイン語でV11)を達成。マドリード・オープンでは、3回戦でシュワルツマンに勝利し、クレーコートでの連続セット取得を50として、1984年にジョン・マッケンローがカーペットコートで打ち立てた同一サーフェスの連続セット取得記録を34年振りに更新した。しかし続く準々決勝のドミニク・ティエム戦で第1セットを奪われ、奇しくも昨年ローマで同選手に敗れて以来続いていた記録がストップすると、そのまま第2セットも落としてストレートで敗北。再びフェデラーに世界ランク1位の座を譲ることとなった。1週間後のローマ・マスターズでは、準々決勝で地元イタリアのファビオ・フォニーニと対戦。2015年にはクレーコートでの2つを含む1年間で3度の敗戦を喫したこともあるフォニーニに苦戦を強いられたものの、逆転で撃破してベスト4進出を果たす。準決勝で長年のライバルであるノバク・ジョコビッチに対して通算25回目となる勝利を収め決勝進出。その決勝では連覇を狙うA. ズベレフを6-1, 1-6, 6-3のフルセットで下し5年ぶり8度目の優勝、ランキングも1週で1位に返り咲いた。そして迎えた全仏オープンでは4回戦まで順当に勝ち上がり、続く準々決勝ではシュワルツマンに第1セットの奪われ今大会初めてセットを失うも、雨天の為、翌日順延になってからは3セットを連取し準決勝に進出。準決勝ではフアン・マルティン・デル・ポトロを6-4,6-1,6-2で圧倒し決勝に駒を進めた。決勝の相手は今年のマドリードで連続セット記録を止められ去年から今年にかけて唯一黒星を喫しているティエムと対戦、接戦になるのではと思われていた大方の予想を覆し、6-4,6-3,6-2のストレートで勝利を収め(ウンデシマ)11度目の優勝を飾ると共に、グランドスラム優勝回数を17回に伸ばした。
第2シードで迎えたウィンブルドン選手権では4回戦までストレートで勝ち進め、準々決勝で第5シードのデル・ポトロに7-5,6-7(7),4-6,6-4,6-4のフルセットで勝利し準決勝へ進出したが、4度目の優勝を狙う第12シードのジョコビッチに4-6,6-3,6-7(9),6-3,8-10のフルセットの激闘の末敗北を喫し、自身6度目となる決勝進出とはならなかった。
ウィンブルドンでの激闘の後、北米シーズンのロジャーズ・カップでは準々決勝でチリッチを2-6,6-4,6-4の逆転勝利で準決勝に駒を進めると、ロシア期待の若手カレン・ハチャノフも下し決勝進出を決めると、今大会TOP10を4人撃破し、決勝まで駒を進めてきた新星ステファノス・シチパスと対戦。 6-2,7-6(4)で勝利し、5年ぶり4度目の優勝を果たした。ハードコートマスターズでの優勝は2013年のシンシナティ・マスターズ以来となった。そして、この大会の優勝の後、そのシンシナティを身体の休養を理由に大会の辞退を発表した。迎えた全米オープンには第1シードで参戦。3回戦のハチャノフ戦でメディカルタイムアウトを取るなど膝の状態が不安視されたが順当に勝ち上がり、4回戦のニコロズ・バシラシビリ戦も勝利してベスト8に進出する。その準々決勝でクレーコートのライバルであるティエムとハードで初対戦。第1セットを0-6で一方的に落としたもののそこから驚異の立ち直りを見せ、0-6, 6-4, 7-5, 6-7(4), 7-6(5)で4時間48分に及ぶ戦いを制した。続く準決勝ではデル・ポトロとGSで3大会連続相まみえる。2セットを先行されたところで膝が限界を迎えて棄権、自身初の全米連覇は叶わなかった。
プレースタイル
強烈で重いトップスピンのグランドストローク、速く持続力のあるフットワーク、そして粘り強い守備を武器にしたアグレッシブ・カウンターパンチャー。高い予測能力で一見届かないと思われたボールも打つことができる守備力を持つ。また、重いトップスピンで相手を後方に追いやった後のドロップショットも武器。[9]
非常にスイングスピードが速く、通常のラリーの中から一発でウィナーを取れるだけのパワーを持っている。低い打点からボールを引きつけ完璧な構えから打つことで全身のパワーを乗せることができ、効率の良い身体の使い方と天性のバネにより、抜群のスイング・スピードを生み出している。[10]
ストロークにおいてとりわけ異彩を放っているのは、スピンとスピードが他の誰よりも高次元で両立していることである。ナダルは高低差の激しいボールを打つがそのショットはスピードにあふれ、かつバウンドは極端に高く弾む。テイクバックは小さめでコンパクトなスイングでハードヒットしているため、クレーコートの遅くイレギュラーが多く良く弾むコートを非常に得意としておりリターンにも強い。[11]
エピソード
- ナダルは自伝の中で幼少時代にフォアもバックも明確ではなく、どちらも両手で打っていたが叔父のトニー・ナダルに、どちらかは片手で打つようにと助言されて自然と左打ちになったと語っている。
- 2003年5月28日にマヨルカ天文台で発見された小惑星が、この島の出身者であるナダルにちなんで「ラファエル・ナダル (小惑星)」 (128036 Rafaelnadal) と名づけられた。
- 幼いころサッカーをしていたこともありサッカーの大ファンで、2010年ワールドカップの決勝戦、スペイン対オランダを応援しに南アフリカまでかけつけたり、楽天オープンで来日の際にはアルゼンチン対日本の試合会場にも姿を現している[12][13]。2011年にそれまで度々スタジアムに応援に駆けつけていたレアル・マドリードの名誉会員(ソシオ)となる[14]。また、地元チームのRCDマヨルカの株主でもあったが2011年12月に保有株の一部を売却した[15]。
- アニメ『ドラゴンボール』の特に孫悟空の大ファンで筋肉のつけ方やウェアなどはそれを意識したともいわれている。本人の公式サイトでも"I love dragon ball, I have all the dvd and I travel with most of them"(私はドラゴンボールが大好きで、全てのDVDを持っているし、旅行するときも持っていっている)と述べている[16]。
- 2011年に自伝『Rafa: My Story』を発表(ISBN 978-1847445155)。9月30日に実業之日本社から日本語版が発売された(ISBN 978-4-408-45357-6)。
- 2012年後半よりツアーを離脱したのは、ドーピング検査で陽性反応を示したことを隠すためだったとフランスのロズリーヌ・バシュロ=ナルカン元保健・青年・スポーツ大臣が発言したことを受け、ナダルはイメージを損なわれたとして10万ユーロの損害賠償を求め提訴[17]。2017年11月16日にパリ裁判所はナダル勝訴の判決とバシュロに1万2000ユーロを支払う判決を言い渡し、ナダルは賠償金の全額をフランスのチャリティーへ寄付すると発表した[18]。
- 2014年6月、アメリカの経済誌フォーブスは世界のアスリートの年収を公表した。ナダルの年収は4450万ドル(約45億4000万円)であり、世界のアスリートの中で9位。テニス選手の中ではロジャー・フェデラーに次ぐ2位[19]。
- 2016年6月、故郷であるスペイン・マヨルカ島のマナコルにラファ・ナダルアカデミーを開校。アメリカンインターナショナルスクールも併設しており卒業後はアメリカの大学を視野に入れた教育を行っている。プランBが日本の正規代理店となっている。
- 2017年5月、ESPNは世界で最も有名なアスリート100人を発表し、ナダルは9位に選出された。テニス選手ではロジャー・フェデラーに次ぐ2位[20]。
記録
全期間
大会 | 年- | 記録 | 他記録者 |
---|---|---|---|
全大会 | 1877 | 一つの大会で8連覇 (モンテカルロ・マスターズ) | 単独記録 |
グランドスラム | 1877 | 男子シングルス優勝回数歴代2位 「17回」 | - |
グランドスラム | 1877 | 男子シングルス決勝進出回数歴代2位 「24回」 | - |
グランドスラム | 1877 | 一つの男子グランドスラム大会で11回優勝 | 単独記録 |
グランドスラム | 1877 | 10年連続でグランドスラム大会のいずれかに優勝 (2005 - 2014) | 単独記録 |
同じ年に3つの異なるサーフェスのグランドスラムで優勝した男子選手 | 単独記録 | ||
モンテカルロ・マスターズ | 1897 | 男子シングルス最多優勝「11回」 | 単独記録 |
全仏オープン | 1925 | 男子シングルス最多優勝「11回」 | 単独記録 |
ローマ・マスターズ | 1930 | 男子シングルス最多優勝「8回」 | 単独記録 |
バルセロナ・オープン | 1953 | 男子シングルス最多優勝「11回」 | 単独記録 |
マスターズ1000 | 1970 | 10年連続でマスターズのいずれかに優勝 (2005-2014) | 単独記録 |
21大会連続で準々決勝に進出 (2008 - 2010) | 単独記録 | ||
ローマ・マスターズに14年中8回優勝 (2005-2018) | 単独記録 |
オープン化以降
期間 | グランドスラム記録 | 他記録者 | |
---|---|---|---|
2005 全仏 — 2010 全米 | キャリアゴールデンスラム | アンドレ・アガシ | [21] |
2005 全仏 — 2010 全米 | キャリアグランドスラム | ロッド・レーバー アンドレ・アガシ ロジャー・フェデラー |
[22] |
2005 全仏 — 2010 全米 | 最年少キャリアグランドスラム (24歳) | 単独記録 | [22][23] |
2005 全仏 — 2010 全米 | ハード、クレー、芝の大会それぞれで2回以上優勝 | マッツ・ビランデル | [22] |
2005 全仏 — 2018 全仏 | 1つの大会で11回優勝 | 単独記録 | |
2005–2014 | 10年連続でいずれかの大会で優勝 | 単独記録 | [24] |
2010 全仏 — 2010 全米 | 同じ年にハード、クレー、芝の大会で優勝 | 単独記録 | [25] |
2007 全仏 — 2017 全仏 | 1セットも落とさずに決勝進出「6回」[注釈 1] | 単独記録 | [28][29] |
2008 全仏 — 2009 全豪 | クレー、芝、ハードコートのタイトルを同時保持 | ロジャー・フェデラー | [30] |
2008 全仏— 2009 全豪 | クレー、芝、ハードコート、オリンピックのタイトルを同時保持 | 単独記録 | [31] |
2008 全英— 2008 オリンピック | オリンピック金メダルと全英タイトル同時保持 | アンディ・マリー |
グランドスラム | 期間 | グランドスラム記録 | 他記録者 | |
---|---|---|---|---|
全仏 | 2005–2018 | 最多優勝「11回」 | 単独記録 | [32] |
全仏 | 2010–2014 | 5連覇 | 単独記録 | [32] |
全仏 | 2005–2018 | 最多決勝進出「11回」 | 単独記録 | [33] |
全仏 | 2010–2014 | 5年連続決勝進出 | 単独記録 | [34] |
全仏 | 2005–2018 | 最多準決勝進出「11回」 | 単独記録 | [32] |
全仏 | 2010–2014 | 5年連続準決勝進出 | ロジャー・フェデラー | [32] |
全仏 | 2005–2018 | 最多勝利 「86勝」 | 単独記録 | [35] |
全仏 | 2010–2014 | 35連勝 | 単独記録 | [32] |
全仏 | 2005–2018 | 最高勝率「97.7%」 (86–2) | 単独記録 | [36] |
全仏 | 2008, 2010, 2017 | 1セットも落とさずに優勝「3回」 | 単独記録 | [32] |
全仏 | 2005 | 初出場で優勝 | マッツ・ビランデル | [37] |
期間 | 記録 | 他記録者 | |
---|---|---|---|
マスターズ1000記録 | |||
2005–2018 | マスターズ優勝 「33回」 | 単独記録 | [38] |
2013 | マスターズ1000で4大会連続優勝 | ノバク・ジョコビッチ | |
2013 | 1シーズンで8回準決勝進出 | ノバク・ジョコビッチ | |
2005–2013 | 全てのマスターズ1000の決勝に進出経験 | ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ |
|
2010 | クレースラム[39] | 単独記録 | [40] |
2005–2018 | モンテカルロ・マスターズ優勝「11回」 | 単独記録 | |
2005–2018 | ローマ・マスターズ優勝 「8回」 | 単独記録 | |
他記録 | |||
2005–2007 | クレーコート 「81連勝」 | 単独記録 | [41][42] |
2004–2013 | 世界ランキング1位の選手に19勝 | ボリス・ベッカー | |
2002–2014 | クレーコート勝率 「92.98%」 (318–24) | 単独記録 | [43] |
2002–2014 | 屋外コート勝率「85.83%」 (639–106) | 単独記録 | [44] |
2005–2013 | 4つの異なる大会で7回以上優勝 | 単独記録 | [28][45] |
2005–2012 | 1つの大会で8連覇 (モンテカルロ) | 単独記録 | [46] |
2004–2006 | ティーンエージャーで16回優勝 | ビヨン・ボルグ | [47] |
連勝記録
4大大会優勝
- 全豪オープン:1勝(2009年)〔準優勝3度:2012年,14年,17年〕
- 全仏オープン:11勝(2005年-08年、10年-14年,17-18年) ※2010年-14年 大会5連覇
- ウィンブルドン:2勝(2008年、10年)〔準優勝3度:2006年, 07年,11年〕
- 全米オープン:3勝(2010年、13年、17年)〔準優勝1度:2011年〕
年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
---|---|---|---|
2005年 | 全仏オープン | マリアノ・プエルタ | 6-7, 6-3, 6-1, 7-5 |
2006年 | 全仏オープン | ロジャー・フェデラー | 1-6, 6-1, 6-4, 7-6 |
2007年 | 全仏オープン | ロジャー・フェデラー | 6-3, 4-6, 6-3, 6-4 |
2008年 | 全仏オープン | ロジャー・フェデラー | 6-1, 6-3, 6-0 |
2008年 | ウィンブルドン | ロジャー・フェデラー | 6-4, 6-4, 6-7, 6-7, 9-7 |
2009年 | 全豪オープン | ロジャー・フェデラー | 7-5, 3-6, 7-6, 3-6, 6-2 |
2010年 | 全仏オープン | ロビン・セーデリング | 6-4, 6-2, 6-4 |
2010年 | ウィンブルドン | トマーシュ・ベルディハ | 6-3, 7-5, 6-4 |
2010年 | 全米オープン | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias SER|border|25x20px|テンプレート:Country alias SERの旗]] ノバク・ジョコビッチ | 6-4, 5-7, 6-4, 6-2 |
2011年 | 全仏オープン | ロジャー・フェデラー | 7-5, 7-6, 5-7, 6-1 |
2012年 | 全仏オープン | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias SER|border|25x20px|テンプレート:Country alias SERの旗]] ノバク・ジョコビッチ | 6-4, 6-3, 2-6, 7-5 |
2013年 | 全仏オープン | ダビド・フェレール | 6-3, 6-2, 6-3 |
2013年 | 全米オープン | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias SER|border|25x20px|テンプレート:Country alias SERの旗]] ノバク・ジョコビッチ | 6-2, 3-6, 6-4, 6-1 |
2014年 | 全仏オープン | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias SER|border|25x20px|テンプレート:Country alias SERの旗]] ノバク・ジョコビッチ | 3-6, 7-5, 6-2, 6-4 |
2017年 | 全仏オープン | スタン・ワウリンカ | 6-2, 6-3, 6-1 |
2017年 | 全米オープン | ケビン・アンダーソン | 6-3, 6-3, 6-4 |
2018年 | 全仏オープン | ドミニク・ティエム | 6-4, 6-3, 6-2 |
テンプレート:テニスグランドスラム大会男子シングルス優勝記録
成績
4大大会シングルス
大会 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | 3R | 4R | A | QF | SF | W | QF | QF | F | A | F | QF | 1R | F | QF | 55–12 |
全仏オープン | A | A | W | W | W | W | 4R | W | W | W | W | W | QF | 3R | W | W | 86–2 |
ウィンブルドン | 3R | A | 2R | F | F | W | A | W | F | 2R | 1R | 4R | 2R | A | 4R | SF | 48-11 |
全米オープン | 2R | 2R | 3R | QF | 4R | SF | SF | W | F | A | W | A | 3R | 4R | W | SF | 58-11 |
合計 | 3-2 | 3-2 | 13-3 | 17-2 | 20-3 | 24-2 | 15-2 | 25-1 | 23-3 | 14-2 | 14-1 | 16-2 | 11-4 | 5-2 | 23-2 | 21-3 | 247-36 |
※2016年全仏オープン3回戦の不戦敗は通算成績に含まない。
大会最高成績
大会 | 成績 | 年 |
---|---|---|
ツアーファイナル | F | 2010, 2013 |
インディアンウェルズ | W | 2007, 2009, 2013 |
マイアミ | F | 2005, 2008, 2011, 2014, 2017 |
モンテカルロ | W | 2005~2012, 2016~2018 |
マドリード | W | 2005, 2010, 2013, 2014, 2017 |
ローマ | W | 2005~2007, 2009, 2010, 2012, 2013, 2018 |
カナダ | W | 2005, 2008, 2013, 2018 |
シンシナティ | W | 2013 |
上海 | F | 2009, 2017 |
パリ | F | 2007 |
ハンブルグ | W | 2008 |
オリンピック | G | 2008 |
デビスカップ | W | 2004, 2008, 2009, 2011 |
受賞歴
- ITFワールドチャンピオン(2008,2010)
- ATP最優秀選手賞(2008,2010,2013)
- ゴールデンベーグル賞(2005,2008-2009)
- ローレウス世界スポーツ賞(2011)
- アストゥリアス公スポーツ賞(2008)
- ATPステファン・エドベリ スポーツマンシップ賞(2010)
- BBC海外スポーツパーソナリティ賞(2010)
- スペイン スポーツマン賞(2006,2008,2013)
- レキップチャンピオンオブ・チャンピオン賞(2010,2013)
- ESPY最優秀選手賞(2011,2014)
- アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞(2011)
- ATPカムバック賞(2013)
- ATP最優秀新人賞(2003)
- ATP Most Improved Player(2005)
- ローレウスカムバック賞(2014)
関連項目
脚注
注釈
出典
- ↑ Davis Cup - Tie details - 2004 - Spain v USA
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 “Rafael Nadal Ranking History” [ラファエル・ナダルのランキング履歴] (English). 男子プロテニス協会 (2018年2月19日). . 2018閲覧.
- ↑ http://news.tennis365.net/news/today/201505/104409.html
- ↑ http://news.tennis365.net/news/today/201505/104470.html
- ↑ “快勝ナダル GS200勝達成”. tennis365.net. . 20160528閲覧.
- ↑ “快勝ナダル GS200勝達成”. 全仏オープン. . 20160528閲覧.
- ↑ “テニス ナダルがウィンブルドンを欠場”. NHK. . 20160610閲覧.
- ↑ “ナダルが今シーズン終了を発表、来季に向けてリハビリに集中”. AFPBB News. . 20161102閲覧.
- ↑ “Nadal Has Improved Virtually Every Aspect of His Game”. ESPN (2008年7月3日). . 30 January 2009閲覧.
- ↑ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_nadal01.html
- ↑ http://news.tennis365.net/lesson/pro/m_nadal02.html
- ↑ テニス選手のナダルが埼玉スタジアムでアルゼンチン戦を観戦
- ↑ R・ナダル:「少年のように泣いた」-国全体でチームを誇りに
- ↑ 公式声明 2011年3月17日付
- ↑ サッカー=男子テニスのナダル、マジョルカ保有株を売却
- ↑ 公式サイトラファとチャット・ダイジェスト
- ↑ “ナダルが仏元大臣に1300万円の損害賠償を請求、疑惑払しょくへ決着目指す”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年10月14日) . 2017閲覧.
- ↑ “ナダル勝訴 薬物疑惑に終止符”. tennis265.net. (2017年11月17日) . 2017閲覧.
- ↑ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
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外部リンク
- [{{#property:P856}} 公式ウェブサイト]
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- ラファ・ナダルアカデミー日本正規代理店 - プランB
- ラファエル・ナダル - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)
タイトル | ||
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先代: ロジャー・フェデラー ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ アンディ・マリー |
世界ランキング1位 2008年8月18日 – 2009年7月5日 2010年6月7日 – 2011年7月3日 2013年10月7日 – 2014年7月6日 2017年8月21日 – 2018年2月18日 |
次代: ロジャー・フェデラー ノバク・ジョコビッチ ノバク・ジョコビッチ ロジャー・フェデラー |
ラファエル・ナダル 獲得タイトル |
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