ヨーガ
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ヨーガ(梵: योग (), yoga)は、古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである[1][2]。ヨガとも表記される。漢訳は瑜伽(ゆが)。
1990年代後半から世界的に流行している、身体的ポーズ(アーサナ)を中心にしたフィットネス的な「現代のヨーガ」は、宗教色を排した身体的なエクササイズとして行われているが、「本来のヨーガ」はインドの諸宗教と深く結びついており、バラモン教、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の修行法でもあった[3]。
Contents
概説
森林に入り樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは紀元前に遡る古い時代から行われていたと言われている[4]。ヨーガはインドの諸宗教で行われており、仏教に取り入れられたヨーガの行法は中国・日本にも伝えられ、坐禅となった[† 1]。ウパニシャッドにもヨーガの行法がしばしば言及され、正統バラモン教ではヨーガ学派に限られずに行われた[† 2]。ジャイナ教でもヨーガの修行は必須であり、仏教の開祖である釈迦もヨーガを学んでいる[2]。祭儀をつかさどる司祭たちが神々と交信するための神通力を得ようと様々に開発した思想と実践法は、4-5世紀頃に六派哲学のヨーガ学派の教典『ヨーガ・スートラ』として、現在の形にまとめられたと考えられている。
伝統的な動的ヨーガは、肉体的・生理的な鍛錬(苦行)を重視し、気の流れを論じ、肉体の能力の限界に挑み、大宇宙の絶対者ブラフマンとの合一を目指すハタ・ヨーガ[2]とそのヴァリエーションである[6]。「ハタ」は「力、暴力、頑固」などを意味する[6]。ハタ・ヨーガはヨーガの密教版ともいうべきもので、12-13世紀のシヴァ教ナータ派のゴーラクシャナータ(ヒンディー語でゴーラクナート)を祖とする[6]。ムドラー(印相)や、プラーナーヤーマ(調息、呼吸法)、シャットカルマ(浄化法)などの身体的修練を重視した。ハタ・ヨーガの主張はヒンドゥー教のシヴァ派やタントラ仏教(後期密教)の聖典群(タントラ)、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者の書)』の説と共通点が多く、プラーナ(生命の風、気)、ナーディー(脈管)、チャクラ(ナーディーの叢)が重要な概念となっている[2]。
ただし、今日ヨーガと呼ばれるものの多く動的なヨーガだが、伝統的なハタ・ヨーガの流れとは別である。1990年代後半から、身体的ポーズ(アーサナ)に重点を置いたヨーガがアメリカ、イギリスなどの英語圏を中心に世界的に流行している[7]。現代では、一般に“ヨーガ(ヨガ)”または“ハタ・ヨーガ“と呼ばれるものの多くは、このヨーガを指している。この近現代のヨーガは、日本においてもアメリカなどの影響により、今世紀に入って爆発的な広がりを見せている。その特徴は「アーサナ」の実践にある。宗教学者のデミケリスはこうしたヨーガを「現代体操ヨーガ(Modern Postural Yoga)」と呼んでいる[8]。この現代の「ヨーガ教室」等で教えられているヨーガは、20世紀前半のインドで西洋の体操やボディビルディングなどの外来の身体鍛錬を取り入れてインド人のための国産エクササイズを作ろうとする動きから生まれた「創られた伝統」を直接的な起源としており、現代のヨーガと元来のヨーガにおける「yoga」とは似て非なる「同音異義語」であると言える[9]。このヨーガは、アメリカで「スピリチュアルな実践」とも解釈されている[7]。健康法として多くの効果が喧伝される一方、心身に対する様々な危険性も指摘されている[10][11]。
また現代では、様々な文献が翻訳・執筆され容易に入手できるため、書籍や映像により独習されることも少なくない。ヨーガを取り入れていたオウム真理教の教祖麻原彰晃は、正規のグルにつかず文献を基に独学で修行しているが、このことがのちに様々な問題を生ぜしめた要因のひとつであるとも言われている[12][13]。その一方、アヌサラ・ヨーガやビクラム・ヨーガといった巨大ヨーガ教室のトップがセクハラ、パワハラ、性犯罪で告発されるなどのトラブルもあり、商業化された現代のヨーガで、指導者に帰依することは妥当かどうか疑問も持たれている[14]。
「ヨーガ」という言葉
ヨーガ (योग) は、「牛馬にくびきをつけて車につなぐ」という意味の動詞 根√yuj(ユジュ)から派生した名詞で、「結びつける」という意味もある[4]。つまり語源的に見ると、牛馬を御するように心身を制御するということを示唆しており、「くびき」を意味する英語yokeと同根である。『ヨーガ・スートラ』は「ヨーガとは心の作用のニローダである」(第1章2節)と定義している[15](ニローダは静止、制御の意[16])。森本達雄によると、それは、実践者がすすんで森林樹下の閑静な場所に座し、牛馬に軛をかけて奔放な動きをコントロールするように、自らの感覚器官を制御し、瞑想によって精神を集中する(結びつける)ことを通じて「(日常的な)心の作用を止滅する」ことを意味する[4]。
日本では一般に「ヨガ」という名で知られているが、サンスクリットでは「यो」(ヨー)の字は常に長母音なので「ヨーガ」と発音される[† 3]。仏教においては元のサンスクリットを漢字で音写して「瑜伽」(ゆが)と呼ぶか、あるいは意訳して「相応」とも呼ぶ。
ヨーガの行者は日本では一般にヨーギーまたはヨギと呼ばれるが、ヨーガ行者を指すサンスクリットの名詞語幹は男性名詞としてはヨーギン (योगिन्)、女性名詞としてはヨーギニー (योगिनी) であり、ヨーギーはヨーギンの単数主格形(日本語にすると「一人の男性行者は」)に当たる[17]。現代日本ではヨーガを行う女性を俗にヨギーニと呼ぶことがあるが、前述のようにサンスクリットでは「ヨー」は常に長母音なので、女性名詞はヨーギニー (yoginī) であってヨギーニではない[18]。ヨギーニは英語読みに由来する発音だと説明する本もあるが[19]、英語の発音は /'joʊgəni/ (ヨウギニ)または /'joʊgəniː/ (ヨウギニー)である。
修行者は男性であった[† 4]。タントリズムの性的ヨーガにおいて男性行者の相手となった女性はヨーギニーと呼ばれた[† 5]。南インドで、親が娘を神殿や神(デーヴァ)に嫁がせる宗教上の風習デーヴァダーシー(神の召使い)の対象となった女性もヨーギニーと呼ばれた[27]。彼女たちは伝統舞踊を伝承する巫女であり[28]、神聖娼婦、上位カーストのための娼婦であった[27][29](1988年まで合法であった[27])。20世紀インドの女性ヨーガ行者としてはアーナンダ・マイー・マーが有名である[30]。
インドの歴史
原始ヨーガ
ヨーガの起源には不明な点が多く、その成立時期を確定することは難しい。ヨーガの起源を最も古くに見るものは、紀元前2500年-1800年のインダス文明に、その遠い起源を持つとするもので、これは20世紀初頭の考古学者達によって考え出されたものである[31]。1921年にモヘンジョ・ダロとハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらは、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈した[31]。そこから宗教学者エリアーデも、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした[31]。近代に至るヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている[31]。日本で出版されているヨーガに関する書物でも、インダス文明にヨーガの起源をみるとする立場を取るものも多い。
しかし、佐保田鶴治も指摘するように、このような解釈は、あくまで推論の域を出ないものであるという[32]。インダス文明には、文字らしきものはあっても解読には至っておらず、文字によって文献的に証明することのできない、物言わぬ考古学的な史料であり、全ては「推測」以上に進むことはできない、と佐保田は述べている[32]。また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている[33]。近年、このようなインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており[34]、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。
紀元前12世紀頃に編纂されたリグ・ヴェーダなどのヴェーダの時代には「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としてのヨーガを指す用例はない[35]。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている[36]。
ウパニシャッドの時代では、単語としての「ヨーガ」が見出される最も古い書物は、紀元前500年-紀元前400年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[37]。この書では、ヨーガという語は「ヨーガ・アートマー」という複合語として記述されているが、そのヨーガの意味は「不明」であるという[37]。紀元前350年-紀元前300年頃に成立したのではないかとされる「中期ウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド』にはヨーガの最古の説明が見い出せる[38]。
古典ヨーガ
紀元後4-5世紀頃には、『ヨーガ・スートラ』が編纂された[39][40]。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという[39]。『ヨーガ・スートラ』の思想は、仏教思想からも多大な影響や刺激を受けている[41][42]。
国内外のヨーガ研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがあるが、マーク・シングルトンはこのような理解に注意を促している。『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないからである[43]。佐保田鶴治は、サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』であると述べている[44]。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人研究者の知見に影響を受けながら、20世紀になって英語圏のヨーガ実践者たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダやH・P・ブラヴァツキーなどの近代ヨーガの推進者たちによって、「基本教典」としての権威を与えられていった[43]。
『ヨーガ・スートラ』は、現代のヨーガへの理解に多大な影響を与えている。『ヨーガ・スートラ』の編纂者はパタンジャリとされているが、彼のことはよくわかっていない。同書は「ヨーガ学派」の教典である。同派は、ダルシャナ(インド哲学)のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに位置づけられている。
ヨーガ学派の世界観・形而上学は、大部分をサーンキヤ学派に依拠しているが、ヨーガ学派では最高神イーシュヴァラの存在を認める点が異なっている[2]。内容としては主に観想法(瞑想)によるヨーガ、静的なヨーガであり、それゆえ「ラージャ・ヨーガ」(=王・ヨーガ)と呼ばれている。その方法はアシュターンガ・ヨーガ(八階梯のヨーガ)と言われ、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(調気法、呼吸法を伴ったプラーナ調御)、プラティヤーハーラ(制感、感覚制御)、ダーラナー(精神集中)、ディヤーナ(瞑想、静慮)、サマーディ(三昧)の8つの段階で構成される[45][46]。 『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。
ヨーガとは心の作用を止滅することである (『ヨーガ・スートラ』1-2)
その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)[45]
後期ヨーガ
12世紀-13世紀には、タントラ的な身体観を基礎として、動的なヨーガが出現した。これはハタ・ヨーガ(力〔ちから〕ヨーガ)と呼ばれている。内容としては印相(ムドラー)や調気法(プラーナーヤーマ)などを重視し、超能力や三昧を追求する傾向もある。教典としては『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』がある。
他に後期ヨーガの流派としては、古典ヨーガの流れを汲むラージャ・ヨーガ、社会生活を通じて解脱を目指すカルマ・ヨーガ(カルマ・マールガ、行為の道)、人格神への献身を説くバクティ・ヨーガ(バクティ・マールガ、信愛の道)、哲学的なジュニャーナ・ヨーガ(ジュニャーナ・マールガ、知識の道)があるとされる[47]。後三者は19世紀末にヴィヴェーカーナンダによって『バガヴァッド・ギーター』の三つのヨーガとして提示された[48]。
マーク・シングルトンによれば、近代インドの傾向において、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられてきたという[49]。ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシら近代の聖者とされる指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた[49][† 6]。ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという[52][† 7]。
近現代
19世紀後半から20世紀前半に発達した西洋の身体鍛錬運動に由来するさまざまなポーズ(アーサナ)が、インド独自のものとして「ハタ・ヨーガ」の名によって体系化され、このヨーガ体操が近現代のヨーガのベースとなった。現在、世界中に普及しているヨーガは、この新しい「現代のハタ・ヨーガ」である。現代ヨーガの立役者のひとりであるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(1888年 - 1989年)も、西洋式体操を取り入れてハタ・ヨーガの技法としてアレンジした[7][† 8]。 インド伝統のエクササイズ(健康体操)と喧伝されることで、アーサナが中心となったハタ・ヨーガの名前が近現代に復権することになった[53]。
2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産にインド申請枠で登録された[54]。それに先立つ2014年、モディ政権は政府に「ヨーガ・アーユルヴェーダ・伝統医学担当省」(AYUSH省)[† 9]を設立するとともに、国連加盟各国に働きかけて夏至の6月21日を「国際ヨガの日」として国連総会で定めることに成功した[55]。インドの身体文化の世界的盛況は、年間約450万人の外国人観光客が訪れるインド国内の観光産業にも波及しており、インド政府は観光資源の最大の目玉と位置づけ、「国家プロジェクト」として、旅行者の誘致をしている[56][57]。インド政府観光局のキャンペーン・ポスターには、ヨーガのポーズをした女性の写真が使われることが多くなっている[57]。
グローバルに展開する現代のヨーガの流行は、ヨーガの発祥地であるインドにも影響を与えている[57]。インドでは修行者のような一部の人々に実践され、一般の人々には近寄りがたいイメージであったヨーガは、近年、欧米の流行からの逆輸入としてヨーガが再評価され、肥満問題の深刻化する都市部の新興富裕層や中産階級を中心に、ヨーガのリバイバルが起きている[57][56]。欧米で改良されたエクササイズ的なヨーガは、今日ではインドでも広く受け入れられており、「NY 直輸入」などと謳ったヨーガ教室の看板も多数見られる[57][56]。
また、現代ではインドのカトリック教会でもヨーガが取り入れられ、クリスチャン・ヨーガとして実践されている[58]。
世界への伝播
欧米への紹介
近世に入って、インドが西欧の文化に接触すると、ヒンドゥー教に改革の機運が生じ、ブラフモ・サマージ、アーリヤ・サマージ、神智学協会がつくられ、さらに19世紀には現在でも知られるヨーガ行者が何人も現れた[59]。ヴィヴェーカーナンダは、1893年にシカゴ万国博覧会にともない2週間近くにわたって開催された世界宗教会議(Parliament of the World's Religions)に出席し、続いて1896年末まで欧米各地でインドの思想を説いてまわった[60]。このヴィヴェーカーナンダの活動を手始めとして、ヨーガ行者たちはアメリカやヨーロッパに渡航して指導するようになり、ヨーガが欧米の一般社会に次第に紹介されるようになった[61]。オーロビンド・ゴーシュやラマナ・マハルシなどの思想も書物などによって欧米に知られるようになった[62]。ラマナ・マハルシのもとには、カール・グスタフ・ユングなどヨーロッパの著名人も訪れている[63]。
また、ニューヨークで設立された「神智学協会」は、創設者のブラヴァツキー夫人とオルコット大佐が、1879年にインドに本部を移し[64]、『ヨーガ・スートラ』などの文献の翻訳、チャクラなどの概念を欧米に紹介し、ヨーガへの貢献が大きかった[65]。神智学協会はインド独立運動も支援した[66]。
ニューエイジ・対抗文化
1960年代に対抗文化がはじまり、60年代初期にはカリフォルニアのエスリン研究所等の前衛的な「成長センター」で、心理劇、エンカウンターグループ、ゲシュタルト療法等のグループ・セラピー、ホロトロピック・ブレスワーク、ボディワークなどの心身技法と共に、瞑想やヨーガが個人変容・自己啓発のテクニックとして教えられるようになり、これらのセンターはヒューマンポテンシャル運動の中心となっていった[67]。こうした潮流から、アメリカから「ニューエイジ運動」が起こった[68]。行き過ぎた近代主義や西洋中心主義に対抗するニューエイジ・ムーヴメントは、東洋思想や神秘主義、エコロジーなどを取り入れて、精神性を追求し、平和や調和を掲げた[69]。初期の象徴的なイベント、モントレーのフェスティバルでは、インド人のラヴィ・シャンカルがシタールを演奏した[70]。また、その規模を拡大したのがウッドストック・フェスティバルであった[70]。この時代のヨーガに多大な影響を与えたのは、ビートルズであった[71]。1968年にビートルズはインドに渡り、超越瞑想を広めたインド人グルのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが主催するリシケーシュのアーシュラム(道場)を訪問し、2ヶ月に渡って瞑想やヨーガを実践した[72][73]。この時ビートルズは、ガールフレンドや友人、マネージャー、リポーター等総勢200人以上を引き連れており、インドに渡ったメディアも「ヨーガ」に注目し、流行を後押しした[71][73]。
ヨーガの普及は先鋭的な若者たちに限られていたが[74]、当時アメリカに600万人のヨーガ人口があり、イギリス内でのヨーガ教室は全国にまたがり数千カ所に及び、ドイツ、スイス、フランスでも盛んにおこなわれていた[75]。
世界的な大流行
西洋とインドの身体文化がシンクロする形で生まれた「アーサナ体操」は、特に、1990年代後半以降にアメリカをはじめとする世界各国に広がり、「スピリチュアルを喚起するインドの伝統的な身体技法」として受容されるようになった[7]。1990年代初頭のアシュタンガ・ヨーガやパワー・ヨーガの台頭である[76]。アメリカでは、ヨーガ・マットを肩からさげて、モダンな雰囲気のヨーガ・スタジオに行くことが、新しいカルチャーになろうとしているという[77]。
このフィットネス仕様(ワークアウト)にアレンジされた新しいヨーガが、マドンナなどハリウッドのセレブリティ(セレブ)が実践していたことで脚光を浴び、アメリカで広範な人気を得ることで、アメリカ発の爆発的で世界的な大流行をするに至っている[76][78]。2005年の統計によれば、アメリカのヨーガ人口は1650万人となり、特に18-24歳の若者達に限れば、年に50パーセント近い割合で増加したという[78]。
日本の状況
仏教伝来
最初に瑜伽として日本にヨーガが伝わったのは、大同元年(806年)、唐より帰国した空海にまでさかのぼる。その後、真言宗や天台宗の「阿字観」等の密教行法として、現在に伝わっている。禅宗でいう禅は仏教の代表的な修行のひとつ「禅定」であるが、その原語はディヤーナ(禅那)で、ヨーガ・スートラ第2章に記述されるディヤーナと同語である。
近代ヨーガの受容
アメリカから書籍で日本に紹介され影響のあったヨーガは自称インド人も多く、戦前はアメリカ白人のものが中心だった[79]。
近代日本におけるヨーガの受容は、1919年に中村天風が天風会を設立し、ヨーガを「心身統一法」として各界で説法したことに始まる[80]。その後、1940-50年代に神智学者の三浦関造が竜王会を主宰し、「綜合ヨガ」の研修会でアーサナや呼吸法を指導した[80]。この二人が、日本のヨーガの「草分け的存在」とされる[80]。
実際にヨーガを広めたのは、1950年代より活動を始めた二人の人物である[80]。一人は、沖ヨガの創始者沖正弘で、ヨーガを体系的に指導した先駆者であり、多くの後進を育てたことから「日本ヨガの父」とも呼ばれる[80]。沖と双璧とされるのが、インド哲学の権威佐保田鶴治で、『ヨーガ・スートラ』などのヨーガ文献の翻訳とヨーガの思想をまとめあげ、60歳を過ぎてから本格的な実践を始めて、多くの人に受け入れられるヨーガを紹介した[81]。
精神世界の潮流
1970年代には、アメリカに端を発したニューエイジ・ムーヴメントが紹介されるようになり、日本でヨーガも含めた「精神世界」として受け入れられるようになった[82]。これは、精神性や心、自然との調和を重視する思想を核とする[82]。人間の内面世界の潜在的可能性を探る実践として、現在まで続いている[82]。この対抗文化の影響を受けたヨーガは青年層が中心であり、自己鍛錬により精神の向上を目指す「修行」のイメージの強いものであった[77]。
メディアでの紹介と普及
また、1970年代半ば以降カルチャー・センターが人気を得るようになると、そのなかでヨーガ教室も開かれるようになった[83]。ヨーガは一種の「健康体操」として、比較的高齢の人びとに受容されたが、まだ十分に浸透するには至らなかった[83]。同時期、テレビでヨーガのコーナーが設けられ、書籍の出版やメディア出演が行われるようになったが、当時は30代から50代の方が大半で、現在のように若者中心ではなかった[83]。1980年代には、若者向けのメディアや新聞にも広く取り上げられるようになり、「健康と美容」で全世代に浸透するようになった[83]。
こうしてヨーガは、一定の支持者を獲得していた[84]。そのような時期、1995年に、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」を始めとする一連の事件が発生した[84]。瞑想、ヨーガという言葉には、この教団のイメージがつきまとうようになった[84]。この事件がヨーガに与えた影響はきわめて大きかった[84]。看板からヨーガの文字が外されたり、生徒のいないクラスがあるなど、ヨーガは下火となり、廃業する教室も少なくなかった[84]。
21世紀のヨーガの流行
1990年代後半には既にアメリカで流行していたヨーガは、オウム事件の影響のため、すぐには日本に入ってこなかった[84]。今回のヨーガの流行は、アメリカにおけるそれから10年近く遅れた[84]。ヨーガはメディアに無視されていたことで、多くの人々に「新しいもの」というイメージで捉えられることとなった[84]。2003年にアメリカから入ってきたパワー・ヨーガやアシュタンガ・ヨーガは、マドンナやクリスティー・ターリントンに象徴されるセレブリティな雰囲気から爆発的な人気となった[84]。インドのヨーガは、アメリカを経由して新たな装いで洗練されたイメージとなり、こうした流行の最先端をいく人たちの実践によって、ヨーガの普及にさらなる拍車をかけることになった[77]。
日本では、上記の異なる時期に発達したヨーガが、重層構造を形成しつつ展開しているものと理解される[77]。
また、2016年よりインド政府認可のヨガ検定が一般社団法人全日本ヨガ連盟によって実施されている[85]。
内容
チャクラ
ヨーガは実践上、インド古来のチャクラ理論に依拠している。ヒンドゥー・ヨーガや仏教におけるチャクラの数、言及される色は一定していない。
チャクラを7つに固定し、各チャクラのプラーナの色に虹の7色をあてる考えが現代では普及しているが、これは伝統的なものではなくインド思想を取り入れた近代神智学を唱えた神智学協会のメンバーであるチャールズ・ウェブスター・レッドビータ(1854年 - 1934年)が20世紀に考案したものである[87]。
座法
主たる座法はパドマ・アーサナ(蓮華坐)である(結跏趺坐に相当)。
種類
伝統的ヨーガ
ラージャ・ヨーガ (राज योग)
「ラージャ」は「王の」という意味である。「マハー(偉大な)・ヨーガ」とも呼ばれる。教典はパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』(紀元後4-5世紀頃)。第2章29節は、ヨーガには以下の8部門があると説いている。
その第2段階(ニヤマ)のうち、苦行、読誦、自在神への祈念の3つをクリヤー・ヨーガ(行事ヨーガ)という(『ヨーガ・スートラ』2:1)[88]。クリヤーは行為の意で、『ヨーガスートラ』でのクリヤー・ヨーガは準備段階に当たる。
これら8つの段階で構成されることから、ラージャ・ヨーガをアシュターンガ・ヨーガ(八支ヨーガ)[† 10]とも言う。
ヴィヴェーカーナンダは19世紀末にジュニャーナ、バクティ、カルマ、ハタを四大ヨーガとして、その総称をラージャ・ヨーガとしたが[89]、後にラージャ・ヨーガは第5のヨーガを指す言葉とされるようになった[90]。今日ではラージャ・ヨーガは『ヨーガ・スートラ』に示される古典ヨーガと同義とされる[91]。ただし、ラージャ・ヨーガという言葉の文献上の初出はハタ・ヨーガの教典『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』にある[† 11]。
ハタ・ヨーガ (हठयोग)
- 現代のハタ・ヨーガ」"
「ハタ」は「力」(ちから)を意味する。教義上、「ハ」は太陽、「タ」は月をそれぞれ意味すると説明されることもある[† 12][93]。アーサナ(姿勢)、プラーナーヤーマ(呼吸法)、ムドラー(印・手印や象徴的な体位のこと)、クリヤー/シャットカルマ(浄化法)、バンダ(制御・締め付け)などの肉体的操作により、深い瞑想の条件となる強健で清浄な心身を作り出すヨーガ。その萌芽は8-9世紀[94]ないし9-10世紀頃[95]に遡り、13世紀のゴーラクシャナータによって確立したとされる[94][† 13]。『ハタ・ヨーガ』と『ゴーラクシャ・シャタカ』という教典を書き残したと言われているが、前者は現存していない[97]。インドにおいて社会が荒廃していた時期に密教化した集団がハタ・ヨーガの起源と言われる場合もある。欧米など世界的に学習されているハタ・ヨーガの大半は、伝統的なハタ・ヨーガとは別系統である。アーサナが中心で、身体的なエクササイズの側面が重視されている。(→#現代のハタ・ヨーガ)
ラヤ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義とされ、これをクンダリニー・ヨーガともいう[98]。クンダリニー・ヨーガの行法はハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガの諸流派が派生していくなかで発達した[99]。ムーラーダーラに眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中のナーディーやチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガ。密教の軍荼利明王は、性力(シャクティ)を表わすクンダリー(軍荼利)を神格化したものであると言われることもある[100]。クンダリニーの上昇を感じたからヨーガが成就したというのは早計で、その時点ではまだ「初期」の段階にすぎない。「火の呼吸」と呼ばれる呼吸法はクンダリニー・ヨーガの側面もあるがイコールではない。クンダリニー・ヨーガに相似するものとしては、チベット仏教のゾクリム(究竟次第)などがある。
神智学協会のチャールズ・ウェブスター・レッドビータは、ハタ・ヨーガにより「透視力」を得ると、オーラの感知、さらにはアカシック・レコードと呼ばれる霊的な記憶の場にアクセスすることによる過去視・未来視が可能になるとしている[101]。
近代インドでは、ハタ・ヨーガ(あるいはクンダリニー・ヨーガ)とその実践者は、不審で望ましくない、危険なものとして避けられる傾向にあった。(#後期ヨーガを参照)
カルマ・ヨーガ (कर्म योग)
カルマ・ヨーガは行のヨーガ[102]。日常生活を修行の場ととらえ、行為(カルマ)の結果としての報酬を求めず、願いを持たず、ただ各自の義務・本務(ダルマ、Dharma)を行う実践倫理のヨーガである[103][102]。
『バガヴァッド・ギーター』で説かれた解脱に至る3つの道のうちの一つであり、カルマ・マールガ(行為の道、実践の道)は、先祖祭祀の実行、正しい日常生活、正しいヨーガを学んで実践することで、心身を清め、解脱に到達するものとされている[104]。各ヴァルナ(身分)の義務の遂行を説いており、出家者向けでなく在家者のための教えであると理解されている[103]。
バクティ・ヨーガ (भक्ति योग)
バクティ・ヨーガは、信のヨーガである[102]。呪法祭祀主義のバラモン教を否定して登場した、バクティ(信愛)を精神的支柱とし、ヨーガを実践的支柱とする運動である[102]。有神論のヨーガであり、神への絶対帰依と全き信愛を重視する宗教的なヨーガである[102]。バクティ・ヨーガは神を招く方法でもあり、三昧の境地で神と一体化することを目指す[102]。
『バガヴァッド・ギーター』で説かれた解脱に至る3つの道のうちの一つであり、バクティ・マールガ(信愛の道)は、神の恩寵によって解脱に到達するものとされている[104]。『バガヴァッド・ギーター』では3つの道のうち最後に挙げられ、最も重んじられている[104]。
ジュニャーナ・ヨーガ (ज्ञान योग)
ジュニャーナ・ヨーガは知のヨーガである[102]。
『バガヴァッド・ギーター』で説かれた解脱に至る3つの道のうちの一つであり、ジュニャーナ・マールガ(知識の道)は、正しい知識を学び、正しく認識することによって解脱に到達するとされている[104]。『バガヴァッド・ギーター』で言われるジュニャーナ・ヨーガは、無神論のヨーガであるサーンキヤ・ヨーガ学派のことであり、静かに座して観法すること主とする、非行動的な、哲学的ヨーガである[102]。真我(観照能力)と自性(宇宙的普遍存在)の一致による解脱を目的とする[102]。
マントラ・ヨーガ (मंत्र योग)
マントラを使うヨーガ。ガーヤトリー・マントラをはじめ、マハー・マントラ、ハレークリシュナ・マントラ等、主にサンスクリット語のインヴォケーション・マントラ(神を讃えるマントラ)などが広く用いられている。音(ヴァイブレーション=振動)のヨーガである、ナーダ・ヨーガ(नादयोग)の一種。
マントラに簡単なメロディをつけ、コール・アンド・レスポンス(初めに一人が一節を歌い、次に参加者が同様に歌う)方式で、複数人から大勢で歌うものをキールタン(कीर्तन)という。キールタンと混同されやすいものにバジャン (भजन) がある。
現代では、ヒンドゥー教系新宗教とも言われる超越瞑想で、マントラを心の中で唱えて雑念を追い払う瞑想(超越瞑想)が行われる。
ジャパ・ヨーガ (जप योग)
基本的には、数珠を用いて定数のマントラを唱えるヨーガ。紙に定数のマントラの文字を書いてゆくものを、リキタ・ジャパという。
チベットのヨーガ
チベット語ではヨーガのことを テンプレート:Bo (ネンジョル、ネージョル、ナルジョル)という。チベット密教にもさまざまなヨーガが伝承されている。
夢のヨーガ
夢のヨーガ、夢ヨーガ (チベット語: rmi-lam もしくは nyilam; テンプレート:Lang-sa, svapnadarśana)は、チベット仏教の密教の階梯で行われるもの。チベット仏教では伝統的に、明晰夢を訓練で導き出す技術を養ってきた[105]。最初は夢の中で、次は夢のない睡眠の中で、さらに24時間常にはっきり覚醒した状態を保つ訓練を行い、最終的に通常の覚醒そのものが夢であるという認識を目指す[105]。
日本のヨーガ
阿字観
真言宗の伝統的な瞑想法で、僧侶の鍛錬の方法である。仏と行者の一体を観想するものが、阿字の観法である[106]。正式な阿字観への言及は、弘法大師空海が口述したものを、その弟子実慧が記録したといわれる「阿字観用心口決」が最初といわれる[107]。本尊である大日如来の象徴である阿字観掛け軸(大きな月輪(がちりん)の中に梵字の「阿」が蓮華の花の上に鎮座している図・曼荼羅)の前に座禅し、半眼または目を閉じて阿字観本尊を観じ、曼荼羅世界に入っていく[107][108]。
近年では、高野山に外部から瞑想はないのかという問い合わせがあり、一般向けにも指導が行われるようになった[106]。僧侶の指導の下で行われる。
近年の種類
近現代に創られた、新たな「ハタ・ヨーガ」にフィットネス等の要素を取り入れ改良を加えたものが、現代人に人気である。B.K.S.アイヤンガール(1918年 - 2014年)によって、滑らない個人用のマット上で実施することや、補助具を利用して安全性や運動の効果を高める工夫がなされた[109]。
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ハタ・ヨーガ(ヨーガ体操)
現代の英語圏ではアーサナに重点を置いた体操的なヨーガがハタ・ヨーガと呼ばれて広まっているが、マーク・シングルトンの研究によると、それは中世のハタ・ヨーガが連綿と現代に伝えられたものではない。その直接的な起源は、西洋の身体鍛錬や体操法の影響を受けて20世紀初頭の数十年間にインドで形成された「創られた伝統」であった[9]。現在世界的に普及している体操的なヨーガのポーズの多くは19世紀後半から20世紀前半に西洋で発達した身体鍛錬運動に由来しており、それらはキリスト教を伝道するYMCAやイギリス陸軍によってインドに輸入されたものである[7]。宗教社会学者の伊藤雅之は、この西洋身体鍛錬に由来するヨーガ体操はハタ・ヨーガと呼ばれるが、現在のハタ・ヨーガのアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している[7]。1920-30年代に、西洋の身体鍛錬から発生した多様な体操法などが融合してインド伝統のハタ・ヨーガの技法として確立した[7]。「現代ヨーガの父」と呼ばれるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(1888年 - 1989年)も、西洋式体操の影響を受けた身体技法を自らのヨーガ・クラスに取り入れ、思想面にヴィヴェーカーナンダ(1863年 - 1902年)などのヒンドゥー復興運動の思想と『ヨーガ・スートラ』を援用した[7]。現代の多くのヨーガのアーサナは、この現代のハタ・ヨーガがベースになっている[7]。シールシャーサナ(頭立ちのポーズ)やサルヴァンガーサナ(肩立ちのポーズ)はクリシュナマチャーリヤが重要視したものといわれ、現代のほとんどのヨーガ教師は、クリシャナマチャーリヤとは別系統の人々も含め、直接的・間接的に彼の影響を受けていると言われる[110]。
アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ
現在のパワー・ヨーガの源流ともなっているヨーガ。呼吸と共にアーサナを行う。
現在、一般的にヨーガのシーンで「アシュタンガ・ヨガ」と呼ばれているものは正式には「アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガ」(アシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ)という(本来は、アシュターンガ・ヨーガという語は『ヨーガ・スートラ』第2章29節に記述されている八部門ないし八階梯からなる修行体系を指す)。ティルマライ・クリシュナマチャーリヤに教えを受けたパッタビ・ジョイスがこのヨーガの創始者である。現在は継承者でパッタビ・ジョイスの孫であるシャラスが指導している。
パワー・ヨーガ
「パワー・ヨーガ」(パワーヨガ)は、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたヨーガで、アーサナを実践することで脂肪を燃焼させ、美しい肉体を作ることを目的として主にアメリカで開発された。ハリウッドスターを中心に一大ブームとなり先進諸国に広がったことから「ハリウッド・ヨーガ」ともいう。
ハタ・ヨーガ(ヨーガ体操)が、1つのポーズをとったまま一定時間静止した上で次のポーズに移行するのに比べ、アシュターンガ・ヴィニヤーサ・ヨーガをベースにしたパワー・ヨーガは、各種ポーズをストレッチのように一連の流れの中で行うのが特徴である。アイソメトリックな運動によるフィットネスが主な目的である。
ホット・ヨーガ
ホット・ヨーガ、ホットヨガは、室温35〜39度前後、湿度60%前後に保たれた室内でアーサナを中心としたエクササイズを行うヨーガである。実施する室内環境は、ヨーガ発祥の地インドの気候を模したとも言われる[111]。パワー・ヨーガ、ビクラム・ヨーガ(40度以上で行う)、フォレスト・ヨーガなどの形態がある。アメリカ合衆国西海岸で1970年代に始まり、日本では2009年ごろから広まった[111]。2015年時点で日本で30万人が行っているとも言われる(出典のデータが何の統計によるかは不明)[111]。様々な利点が主張されているが、エクササイズやダイエットの効果は通常のヨーガと変わらないと指摘されており、高温多湿の環境で行うことが肉体に悪い影響を及ぼすこともある[112]。
ヨーガ・セラピー
日本国内では一般的に「ヨーガ療法」と呼ばれる。
論争・ネガティブな側面
オウム真理教
オウム真理教には、ヨーガがきっかけになって入信した信者が多かった。教祖の麻原彰晃は、阿含宗での修行ののちに『ヨーガ・スートラ』に出合い、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』(いずれも佐保田鶴治訳)と教典をもとに独学し、空中浮揚するまでに至ったという。新宗教を研究する沼田健哉は、このように正規のグルにつかずに修行をしていたことで、いわゆる「魔境」に陥った可能性を指摘し、のちに様々な問題を生ぜしめた要因のひとつであると述べている[12][13]。オウム真理教ではヨーガによるクンダリニー覚醒の実践が中心的な位置を占めており、沼田は、「ヨーガによる自己変容としての解脱体験こそ、80年代前半の麻原の宗教的アイデンティティの柱の一つとみなしうる」と述べている。本来ヨーガや瞑想によって常人にない能力を得ることは否定されてはいないが、オウム真理教の信者には超能力を獲得することを主な目的とする者も少なくなかった[12]。
ヨーガや瞑想などの修行法、断食などの苦行も、本来は真の自己を見出すためのセルフ・コントロールの一種である。沼田は、破壊的カルトと呼ばれるような新宗教の教団で行われている行為と、東洋の伝統的なヨーガや瞑想などの修行法は似ている部分が少なくないが、行われるコンテクストが異なっていると反対の結果を生じうると述べている。またオウム真理教にみられる強固な教祖 = グル崇拝は、麻原や幹部による洗脳やマインドコントロールをより容易にしたことを指摘している[12]。
スキャンダル
- アヌサラ・ヨーガ
近年では、巨大なヨーガスクールで、カリスマ指導者が生徒や関係者に不適切な性関係を強いたり、性儀式を行うといったスキャンダルが相次いでいる。現代ハタ・ヨーガの一種であるアヌサラ・ヨーガの創始者ジョン・フレンドは、ウイッカのカブンで魔術的な性関係を持ち(セックス・ヨーガを含むタントラ・ヨーガを指導していたと言われるが、伝統的な正統のものではないと言われる[113] [114][115])、既婚者を含む関係者や生徒と不適切な性関係を持っていると告発された。このスキャンダルで教師は次々辞職し、ジョン・フレンドは指導者の地位を退いている[116] [117] [115]。また、被雇用者の年金等の雇用条件に関する違法行為の疑惑がある[116][115]。
- ビクラム・ヨーガ
現代ハタ・ヨーガ、ホット・ヨーガの一種であるビクラム・ヨーガの創始者であり、巨大ヨーガスクールを経営し世界的にフランチャイズ展開しているビクラム・チョードリーは、生徒からセクハラ、パワハラ、性犯罪で民事告訴されている[118][119]。
著名なヨーガ指導者
- ラーマクリシュナ(1836年 - 1886年)
- ヴィヴェーカーナンダ(1863年 - 1902年)
- シルディ・サイ・ババ( - 1918年)
- ブラマーナンダ(1863年 - 1922年)
- ラマナ・マハルシ(1879年 - 1950年)
- オーロビンド・ゴーシュ(オロビンド・ゴーシュ、1872年 - 1950年)
- パラマハンサ・ヨガナンダ(1893年 - 1952年)
- 三浦関造(1883年 - 1960年)
- シヴァーナンダ(1887年 - 1963年)
- 中村天風(1876年 - 1968年)
- ゴーピ・クリシュナ(1903年 - 1984年)
- 沖正弘(1921年 - 1985年)
- ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895年 - 1986年)
- 佐保田鶴治(1899年 - 1986年)
- ダンテス・ダイジ(1950年 - 1987年)
- ティルマライ・クリシュナマチャーリヤ(1888年 - 1989年)
- バグワン・シュリ・ラジニーシ(バグワーン・シュリー・ラジニーシュ、1931年 - 1990年)
- シュリ・チンモイ(1931年 - 2007年)
- マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(マハルシ・マハーシュ・ヨーギー、1917年 - 2008年)
- サティヤーナンダ(1923年 - 2009年)
- インドラ・デーヴィー(1923年 - 2009年)
- サティヤ・サイ・ババ(1926年 - 2011年)
- ナーラーヤン内垣(1924年 - 2012年)
- B.K.S.アイアンガー(B.K.S.アイヤンガール、1918年 - 2014年)
- 本山博 (1925年 - 2015年)
- 松島茂雄(1924年 - 1982年)
存命人物
- シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール(1956年 - )
- 相川圭子(1945年 - )
- 川上光正(1938年 - )日本人初 ヨガ・サムラット
- 成瀬雅春(1946年 - )
理論家
- 山口恵照(1918年 - ) - 古代インド哲学、サーンキヤ哲学研究者
脚注
補注
- ↑ 禅宗の坐禅とヨーガの瞑想は、思想・方法とも、必ずしも同じというわけではない[5]。
- ↑ 唯物論のチャールヴァーカと祭事に専念するミーマーンサー学派を除く[2]。
- ↑ ただし、日本語の長母音はサンスクリット語の三倍母音なので長くのばしすぎるのも問題である。インド人の発音を聞くとヨゥガと言っているように聞こえる。
- ↑ 『マヌ法典』では、女性はどのヴァルナ(身分)であっても、輪廻転生するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく一度生まれるだけのエーカージャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視され、女性は再生族である夫と食事を共にすることはなく、祭祀を主催したり、マントラを唱えることも禁止されていた[20]。
- ↑ インド研究家の伊藤武によると、ヨーギニーという言葉は本来、たんなる女性ヨーガ行者というよりも、尸林(シュマシャーナ)で土俗信仰の女神を祀り特異な儀礼にたずさわった巫女たちを指す言葉で、魔女の意味合いを帯びるようになった。その多くは被差別カーストの出身であった[21]。母系制社会を形成していた彼女たちは、中世インドの後期密教の時代にヨーギニー(瑜伽女)またはダーキニー(拏吉尼)と呼ばれた[22]。彼女らは男性行者を導く師の役割を演じることもあり[23]、その時代の大成就者たちの伝記である『八十四成就者伝』には悟りを得た女性が複数登場する[24]。後期密教の性的儀礼における男性行者の相手の女性はムドラー(印契)とも呼ばれた[25]。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、ヴァジュローリー・ムドラーでラジャス(性分泌物と解される)を再吸収し、保持することのできる女性をヨーギニーと呼んでいる[26]。
- ↑ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[50]の『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[51]。
- ↑ シングルトン 2014によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた[52]。
- ↑ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[7]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダとシュリー・ヨーゲーンドラも重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。
- ↑ 9.0 9.1 AYUSHは、次の頭文字をとった略語。AはAyurveda(アーユルヴェーダ)、YはYoga&Naturopathy(ヨーガとナチュロパシー=自然療法)、UはUnani(ユナニ医学)、SはSiddha(シッダ医学)、HはHomeopathy(ホメオパシー)。
- ↑ アシュタ=8つ、アンガ=枝、支分、部門。
- ↑ 伊藤武の解釈するところによると、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のいうラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義を意味し、ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことを指している[92]。
- ↑ 印度哲学研究者の山下博司によると、これは通俗語源的な解釈である。
- ↑ ゴーラクシャを山下は10-12世紀[96]、伊藤は12世紀前半の人物とする[97]。
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- 加藤有希子 『カラーセラピーと高度消費社会の信仰―ニューエイジ、スピリチュアル、自己啓発とは何か?』 サンガ、2015年。ISBN 978-4-86564-028-1。
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関連項目
- 瞑想
- ヨーガ学派
- ヨーガ・スートラ
- バガヴァッド・ギーター
- 国際ヨーガの日(en:International Yoga Day)6月21日
- 用賀 - 東京都世田谷区玉川地域の地名。ヨーガが由来という都市伝説がある。
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