ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
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ウルリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨアヒム・フォン・リッベントロップ(ドイツ語: Ulrich Friedrich Wilhelm Joachim von Ribbentrop、1893年4月30日 - 1946年10月16日)
ナチス党の幹部。軍人の子として生れ,ドイツ,フランス,スイス,イギリスで学んだ。第1次世界大戦後,酒類販売業を営み,シャンペン王ヘンケルの娘と結婚。 32年 A.ヒトラーに会いナチスに入党。ヒトラーの外交顧問として 35年6月には英独海軍協定を締結。 36年8月からイギリス大使として対英関係改善に努めたが高圧的な態度が嫌われ失敗した。同年日本と防共協定を締結。 38~45年外相に就任。 38年イタリアと「鉄の盟約」を,39年8月 23日モスクワに行き,独ソ不可侵条約を結んだ。第2次世界大戦中はあまり重要視されず,45年4月逃亡しようとしたが7月イギリス軍にハンブルクで逮捕され,ニュルンベルク裁判で死刑の判決を受け処刑された。