モナコグランプリ
シルキュイ・ド・モナコ | |
ファイル:Monte Carlo Formula 1 track map.svg | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 78 |
コース長 | 3.340 km (2.075 mi) |
レース長 | 260.520 km (161.887 mi) |
開催回数 | 76 |
初回 | 1929 |
最多勝利 (ドライバー) | アイルトン・セナ (6) |
最多勝利 (コンストラクター) | マクラーレン (15) |
最新開催(2018): | |
ポールポジション |
ダニエル・リカルド レッドブル-タグ・ホイヤー 1:10.810 |
決勝順位 |
1. ダニエル・リカルド レッドブル-タグ・ホイヤー 1:42:54.807 2. セバスチャン・ベッテル フェラーリ +7.336s 3. ルイス・ハミルトン メルセデス +17.013s |
ファステストラップ |
マックス・フェルスタッペン レッドブル-タグ・ホイヤー 1:14.260 |
モナコグランプリ(モナコGP、英: Monaco Grand Prix , 仏: Grand Prix de Monaco )は、モナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われるF1世界選手権レースの一戦。
インディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、F1およびモナコのシンボルともいえる名物レースとなっている。
Contents
概要
1929年に第1回大会を開催し、第二次世界大戦前後の中断(1938年 - 1947年、1949年)と、1950年代前半[1]を除き毎年開催されてきた。1950年のF1世界選手権発足時よりイギリスGP、イタリアGP、ベルギーGPと並んで同シリーズに組み込まれている。この内、同じコースで開催され続けているのはモナコGPのみである。
グランプリ期間中、普段は人口3万人の小国に、およそ20万人の観客が訪れる[2]。モナコ王室を始めとして、政財界の協力によって行われる国家的な観光イベントでもある。多くの観客を招き入れるため、キリスト昇天祭の祝日となる5月の2週目か3週目の木曜日に日程を合わせるのが慣わしである[3]。近年はF1カレンダーの過密化により、キリスト教の復活祭と一致しないこともあるが、木曜日からスケジュールが始まるという伝統は続いており、他のグランプリでは初日となる金曜日が、モナコGPでは休息日となる。
レースの舞台となるのは、モナコのモンテカルロ区とラ・コンダミーヌ区の公道を閉鎖して造られた1周3,340mのモンテカルロ市街地コースである。現在のF1レースでは「305kmを超える最低の周回数」がレースの規定周回数・総走行距離として定められているが、このコースでは例外として、総走行距離が1968年から約260km(約78周。それまでは約318km(約100周))に減らされている。この約260kmという距離は、このコースをF1マシンで走行し続けるとこれぐらいの距離で2時間以内に収まるから、という理由で決められている[4]。コースの設営準備には6週間、レース後の撤去作業には2週間を要する[2]。
コース幅が非常に狭いためレース中の追い抜きは困難であり、他のコースに増して予選結果が重要視される。レース中はペースの遅いマシンの後方に数台が数珠繋ぎとなり、無理な追い抜きで接触する場面がよく見られる。ポールポジションを獲得したドライバーがそのまま優勝することが多く、2018年現在で28回ポール・トゥ・ウィンが達成されている。本グランプリ開始数年後の1933年にグリッドの決め方がくじ引きから現在の方式である予選タイムの早い順に変更されているが、これもこのコースが追い抜き困難で不公平であるからという理由による。
伝統と華やかさに加え、高い技量と集中力を要する難コースであることから、「モナコGPの優勝は3勝分の価値がある[5]」といわれる。ここで際立って強いドライバーは「モナコ・マイスター」と賞賛されることがある。過去3勝以上を挙げたドライバーには、スターリング・モス(3勝)、グラハム・ヒル(5勝)、ジャッキー・スチュワート(3勝)、アラン・プロスト(4勝)、アイルトン・セナ(6勝)、ミハエル・シューマッハ(5勝)、ニコ・ロズベルグ(3勝)といった名手が名を連ねている。
ファン・マヌエル・ファンジオは出走4戦中2勝をあげ、4戦全てでポールポジションとファステストラップを記録している。一方、ジム・クラークは出走6戦中4回ポールポジションを獲得しながら、4位が最高で1勝もできなかった。
事故の起きやすい環境や、マシンにも過酷でメカニカルトラブルが発生しやすいことから、優勝候補がリタイアするなど波乱の展開が繰り広げられることもあり、意外なチームやドライバーが優勝することもある。過去9名のドライバーがこのコースでF1初優勝を遂げており、初優勝が出やすいコースでもある。
起源
モナコGPの主催者であるモナコ自動車クラブ (Automobile Club de Monaco,ACM) は、1890年にモナコ自転車クラブとして発足した。1925年に自動車クラブに改名し、国際自動車連盟 (FIA) の前身である国際自動車公認クラブ協会 (AIACR) に登録申請を行った。1911年よりラリー・モンテカルロを開催していたため、問題なく加盟できると考えていたが、ラリーで使用しているコースのほとんどは隣国のフランス国内で行われており、レース開催経験の無さを理由に申請を却下された。
ACM会長アレクサンドル・ノゲの息子アントニー・ノゲ (Anthony Noghès) は、モナコの街路を使用してレースを開催する計画を立てた。当時の公道レースはもっぱら郊外の田舎道で行われており、市街地でのレース運営は無謀に思われた。しかし、モナコ大公ルイ2世や、高級ホテル・カジノを経営するソシエテ・デ・バン・ド・メール社 (Société des bains de mer de Monaco,SBM) の理解を得て1929年の第1回開催にこぎつけ、モナコ自動車クラブはAIACRに加盟を認められた。功労者であるノゲの名は、英語読みの「アントニー・ノウズ」として最終コーナーの名称に残されている。
コースデザインにはモナコ出身のドライバールイ・シロンが協力した。シロンはインディ500出場を優先したため第1回大会は不参加だったが、第3回大会で優勝している。また、引退後は競技委員長を務め、シグナル式スタートが採用されるまでスタート/チェッカーフラッグを振った。シロンの名もプールサイドベントの入口のコーナーに残されている。
チェッカーフラッグに見られる現在の白黒市松模様は細かく指定されているが、1970年代以前のかつては今より荒い模様が使われていたことが過去のVTR映像で確認できる。シグナルも、現在はブラックアウト方式に改定された。
権威
上流階級の世界
通例では、各国のGP主催者はF1の商業管理団体であるフォーミュラワン・マネージメント (FOM) に莫大な開催権料を支払い、コースサイドの看板広告の収入もFOMに納めねばならない。モナコGPの主催者であるACMは、特例として開催権料を免除されている上に、看板広告収入も手にしている[2]。モナコGPは2007年まで、ヨーロッパで唯一たばこ広告規制のないレースであった。
高級リゾートという土地柄、富裕層の人々は高級ホテルや自宅アパートのバルコニーや、港に停泊する豪華なクルーザーの甲板、「Formula One Paddock Club」といった特等席からレースを観戦している。期間中、ホテルの宿泊料金は軒並み跳ね上がるが、予約の時点で満室になる上に、高級ホテルの多くは最低5日から7日以上の連続宿泊を条件とする。
一般観戦者は近隣のニースやイタリア方面の街に宿をとり、自家用車やフランス国鉄 (SNCF) に乗ってモナコ入りする。一番安い観戦ポイントは、最終コーナーを見下ろす断崖の立見席である。
モナコ公国は所得税非課税のタックスヘイブンとして知られる。外国人が居住するためには審査が必要となるが、F1ドライバーは名士として優遇されている。税金対策の他、治安が良い、プライバシーが守られる(有名人でも特別視されない)などの理由から、スイスと並んで居住地として人気があり、モナコGP期間中はマンションから「自宅通勤」する光景が見られる。2000年と2002年のウィナーであるデビッド・クルサードは、最高級ホテル「コロンバス・モンテカルロ」の共同経営者という副業を持っていた。
レースウィークの休息日となる金曜日にはモナコ大公主催のパーティが開かれ、ドライバーやチーム関係者をはじめ、世界中のセレブリティが参加する。また、モータースポーツシーズンの終了後には、FIA傘下の各カテゴリのチャンピオンを集めての表彰式がモナコで行われる(2011年はインドで開催)。
表彰式
モナコGPはモナコ王室が観覧する御前レースであり、かつては大公レーニエ3世と大公妃グレース・ケリーがオープンカーでパレード走行を行っていた。レース後の表彰式もロイヤルファミリーが出席するため、他のグランプリとは手順が大きく異なる。
- ホームストレートのスタート地点付近に2階建てのロイヤルボックスがあり、階下に表彰ステージが設けられている。
- レース終了後、4位以下はピットの車両保管所にマシンを止めるが、1~3位の3台はロイヤルボックスの前にマシンを停める。ドライバー3名はコースから階段を上って表彰ステージに立つ。
- ロイヤルファミリーの前に3名が並び、プレゼンターである大公(現在はアルベール2世)からトロフィーを受け取る。
- シャンパンは表彰ステージ上で開封してはいけない。シャンパンファイトはステージからコースに下りてから行い、ステージ方向へシャンパンを向けることは厳禁。
表彰台に関しては、大公よりも高い位置にドライバーが立つことが失礼であるとして、特別な台は設けず表彰ステージの最前列に、通常の表彰台と同じ配置でドライバーと優勝コンストラクター代表者が整列する。シャンパンに関しては、大公夫妻にシャンパンがかからないようにするため、大公の目の前での乱痴気騒ぎは失礼にあたるため、である。一国の元首から栄誉を称えられるというところも、このレースの優勝が価値あるものと見做されている理由の一つである。
1987年の優勝者アイルトン・セナは、事前にチーム側から上記の注意をされていたが、モナコ初優勝の喜びにそのことを忘れ、トロフィー授与終了直後にステージ上でシャンパンを開封した。さらに、背後にいたレーニエ3世らロイヤルファミリーに向かってシャンパンをかけてしまい、式典終了後に各方面からお叱りを受けた。
2009年の優勝者ジェンソン・バトンは手順を知らず、ウィニングラップ後ピットに戻ってしまった(後にマーシャルの誘導ミスと判明)。バトンは車両保管所でそのことを知らされ、ホームストレートを駆け足で表彰ステージに向かった。
過去のおもな出来事
- 1929年 - 初開催。ブガッティに乗るウィリアム・グローバー=ウィリアムズが優勝し、のちにサン・デボーテ(第1コーナー)に彼の銅像が立てられた。
- 1950年 - F1世界選手権開幕2戦目として開催。1周目にブラインドコーナーで多重事故が発生したが、優勝したファン・マヌエル・ファンジオはコースサイドの群集の動きから危険を察知し、接触を回避した。
- 1952年 - スポーツカーレースとして開催。トンネルでの事故で負傷したルイジ・ファジオーリが入院中に死亡。
- 1955年 - アルベルト・アスカーリのマシンがシケイン付近で海中に転落したが、無事救助される。
- 1961年 - スターリング・モスがフェラーリの2台を振り切り、モナコ通算3勝目を達成。モスのレースキャリアにおいてベストレースのひとつにあげられる。
- 1963年 - グラハム・ヒルがモナコ初優勝。以後1964年、1965年、1968年、1969年と5勝を獲得し、「ミスターモナコ」と呼ばれる。
- 1965年 - ポール・ホーキンスのマシンがアスカーリと同様にシケインから海に転落。その後無事に救助された。
- 1967年 - ロレンツォ・バンディーニのマシンがシケインで炎上。バンディーニは火傷により3日後に死亡。
- 1970年 - 最終ラップの最終コーナーでジャック・ブラバムが痛恨のスピンを喫し、ヨッヘン・リントが大逆転優勝。
- 1982年 - 終盤に上位が次々脱落し、リカルド・パトレーゼがF1初優勝。
- 1984年 - 大雨により赤旗終了。ルーキーアイルトン・セナとステファン・ベロフの追走が注目される。またこのレースでセナは初のファステストラップを記録している。
- 1988年 - トップ独走中のセナがポルティエ(第8コーナー)で単独クラッシュ。
- 1992年 - ナイジェル・マンセルが1位を走行、アイルトン・セナが2位を走行していたが、レース終盤でマンセルがタイヤ交換で2位に後退、セナが1位となり、ピットアウトしたマンセルがセナを猛追するもセナが優勝。モナコGP史に残るデッドヒートを展開。
- 1993年 - セナがモナコGP5連覇、並びにヒルの記録を塗り替えるモナコ通算6勝目を達成。
- 1994年 - 予選中、カール・ヴェンドリンガーがシケインのバリアに激突。一時意識不明となる。ミハエル・シューマッハが自身初のポールポジションからモナコGP初制覇。
- 1995年 フリー走行でマシンがストップしたために、井上隆智穂が乗車しながらロープで牽引されている最中、突然飛び出してきたオフィシャルカー(ジャン・ラニョッティがドライブしていた)に激突されマシンが横転した。その様子をモニターで見ていたシューマッハは大笑いした。また、そのミハエル・シューマッハのドライブによりルノーエンジンが念願のモナコGP初制覇を達成した。
- 1996年 - 雨中の乱戦でオリビエ・パニスがF1初優勝。リジェに搭載された無限エンジンにとってもF1初優勝。
- 2004年 - ヤルノ・トゥルーリが自身初のポールポジンションからF1初優勝。ルノーエンジン9年ぶりのモナコ制覇。またこのトゥルーリ以降モナコGPで初優勝を達成したドライバーは2017年シーズン終了時点では出ていない。
- 2006年 - 予選中、シューマッハがラスカス(第17コーナー)に故意にマシンを停車し、後続のアタックを妨害したとして予選記録を無効とされる。(俗にいう「ラスカス・ゲート」)
- 2007年 - ワンツーフィニッシュしたマクラーレンにチームオーダー疑惑発生。(当時は禁止だった。2011年に禁止が撤廃された。)
- 2010年 - レース終了直前に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入り、セーフティカー先導でレースが終了することに。しかしこの年セーフティカー退出時のルールが変更され、セーフティカーがピット入口のラインを越えた時点からオーバーテイクが可能になっていた。この年にメルセデスから復帰したシューマッハはこれを利用し最終ラップでセーフティカーが退出するや否やコントロールラインまでのわずかな間に前のフェルナンド・アロンソをオーバーテイク。しかしこれは明らかなルール違反で20秒加算のペナルティを受けた。この一件がセーフティカー退出時のルールが再考されるきっかけとなった。[6]
- 2013年 - ニコ・ロズベルグが優勝し、父ケケ・ロズベルグが1983年に優勝してから30年越しで親子二代でのモナコ優勝を達成。
- 2014年 - 予選Q3の終盤にロズベルグがミラボー(第5コーナー)でオーバーランしてエスケープロードにマシンを止め、イエローフラッグが振られる。これによりアタック中だったルイス・ハミルトンはアタックを断念、ロズベルグがポールを獲得し、決勝ではロズベルグがポール・トゥ・ウィンを飾り2連覇するも物議を醸す。
- 2015年 - レース終盤に2台のマシンの衝突によりセーフティカーが入る。ポール・トゥ・ウィンを目指していたハミルトンは、後続のロズベルグやセバスチャン・ベッテルもこのタイミングでピットに入ると考えタイヤ交換のためピットインしたが、2台はステイアウト、なんと戻った場所は彼らに続く3番手の位置だった[7]。ハミルトンはこの自滅によって3位でレースを終え、ロズベルグは図らずもF1史上4人目のモナコGP3連覇を達成した。
- 2016年 - このGPで改良型のルノーパワーユニットを積んだレッドブルのダニエル・リカルドがチーム久々となる自身初のポールポジションを獲得、雨の中スタートした決勝もこのまま優勝かと思われた。しかし終盤、2位につけていたハミルトンのタイヤ交換の様子(ウェット→ウルトラソフト)を見たレッドブル陣営はリカルドの交換タイヤを直前でソフトからスーパーソフトに変更、しかしガレージに適切に情報伝達されず、リカルドがピットインした時にタイヤが用意されていなかった[8]。このピットでのタイムロスによりリカルドはハミルトンに順位を明け渡す形となって2位でレースを終え、怒りと失意を口にした[9]。
- 2017年 - 予選でキミ・ライコネンが自身2008年フランスGP以来のポールポジションを獲得し、フェラーリがフロントローを独占。決勝ではベッテルがライコネンを逆転して優勝、これは自身にとって6年ぶりのモナコGP優勝、チームとしては2001年以来16年ぶりのモナコGP優勝、及び2010年ドイツGP以来のワン・ツー・フィニッシュとなった。
- 2018年 - 2年前の雪辱を晴らし、ポールトゥウィンでダニエル・リカルドが優勝。
過去の結果
F1世界選手権
★は初優勝。☆はその年のドライバーズチャンピオン。■はポール・トゥ・ウィン
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | |
---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 5月21日 | 2 | モンテカルロ | ファン・マヌエル・ファンジオ★■ | アルファロメオ | 詳細 |
1955 | 5月22日 | 2 | モンテカルロ | モーリス・トランティニアン★ | フェラーリ | 詳細 |
1956 | 5月13日 | 2 | モンテカルロ | スターリング・モス | マセラティ | 詳細 |
1957 | 5月19日 | 2 | モンテカルロ | ファン・マヌエル・ファンジオ☆■ | マセラティ | 詳細 |
1958 | 5月18日 | 2 | モンテカルロ | モーリス・トランティニアン | ロブ・ウォーカー(クーパー) | 詳細 |
1959 | 5月10日 | 1 | モンテカルロ | ジャック・ブラバム★☆ | クーパー | 詳細 |
1960 | 5月29日 | 2 | モンテカルロ | スターリング・モス■ | ロブ・ウォーカー(ロータス) | 詳細 |
1961 | 5月14日 | 1 | モンテカルロ | スターリング・モス■ | ロブ・ウォーカー(ロータス) | 詳細 |
1962 | 6月 | 3日2 | モンテカルロ | ブルース・マクラーレン | クーパー | 詳細 |
1963 | 5月26日 | 1 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1964 | 5月10日 | 1 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1965 | 5月30日 | 2 | モンテカルロ | グラハム・ヒル■ | BRM | 詳細 |
1966 | 5月22日 | 1 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート | BRM | 詳細 |
1967 | 5月 | 7日2 | モンテカルロ | デニス・ハルム★☆ | ブラバム | 詳細 |
1968 | 5月26日 | 3 | モンテカルロ | グラハム・ヒル☆■ | ロータス | 詳細 |
1969 | 5月18日 | 3 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | ロータス | 詳細 |
1970 | 5月10日 | 3 | モンテカルロ | ヨッヘン・リント☆ | ロータス | 詳細 |
1971 | 5月23日 | 3 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート☆■ | ティレル | 詳細 |
1972 | 5月14日 | 4 | モンテカルロ | ジャン=ピエール・ベルトワーズ★ | BRM | 詳細 |
1973 | 6月 | 3日6 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート☆■ | ティレル | 詳細 |
1974 | 5月26日 | 6 | モンテカルロ | ロニー・ピーターソン | ロータス | 詳細 |
1975 | 5月11日 | 5 | モンテカルロ | ニキ・ラウダ☆■ | フェラーリ | 詳細 |
1976 | 5月30日 | 6 | モンテカルロ | ニキ・ラウダ■ | フェラーリ | 詳細 |
1977 | 5月22日 | 6 | モンテカルロ | ジョディー・シェクター | ウルフ | 詳細 |
1978 | 5月 | 7日5 | モンテカルロ | パトリック・デパイユ★ | ティレル | 詳細 |
1979 | 5月27日 | 7 | モンテカルロ | ジョディー・シェクター☆■ | フェラーリ | 詳細 |
1980 | 5月18日 | 6 | モンテカルロ | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ | 詳細 |
1981 | 5月31日 | 6 | モンテカルロ | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 詳細 |
1982 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | リカルド・パトレーゼ★ | ブラバム | 詳細 |
1983 | 5月15日 | 5 | モンテカルロ | ケケ・ロズベルグ | ウィリアムズ | 詳細 |
1984 | 6月 | 3日6 | モンテカルロ | アラン・プロスト■ | マクラーレン | 詳細 |
1985 | 5月19日 | 4 | モンテカルロ | アラン・プロスト☆ | マクラーレン | 詳細 |
1986 | 5月11日 | 4 | モンテカルロ | アラン・プロスト☆ | マクラーレン | 詳細 |
1987 | 5月31日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | ロータス | 詳細 |
1988 | 5月15日 | 3 | モンテカルロ | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1989 | 5月 | 7日3 | モンテカルロ | アイルトン・セナ■ | マクラーレン | 詳細 |
1990 | 5月27日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1991 | 5月12日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1992 | 5月31日 | 6 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1993 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1994 | 5月15日 | 4 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆■ | ベネトン | 詳細 |
1995 | 5月28日 | 5 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆ | ベネトン | 詳細 |
1996 | 5月19日 | 6 | モンテカルロ | オリビエ・パニス★ | リジェ | 詳細 |
1997 | 5月11日 | 5 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
1998 | 5月24日 | 6 | モンテカルロ | ミカ・ハッキネン☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1999 | 5月16日 | 4 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2000 | 6月 | 4日7 | モンテカルロ | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2001 | 5月27日 | 7 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆ | フェラーリ | 詳細 |
2002 | 5月26日 | 7 | モンテカルロ | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2003 | 6月 | 1日7 | モンテカルロ | ファン・パブロ・モントーヤ | ウィリアムズ | 詳細 |
2004 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | ヤルノ・トゥルーリ★■ | ルノー | 詳細 |
2005 | 5月22日 | 6 | モンテカルロ | キミ・ライコネン■ | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 5月28日 | 7 | モンテカルロ | フェルナンド・アロンソ☆■ | ルノー | 詳細 |
2007 | 5月27日 | 5 | モンテカルロ | フェルナンド・アロンソ■ | マクラーレン | 詳細 |
2008 | 5月25日 | 6 | モンテカルロ | ルイス・ハミルトン☆ | マクラーレン | 詳細 |
2009 | 5月24日 | 6 | モンテカルロ | ジェンソン・バトン☆■ | ブラウン | 詳細 |
2010 | 5月16日 | 6 | モンテカルロ | マーク・ウェバー■ | レッドブル | 詳細 |
2011 | 5月29日 | 6 | モンテカルロ | セバスチャン・ベッテル☆■ | レッドブル | 詳細 |
2012 | 5月27日 | 6 | モンテカルロ | マーク・ウェバー■ | レッドブル | 詳細 |
2013 | 5月26日 | 6 | モンテカルロ | ニコ・ロズベルグ■ | メルセデス | 詳細 |
2014 | 5月25日 | 6 | モンテカルロ | ニコ・ロズベルグ■ | メルセデス | 詳細 |
2015 | 5月24日 | 6 | モンテカルロ | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 |
2016 | 5月29日 | 6 | モンテカルロ | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2017 | 5月28日 | 6 | モンテカルロ | セバスチャン・ベッテル | フェラーリ | 詳細 |
2018 | 5月27日 | 6 | モンテカルロ | ダニエル・リカルド■ | レッドブル | 詳細 |
F1世界選手権外
1935年から1937年はヨーロッパ・ドライバーズ選手権の一戦[10]として、1952年はスポーツカーレースとして開催された。
年 | 決勝日 | 勝者 | 所属チーム | |
---|---|---|---|---|
1929 | 4月21日 | ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ | ブガッティ | 詳細 |
1930 | 4月20日 | レネ・ドリュフュス | ブガッティ | 詳細 |
1931 | 4月19日 | ルイ・シロン | ブガッティ | 詳細 |
1932 | 4月17日 | タツィオ・ヌヴォラーリ | アルファロメオ | 詳細 |
1933 | 4月23日 | アキーレ・ヴァルツィ | ブガッティ | 詳細 |
1934 | 4月 | 2日ギ・モル | アルファロメオ | 詳細 |
1935 | 4月22日 | ルイジ・ファジオーリ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1936 | 4月13日 | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1937 | 8月 | 8日マンフレート・フォン・ブラウヒッシュ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1948 | 5月16日 | ジュゼッペ・ファリーナ | マセラティ | 詳細 |
1952 | 6月 | 2日ヴィットリオ・マルゾット | フェラーリ | 詳細 |
複数回優勝したドライバー
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
6 | アイルトン・セナ | 1987, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993 |
5 | グラハム・ヒル | 1963, 1964, 1965, 1968, 1969 |
ミハエル・シューマッハ | 1994, 1995, 1997, 1999, 2001 | |
4 | アラン・プロスト | 1984, 1985, 1986, 1988 |
3 | スターリング・モス | 1956, 1960, 1961 |
ジャッキー・スチュワート | 1966, 1971, 1973 | |
ニコ・ロズベルグ | 2013, 2014, 2015 | |
2 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 1950, 1957 |
モーリス・トランティニアン | 1955, 1958 | |
ニキ・ラウダ | 1975, 1976 | |
ジョディー・シェクター | 1977, 1979 | |
デビッド・クルサード | 2000, 2002 | |
フェルナンド・アロンソ | 2006, 2007 | |
マーク・ウェバー | 2010, 2012 | |
ルイス・ハミルトン | 2008, 2016 | |
セバスチャン・ベッテル | 2011, 2017 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
複数回優勝したコンストラクター
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
15 | マクラーレン | 1984, 1985, 1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993, 1998, 2000, 2002, 2005, 2007, 2008 |
10 | フェラーリ | 1952, 1955, 1975, 1976, 1979, 1981, 1997, 1999, 2001, 2017 |
7 | ロータス | 1960, 1961, 1968, 1969, 1970, 1974, 1987 |
メルセデス | 1935, 1936, 1937, 2013, 2014, 2015, 2016 | |
5 | BRM | 1963, 1964, 1965, 1966, 1972 |
4 | ブガッティ | 1929, 1930, 1931, 1933 |
レッドブル | 2010, 2011, 2012, 2018 | |
3 | アルファロメオ | 1932, 1934, 1950 |
マセラティ | 1948, 1956, 1957 | |
クーパー | 1958, 1959, 1962 | |
ティレル | 1971, 1973, 1978 | |
ウィリアムズ | 1980, 1983, 2003 | |
2 | ブラバム | 1967, 1982 |
ベネトン | 1994, 1995 | |
ルノー | 2004, 2006 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[10]の一戦として開催された年。
過去のコースレイアウト
- Circuit de Monaco 1950.png
1929–1972
- Circuit de Monaco 1973.png
1973–1975
- Circuit de Monaco 1976.png
1976–1985
- Circuit de Monaco 1986.png
1986–1996
脚注
- ↑ 1951・1953・1954年は開催せず。1952年はF1ではなくスポーツカーレースとして開催。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 Christian Sylt and Caroline Reid / Me (2010年5月14日). “モナコ、そのたぐいまれな引力”. ESPN F1 . 2012閲覧.
- ↑ 尾張正博 "F1ピットストップ「メルセデスのテストは違反行為か!?魔の金曜日にF1界騒然の事件発覚。」". Number Web.(2013年5月31日)2013年6月29日閲覧。
- ↑ 現在の競技規則では規定周回数に達するか、2時間を超えた最初の周でレースが成立する。
- ↑ 辻野ヒロシ (2008年11月18日). “セナの名前がF1に帰ってくる!?”. All About . 2012閲覧.
- ↑ “モナコGP シューマッハに20秒加算ペナルティ!”. ESPN F1 (2010年5月17日). . 2016閲覧.
- ↑ “How tyre confusion influenced Hamilton’s pit call”. F1 Fanatic (2015年5月25日). . 2015閲覧.
- ↑ “レッドブル、ピットストップでのミスを防ぐための予防策を約束”. オートスポーツweb (2016年6月2日). . 2016閲覧.
- ↑ “モナコGP優勝を逃し、怒りのリカルド「2レース連続で失敗された」 ミスはなぜ起きたのか”. オートスポーツweb (2016年5月30日). 2016年6月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2016閲覧.
- ↑ 10.0 10.1 1931年-1932年および1935年-1939年に行われた四輪モータースポーツにおける最高峰の選手権。現在のF1世界選手権の前身にあたる。
関連項目
- モータースポーツ
- F1選手権レースの一覧
- モンテカルロ市街地コース
- ラリー・モンテカルロ - WRC(世界ラリー選手権)開幕戦。1月開催。
- マカオグランプリ - 「東洋のモナコGP」と呼ばれる。
外部リンク
- Official Monaco Grand Prix F1(フランス語・英語)
- Automobile Club de Monaco(フランス語)