メルコスール
- メルコスール
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(メルコスール旗) - 標語
Nuestro Norte es el Sur (スペイン語)
Nosso norte é o Sul (ポルトガル語)
Yvy mba'e yvate ojehegui (グアラニー語)
(日本語訳)「我らが北とは南なり」 - 濃い緑:正加盟国、薄い緑:加盟一時停止国
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公用語 スペイン語
ポルトガル語
グアラニー語事務局所在地 モンテビデオ 加盟国 アルゼンチン
ウルグアイ
パラグアイ
ブラジル
ベネズエラ設立
- フォス・ド・イグアス宣言
- アスンシオン条約発効
- オウロ・プレット議定書締結
1985年12月30日
1991年3月26日
1994年12月16日面積
- 総計
- 12,781,179 km2人口
- 推計(2011年)
- 275,499,000人GDP (PPP)
- 総計
- 1人あたり
- 3.471兆 USドル
- 12,599 USドル通貨 アルゼンチン・ペソ
ウルグアイ・ペソ
グアラニー
ボリバル
グアラニーHDI 0.731 公式サイト http://www.mercosur.int/
メルコスール(スペイン語: Mercosur; Mercado Común del Sur、ポルトガル語: Mercosul; Mercado Comum do Sul)
日本語では、南米南部共同市場(なんべいなんぶきょうどうしじょう)または南米共同市場(なんべいきょうどうしじょう)と訳される。日本の外務省やJETRO、JICAなどは前者を用いることが多い。
活動
欧州連合(EU)のような自由貿易市場の南米での創設、具体的には域内での関税撤廃と域外共通関税を実施することを目的として、1991年にパラグアイのアスンシオンでアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルの4カ国が調印し、1994年12月には4ヵ国首脳がブラジルのオウロ・プレットに集まり最終議定書に調印し、1995年1月に発足した。
加盟国は2004年12月以降アンデス共同市場(アンデス共同体)と相互に準加盟の形で協力関係にある。
2005年発足予定であった米国主導の米州自由貿易地域 (FTAA) 計画に先行するものとみる期待もあったが、2005年11月4日、5日にマル・デル・プラタで開かれた第4回米州首脳会議で当時のメルコスール諸国とベネズエラの反対でFTAA計画は頓挫している。この後にベネズエラがメルコスールへの加盟を表明した。
ベネズエラを加えて、南米全体の人口の約7割に当たる2億6千万人、国内総生産全体の75%を占めることになった。ベネズエラと他の加盟国との間の貿易関税は2010年から2013年にかけて撤廃される予定である。
現在、南米10ヵ国が参加する自由貿易圏へと拡大したが、EUとの自由貿易協定交渉は難航している。
アルゼンチンのフェルナンデス大統領とブラジルのルラ大統領は、2008年2月22日、メルコスールを強化することを謳った共同声明を発表した。声明は、不干渉と国際法の尊重が両国の基本原則と位置づけている。
2010年8月3日、アルゼンチン西部のサンフアンで首脳会議を開いた。ベネズエラ・コロンビア間の危機を打開するために、南米諸国連合(UNASUR)の首脳会議をできるだけ早く開催するように呼びかけた。会議には加盟国のアルゼンチン・ブラジル・ウルグアイ・パラグアイと準加盟国のチリ・ボリビアの大統領が参加した。正式加盟手続途中のベネズエラのチャベス大統領に代わり、マドゥロ外相が参加した。
2011年12月20日、ウルグアイの首都モンテビデオで首脳会議が開かれた。最終宣言で4か国は、南米地域で起こった「重大な人権侵害について記憶、真実、正義を追求する」立場を再確認し、左翼政党や労組活動家を弾圧した「コンドル作戦」をはじめ南米南部における共同弾圧網に関して情報を得る専門グループを設立する、と述べた[1]。
脚注
- ↑ “南米旧政権の弾圧追及 メルコスルが機関創設 首脳会議で4カ国合意”. しんぶん赤旗 (2011年12月22日). . 2011閲覧.