メリー喜多川
メリー喜多川 | |
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生誕 |
1926年12月25日(98歳) アメリカ合衆国 ロサンゼルス |
出身校 | ロサンゼルス・シティー・カレッジ |
職業 | 実業家 |
配偶者 | 藤島泰輔 |
子供 | 藤島ジュリー景子 |
メリー 喜多川(メリー きたがわ、Mary Y. Kitagawa、本名:藤島メリー泰子(ふじしま メリー やすこ)、1926年(大正15年/昭和元年)12月25日 - )は、日本の実業家ならびに芸能プロモーター。ジャニーズ事務所の取締役副社長。レコード会社「ジャニーズ・エンタテイメント」の代表取締役社長も務めていた。弟はジャニーズ事務所の代表取締役社長のジャニー喜多川。
略歴
リトルトーキョーにある高野山真言宗米国別院の僧侶・喜多川諦道の長女として、1926年12月25日にアメリカ・ロサンゼルスに生まれる。植木等と生年月日が同じである。父は1946年2月から1948年2月まで、プロ野球チーム「ゴールドスター(1947年に「金星スターズ」に改称)」のマネージャーだった。
1933年、喜多川一家(父、母、ジャニー喜多川を含む弟3人)は日本に渡り、大阪市で暮らした。間もなくして母親が逝去。やがて第二次世界大戦が始まると、子供たちだけで和歌山県那智勝浦町に疎開した。その後メリーは知り合いのつてで大阪松竹少女歌劇団に顔を出すようになり、戦後に劇団が駐留軍で慰問公演を行なう際には通訳も務めた。
1947年、弟3人と共に再渡米。ロサンゼルス・シティー・カレッジ[1]を卒業。そして弟のジャニーは1952年に、メリーは1957年に日本に再帰国した。
1950年代後半、四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にてカウンターバー「スポット」を開業し、事業家の道へ。このバーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔との間に一女(現在、ジェイ・ストームの代表取締役社長を務める藤島ジュリー景子)をもうける。
弟のジャニーが1962年6月に芸能事務所「ジャニーズ事務所」を興すと、メリーもバーを閉店して事務所の経理を担当するようになった。 また、フォーリーブスのスタイリストなども受け持った。
2011年、中華人民共和国の温家宝国務院総理の要請で実現した北京講演のために訪中したSMAPが人民大会堂で対日外交担当者の唐家璇と会見した際には飯島三智とともにメリーも立ち会った[2]。
人物
- ジャニーズ事務所において、タレントの扱いやショーのプロデュースをする弟に代わり、会社経営の全般を取り仕切る。
- 弟・ジャニーと共に多くのタレントを育て上げた反面、事務所の方針・決定に従わない所属タレントや不祥事を起こした所属タレントを厳罰に処するなど、企業人及び芸能プロモーターとして厳しい側面も持つとして、業界人のみでなく世間一般の人にも有名である。彼女と悶着を起こした元所属者として有名な人物には元SMAPの森且行、元男闘呼組の高橋和也などがいる。
- 芸能の神を祀ることで知られる豊川稲荷東京別院を古くから贔屓にしており、その豊川稲荷の名から引用して、豊川誕に芸名を命名した。
- ジャニーズのタレントが舞台上で素早く衣装を変える『早着替え』に使われる『早変わり衣装』の実用新案を1976年に出願している。
- SMAP解散騒動において、騒動の発端がメリー本人であるとの憶測でファンからの反感を買い、自宅に人糞などを蒔かれる。
脚注
- ↑ ディプロマミルとされる「ロサンゼルス市立大学」(シティユニバーシティロサンゼルス、City University Los Angeles)とは異なる。
- ↑ “SMAP、唐家セン元国務委員と会見 人民大会堂”. 中国網. (2011年9月16日) . 2017閲覧.