ミハイル・ゴルトシュタイン

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ミハイル・エマヌイロヴィチ・ゴリトシュテイン
基本情報
生誕 (1917-11-08) 1917年11月8日
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦オデッサドイツの旗 ドイツ
死没 (1989-09-07) 1989年9月7日(71歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家・音楽教師
担当楽器 ヴァイオリン

ミハイル・エマヌイロヴィチ・ゴリトシュテイン(Mikhail Emanuilovich Goldstein; ロシア語: Михаил Эммануилович Гольдштейн)(Mikhailo Emanuilovich Goldstein ; ウクライナ語: Михайло Еммануїлович Ґольдштейн), 1917年11月8日 オデッサ1989年9月7日 ハンブルク)はソビエト連邦出身のドイツヴァイオリニスト作曲家・音楽教師。ユダヤ系ウクライナ人であり、ミハイロ・ミハイロフスキー(Mikhailo Mykhailovsky)という筆名も持っていた。

経歴

4歳からヴァイオリン教育を受け、早くも5歳で神童としてデビューした。子供時代は、ピョートル・ストリャルスキーナタン・ミルシテインダヴィド・オイストラフとの門人)に師事した。ヴァイオリニストとしてしばしば演奏会を開き、さらにバッハの《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》など、いくつかの録音も遺している。手の故障によりヴァイオリニストとしての道が断たれ、創作活動や教育活動に集中するようになる。1963年全国作曲家同盟コンクールにおいてヴァイオリンとチェロのための作品などで3つの賞を得る。どうやら数点を偽名で提出していたらしい[1]。この出来事の後で政治的な立場がいっそう危うくなり、1964年にソ連を去って東ベルリン経由でウィーンエルサレムロンドンを遍歴した。

1969年西ドイツに落ち着き、ハンブルク高等音楽学校のヴァイオリン科教授として活動し、数多くの演奏家を輩出した。1984年に教育活動や社会貢献に対して、西ドイツ政府より連邦功労十字章を授与された。

クリコフスキーの《交響曲 第21番》」や「バラキレフの《即興曲(Expromt)》」「グラズノフの《アルバムの一葉》」といった偽作を創り出した。

また、同じくドイツに亡命した弟ブーシャも著名なヴァイオリン奏者である。

参考資料

  • Сорокер, Я., Євреї в музиці України - Сучасність, 2 (286), лютий, 1995, cc.54-65.
  • Гольдштейн М., Записки музыканта. Франкфурт-на-Майне, 1970 г.(ゴリドシュテイン M.『音楽家略記』フランクフルト・アム・マイン、1970年)
  • Полищук, Ян., Гений или злодей. "Литературная газета" , 1959 г.(ポリシュク ヤン「天才あるいは罪人」『文学雑誌』1959年)
  • Музыкальная подделка. В кн.: Энциклопедический музыкальный словарь, Москва, 1966 г., c. 331.(偽作について:『音楽辞典』モスクワ、1966年、p.31記載)

外部リンク

脚注

  1. "Советская Культура" 1/12/1963 (『ソビエト文化』1963年12月1日)