ミケランジェロ・ブオナローティ

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(伊: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475年3月6日 - 1564年2月18日)

イタリアの画家,彫刻家,建築家。 1488年にギルランダイオ兄弟の工房に入ったが,翌年からメディチ家の彫刻学校で学び,ロレンツォ・デ・メディチの庇護を受けた。 92年のロレンツォの死後,ボローニャに滞在。 96~1501年頃ローマで『ピエタ』(サン・ピエトロ大聖堂 ) を制作。 01~05年フィレンツェで『ダビデ』 (フィレンツェ・アカデミア美術館 ) を制作。 05~06年ローマで教皇ユリウス2世の墓碑を制作したが中断,フィレンツェに戻ったが,08~12年再びローマでシスティナ礼拝堂の天井画を制作。その後フィレンツェでメディチ家礼拝堂と墓碑を制作。また城塞構築にも従事。 33年にはローマでシスティナ礼拝堂の『最後の審判』を制作し,さらにサン・ピエトロ大聖堂の大円蓋の設計やカンピドリオ広場を再構成した。晩年はピエタ像の制作に没頭。ルネサンスの大画家,古代ギリシア以来の最大の彫刻家として知られ,ペトラルカ風の詩作も試み,死後『詩集』 Rime (1623) が出版された。