マーク・チャップマン

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マーク・デイヴィッド・チャップマン(Mark David Chapman、1955年5月10日 - )は、アメリカ殺人犯ジョン・レノン殺害犯として知られている。

略歴

テキサス州フォートワース生まれ。父親はアメリカ空軍の3等軍曹だったがチャップマンが生まれてまもなく除隊し、石油会社アメリカン・オイルで働いた[1][2]。母親は看護婦。7歳下の妹がいる。本人談によると、父親は妻に暴力をふるう男で、息子にも愛情がなかった。父親に怯える生活の中で、自分は寝室の壁の中に住む小人たちを支配する王であるという空想に浸るようになる。小人たちの新聞やテレビに毎日登場し、彼らのためにヒーローのようにふるまうこともあれば、癇癪を起こして彼らを殺すこともあったが、いつも小人たちは許してくれた[2]。運動はできなかったがIQは121あり、大人の目には、ロケットやUFOやビートルズが大好きな普通の子供に映っていた[2]。父親はボーイスカウトのリーダーを務め、YMCAでギターを教えており、息子にも教える姿がしばしば目撃され、周囲からは幸せな一家と思われていた[2]

ディケーター (ジョージア州)のコロンビア高校に進学した14歳のころから親に反抗的になり、ドラッグに手を出し、夜遊びを始め、警察の世話になることもあったが、16歳のときに長老派の伝道師の説教会に行ったのをきっかけに人が変わったように真面目になり[1]聖書のリーフレットを配り歩き、学業も向上した。YMCAのサマーキャンプで指導員を務めたときは子供から絶大な人気を得、優秀指導員の賞を受けるほどだった。友人から『ライ麦畑でつかまえて』を薦められ、主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいった。

高校卒業後シカゴに移り、物まね芸をする友人と一緒に教会やクリスチャン向けのナイトスポットに出演し、ギターを担当したが、ほどなく故郷に戻り、YMCAで働くためにコミュニティカレッジに通った[1][2]。YMCAの仕事でアーカンソー州ベトナム難民再定住施設で働き、ここでも子供から人気を集めた。その後、結婚を約束した恋人とテネシー州に移り、二人で長老派系の大学へ通ったが、成績が振るわず、しかも別の女性を愛して、罪悪感にさいなまれるようになった。このころから自殺願望が芽生え、大学を退学し、婚約者とも別れた[2][1]

故郷に戻り、再びYMCAのサマーキャンプ指導員になったがうまくいかず、警備員として働き始めた。1977年に自殺するためハワイへ向かったが、楽園で過ごすうちに生きる希望が生まれ、一度は故郷に戻ったが、両親と喧嘩して再びハワイへ飛んだ。浜辺で排ガス自殺を図ったが、日系人の猟師に見つかり一命を取り留め、神に救われたと感じた。病院でリハビリを受け、回復後は近くのガソリンスタンドで働きながら、病院のボランティアとして老人の介護や雑用を手伝った[1]。世界一周旅行の手配を通じて旅行代理店に勤めていた日系アメリカ人のグロリア・ヒロコ・アベと知り合った。グロリアには小さいころに患ったポリオのせいで足を引きずる障害があった。極東から東南アジア、ヨーロッパを回ってアトランタまで旅し、ハワイに戻って1979年にグロリアにプロポーズをした。グロリアは彼のために仏教からキリスト教に改宗した[2]

6月に結婚し、病院の印刷係として勤め始めたが、再び神経過敏になって周囲とうまくいかずクビになり、夜警になった。強迫観念から過度な飲酒と病的な浪費が始まったかと思えば、一転して節約に夢中になったり、さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続き、想像上の小人も再び現れるようになった。ジョン・レノンの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い、レノン殺害計画を小人たちに話した。10月23日に夜警を辞め、27日に銃を買い、30日にレノンの住むニューヨークに向けてホノルルを発った[2][1]

射殺事件の概要

当時ハワイ州ホノルルに在住していたチャップマンは、1980年12月8日の夜、ニューヨークセントラル・パーク西側の72番通りにあるレノンの自宅であるダコタ・ハウスの前に到着した彼を射殺し、その場で逮捕された[1]。ジョン・レノンの妻オノ・ヨーコの請願などを受け収監期間が延長されている[3]。2018年8月に10度目となる仮釈放申請が不許可にされたので釈放は早くとも2020年となる。

彼はアパート前の草場の中で帰りを数時間待ち、帰宅すると背後から呼びかけた直後に拳銃を5発撃ち、内2, 3発が胸に命中した (他は肩) 。拳銃はハウスの警備員がすぐに駆けつけ蹴り飛ばされた。事件後チャップマンは現場から逃走しようともせず、警官が到着するまで現場をうろついたり、『ライ麦畑でつかまえて』を読んだりしていた。

ジョン・レノンの容態は急を要したため救急車を待たず、駆けつけたパトカーの後部シートに乗せられ、近くのルーズベルト病院に搬送されたが、出血多量による死亡が確認された。

事件後の処分

逮捕後の裁判で彼は第二級謀殺の罪で告発された。弁護士は彼が精神異常であることを申し立てると思われたが、有罪の申し立てを行った[1]

チャップマンは第二級謀殺の罪で有罪と認定され、「20年から終身まで」の無期刑の判決を受けた。ニューヨーク州の州法では第二級謀殺の罪は20年服役後に仮釈放が許可される可能性がある無期刑が最高刑である[4]。チャップマンは現在ニューヨーク州バッファローの近くにあるWende Correctional Facilityに収監されている。

2000年から2018年まで2年ごとに8月に、州の仮釈放委員会に累計で10度の仮釈放申請が出されたが、チャップマンの精神や言動に反省や謝罪や更生が見られないこと、ジョン・レノンの遺族である妻子に対する再犯の可能性があること、ジョン・レノンの妻であるオノ・ヨーコらの反対、もしチャップマンが仮釈放されたらジョン・レノンのファンから報復で殺される可能性があることなどを理由として毎回不許可にされ[5][6][7][8][9]、2018年現在も服役中である。

2014年に妻のグロリア・ヒロコ・チャップマンに初インタビューしたイギリスの『デイリー・メール』誌によると、二人は年に一度44時間、刑務所内のキッチン付きトレーラーで過ごすことが許されているという[10]。グロリアはハワイに住む日系人女性で、犯行の1年半前に結婚し、事件後も離婚していない[10]。夫婦でオノ・ヨーコに対し赦しを乞う手紙を書いており、レノンとチャップマンは天国で再会すると信じており、ポール・マッカートニーも刑務所を訪ねて現在のチャップマンに会えばきっと好きになるだろうと語ったという[10]。この件に関し、『デイリー・メール』誌は「心がかき乱される内容」と評した。また、マッカートニーも「私は誰でも許せる性質だと思うが、こいつだけは許す理由が見つからない。こいつは正気を失って、取り返しのつかないことをした。そんな人間になぜ容赦の気持ちを恵んでやる必要があるのかわからない」と発言している。

事件の疑惑

犯行当時、レノンの狂信的なファンであると報じられ、世界的にその報道が定着したが、さまざまな憶測も語られた。ケネディ大統領暗殺事件に似た陰謀的暗殺[11]CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在はチャップマンの単独犯行であると結論付けられている。

暗殺説が語られた背景には、レノンの反戦運動の政治的影響力などがあると言われる。また、1981年にはレノンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となる予定であり (永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る) 、これがその直前の犯行に結びつけられることもあった[12]

チャップマン自身は、仮釈放申請の際に、殺人の動機はレノンを殺すことで注目を集め有名になりたかった、と語っている[13]

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 『昭和55年 写真生活』p32-34
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 Mark David Chapman: The Man Who Killed John LennonCrime Library
  3. ジョン・レノン殺害犯釈放にオノ・ヨーコが抗議 (映画.com 2010年7月28日付) 2010年9月8日閲覧
  4. Death Penalty Information Center>State by State>New York
  5. BBC News>23 August 2012>Lennon killer Chapman denied parole for seventh time
  6. Guardian>23 August 2012>John Lennon's killer Mark Chapman denied parole for seventh time
  7. Telegraph>23 August 2012>John Lennon's killer Mark Chapman denied parole for seventh time
  8. Daily Mail>23 August 2012>John Lennon's killer Mark David Chapman denied parole for SEVENTH time
  9. CNN>August 23 2012>Man who shot John Lennon denied parole for 7th time
  10. 10.0 10.1 10.2 WORLD EXCLUSIVE - My life married to John Lennon's killer: Disturbing first interview with the wife who's stood by Mark Chapman for 34 years as she reveals their sex behind bars.... and why she wants Yoko to forgive DailyMail, 13 December 2014
  11. フィル・ストロングマン/アラン・パーカー共著『ジョン・レノン暗殺‐アメリカの狂気に殺された男』 (小山景子訳、K&Bパブリッシャーズ、2004年12月刊) ISBN 978-4902800012‐FBI資料をもとにレノン謀殺を説くノンフィクション。
  12. 『フリーメイソン暗黒史』2007年12月24日初版 イースト・プレス刊
  13. John Lennon killer 'born-again Christian' but wife stands by her manExpress, December 16, 2014

参考文献

  • ジャック・ジョーンズ『ジョン・レノンを殺した男』 (堤雅久訳、リブロポート、1995年11月刊) ISBN 978-4845710485
  • 『昭和55年 写真生活』(ダイアプレス、2017年1月刊) ISBN 978-4802302524

関連項目

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