マルティン・ニーメラー

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マルティン・ニーメラー(1952年)

フリードリヒ・グスタフ・エミール・マルティン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller, 1892年[1]1月14日 - 1984年3月6日)は、ドイツ福音主義神学者古プロイセン合同福音主義教会ヘッセン=ナッサウ福音主義教会ルター派)の牧師反ナチ運動家。ナチスの弾圧とそれに対する抵抗運動を描いた詩『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(Als die Nazis die Kommunisten holten)の作者。マルチン・ニーメラーとも。

人物

ノルトライン=ヴェストファーレン州リップシュタット出身。ギムナジウム卒業後ドイツ海軍に入隊し、第一次世界大戦時にUボート艦長を務めた。退役後、ミュンスター大学福音主義神学部に入学し、父と同じ牧師の道を目指した。1920年代のニーメラーは政治的には右派であり、1924年以降は国家社会主義ドイツ労働者党に投票していた。1931年、ベルリン=ダーレム教会共同体から聖アンネン教会担当牧師としての招聘を受け、翌1932年にニーメラーの牧師就任式がベルリン=ダーレム教会共同体のもう一つの教会であるイエス=キリスト=教会 (ダーレム)で執り行われた。この時期までは右派であり、アドルフ・ヒトラーの支持者だったが、教会からのユダヤ人追放政策に反対し、1933年9月に反ナチに転じた。告白教会の創立者の一人となりドイツにおける福音主義教会のナチ化に強く反対するようになった。ナチの教会に対する国家管理への反対行動によって、1937年から1945年までの間、ザクセンハウゼン強制収容所ダッハウ強制収容所に収容されたが、ホロコーストをまぬがれ収容所から生還した。

戦後、1947年から1964年までヘッセン=ナッサウ福音主義教会の教会議長(他の州教会での監督に相当)を務めた。1948年から1956年まで在外ドイツ人の福音主義教会を管轄するドイツ福音主義教会(EKD)外務局長でもあった。 1950年代から平和主義者、反戦運動家として声をあげるようになり、ベトナム戦争中もホー・チ・ミンと面談し、反核運動でも活動した。ヴィースバーデンで没した。

脚注

  1. ニーメラーとその言葉とは「しんぶん赤旗」2006年4月27日

関連項目

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - ニーメラーの言葉に由来する詩。

参考文献

  • ディートマール・シュミット 『マルティン・ニーメラー』 雨宮栄一訳、新教出版社、1966年。

外部リンク