ボナパルト朝
ボナパルト朝(ボナパルトちょう、dynastie des Bonaparte)は、19世紀フランスに興った王朝。一時はフランス本国のみならず、一族が周辺諸国の君主にもなった。
歴史
ボナパルト家はコルシカ島の小さな貴族の家柄であったが、一族のナポレオン・ボナパルトが1799年にブリューメル18日のクーデターで第一統領に就任し、その後自らを「フランス人の皇帝」に推戴させる選挙を行い、圧倒的な賛成で1804年に皇帝ナポレオン1世として即位した(フランス第一帝政)。
ナポレオン1世はヨーロッパ各国に侵攻すると、自分の兄弟や親類を征服地の国王や大公に仕立て上げた。
- 父:シャルル・マリ・ボナパルト - コルシカ島貴族
- 兄:ジョゼフ・ボナパルト - 当初はナポリ王(ジュゼッペ1世)、後にスペイン王(ホセ1世)。
- 弟:リュシアン・ボナパルト - カニノ公
- 妹:エリザ・ボナパルト - トスカーナ大公
- 弟:ルイ・ボナパルト - ホラント王(ローデウェイク1世)・ベルク大公・クレーフェ大公・サン=ルー伯
- 甥:ナポレオン・ルイ・ボナパルト - ホラント王(ローデウェイク2世)
- 弟:ジェローム・ボナパルト - ヴェストファーレン王
- 養子:ウジェーヌ・ド・ボアルネ - イタリア副王(国王はナポレオンが兼ねた)
- 実子:ナポレオン2世 - ローマ王・ライヒシュタット公
- 妹婿:ジョアシャン・ミュラ - ナポリ王(ジョアッキーノ1世)、妻はカロリーヌ・ボナパルト。
彼らは必ずしも私欲に走ったりナポレオンに追随したわけではなく、ホラント王のルイやナポリ王のミュラなどのように、現地の利益にある程度配慮した政策を行って支持を得る一方、ナポレオンと不和になったり廃位させられた者もいる。いずれにしても、彼らはナポレオンの失脚とともに没落した。
上記の他、兄嫁の妹で元婚約者であるデジレ・クラリーの夫ジャン=バティスト・ベルナドットをスウェーデンの王太子に据えているが、ナポレオンに敵対する道を選んだベルナドットは、ナポレオン失脚後もその地位を保ってスウェーデン王位に就き、現在まで続くベルナドッテ王朝の祖となった。のちに、ジャン=バティスト改めカール14世ヨハンとデジレの息子であるオスカル1世が、ウジェーヌ・ド・ボアルネの娘ジョゼフィーヌを王妃としている。
ナポレオン1世の没落から約30年後の1848年、ルイ・ボナパルトの三男ルイ=ナポレオン・ボナパルトが、第二共和政の下で行われた最初の大統領選挙に当選し、1852年にはクーデターと選挙によって帝政を復活させ、ナポレオン3世として即位した(フランス第二帝政)。
しかし、スペインの王位継承権問題がきっかけで1870年にプロイセン王国と開戦(普仏戦争)したが、戦局はフランス不利に傾く。セダンの戦いでナポレオン3世自ら前線に赴いたが敗北し、皇帝自らが捕虜になった。皇太子であるナポレオン4世は帝位に就かず、皇太子のまま政務を執ったが、パリ民衆の暴動のために2日間でイギリスに亡命した。
フランス皇帝
- ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト、1804年 - 1814年、1815年)
- ナポレオン1世の失脚後に、正式に即位はしていないが、皇太子がナポレオン2世として公的に認められる。幼年のため親政はせず。
- ナポレオン3世(ルイ=ナポレオン・ボナパルト、1852年 - 1870年)
- 父ナポレオン3世がプロイセン軍に捕らわれた後、皇太子ナポレオン4世が政務を執ったが、皇帝に即位せず。
帝位請求者
ナポレオン1世失脚後のフランス帝位請求者=ボナパルト家家長は以下の通りである。
- ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト、1814年 - 1815年、1815年 - 1821年) ※1815年復位
- ナポレオン2世(ナポレオン・フランソワ・ボナパルト、1821年 - 1832年)
- ジョゼフ1世(ジョゼフ・ボナパルト、1832年 - 1844年)
- ルイ1世(ルイ・ボナパルト、1844年 - 1846年)
- ナポレオン3世(ルイ=ナポレオン・ボナパルト、1846年 - 1852年、1870年 - 1873年) ※1852年 - 1870年在位
- ナポレオン4世ウジェーヌ(ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト、1873年 - 1879年)
- ナポレオン5世ヴィクトル(ナポレオン・ヴィクトル・ボナパルト、1879年 - 1926年) ナポレオン1世の末弟ジェロームの孫、ナポレオン公
- ナポレオン6世ルイ(ルイ・ナポレオン・ボナパルト、1926年 - 1997年) ナポレオン5世の子、ナポレオン公
1997年以降、以下の2人の間で権利が競合状態にある。
- ナポレオン7世シャルル(シャルル・ナポレオン・ボナパルト) ナポレオン6世の子、ナポレオン公、元アジャクシオ副市長
- ナポレオン8世ジャン・クリストフ(ジャン・クリストフ・ナポレオン・ボナパルト) ナポレオン7世シャルルの子
系図
シャルル・マリ・ボナパルト | マリア・レティツィア・ラモリノ | ジョゼフ・フェッシュ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジョゼフ | アレクサンドル・ド・ボアルネ | ジョゼフィーヌ | ナポレオン | マリー・ルイーズ | リュシアン | エリザ | フェリーチェ・バチョッキ | ルイ | カロリーヌ | ジョアシャン・ミュラ | ジェローム | ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世 サルデーニャ王 イタリア王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼナイード | シャルロット | ウジェーヌ・ド・ボアルネ | オルタンス・ド・ボアルネ ナポレオン3世の母 | アレクサンドル・ヴァレフスキ 他庶子数人 | ナポレオン2世 | シャルル | ルイ=リュシアン | ピエール | ナポレオン・ルイ | ナポレオン3世 | ジェローム・ナポレオン | ナポレオン・ジョゼフ | マリア・クロティルデ | アメデーオ イタリア王子 スペイン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル・ド・モルニー (私生児) | ジョセフ | リュシアン | ナポレオン | ルイ | ロラン | ナポレオン・ウジェーヌ | ナポレオン・ヴィクトル | マリー・レティシア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー | ゲオルギオス ギリシャ王子 | ルイ・ナポレオン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル・ナポレオン | ジェローム | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン・クリストフ・ナポレオン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||