ホノリウス3世 (ローマ教皇)

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ホノリウス3世(Honorius III, 1148年 - 1227年3月18日)はローマ教皇(在位:1216年 - 1227年)。出生名チェンツィオ・サヴェッリ(Cencio Savelli)。

ローマ貴族の家系に生まれた。1188年サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂律修司祭に就任、1193年助祭枢機卿に任命された。1197年にはシチリア王フェデリーコ1世(後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)の家庭教師も務めた。1200年インノケンティウス3世によって司祭枢機卿に昇格、1216年のインノケンティウス3世の没後のコンクラーヴェで教皇に選ばれた。

教皇就任後は十字軍の結成に力を尽くし、フリードリヒ2世に十字軍の参加を約束させたが、日付を先延ばしにして約束を守ろうとはしなかった。他の王侯貴族も同じく教皇の呼びかけに答えず、ハンガリーアンドラーシュ2世ジャン・ド・ブリエンヌフランス・ドイツ諸侯が結成した第5回十字軍1217年に出発、ダミエッタを占領したが、後から参戦した教皇使節ペラギウスと諸侯との対立等で失敗に終わった。

ホノリウス3世はフリードリヒ2世を次の十字軍に参加させるべく破門をちらつかせたため、1227年にフリードリヒ2世は第6回十字軍を率いることにしたが、ホノリウス3世は出発前の3月18日に死去。後継者のグレゴリウス9世は強硬派であり、十字軍の遅延を理由にフリードリヒ2世を破門したため、皇帝と教皇の関係は悪化、イタリア政策を巡って両者は対立していくことになる。

また、キリスト教の布教のためドミニコ会カルメル会を承認、フランシスコ会の会則を認可し、セルビアステファン・ネマニッチに王冠を授け、セルビア王国の地位を認めた。

後世、「教皇ホノリウスの奥義書」(17世紀以降)という魔法書が出回り、実は魔術師だったのではないかとの噂が生じた。これについては、教会に迫害された魔術師たちが報復のために最も正統的な教皇に罪を着せたという説[1]や、後に異端として断罪されることになるテンプル騎士団を庇護したためではないかとする説[2]がある。ローマ教会の歴史書、教会法集の編纂、教令集など著述活動を盛んに行った学者でもあったため、魔術と繋げられたのではないかとするむきもある。

  1. アルフレッド・モーリー 『魔術と占星術』 有田忠郎・浜文敏訳、白水社、1993年、p.141。
  2. Davies, Owen (2009). Grimoires - A History of Magic Books. Oxford University Press, p.34.